著者
多田 光宏 Mitsuhiro Tada
出版者
熊本大学大学院人文社会科学研究部(文学系)
雑誌
人文科学論叢 = Kumamoto journal of humanities (ISSN:24350052)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.103-158, 2023-03-31

This paper clarifies the sociohistorical background against which Alfred Schutz, the pioneer of phenomenological sociology, chose to pursue a subjectivist sociology and targeted the issue of typification, by considering his linguistic view as a guiding thread. In the multinational Austro-Hungarian Empire, German-speaking persons were administratively considered Germans, and, ultimately, nationality was founded on one’s subjective sense of identification. “Enlightened” Jews then also became “Germans having faith in Judaism” by acquiring the German language, the ticket into Western civilization. However, the objective-scientific-seeming racial ideology in post-1918 Austria a priori excluded Jews from full membership in the new German nation-state, based on a homogenized racial type. Schutz, a Viennese Jew born in 1899, proposed his subjectivist sociology under this “blood”-based typification of “They” by “We.” Like many Viennese Jews, he believed that minority individuals should be able to choose their group affiliation according to their own identification, and considered language to be a medium for their assimilation into the civic lifeworld; the concept of lifeworld (Lebenswelt) could thus work as a counter-idea against the Nazis’ blood community of Lebensraum, which disallows “another race” from assimilation.
著者
多田 光宏
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.36-50, 2011-06-30
被引用文献数
1

本稿では,ニクラス・ルーマンによって構想された自己準拠的な社会システムの理論の観点にもとづき,文化と社会の関係を定式化する.従来の社会学理論,たとえばタルコット・パーソンズやアルフレート・シュッツは,社会的なものの成立基盤として人々のあいだの共有文化を想定していた.この発想によるならば,社会とは文化の産物であり,この意味で「文化の社会」である.これに対して自己準拠的な社会システムの理論は,社会的なものを可能にするそうした共通基盤を前提しない.文化は,社会システムを外部からサイバネティックス的にコントロールする永続的な客体などではない.社会システムはまず人々の相互不透明性,つまり二重の偶然性のうえに創発し,それから自身の作動に関する記憶を想起し忘却することで,自らの方向性をコントロールしはじめる.この記憶こそが文化と呼ばれるものであり,それはシステムの作動から自己準拠的に帰結する.よって文化とは,社会システムの作動の副産物という意味で,「社会システムの文化」である.これは,地理的単位としては表象されない脱国家化した世界社会というシステムにも当てはまる.「社会の文化」としての世界文化は,世界社会の固有値としての偶然性である.こう考えることで,社会的なものを文化に先行させて,今日の世界のなかで文化が分化していく現状とそれに付随する諸問題を適切に記述し分析しうる理論枠組が整えられる.

5 0 0 0 OA 社会の文化

著者
多田 光宏
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.62, no.1, pp.36-50, 2011-06-30 (Released:2013-03-01)
参考文献数
57
被引用文献数
1

本稿では,ニクラス・ルーマンによって構想された自己準拠的な社会システムの理論の観点にもとづき,文化と社会の関係を定式化する.従来の社会学理論,たとえばタルコット・パーソンズやアルフレート・シュッツは,社会的なものの成立基盤として人々のあいだの共有文化を想定していた.この発想によるならば,社会とは文化の産物であり,この意味で「文化の社会」である.これに対して自己準拠的な社会システムの理論は,社会的なものを可能にするそうした共通基盤を前提しない.文化は,社会システムを外部からサイバネティックス的にコントロールする永続的な客体などではない.社会システムはまず人々の相互不透明性,つまり二重の偶然性のうえに創発し,それから自身の作動に関する記憶を想起し忘却することで,自らの方向性をコントロールしはじめる.この記憶こそが文化と呼ばれるものであり,それはシステムの作動から自己準拠的に帰結する.よって文化とは,社会システムの作動の副産物という意味で,「社会システムの文化」である.これは,地理的単位としては表象されない脱国家化した世界社会というシステムにも当てはまる.「社会の文化」としての世界文化は,世界社会の固有値としての偶然性である.こう考えることで,社会的なものを文化に先行させて,今日の世界のなかで文化が分化していく現状とそれに付随する諸問題を適切に記述し分析しうる理論枠組が整えられる.
著者
多田 光宏
出版者
[出版者不明]
巻号頁・発行日
2011

