著者
青木 久 岸野 浩大 早川 裕弌 前門 晃
出版者
日本地球惑星科学連合
雑誌
JpGU-AGU Joint Meeting 2017
巻号頁・発行日
2017-03-10

津波石とは,津波により陸上に打ち上げられた岩塊のことである.先行研究によると,宮古島や石垣島をはじめとする琉球列島南部の島々には,過去の複数の津波によって石灰岩からなる巨礫,すなわち津波石が打ち上げられていることが報告されている.本研究では,津波によって陸上に打ち上げられた津波石のうち,海崖を乗り越えて海岸段丘上に定置している津波石に焦点をあてて野外調査を行い,過去に琉球列島南部,宮古諸島と八重山諸島に襲来した津波営力の違いについて考察を行うことを目的とする.本研究では,宮古諸島に属する宮古島・下地島,八重山諸島に属する石垣島・黒島の4島を調査対象地域として選び,宮古島東平安名崎海岸,下地島西海岸,石垣島大浜・真栄里海岸,黒島南海岸において,津波石の調査が実施された.これらの海岸では琉球石灰岩からなる海崖をもつ海岸段丘が発達し,段丘上や崖の基部,サンゴ礁上に大小様々な津波石が分布する.各海岸の背後には,岩塊が供給されうる丘陵などの高台が存在しないため,段丘上の岩塊は津波によって崖を乗り越えた可能性が高いと判断し,本研究では3 m以上の長径をもつ巨礫を津波石とみなした.津波石の重量(W)と海崖の高さ(H)に関する以下のような調査・分析を行った. Wを求めるため,津波石の体積(V)と密度(ρ)の推定を行った(W=ρgV,gは重力加速度). Vは津波石の長径と中径と短径の計測および高精細地形測量(TLSおよびSfM測量)による3D解析を併用し求められた.ρは弾性波速度の計測値から推定された.Hはレーザー距離計を用いて計測された.津波石は,宮古島ではH=17 mの段丘上に14個,下地島ではH=10 mの段丘上に1個,石垣島ではH=3 mの段丘上に4個,黒島ではH=3~4 mの段丘上に6個,計25個が確認された.段丘上の津波石が津波によって崖下から運搬されたと仮定すると,W・Hは津波石の鉛直方向の移動にかかった仕事を示すことから,津波石を崖上に運搬するのに必要な津波営力(運動エネルギー)の指標となる.さらに各島のW・Hの最大値は,各島における過去最大の津波を示すと考え,それらの値を比較してみると,その大小関係は下地島≧宮古島>石垣島>黒島となった.この結果は,過去に宮古諸島に八重山諸島よりも大きな津波が襲来したことを示唆し,石垣島周辺で最も大きい津波が襲来したとされる1771年の明和津波とは異なっている.
著者
早川 裕弌 松多 信尚 前門 晃 松倉 公憲
出版者
日本地形学連合
雑誌
地形 (ISSN:03891755)
巻号頁・発行日
vol.34, no.1, pp.21-36, 2013-01-25

Recession rates of four waterfalls formed by the surface deformation of the Chelungpu Fault at the time of Chi-Chi Earthquake on September 21, 1999 in central Taiwan were measured in the field and assessed with an empirical model of waterfall erosion. The model represents the balance between the erosive force of streams versus bedrock resistance with relevant environmental parameters of discharge (drainage area and precipitation), waterfall form and bedrock strength. The recession rates of three waterfalls increased from the first 6 years to the following 4 years. This increase in the recession rates basically corresponds to the changes in environmental factors including precipitation increase and waterfall width narrowing. The recession rate of another waterfall decreased, but this can be explained by artificial modification of riverbed. The recession rates are very high comparing with waterfalls in other places, probably due to large amount of hard gravels transported on the weak bedrock from the upstream areas.
著者
藤田 陽子 我部 政明 前門 晃 桜井 国俊 Fujita Yoko Gabe Masaaki Maekado Akira Sakurai Kunitoshi
出版者
藤田陽子
巻号頁・発行日
2015-03

