- 著者
-
吉田 滋
- 出版者
- 一般社団法人 日本物理学会
- 雑誌
- 日本物理学会誌 (ISSN:00290181)
- 巻号頁・発行日
- vol.74, no.4, pp.215-221, 2019-04-05 (Released:2019-09-05)
- 参考文献数
- 20
- 被引用文献数
-
2
2017年はまさにマルチメッセンジャー天文学元年ともいうべき年であった.LIGO実験による重力波観測と電磁波対応天体の同定に続いて,ニュートリノ観測でもブレークスルーが起きたのである.我々IceCube実験が検出した高エネルギー宇宙ニュートリノ事象の到来方向を世界中の望遠鏡・宇宙観測衛星が直ちに追観測して,初めて対応天体候補が同定された.宇宙線放射天体がどこにあるのかさえ不明であった状況を一変させたのである.ニュートリノは弱相互作用にしか関与しない素粒子である.ある種の不安定な粒子がより安定な粒子に崩壊するときに伴って放出される.ベータ崩壊が良い例だ.このような「特殊な」素粒子であるニュートリノがなぜ高エネルギー宇宙の理解に本質的な役割を果たし得るのであろうか.高エネルギー現象を引き起こす動力源のエネルギー輸送の一端は陽子や原子核から構成されるハドロン粒子,すなわち宇宙線が担っている.その最高エネルギーは1020 eVにも達するのだ.こうした極限の環境下では超高エネルギー陽子は周囲のガスや光と衝突し,π中間子やK中間子といった不安定粒子を生み出す.これらの中間子が電子やミューオンに崩壊する際にニュートリノも生成されるのだ.いわば宇宙には天然の加速器が存在し,極めて高いエネルギーに加速された陽子や原子核ビームが光子やガスの海に注入され素粒子反応を引き起こしている.素粒子実験で人工的に作り出している状況が宇宙ではより巨大なスケールで実現していると考えられている.この「宇宙加速器」の加速能力は桁違いである.地上最大の粒子加速器であるLHCは陽子を1013 eVまで加速する.しかし宇宙線の最大エネルギーは1020 eVだ.宇宙といえど,これほどの加速能力を簡単には実現できそうにない.この機構を理解する有力な手段は,加速器の「現場」で起きる粒子衝突から生じる産物を直接測定することだ.この産物の中でも,ニュートリノは電荷を持たず,したがって磁場によって軌道が曲げられることもなく,光も通過できないような厚い雲をも突き抜けて,地球まで直進してくる優れたメッセンジャーである.しかもニュートリノは中間子を生成できる宇宙線ハドロン粒子がなければ生まれない.ニュートリノ放射天体イコール宇宙線加速器でもあるのだ.2013年にIceCube実験は初めてこの高エネルギー宇宙ニュートリノを発見し,宇宙加速器の現場でニュートリノが作られていることを実証した.観測データから,加速器天体が満たすべき条件が明らかになっている.しかし具体的な候補天体同定にはこれまで至っていなかった.マルチメッセンジャー観測手法を2016年に導入し観測を継続した結果,2017年9月,ついに候補天体の同定に成功したのである.同定された天体TXS 0506+056はブレーザーと呼ばれる特殊な銀河で,中心にある巨大ブラックホールの重力を動力源とするプラズマのジェットが我々の銀河方向に吹き出している活動銀河核(AGN)である.高エネルギーγ線天体の多数を占め,高エネルギー宇宙の主役の一角を占める.検出した宇宙ニュートリノのエネルギーは約2.9×1014 eVであり,この天体で陽子が少なくとも1015 eV以上に加速されたことを物語る.電波からγ線にいたる広大なエネルギー帯で取得された電磁波観測データから1014 eVを超えるニュートリノ放射を説明するには,幾つかの自明でない仮説が必要なことが明らかになった.これを手がかりに宇宙加速器天体の駆動機構を理解するデータを積み上げることが次のステップである.