著者
小野 愛子 艾 美娟
出版者
大東文化大学
雑誌
大東アジア学論集 (ISSN:21859760)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.47-57, 2001-03-31

The subject of this thesis is to give a close observation on her method and thought of literary expression. When reading through San Mao's works, the change or a kind of progress is recognized on her way of expression and the character of her thought at the turning point when she returned to Taiwan in year 1981. So, her creative activities should be divided into two periods. The earlier period is considered to be 4 years, from May 1976, the time when "the Stories of Sahara" was published, to February 1979 when "Gentle Nights" was published. There were 5 books written during this period, the most brilliant ones of her all. And that was the time of 6 years when she spent her life with her husband Jose. "I could not have written any of my books if Jose did not offer me the freedom, the confidence and the love." San Mao wrote. To her, the marriage life with Jose was the peak of her life. And she lived radiantly for herself then. The death of Jose changed her philosophy of life and her way of expression as well. In 1981, San Mao returned to Taiwan. And from then on to the time when she died, her creative activities is determined to be the later period. During this period there were the publications of "Falling Flowers in my Dream" -the memory to her husband, "Walking Over Mountains & Rivers" -the travel notes to Middle South America, "Words from my Heart" -the letters to the readers, "The Storm of the Fleeting World" - the script, and etc. And it was also the time that San Mao wrote for her readers and the world as a mature writer. Above all, the works of her earlier period and later period expressed two different philosophy of life. The observation was focused on the method of expression and thought while comparing her works of the 2 periods.
著者
髙橋 司 榊 真智子 管 利大 佐々木 佑佳 小野 愛季 西山 徹 小林 武
出版者
日本理学療法士協会(現 一般社団法人日本理学療法学会連合)
雑誌
理学療法学Supplement Vol.38 Suppl. No.2 (第46回日本理学療法学術大会 抄録集)
巻号頁・発行日
pp.AdPF1007, 2011 (Released:2011-05-26)

