著者
坂口 奈央
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.33-60, 2021-02-15 (Released:2022-03-10)
参考文献数
14

本稿では、三陸沿岸の漁業集落に生きる婦人会の女性たちが、能動的かつ活発な活動を続けるのはなぜか、ライフコース研究をもとに明らかにする。婦人会の女性たちには、共通点がある。それは、震災時の年齢が主に六〇歳代で、夫が遠洋漁船の乗組員や漁業関連の労働に従事し、不慮の事故で犠牲になった人が少なくないこと、生家や親戚が漁家、などである。そこで彼女たちが誕生した一九四〇年以降を出発点に彼女たちの人生についてみていくと、遠洋漁業が発展していく一九六五年以降に、結婚、出産、子育てなどの人生のタイミングと重なっていた。また彼女たちの人生、とりわけ就労に関し、夫の職業に規定されていた。例えば、夫が遠洋漁業に従事している場合、海難事故などのリスクに備え、妻は、収入が確実に得られる労働に従事していた。夫が養殖漁業や船主など自営型の漁業に従事しているケースでは、妻が漁獲物の取引に直接関与し、経済的才覚が鍛えられていく。夫がサラリーマンなどの場合でも、妻たちは専業主婦ではなく、積極的に労働に従事していた。さらに家庭内での彼女たちの役割をみると、夫の代わりに家族に関する重要な事柄の決断を担っていた。三陸沿岸の漁業集落の特徴を念頭に、主たる漁業形態という外部環境と彼女たちの日常は密接に連動し、生計維持のためには女性同士の共助が必要不可欠だった。こうした背景から、現在も婦人会活動が活発に行われていたのである。
著者
松本 美鈴 阿部 芳子 坂口 奈央 柘植 光代 時友 裕紀子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.30, 2018

【目的】山梨県の郷土料理ほうとうは、塩を加えずに麺を作り、野菜などの副材料と一緒に汁の中で煮込んでつくる麺料理である。文献調査、聞き書調査およびアンケート調査により、ほうとうが時代とともにどのように変遷してきたかを明らかにするとともに、アンケート調査によりほうとうが現代の食生活に受け継がれてきた要因を考察する。<br>【方法】文献調査は、社団法人農山漁村文化協会刊行『日本の食生活全集』聞き書山梨の食事を主要資料とし、大正末期から昭和初期にほうとうがどのように食べられていたかを捉えた。聞き書調査は、日本調理科学会特別研究「次世代に伝え継ぐ家庭料理」のガイドラインに沿い、山梨県の生活環境と家庭料理について平成25~27年に実施した。アンケート調査は、山梨県在住の家事担当者および中学校・高等学校の生徒を対象とし、ほうとうに関する質問用紙を地域の協力者に郵送した。930部が回収された。<br>【結果】文献調査の結果、大正末期から昭和初期、地粉で打った自家製麺と手近にある野菜、いも、きのこ等の複数の食材を一緒に汁の中で煮込んでほうとうを作っていた。ほうとうは山梨県の日常の夕食として一年を通して食べられていた。聞き書調査から、昭和30年代もほうとうは日常の夕食として食べられていたが、副材料には、油揚げ・豚肉・鶏肉を用いる地域が出現したことが分かった。アンケート調査から、現在のほうとうは、秋から春の寒い時季の日常の夕食として食べられていること、ほうとうに入れる副材料は野菜・いも・きのこに加えて豚肉や鶏肉などの動物性食品が多用されていることが分かった。山梨県の郷土料理ほうとうが受け継がれてきた要因として、市販麺の利用など調理の簡便性が示唆された。
著者
坂口 奈央
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.207-233, 2017-09-14 (Released:2021-12-12)
参考文献数
26

本稿は、震災からの復興まちづくりに住民が主体的に関与していく原動力の獲得には、地域資源を媒介とした集合的記憶と集合的アイデンティティの再構築が大きな意義をもつことを明らかにした。 東日本大震災の津波被災地では、防潮堤の高さを巡る問題が復興まちづくりの基本的争点となった。このうち、岩手県大槌町赤浜地区は、県が提示した巨大防潮堤の高さではなく、震災前と同じ六・四メートルの高さを選択した。岩手県で震災前と同じ高さの防潮堤を選択した地域は、一三四ヵ所中二〇ヵ所にとどまる。なぜ赤浜地区は、防潮堤の高さについて震災前と同じ高さを選択したのか。赤浜地区の場合は、住民側の内在的要因として地域から見える蓬莱島の存在が大きく影響していた。 津波被災地には、「おらほのもの」という言葉で表現される海にまつわるシンボル性をもつ地域資源が存在する地域がある。赤浜地区では、日常的生活実践を積み重ねながら生み出してきた蓬莱島に関する集合的記憶が形成されてきた。 震災後住民は、津波に飲み込まれながらも無事だった蓬莱島に、復興への期待のシンボルとしての意識を高めた。また、避難所生活や復興まちづくりに関する議論を通じて集合的記憶が再編成されるとともに、「島の見える生活」を守るという、地域復興の目的を確認した。蓬莱島は住民にとっての集合的アイデンティティとなり、その結果、防潮堤の高さを選択する大きな要因となったのである。
著者
柘植 光代 時友 裕紀子 阿部 芳子 松本 美鈴 坂口 奈央
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.29, 2017