制度:新 ; 報告番号:乙2329号 ; 学位の種類:博士(文学) ; 授与年月日:2011/12/21 ; 早大学位記番号:新5795
著者
多田 光宏
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.19-34,213, 2006-05-31 (Released:2016-03-23)
参考文献数
33

The aim of this paper is to point out that communication is intentional in structure (communication is always the communication of something) and to address Niklas Luhmann's theory of social systems, "Sociological Phenomenology." Comparable to consciousnesses, social systems should be regarded not as choses (things) but as irreducible subjects. Through the intentionality of communication, social systems observe their own environments. And in contrast with conscious phenomena, that which is communicated can be called "social phenomena." Social systems theory has been conventionally regarded as being in opposition to the thinking of the phenomenological school. However, by directing our attention to the intentionality of communication, the view of phenomenology and phenomenological sociology will be applicable to social systems theory in the sense of sociologizing phenomenology (not of phenomenologizing sociology). This means a turn from ontology to epistemology in social systems theory whereby social systems theory sees social systems not as things but as subjects or observers. Such a theory design enables us to resolve the confrontational dichotomies inherent to sociological theories, such as subjectivism/objectivism, individualism/collectivism and micro/macro. If not only consciousness but also social systems are subjects in the world, many theoretical views which, thus far, have been limited to the frame of the philosophy of consciousness and of action theory will now be applicable to social systems as well.This opens up new possibilities for a general theory of sociology.
著者
多田 光宏 宮越 靖宏 辻 猛志 澁谷 榮一
出版者
一般社団法人 廃棄物資源循環学会
雑誌
廃棄物資源循環学会研究発表会講演集 第23回廃棄物資源循環学会研究発表会
巻号頁・発行日
pp.453, 2012 (Released:2013-07-08)

2011年3月11日に発生した東日本大震災によって引き起こされた福島第一原子力発電所事故により東日本の広範囲に拡散した放射性物質により、各種廃棄物や農業系副産物が汚染された。半減期が約30年と長いセシウム-137による汚染が現在大きな問題となっている。焼却処理は、減容化を図る上で極めて有効な手段ではあるが、放射性物質であるセシウムの挙動が明らかになっていない。そこで、セシウムの焼却処理における挙動を模擬した実験と理論的考察を行い、Csが揮発して飛灰に過度に移行しない方法として、SiO2含有酸化物を添加した効果について報告する。
著者
多田 光宏
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.185-188, 2016-02
著者
多田 光宏
出版者
日本社会学理論学会
雑誌
現代社会学理論研究 (ISSN:18817467)
巻号頁・発行日
vol.5, pp.89-100, 2011

社会を「一種独特の実在」とするエミール・デュルケムは、通常、創発主義的なマクロ社会学理論の代表的な人物と考えられている。だが彼の社会実在論的な主張の手がかりとなったのは、じつは個人心理学であった。彼は、意識の特性が脳生理学には還元できないこととの類比で、社会は個人には還元できないと考えたのだった。ただ彼の場合、類比以上の適切な裏付けは欠けていた。ニクラス・ルーマンによって展開された自己準拠的な社会システムの理論が、創発主義に理論的基礎を与えうる。コミュニケーションからコミュニケーションへの接続という社会システムの自己準拠性の指摘は、社会的水準の還元不可能性を明確にした。もともと自己準拠概念は意識哲学的な伝統を含んでおり、自己準拠的な社会システムの構想も、意識に関する知見を社会的領域に一般化した帰結だと考えられる。ただデュルケムとは違い、このシステム理論は意識哲学的な認識論までも社会システムに適用し、社会システムが固有の環境を独自に認識する主体だとしている。そのためこの理論は、デュルケムが社会を存在論的表象のもとで「モノのように」観察したのとは異なり、社会システムを自律的な観察者として観察するという認識論的課題を掲げている。社会システムとはいわば一種独特の観察者だということである。