著者
小杉 亮子
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.165-191, 2015-07-10 (Released:2022-01-21)
参考文献数
29
被引用文献数
1

本稿は、戦後日本社会運動史の重要な契機である一九六〇年代学生運動の特徴と意義について、社会運動研究の文化的アプローチに基づき、参加者による運動への意味づけから考察を行なった。一九六八年から一九六九年にかけて東京大学で発生した東大闘争を事例に、参加者への聞き取り調査や一次資料に基づいて分析を行なった結果、次のことが明らかになった。第一に、一九六〇年代学生運動では、新左翼諸党派と〈ノンセクト・ラジカル〉、さらにはそれらと敵対する日本民主青年同盟という、三層の参加者が存在した。第二に、三層の参加者たちは学生運動にたいする意味づけが異なり、とくに運動の目的と運動組織にかんする志向性を大きく異にしていた。一九六〇年代学生運動は、この三者の混在から生じた多元性と、さらには三者間の相克による複雑な動態に特徴づけられていた。第三に、一九六〇年代学生運動の多元性の背景には、一九五〇年代後半以降に起きた、社会主義革命を目指し政治党派として大衆運動を指導する学生運動に、学生が個人として学生固有の問題に取り組む学生運動が加わるという、学生運動の質的変容があった。
著者
小杉 亮子
出版者
東北社会学会
雑誌
社会学年報 (ISSN:02873133)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.67-77, 2012-07-14 (Released:2014-03-26)
参考文献数
27

大学生を中心に若者による社会運動が多発した1960年代後半に対し,近年,社会的関心が高まっている.本稿は,今後,1960年代後半の日本の学生運動を検討する際の視座を導出するため,1964年にアメリカ・カリフォルニア大学バークレー校で起きたバークレー闘争の形成要因について,先行研究のレビューを通じて整理した.バークレー闘争の形成要因としてとくに重要なのは公民権運動である.公民権運動は当初のイシューを提供し,さらに公民権運動活動家だった学生を通じて,座り込みなどの公民権運動特有の戦略・戦術が導入されることになった.また,一般の学生たちが闘争に参加した動機には公民権運動への支持に加え,合衆国憲法が保障する政治的権利の学内での実現と「政治活動と言論の自由が守られる場」という大学像の追求とがあった.ただし,合衆国憲法に基づく権利保障の要求は,アメリカ社会における法と権利の重要性を活用した公民権運動の発想の延長線上にあった.この発想を基盤に学生の権利と学生生活へとイシューを展開させたことで,キャンパスの広範な学生を巻き込んだ運動が実現された.このようなバークレー闘争の形成要因は,1960年代日本の学生運動についても,若者の逸脱や風俗現象として捉えるのではなく,同時代の社会のあり方,とくに同時代の社会運動との関わりのなかから学生運動が形成された具体的過程を分析する重要性を示している.
著者
小杉 亮子
出版者
埼玉大学
雑誌
研究活動スタート支援
巻号頁・発行日
2022-08-31

本研究は、高等教育政策や都市計画、産業振興政策が複合的に重なった領域としての大学立地施策に着目し、1945年から1970年代までの日本における学生運動の盛衰のメカニズムを明らかにする。具体的には、1960年代後半における学生運動の中心地と言えた神田・御茶ノ水地区(東京)を取り上げ、文献調査・聞き取り調査・地理情報システムを用いた分析を組み合わせ、大学立地施策によって同地域に大学が集中し、学生街が形成され、学生街での生活をとおして学生たちが政治化していった過程、ならびに大学立地施策の変更によって大学の郊外移転等が進み、同地域の学生街が解体し、そこを拠点とする学生運動が衰退した過程を明らかにする。
著者
小杉 亮子
出版者
東北社会学研究会
雑誌
社会学研究 (ISSN:05597099)
巻号頁・発行日
vol.104, pp.37-61, 2020-02-21 (Released:2021-09-24)
参考文献数
32

本稿の目的は、世界的な社会運動の時代としての〝一九六八〟をめぐる議論のなかで運動の脱政治化が起きていることを指摘し、脱政治化を回避しうる社会運動論の方向性を探究することにある。日本の〝一九六八〟にかんする議論では、新しい社会運動論が硬直的な社会運動史観として定着したことによる運動の政治的次元の縮減と、マクロな社会構造から個別の社会運動を論じるという、新しい社会運動論の性格に由来する運動の脱政治化が生じていた。そこで本稿では、〝一九六八〟の社会運動を脱政治化させずに、社会運動が敵手とのあいだにつくりだす敵対性と、そうした敵対性を創出する運動参加者の主体性を十分に描き出すひとつの方法論として、生活史聞き取りを提示する。具体的には、生活史聞き取りにもとづく〝一九六八〟分析の一例として、一九六八〜一九六九年東大闘争の分析を示す。東大闘争では、一九六〇年代の社会運動セクターの変動を受け、望ましい学生運動のありかたをめぐって、政治的志向性を異にする学生のあいだで敵対性がつくりだされた。学生たちは社会主義運動の可能性と限界をめぐって厳しく対立し、その対立は予示的政治と戦略的政治という運動原理が対立する形をとった。
著者
小杉 亮子
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Japanese History (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.216, pp.153-168, 2019-03-29

本稿では,1960年代に拡大・多発した学生運動(1960年代学生運動)について,先行研究が大規模社会変動にたいする反応や挑戦としてのみ位置づける傾向にあったのにたいし,より多面的かつ立体的な1960年代学生運動像を提示することをめざし,新たな視角として,社会運動論の戦略・戦術分析を導入する。具体的には,本稿では,1968~1969年に東京大学で発生した東大闘争における戦略・戦術を検討する。その結果,次のことが明らかになった。第一に,東大闘争では直接行動戦略がとられ,さらに,それが非暴力よりも対抗暴力を志向していったために,腕力・体力の有無と闘争での優劣や闘争参加資格とが連関するようになっていた。第二に,東大闘争終盤においては,対抗暴力が軍事的な実力闘争へと傾斜し,闘争の軍事化が見られた。第三に,1960年代学生運動の直接行動戦略が対抗暴力を志向するものとなった要因には,新旧左翼運動が持っていた実力闘争志向や武装主義と,アジア,アフリカ,ラテンアメリカにおける脱植民地・独立運動に影響を受けた第三世界主義とがあった。また本稿では,今後の展開可能性として,軍事的男性性概念の導入によって,ジェンダー的観点からなされてきた1960年代学生運動論と本稿の知見が接続しうることを示す。ジェンダー的1960年代学生運動論では,1960年代学生運動における性別役割分業や女性性の周辺化が1970年代以降の女性解放運動に与えた影響にかんする知見が蓄積されてきた。軍事的男性性という観点から,1960年代学生運動における女性参加者の動機や経験にアプローチすることによって,1960年代学生運動の軍事化とそれが運動の展開過程にもたらした影響について,さらに新たな光を当てることが可能になるだろう。