【目的】山梨県で食べられてきたおやつ/間食を主材料(小麦粉、米粉、もち米、とうもろこし粉、いも類、その他)で分類し、地域による特徴をまとめた。<br />【方法】日本調理科学会特別研究「次世代に伝え継ぐ家庭料理」のガイドラインに沿い、山梨県の生活環境と家庭料理について平成25~27年に聞き書き調査を行った。峡北(北杜市)、峡中(甲斐市)、峡西(南アルプス市)、峡東(山梨市)、峡南(南部町)、東部(上野原市)、富士五湖・富士山麓(山中湖村)を調査対象地とした。<br />【結果】間食の名称にはナカイレ、オチャ、オヤツ、オコジュウ、ヨウジャなどがあり、地域により違いがみられた。<br /> 主材料が小麦粉のおやつには薄焼き、ねじり菓子や酒まんじゅう、米粉のおやつには砕米を利用した薄焼きや、上新粉を利用したまんじゅう、かしわもち、草もちなどがあった。もち米を蒸して搗き、きな粉と黒蜜をかけた「あべ川もち」は盆の時期に食べられ、節分の豆とひなあられを使う「おしゃかこごり」は灌仏会で用いられるなど、もち米を使ったおやつは行事食の場合が多い傾向にあった。とうもろこし粉を用いた料理は北杜市や上野原市でもみられたが、特に山中湖村ではとうもろこし粉の料理が昔から常食されており、もろこし団子やもろこしまんじゅうがおやつとしても食べられていた。<br /> さつまいもやじゃがいもを用いたおやつも多く、「いものこ」(南部町)はさつまいもを輪切りにし、ゆで、中心部に開けた穴にわらを通して乾燥させた保存食品である。食べる際に水で戻して砂糖で煮る方法は特徴的な調理方法と考えられる。じゃがいもの小いもを揚げたり煮たりするおやつも各地でみられた。桃のシロップ煮やしょうが糖など、生産地特有のおやつもあった。
著者
時友 裕紀子 阿部 芳子 柘植 光代 松本 美鈴 坂口 奈央
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.30, 2018

【目的】山梨県の家庭で食べられてきた主菜について、魚料理を中心に、地域による特徴をまとめた。<br>【方法】「次世代に伝え継ぐ家庭料理」のガイドラインに沿い、山梨県の生活環境と家庭料理について平成25~27年に行った聞き書き調査を中心にまとめた。峡北(北杜市)、峡中(甲斐市)、峡西(南アルプス市)、峡東(山梨市)、峡南(南部町)、東部(上野原市)、富士五湖・富士山麓(山中湖村)を調査対象地とした。<br>【結果】山梨県では、富士川水系(笛吹川、荒川、塩川、早川など)や相模川水系(桂川、笹子川など)、多摩川水系、富士山の裾野の山中湖、河口湖、西湖、精進湖、本栖湖(富士五湖)などの河川、湖沼、および水田や用水路から得られた淡水魚介類が食べられてきた。あゆ、やまめ、にじます、ひめます、うなぎ、こい、ふな、どじょう、わかさぎ、たにしなどが挙げられる。<br> 山中湖ではわかさぎ漁が盛んであり、わかさぎの素揚げの甘酢漬け、佃煮、てんぷら、から揚げ、塩焼きなど多様な料理があった。南アルプス市の甲西町ではふなやこいの甘露煮、どじょうの卵とじを食べた。富士川流域の南部町では、富士川とその支流で漁獲されたうなぎの蒲焼、やまめやあゆの塩焼き、もくずがにの塩ゆでまたはみそ汁が食べられていた。<br> 海産魚介類はいわし、さんま、身欠きにしん、するめなどを主な食材としてきた。米の収穫が終わった頃に、新米にさんまとしょうゆ、酒を入れて炊く「さんま飯」は、主食ではあるが、峡北地域の特徴的な魚料理である。山梨市の家庭ではほっけ、ますの焼き魚が日常の料理であった。現在甲府市で購入量の多いまぐろは昭和30年代から食べられていて、上野原市の市街地では生まぐろのブツ切りをよく食べていた。