著者
松田 皎 萬 栄 劉 群 陳 大剛 侯 恩淮 高 清廉 東海 正 兼広 春之 佐藤 要 小野 征一郎 WAN Rong HOU Enhuai CHEN Dagang GAO Qing-lian 候 恩淮
出版者
東京水産大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1994

世界でも有数の漁場である東シナ海・黄海は、日本・中国・韓国・北朝鮮などが国際漁場として戦前・戦後を通して利用してきたが、永年にわたる漁獲圧のため、現在は極めて厳しい資源状態になっている魚種は多い。これを元の豊かな漁場に戻すには、国際的な管理組織を築くことが緊急の課題である。その第一歩として、この海域を利用している主要国である日本と中国とが漁業の実態に関する情報交換・技術交流を進めることにより、その実態を認識することが必要である。本研究の3年間の集大成として、1996年11月青島海洋大学において開催した日中共同セミナーは、貴重な情報交換の場であった。まず、佐藤は「日本の以西底びき網漁船の歴史的変遷」と題して、戦後において東シナ海域における日本・中国・韓国3国の底びき網漁業の変遷を述べ、1975年以降、中韓2国と異なり日本の漁獲は急激に減少の一途を辿っている。これは日本漁船の賃金の高騰と円高による水産物輸入の増大によるものと考えられた。松田は「日本の以西底びき網漁業における主要魚種の資源状態と漁業管理における諸問題」について、イカ類、タチウオその他わずかな魚種以外は、ほとんど壊滅的な状態であること、早急に国際的管理体制にすべきとした。高は「日中両国漁船の発展趨勢」について、船形から日中の各種漁船の性能の比較を行った。陳は日中両国の海洋魚類の分布の比較研究」において、日中両国近海に出現する魚種は4351種329科に属し、その中3048種が中国近海に、3254種が日本近海に、両国共通種は1951種であることを明らかにした。陳はさらに付表として4351種の学名、中国名、日本名及び分布海域を記す表を作成した。侯は「中国漁政管理の特徴」において、これまで20年間の漁業の変遷をみると、漁船の増加、養殖業の発展が水質の汚染と伝統魚種の減少をもたらしたとしている。劉は「中国漁業40年の回顧」において、この40年間に何が中国の漁業の発展をもたらしたかを示した。小野は「日本の漁業管理-TACを中心として-」において、日本が昨年国連海洋法条約を批准したことにより、TAC制など今後両国の取るべき政策について論じた。東海は「多魚種漁業と投棄魚問題」で、底びき網漁業など、多魚種を同時に漁獲し、不要魚種その他を投棄する場合の生態系への影響を論じた。兼広は「日本の漁業資材の現状と動向」で、漁業行為によって廃棄された漁網類がゴ-ストフィッシング等資源に及ぼす影響について論じ、これを解決する方法として微生物により分解するバイオプラスチックを紹介した。資本主義体制下の日本と、解放政策が進展中とはいえ社会主義体制下の中国では漁業管理の方式が異なる。開放政策により、中国では従来からの国営漁業の他に大衆漁業が急激に増大した。それらは主として、小船によるもので、主として張網漁業を行っている。張網は比較的沿岸域に設置しておいて、潮流によって流れてくる魚を濾して獲る趣向の漁具である。問題は網目が非常に小さいため、小さな幼魚まで一網打尽にしてしまうことである。このような稚仔魚は普通商品にはならないのであるが、たまたまエビの養殖の餌として高価がつく。エビの方はもちろん日本市場へ輸出されることになる。このような情報があったため、今回の研究では、この事実を確認すべく努力したが、確証は得られなかった。一方、中国農業部水産局は、1995年からタチウオ資源の回復のため、一つの資源管理策を打ち出した。それは5月頃産卵したタチウオの幼魚を保護するため、7、8月の2ヶ月間、底曳網漁業を全国的に禁止し、さらに張網(定置網)も6〜9月のうち2ヶ月間を禁漁にするというものである。このことは、底曳網、張網でタチウオの幼魚が大量に捕獲されていることを政府も認めていることを示している。この政策が永年続くと、タチウオばかりでなく、他の資源にもよい結果が表われると思われる。今後の資源の動向を注意深く観察する必要がある。
著者
武田 誠一 佐藤 要 小林 顕太郎
出版者
公益社団法人 日本航海学会
雑誌
日本航海学会論文集 (ISSN:03887405)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.51-61, 1993
被引用文献数
1

実船計測で得られた航行中の出会い波浪(波高)ならびに波浪中船体応答の資料を解析し、短期統計量についてRayleigh分布との比較検討した結果を以下に要約する。(1)両振幅ならびに片振幅の波浪統計量は、Rayleigh分布を仮定した推定値から説明できるが、推定値は多少安全側にある。また今回の波高範囲では、これらの波浪統計量の非線形性は弱い。(2)船体応答におけるピッチおよびロールの短期統計量についても、Rayleigh分布を仮定した推定値が解析値と良く一致していることが認められた。(3)一方、1/100最大波ならびにピッチ角(片振幅)の解析結果では、解析値が推定値を上回っている事例があり、極値解析の方法および他の分布形について更に検討が必要と考える。(4)大型船よりも縦強度が比較的強いと考えられる供試船においても、サギング側の応力が大きいことが認められた。今後、漁船の安全運航を踏まえ(3)の問題点を明らかにするとともに、大波高ならびに水深の浅い海域における短期統計量についても研究をすすめていきたい。また、資料の蓄積をはかり長期発現頻度の基となる、データベースの構築についても努力していきたいと考える。

1 0 0 0 OA 慶長9年の津波

著者
三好 寿 佐藤 要 都司 嘉宣
出版者
日本海洋学会
雑誌
日本海洋学会誌 (ISSN:00298131)
巻号頁・発行日
vol.45, no.3, pp.174-180, 1989-06-25 (Released:2011-06-17)
参考文献数
7
被引用文献数
1

慶長9年 (1605年2月3日) の津波波源が, 2個分離型か, 1個合体型かは, 日本社会の直面する最重要問題のひとつである. 海洋学知識が普及していない時代には, 八丈島 (含・小島) の被害パターンが重要な鍵と考えられた.戦後の動乱期に, その情報が日本に入り, 貿易風による大波と津波の複合という重要考察が読み落され, 1946年のアリューシャン津波が超巨大津波と想定された情況に似る.筆者らは延べ8年間の, 八丈島をめぐる1月, 2月の季節風風向の統計を求め, 八丈島の被害パターンは, 非常に高い確率で, 季節風による大波に若干の津波が重なったものによるとして説明し尽されることを示した.これにより, 静岡県の多数の寺の過去帳が1605年2月3日の人命損失を記録していないことを, 分離型震源との結論の鍵と考えても後顧の心配がないことが示された.