著者
風早 康平 高橋 正明 安原 正也 西尾 嘉朗 稲村 明彦 森川 徳敏 佐藤 努 高橋 浩 北岡 豪一 大沢 信二 尾山 洋一 大和田 道子 塚本 斉 堀口 桂香 戸崎 裕貴 切田 司
出版者
日本水文科学会
雑誌
日本水文科学会誌 (ISSN:13429612)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.3-16, 2014-02-28 (Released:2014-05-28)
参考文献数
44
被引用文献数
13 20

近年のHi-netによる地震観測網により,我が国の沈み込み帯における地殻・マントル中の熱水流体の不均質分布による三次元地震波速度構造の異常や深部流体に関連する深部低周波地震の存在などが明らかになってきた。地球物理学的な観測結果に基づく岩石学的水循環モデルは,固体地球内部の水収支を定量化し,滞留時間の長い深層地下水中には検出可能な濃度でスラブ脱水起源の深部流体が流入していることを示す。また,内陸地震発生における深部流体の役割も,近年重要視されている。モデルは主に地球物理学的観測やシミュレーション等の結果に基づいたものであるため,地球化学的・地質学的な物質科学的証拠の蓄積はモデルの高度化にとって重要である。そこで,我々は西南日本の中国–四国–近畿地方において深層地下水の同位体化学的特徴の検討を行い,地下水系に混入する深部流体の広域分布について明らかにした。その結果,マグマ水と似た同位体組成をもつ深部流体,すなわち,スラブ起源深部流体のLi/Cl比(重量比)が0.001より高いことを示した。Li/Cl比は,天水起源の淡水で希釈されても大きく変化しないことが期待されるため,深部流体の指標に最適である。Li/Cl比の広域分布は,スラブ起源深部流体が断層・構造線および第四紀火山近傍で上昇していることを示した。また,深部低周波 (DLF) 地震が起きている地域の近傍に深部流体が上昇している場合が多く見られ,DLF地震と深部流体の関連性を示唆する。
著者
福澤 仁之 塚本 すみ子 塚本 斉
出版者
島根大学
雑誌
Laguna : 汽水域研究 (ISSN:13403834)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.55-62, 1998-03
被引用文献数
6

