著者
太田 伸広
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.29, pp.39-65, 2012

人間の動物への変身は『日本の昔ばなし』では神罰や罰、感情の昇華としての変身であり、人間に戻らないが、グリム童話では魔法や呪いなど異界がらみの変身であり、基本的に人間に戻る。前者は神罰などがあるにもかかわらず宗教的でないが、後者は神様が登場しないのに宗教的である。動物の人間への変身は『日本の昔ばなし』ではありふれており、本当の動物が本当の人間になり、また動物に変身したりするが、グリム童話では本当の動物が人間に変身する話は1話しかない。『日本の昔ばなし』は動物を人間として迎え入れ、子供ももうけるが、グリム童話にはそんな話は1話もない。前者は動物と人間を隔てる壁は低く、動物へのまなざしは暖かく優しいが、後者は動物への視線は蔑みである。前者は輪廻転生、後者はキリスト教の思想(動物を支配すべく人間を神が創造)の影響があろう。また『日本の昔ばなし』には人間や動物さえ神さまになる話もあるが、グリム童話にはない。ここにも一切衆生悉有仏性という仏教思想と神を頂点とする世界秩序を宗教原理とするキリスト教の違いも反映されているであろう。
著者
太田 伸広
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.29, pp.39-65, 2012-03-30

人間の動物への変身は『日本の昔ばなし』では神罰や罰、感情の昇華としての変身であり、人間に戻らないが、グリム童話では魔法や呪いなど異界がらみの変身であり、基本的に人間に戻る。前者は神罰などがあるにもかかわらず宗教的でないが、後者は神様が登場しないのに宗教的である。動物の人間への変身は『日本の昔ばなし』ではありふれており、本当の動物が本当の人間になり、また動物に変身したりするが、グリム童話では本当の動物が人間に変身する話は1話しかない。『日本の昔ばなし』は動物を人間として迎え入れ、子供ももうけるが、グリム童話にはそんな話は1話もない。前者は動物と人間を隔てる壁は低く、動物へのまなざしは暖かく優しいが、後者は動物への視線は蔑みである。前者は輪廻転生、後者はキリスト教の思想(動物を支配すべく人間を神が創造)の影響があろう。また『日本の昔ばなし』には人間や動物さえ神さまになる話もあるが、グリム童話にはない。ここにも一切衆生悉有仏性という仏教思想と神を頂点とする世界秩序を宗教原理とするキリスト教の違いも反映されているであろう。
著者
太田 伸広
出版者
三重大学
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.99-118, 2004-03-25

グリム童話では、恋愛結婚の話の数は他の結婚の話を圧倒し断然第1位である。『日本の昔ばなし』にはそれと比べうる恋愛結婚の話は一つしかない。グリム童話では、恋する女性の多くは自立しており、意欲的、積極的である。自由と愛を謳歌している。そして恋の自由としばしば衝突する家の利害も、いざ結婚となると、王家といえどもまったく姿を消す。また、不幸な恋愛結婚もない。これがグリム童話の魅力の一つと言えよう。これに対し、日本の『謎婿』の長者の娘の意思や感情は、家の支配の下で沈黙している。態度も控えめで、大人しく、内向的である。恋愛結婚の数の面からしても、内容の面からしても、『日本の昔ばなし』には、女性の自我の覚醒は見られない。ただ、元来真筆なはずの恋愛と結婚が『日本の昔ばなし』ではユーモラスに語られる。この辺りが『日本の昔ばなし』の魅力の一つかもしれない。
著者
太田 伸広
出版者
三重大学
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.69-95, 2003-03-25

グリム童話に出てくる小人たちは意外と人が善い。でも、小人たちは、神と悪魔・魔女の中間にあって、悪魔・魔女に傾いた存在か悪魔そのもので、神秘的、地下的、地獄的な所があって、不気味な感じがする。その像は、古くからの民間伝承の様々な精や神々とキリスト教が入り混ざってできたものであろうが、どこか一神教の香が漂う。これに対し、『日本の昔ばなし』の小人たちは、悪魔・魔女の要素はまったくなく、神々に近い存在か、神々、天人そのものである。にもかかわらず、小人たちは、自然宗教的、多神教的雰囲気の中で登場し、地上的、人間的で、あけっぴろげで、子供のように笑ったり喜んだりする、可愛らしい存在である。
著者
太田 伸広
出版者
三重大学
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.81-110, 2005-03-31

