著者
小和田 哲男
出版者
The Human Geographical Society of Japan
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.22, no.3, pp.350-360, 1970-06-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
27
著者
小和田 哲男
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.180, pp.84-87, 1999-09

蒲生氏は、近江国蒲生郡(現在、滋賀県蒲生郡)の郡名を苗字とする古代以来の近江の名族である。しかし、いつの時代からか、俵藤太秀郷たわらとうたひでさとの後裔といわれるようになり、藤原姓を称している。 のち、室町・戦国時代には、この地の守護大名から戦国大名になった六角氏の重臣に位置づけられ、氏郷の父賢秀かたひでのとき、織田信長に仕えている。
著者
小和田 哲男
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.184, pp.94-97, 2000-01

石田三成といえば、どうしても、関ヶ原の負け組ということで評判はよくない。 「負けるとわかっている戦いに突っ込んだのは無謀だった」とか、「自分の力を過信していたのではないか」と手きびしいいわれ方をされている。
著者
小和田 哲男
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.176, pp.86-89, 1999-05

大友氏は、もともと相模国大友郷(小田原市)を本領とする関東武士で、鎌倉時代のはじめ、初代とされる大友能よし直なおが豊後国の守護となり、以後、戦国時代まで豊後国を中心に領国支配を展開した九州の名門である。 鎌倉・南北朝時代、さらに室町時代と下るにしたがって、惣領そうりょう家から庶子しょし家が派生し、志賀・田北・詫たく摩ま・田原氏といった庶子家が家臣団に組…
著者
小和田 哲男
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.177, pp.74-77, 1999-06

戦国時代は、いつ敵に攻められるかわからないということもあって、軍勢がたやすく通れないように、道は狭く、しかも曲がりくねったままで、川には橋を架けないのがあたりまえだった。川は、領内および城を守るための天然の堀と認識されていたからである。 中には、城下町の入口付近にわざと屈曲を設けて、容易に城に近づけないような工夫をしている武将もいた。
著者
小和田 哲男
出版者
日経BP社
雑誌
日経ベンチャ- (ISSN:02896516)
巻号頁・発行日
no.185, pp.80-83, 2000-02

秀吉が、尾張国中村の貧しい百姓の生まれだったことはよく知られている。しかし、百姓の倅が、いきなり織田信長に仕えたわけではない。信長に仕えるまでにいろいろな体験をしており、その体験が、のちの天下取りに役立っていたのである。