- 著者
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奥田 俊博
- 出版者
- 九州女子大学・九州女子短期大学
- 雑誌
- 九州女子大学紀要. 人文・社会科学編 (ISSN:09162151)
- 巻号頁・発行日
- vol.37, no.3, pp.101-111, 2001-03
潮水の意の「塩」、数える意の「読」など、漢語の本来的な字義に意味的に対応していない和化された字義を担う字は、「古事記」のみでなく、「万葉集」にも見える。「万葉集」の和化された字義を担う字の多くは、本来的な字義に意味的に対応した狭義の正訓字としての用法も存し、その点で「古事記」の和化された字義を担う字と性質を同じくする。-万葉集」の和化された字義を担う字の中には、本来的な字義との齪嬬が意識されていたと覚しき例も存するが、総体的には、慣用化を否定していない段階にあり、この点でも-古事記」と同質であると判断される。だが、その一方で、「万葉集」の和化された字義を担う字の中には、「古事記」の和化された字義を担う字とは異なった様相を呈する字も存する。たとえば、「万葉集」には、羨ましい意の「乏」や、不安定な心地、不安定な状態の意の「空」のように和化された字義が心的状態を表す例が見える。また、同一の和語を表記するのに、和化された字義を担う字と狭義の正訓字とが併用される例も少なくない。かような現象は、「古事記」と「万葉集」両書における使用語彙の質的な差、および、表記意識の差に基づくものと理解される。