【目的】 バランスは「質量中心を安定性限界(Limit of Stability: LOS)内に保持する能力」と定義される。また、筋力はバランスの構成要素の一つであるため、筋力低下が生じることでバランス能力が低下する。 バランスに関する先行研究は、立位バランスと姿勢調節筋について述べられているものが多い。主要姿勢筋は、主に安静立位姿勢を保持する役割を担っているが、足圧中心(Center of Pressure: COP)が絶え間なく移動している安静立位では、主要姿勢筋の活動のみでなく、当然足関節背屈筋なども関与している。しかし、足関節背屈筋と立位バランスの関係についての研究報告は主要姿勢筋に比べ数件しかなく、LOSとの関連は報告されていない。 しかしながら、臨床場面では脳卒中や腰椎椎間板ヘルニア、腓骨神経麻痺などによって前脛骨筋(Tibialis Anterior:TA)の筋力発揮が障害される疾患に多く遭遇する。TAの機能不全が立位LOSに与える影響を明確にすることは、臨床場面に有益な情報をもたらすと考える。これらの理由から、本研究はTAの筋力低下が立位LOSに与える影響を明確にすることを目的とした。【方法】 対象は健常男性21名(年齢21.1±1.0歳、身長170.5±5.9cm、体重61.4±6.4kg、BMI 21.1±1.3kg/m2)、対象筋は両側TAとした。測定項目は、徒手筋力計での足関節最大背屈筋力と重心動揺計を用いたクロステストでの足圧中心位置とし、各々TAの筋疲労前後で測定した。筋疲労はクロステスト実施中の筋力回復を考慮し、体重10%の重錘を足背部に負荷して30%以下になるまで背屈運動を行った。クロステストは、閉脚立位にて15秒間の静止立位後、前後左右ランダムにCOPを可能な限り移動させ、その位置を各々10秒間保持させた。疲労前後の平均COP位置を対応のあるt検定を用いて比較・検討した(p<0.05)。【説明と同意】 全被験者に対して実験実施前に本研究の目的・方法について、文書と口頭にて説明し実験参加の同意を得た。【結果】 疲労運動による足関節最大背屈筋力は、疲労前249.2±39.6N、疲労後63.1±27.0Nであり、疲労直後の筋力は疲労前の23.1±5.9%となった。足長と足幅のそれぞれ半分の位置を原点として、x座標は正で右方、負で左方に、そしてy座標は正で前方、負で後方に位置していることを示す。疲労前の静止立位位置は(-1.6±6.0,-12.3±8.3)%。LOSは、前方(-3.9±9.1,43.7±23.3)%、後方(-4.3±7.9,-48.3±23.9)%、右方(38.3±9.3,-10.9±7.2)%、左方(-49.1±9.3,-6.0±10.5)%であった。疲労後の静止立位位置は(-2.7±6.1,-17.2±11.8)%。LOSは、前方(-3.2±6.6,37.3±21.9)%、後方(-5.9±10.5,-38.2±23.9)%、右方(32.5±8.5,-17.9±10.7)%、左方(-38.2±10.6,-16.6±12.2)%であった。疲労前に比べ、疲労後のLOSは、足長・足幅に対して前方:6.9%、後方:10.1%、左方:10.6%、右方:5.8%それぞれ有意に減少した(p<0.05)。 また、疲労後の静止立位時と左右方向での姿勢保持時におけるCOP位置(y座標)は静止立位:4.9%、左方:10.6%、右方:7.0%それぞれ有意に後方へ変位した(p<0.05)。【考察】 TAの筋疲労前後での立位LOSは、疲労前に比べて疲労後は全方向で有意に減少した。また、静止立位時や左右方向での姿勢保持時におけるCOP位置は静止立位、左方、右方、それぞれ有意に後方へ変位した。 COPが前方移動すると母趾側荷重となり、足関節回内位となる。足関節の回内運動は内側縦アーチの降下を引き起こすことになる。後方移動では下腿は後方傾斜し、左右移動では外方傾斜する。 TAは内側縦アーチの保持を担い、閉鎖性運動連鎖では下腿の後方、外方傾斜の制動に関与する。そのため、TAの筋力低下により下腿の後方、外方傾斜の制動作用と内側縦アーチの保持作用の減弱が生じ、LOSが減少したと考える。また、静止立位位置と左右方向のCOP後方変位(y座標)については、足関節戦略での姿勢調節が関係していると考える。静止立位では、ヒラメ筋とTAの持続的な等張性活動によって姿勢を制御している。TAが疲労するとヒラメ筋とTAの筋活動比率が崩れ、TA劣位の姿勢制御となる。そのため、COPの後方変位が生じたと考えられる。【理学療法学研究としての意義】 臨床場面では脳卒中や腰椎椎間板ヘルニア、腓骨神経麻痺などによってTAの筋力発揮が障害される疾患に多く遭遇する。TAの機能不全が立位LOSに与える影響を明確にすることは、臨床場面に有益な情報をもたらすと考える。
著者
小野 愛 弓勢 久美子 竹本 哲行
出版者
京都府農業総合研究所
雑誌
京都府農業研究所研究報告 (ISSN:02888386)
巻号頁・発行日
no.27, pp.19-24, 2007-03

開花期の年次変動が少ない赤色系の盆小ギク2系統を育成した。1.温度による開花期の変動が比較的少ない7月から8月咲きの小ギクを交雑親として選定し、人工交配を行い、開花期の年次変動が少ない「H-13」および「H-42」を育成した。2.「H-13」は、育成地(京都府京田辺市:2001年、京都府亀岡市:2003年-2005年)において、4月中-下旬に定植すると8月上旬に開花した。2004年と2005年に京都府内の気候の異なる3地域(宮津市、亀岡市、京田辺市)で現地試験を行ったところ、開花日はいずれも8月上旬であった。開花時の草丈は約90cm、花房の形は円錐形、舌状花の表面の色は濃赤紫(JHSカラーチャート:9209)であった。3.「H-42」は、育成地において「H-13」と同様の栽培を行うと、7月下旬から8月上旬に開花した。2004年と2005年の現地試験における開花日はいずれも7月下旬であった。開花時の草丈は約80cm、花房の形は平形、舌状花の表面の色は濃赤紫(JHSカラーチャート:9509)であった。4.「H-13」、「H-42」ともに開花期の年次変動が少なく、府内全域に適応すると考えられた。