難題解決結婚の話を分析すると、幾つかの特徴が現われる。それを一般的に定式化すると、難題解決結婚とは、王様(女王、王女)が、地上の人間には解決することがおよそ不可能な難題を出し、それを解決したら、褒美としてお姫様(王子)をやる(嫁にする)という約束に基づく結婚である。難題解決には、異界の存在や贈物が登場し、難題解決に決定的な役割を演ずる。主人公はほとんど行動しない。褒美としての(主として)お姫様は家父長的な父王からモノ扱いされる。しかし、それにもかかわらず、お姫様には結婚に抗う強い意志や激しい感情を持つ人が多い。不思議なことに、『日本の昔ばなし』にはこの難題解決結婚は一話もない。グリム童話といえども、庶民同士の難題解決結婚はない。
著者
太田 伸広 Ohta Nobuhiro
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.26, pp.41-73, 2009

一方的恋愛結婚は、柏手の意思を確認せず、一方的な恋愛感情で相手をもらう結婚である。一方的恋愛結婚の特徴の一つは、一方的に惚れ、結婚しようとする者は、社会的地位、身分が相手より上で、しかも男性だということである。もう一つは、一方的恋愛結婚は相手の意思、考え、感情などを無視した結婚であるにもかかわらず、実際にはそれが苦難、困窮、いじめ、迫害からの主人公の救済になっていることである。そしていじめたり、迫害した者は悲惨な罰を受けることが多い。次は、グリム童話と『日本の昔ばなし』の相違点である。前者では、家の干渉などまったくなく、惚れて結婚しようとする者が自分の思いをはっきりと打ち明けて結婚するが、後者では、一方的に惚れて結婚しようとするほどに積極的な気持ち、愛情があるのに、自らの思いを相手に打ち明けない話が半数近くもある。親任せ、家任せなのである。グリム童話では主人公はほとんど全員が外見の美しさに惚れるが、『日本の昔ばなし』では主人公の多くが内面の美しさに惚れる。
著者
太田 伸広 Ohta Nobuhiro
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.27, pp.59-95, 2010

鬼には角や牙、爪があったりするが、 Teufel にはない。馬の足が Teufel の印である。鬼の色は赤が基本で、青、黒、白だが、 Teufel は黒色しかいない。鬼は女の鬼がいるが、 Teufel に女はいない。鬼は大きく力強い大人(鬼女は年寄りも)であるが、 Teufel は大男はおらず、年寄りで小人のイメージが強い。鬼は腕力が強く、頭が弱いが、 Teufel には超人的な知識を持つものも数々いる。鬼は打出の小槌や万里車、飛び蓑、隠れ蓑、生き鞭、死に鞭、宝物など夢ある物を持ち、それらが人間の手に渡り、人々に幸福をもたらすが、 Teufel の持ち物はお金しかない。鬼は人間の生活圏に現れることが多いが、 Teufel が人家に現れることはない。鬼の住処は山、鬼が島、鬼の家、穴、天井、地獄などであるが、 Teufel はほぼすべて地獄に住む。 Teufel は金をちらつかせ、貧しい者に接近し、契約を結び、魂を奪おうとする。こんな鬼は一匹もいない。 Teufel は悪人の魂を奪い、地獄に落とすことで、善人を救い、悪人を罰す神の役割をも果たしている。こんな鬼もいない。鬼は女を浚い、妻にし、子をもうけたりするが、そんな Teufel はいない。鬼は人を食うし、食う場面もあるが、 Teufel は人を食うと想像させるものが一匹いるだけで、原則人を食わない。 Teufel は神の対概念で、神に反対し神と闘うが、鬼が神や仏の対概念であることはない。総じて、鬼は人間的で地上的で非宗教的であるが、 Teufel は超人間的、地下的、来世的、キリスト教的な存在である。
著者
太田 伸広 OTA Nobuhiro
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.33-59, 2011-03-30

魔女はお年寄りで、ほとんどが森の中の小さな家に住んでいる。魔女の身分や職業、暮らしぶりはほとんどわからない。魔女が真珠や宝石、金銀などの宝を持っている場合は5例で少ない。魔女の魔女たるゆえんはやはり魔法を使うということである。しかし、その目的、使用の相手はほとんどが不明である。魔法の解き方も様々で一定しない。ところが、魔法という武器を持ちながら、魔女が相手に打ち勝つために魔法を用いることはない。それどころか、意外な脆さを見せ、没落する。魔女は殺人など数々の悪事を働く。そのせいか、悲惨な末路を迎える魔女が多い。魔女は山姥や鬼婆と違い、人を食わない。またグリム童話の魔女は、魔女裁判に出てくる「舞踏」、「集会」、「淫行」、箒での飛行、穀物や家畜への危害とも無縁である。さらにグリム童話の魔女は、神学の魔女規定とは違い、悪魔と結託することもない。