著者
山下 翔大 中条 武司 西田 尚央 成瀬 元
出版者
The Sedimentological Society of Japan
雑誌
堆積学研究 (ISSN:1342310X)
巻号頁・発行日
vol.70, no.2, pp.81-92, 2011-12-26 (Released:2012-03-07)
参考文献数
23
被引用文献数
1 3

2009年10月に三重県伊勢湾に襲来した台風18号により,伊勢湾に流入する櫛田川では出水イベントが発生した.それに伴って櫛田川河口に発達する干潟環境において発生した大規模な地形および底質の変化を観察するとともに,洪水起源堆積物の特徴,堆積様式および保存ポテンシャルについて検討した.櫛田川河口干潟では,分岐流路の氾濫によって砂嘴が破壊される,大量の陸源有機物および泥質堆積物が砂質潮汐低地上に堆積するといった大規模な地形および底質の変化が生じた.また,洪水起源堆積物の試料を採取し,肉眼観察および走査型電子顕微鏡(SEM)による観察を行ったところ,砂質な破堤堆積物(堆積相1)および泥質なfluid mud堆積物(堆積相2)の2つが識別できた.特に堆積相2は,砂州のトラフ部などの地形的閉鎖域に厚く堆積しており,2010年4月の事後調査においても残留している様子が観察できた.さらに,砂質潮汐低地地下の堆積物を観察すると,過去の洪水に起因すると考えられるfluid mud堆積物がレンズ状に多数存在していることが明らかとなった.これらことは,砂州のトラフ部などの地形的閉鎖域に堆積した洪水起源fluid mud堆積物は再サスペンジョンによる流出を免れ,河口干潟の地層中に保存されることを意味している.
著者
山下 翔
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2014, 2014

<b>Ⅰ.はじめに</b> 本研究は,近代日本最大の民衆運動とよばれる,1918年の米騒動に,人々の行動に着目して,再検討を試みるものである.米騒動とは,1918年に富山県から始まった,米の安売りを求める民衆運動である.当初は,警察の説得で解散するほどの小さなものだったが,これが都市部へと波及すると,全国を巻き込んだ大規模な暴動へ発展した.これまで,主にその原因や結果の解明に焦点が置かれていた米騒動に対し,その展開過程,特に群集行動に着目して,1日ごとの時間スケールで,詳細な復元を行った.<br><b><br>Ⅱ.名古屋の米騒動</b> 名古屋の米騒動は,1918年8月9日に,人々が鶴舞公園に集まったことに始まる.9日の騒動は,大きな暴動には発展しなかったが,10日以降,鶴舞公園では,連日にわたって,飛び入りの弁士たちによる演説が行われ,演説が終わると,人々は公園を出発し,市役所や米屋へ向かった.米屋だけでなく,交番や商店,民家も多くの被害を受けた.<br><b><br>Ⅲ.集合場所</b> 鶴舞公園は,米騒動だけでなく,1914年の電車焼打事件の際にも,人々の集合場所となっていた.しかし,3日間続いた電車焼打事件では,演説が1日目に行われたのみで,2日目以降の暴動の際には,人々は,襲撃目標である家の付近に直接集合していた.米騒動で群集の主な目的地となったのは,米穀仲買人の密集地である米屋町だった.鶴舞公園は米屋町から4km以上離れた場所で,暴動のために集まるには,集まりにくい場所といえる. では,なぜ人々は連日にわたって,鶴舞公園に集まったのだろうか.電車焼打事件,米騒動の双方において,人々は,演説がなければ,公園を出発して暴動に出ることなく解散している.このことから,米騒動において,人々が鶴舞公園に集まったのは,暴動のためというよりも,演説の聴衆として集まった意味合いが強いと考えられる.すなわち,鶴舞公園は,米騒動において,演説の場所として利用されていた.<br><b><br>Ⅳ.移動経路と襲撃地</b> 公園を出発した後の行動について,新聞記事,裁判記録より移動経路と襲撃地を抜き出して図化し,群集の目的性を検討した.さらに,演説文の主張を併せて考察すると,演説に表れた米屋批判,警察批判が,そのまま群集行動となってあらわれていた.すなわち,群集の大きな目的地は演説の影響を強く受けて決定されていたといえる.しかし,演説では,米屋や警察の批判が行われる一方で,「むやみな暴動は起こすべきではない」という主張も多かった.それにも関わらず,街路での暴動が数多く行われていることには疑問が残る. これに関して,本研究では,これまでほとんど検討されてこなかった『予審終結決定』の後半部分を分析した.この史料には,被起訴者178名がどこから集団に加わり,どのように行動したかが記載されている.この史料を整理すると,名古屋の米騒動の被起訴者は,鶴舞公園から米騒動に参加した者よりも,群集が米屋町に向かう中で,途中の街路から加わってきた者が多い. その行動をみると,鶴舞公園から集団に加わった者は,演説の通りに,暴動を起こすことなく米屋町まで移動している者が多い.街路での暴動を起こしたのは,途中から集団に加わってきた者が中心だった.すなわち,演説を聞いていなかった者が暴動の主体だったと考えることができる.<br><b><br>Ⅴ.おわりに</b> 本研究では,米騒動における群集行動を詳細に復元することによって,「名古屋の米騒動は,鶴舞公園に集まった集団が街路で暴動を起こしながら米屋町に向かった」という通説に対し,実際には米屋町に向かう途中で騒動に加わってきた者が主体となって騒動を起こしていたことを指摘できた.
著者
宮崎 泰幸 河邉 真也 山下 翔大 小島 綾夏 臼井 将勝
出版者
公益社団法人 日本水産学会
雑誌
日本水産学会誌 (ISSN:00215392)
巻号頁・発行日
vol.82, no.5, pp.763-770, 2016 (Released:2016-10-06)
参考文献数
18
被引用文献数
2

くさみを抑制するとされる郷土料理の一つ,魚の糠味噌炊きの効果を検証することを目的とし,マアジの水煮調理の際糠あるいは糠味噌を添加して,においの改善効果を調べた。糠あるいは糠味噌を加えると調理時のトリメチルアミンの生成を抑え,保蔵時の脂質酸化で生じるアルデヒドなどのカルボニル化合物の増加を抑制した。官能検査では,魚臭さの低減が糠炊きで有意となった。しかし糠味噌炊きの風味は,糠床漬け物を食した経験のない多くのパネルには嫌われた。