2012(平成24)年度~2014(平成26)年度(*2015(平成27)年度期間延長)科学研究費助成事業基盤研究(B)成果報告書 / 研究概要:本報告書は,3年間にわたる事業の成果としてまとめたものである。できる限り多角的に基地環境問題を捉えるため,研究チームのメンバーに加え,本研究課題の研究協力者にも論文執筆を依頼した。以下,掲載論文を簡単に紹介する。我部論文「化学兵器の沖縄からの撤去をめぐる日米琉関係」は,1971年の米軍の沖縄からの化学兵器撤去に関する米国政府等の意思決定過程を中心に,日米両政府聞における政治的思惑や,沖縄側の葛藤などについて分析している。前門論文「沖縄県における米軍基地と赤土流出」は,自然地理学の立場から,沖縄における米軍基地からの赤土流出の現状についてキャンプ・ハンセン周辺を中心に分析し,基地内裸地からの流出量が桁違いであることを指摘し,問題解決の必要性を訴えている。桜井論文「返還米軍基地跡地の浄化に関する日韓比較」は,本研究課題期間における複数回にわたる韓国調査に基づいている。同じように在外米軍基地の返還跡地の汚染や浄化の問題を抱えながら,土地所有形態の違いや地位協定の内容により大きく異なる状況にある沖縄と韓国を比較し,問題の根底を明らかにしている。川瀬論文「米軍基地を維持するためにどれだけ財政負担しているか」では,思いやり予算や特定防衛施設周辺整備交付金等,米軍基地を巡る様々な予算について客観的な財政分析を行い,それらの目的や根拠の不明瞭性を明らかにするとともに,米軍基地を沖縄に置き続ける理由となっていることを指摘している。林論文「米軍基地返還の意義」は,横田基地の軍用機騒音による社会的費用を推計するとともに,跡地利用推進特措法の役割の検証,そして軍事基地環境問題を考える上で,従来の経済計算の不備を指摘,「生の破壊を考慮に入れた経済学」の必要性を論じている。 Smith論文"Trouble in Paradise?US Military Forces Abroad,American Environmental Law,and the Law of Jurisdiction"は,在外米軍基地所在地での米国環境法の適用について論じている。たとえば普天間飛行場の辺野古移転に関しては,仮に米国連邦絶滅危慎種法等がされるとするならば,移転計画自体が中止されなければならないとしている。Davis論文"When the Bombs Stop: Environmental Issues after Military Base Closures"では,グアム,ハワイ,ヴィエケス島(プエルト・リコ)の各地における米軍基地による環境問題が地域の自然や社会に深刻な影響を与え,また基地使用終了後も同エリアが自然保護区に指定されるなどしてその歴史が隠されてしまう事実を示し,こうした現状は一種のコロニアリズムであるとも指摘している。これらの研究論文を通して,沖縄を中心に,韓国,ハワイ,グアム,ヴィエケス島といった同様の問題を抱えつつもその背景や現状を異にする複数の事例を比較することが可能となった。今後は,植民地支配や地域併合などの歴史的背景,地位協定に規定されている費用負担責任やホスト国の権限の差異,あるいは現在直面している安全保障上の問題との関連などに関するさらなる検証と,問題解決に向けたより具体的な提言が求められる。本報告書はその作業に向けたスタートに立つものであり,また本課題による研究活動が軍事基地環境問題を科学的・客観的に考察するための学術連携の基盤をなすものと考える。
著者
比屋根 照夫 前門 晃 赤嶺 守 渡名喜 明 仲地 博 森田 孟進 HIYANE Teruo 小那覇 洋子
出版者
琉球大学
雑誌
一般研究(A)
巻号頁・発行日
1992

本研究は、復帰後20年を迎えた沖縄の政治・社会変動と文化変容の実態を総括的、構造的に把握することを試みたものである。その結果、明らかとなった成果の概要は次の通りである。政治・社会(1)復帰後もなお基地が沖縄社会を特徴づけるものであり、今なお米国の東アジア戦略に規定されるという点が、復帰20年を含む沖縄の戦後の変わらない実態であることが明らかとなった。(2)復帰前沖縄の社会制度はさまざまな面で「本土」と異なっていた。本土化は画一化を意味するが、沖縄の歴史、文化との葛藤がさまざまな矛盾を生み、そこに新しい可能性も見出されうることが明らかとなった。(3)復帰の結果、沖縄への公共投資は急激に増加し、自然環境が大きく変化した。文化(1)米軍基地の存在は、沖縄の文化にも強い影響を残した。それは、住民の心理のありようにまで及んだ。米軍人と住民のコミニュケーションは、米国文化の受容をもたらし、復帰後もそれは沖縄の中に定着した文化となっている。(2)復帰後の急激な「近代化」のなかで、もっとも基礎的な土着信仰も変容しつつ、なお根強く生き残っている状況が明らかとなった。総体として言えることは、伝統的な文化と社会構造が、米軍占領によって大きな影響を受け、さらに復帰によって急激に変動したこと、それらを含み沖縄の特質は、本土を照射する地位を占めていることを本研究は明らかにしている。