We have been collecting and analyzing sediment cores of non-glacial varved sediments around the Japanese Islands. In 1995, we were able to be collected 8 meters-long sediment core by using piston core sampler and recognized varved sediments of the last 3,000 years in the bottom sediments of Lake Ogawara, northern Japan. And also, two tephra layers which are named Towada-a tephra(To-a)and Baegdusan-Tomakomai(B-Tm)by Machida and Arai(1992)were recognized in the varved sequence. Machida(1992), and Koyama and Hayakawa(1995)have suggested that the chaotic eruption of Towada Volcano caused falling of To-a tephra over northern Japan occurred in AD 915. Based on varve counting of this sediment core, we can indicate that the sediments between To-a and B-Tm tephra layers were continuously deposited for 22 years. If the falling age of To-a tephra can be confirmed as AD 915 from historical documents, then we can show that B-Tm tephra was deposited from spring of AD 937 to summer of AD 938.13;7世紀から10世紀初頭にかけて,朝鮮半島北部から中国東北区やシホテ・アリンにかけて,東アジアの大国として繁栄した渤海国は,当時の日本と親密な関係を維持していたにもかかわらず,その成立と滅亡については謎の部分が多く,謎の王国と呼ば滅亡については謎の部分が多く,謎の王国と呼ばれる。しかも,渤海国はまわりの諸国とくに新羅や契丹などとの関係上,日本に対して渤海使を35回も派遣している(日下,1992)。この渤海国は西暦698年に建国され,西暦926年に契丹の侵入によって滅亡するまで約200年間繁栄したと考えられている。渤海国の繁栄に比べて,その滅亡はより謎が多い。これは,契丹に滅ぼされた時に,徹底的な破壊を受けたためにその痕跡をほとんど残していないことに理由がある。13;この渤海国の滅亡については,1988年にNHKが特別番組として制作した「まぼろしの王国・渤海」で,渤海国の突然の消滅・滅亡が渤海国南部にそぴえる白頭山(標高2,744m)の大噴火によって,その首都上京龍泉府がかのベスビオス火山の山麓の街ポンペイのように一日にして火山灰に埋もれたためことが原因であるとするドラマチックな仮説が示されたことがある。これに対して,渤海国の歴史に詳しい上田 雄などの歴史学者から厳しい反論がある(上田,1992)。それによれば,上京龍泉府は白頭山の北北西方250kmにあり,白頭山が大噴火を起こしたとしても,偏西風の風下にもない上京龍泉府に多量の火山灰が降下したとは科学的にまったく考えられないという(上田,1992)。そして,渤海国の滅亡は極めて突然であり,そして忽然と消え去ったことは事実であるが,その滅亡の直接の原因は,契丹の耶律阿保機に襲撃されたためであり,そのことは「遼史」ほかに詳細に記録されていると述べ,白頭山の噴火の時期も地層(堆積物)からだけで歴史学の求めるオーダーの世紀,年代を決めつけることは不可能であると述べている(上田,1992)。13;白頭山の大噴火と渤海国の滅亡との関係を明らかにする目的で,町田 洋は中世における白頭山の噴火規模およびその年代の推定に精力的に取り組んでいる。それによれば,この白頭山の噴火規模はフィリピンのピナツボ火山における1991年の噴火規模のおよそ1O倍の規模であり,過去2,000年間で最大の噴火であるスンダ諸島のタンボラ火山における1815年の噴火に匹敵するものと考えられている(町田,1992)。そして,この大規模噴火の火山灰は東北日本北部から北海道南部・道央南部に分布しており,白頭山一苫小牧火山灰(B-Tm)と呼ばれている(町田・新井,1992)。また,東北日本北部で白頭山一苫小牧火山灰層の直下1cm~2cm下位に発達する十和田a火山灰(To-a)の「扶桑略記」に記載された降灰年代やそのラハール堆積物に埋没した秋田杉の年輪年代学的検討によって,十和田a火山灰降灰が西暦915年であることが明らかになり,白頭山一苫小牧火山灰の降灰年代は西暦915年以降である可能性を示した(町田,1992;1994)。この見解は,渤海国の滅亡に対して,自然環境変動の面から白頭山の大噴火が大きな影響を与えた可能性を指摘したものである。13;一方,町田(1992;1994)の見解に対して,小山真人と早川由紀夫は歴史資料として「高麗史」や「興福寺年代記」の記載を引用して,中世における白頭山の噴火は946年以前のあまり遡らない時期に開始して,西暦947年前半ぐらいに終了したことを示した(早川・小山,1998)。そして,渤海国がその噴火で滅亡した仮説(町田,1992)があるが,渤海国の滅亡は西暦926年であり,白頭山の噴火開始がその滅亡を決定づけたことはあったとしても,直接の誘因ではなさそうであるとの見解を示した(早川・小山,1998)。13;本論文では,白頭山一苫小牧火山灰の降灰ひいては白頭山の中世における大噴火に関して,青森県太平洋側に位置する小川原湖の湖底堆積物に認められた「年縞」を用いて,以下の2つの問題に対して答えを与えることを目的とする。1)渤海国の滅亡に白頭山の中世における大噴火が本当に影響を与えたか?、2)白頭山一苫小牧火山灰と十和田a火山灰の降灰した季節はいつ頃で,どれくらい継続したのか?
著者
大谷 竜 塚本 斉 佐藤 努 木口 努 重松 紀生 板場 智史 北川 有一 松本 則夫 高橋 誠 小泉 尚嗣
出版者
国立研究開発法人 産業技術総合研究所 地質調査総合センター
雑誌
地質調査研究報告 (ISSN:13464272)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1-2, pp.57-74, 2010-01-26 (Released:2013-07-09)
参考文献数
8
被引用文献数
1 1

産業技術総合研究所(以下,産総研と呼ぶ)は, 2006年度より四国・紀伊半島~愛知県にかけて地下水等観測点やGPS観測局の新設を行っており,これを機に従来の産総研のGPS観測局と統合したGPS連続観測システム(以下,GPSシステムと呼ぶ)の全面的な更新を行った.本報告ではその概要,及び本GPSシステムを用いて得られる結果について紹介する.まず,全局についてTrimble製の同一型の受信機とアンテナに統一した.また,解析ソフトウエアはBerneseソフトウエアに切り替えた.これらの結果,従来の産総研のGPSシステムの結果に比べ,新解析で推定されたGPS局の変位の再現性の向上が見られた.また,産総研のGPS観測局だけではなく,周囲にある,国土地理院のGPS連続観測網(GEONET)の観測局も一緒に解析を行い,日々の座標値を推定するようにした.この解析方法の導入により,産総研GPS観測局周辺の歪をGPSから求めることができるようになった.更に, GEONETの定常解析であるF2 解に準拠した解析を産総研の新GPSシステムでも独立に行うことにした.産総研による解析結果と,F2解で求められた同一観測局 の変位を比較した結果,両者の間に大きな差はないことが確かめられた.
著者
斎藤 眞 塚本 斉
出版者
日本地質学会
雑誌
地質學雜誌 (ISSN:00167630)
巻号頁・発行日
vol.99, no.2, pp.117-133, 1993-02-15
参考文献数
61
被引用文献数
2 4