著者
岩井 博司 大野 恭裕 伊藤 裕進 遠藤 達治 小牧 克守 石井 秀司 盛岡 幸恵 芋縄 啓史 清川 知美 原田 剛史 廣田 則幸 山内 孝哲 宮武 利行 青木 矩彦
出版者
一般社団法人 日本糖尿病学会
雑誌
糖尿病 (ISSN:0021437X)
巻号頁・発行日
vol.47, no.6, pp.439-445, 2004-06-30 (Released:2011-03-02)
参考文献数
21
被引用文献数
5

症例は38歳, 男性. 10年前に近医にて糖尿病を指摘され, 5年前からメトホルミンとインスリンによる治療をうけていた. 2002 (平成14) 年8月以降, 当院で2型糖尿病, 糖尿病性腎症 (曲中クレアチニン値0.95mg/dl) と糖尿病性網膜症に対して治療を行っていた, 2003 (平成15) 年4月5日, 自殺目的でメトホルミン105錠 (26.25g) と睡眠薬を多量に内服しアルコールを多飲した. その後, 悪心, 嘔吐, 上腹部痛と意識障害が出現したため受診した. 高乳酸血症 (178.9mg/dl), 血中尿素窒素値 (128mg/dl) と血中クレアチニン値の上昇 (118mg/dl), anbngapの開大 (58.8) および代謝性アシドーシス (pH 7.219) の所見より乳酸アシド-シスおよび急性腎不全と診断し, 持続的血液濾過透析 (continuous hemodialysis filtration: CHDF) を施行した. 糖尿病に対してはインスリン療法を行った. その後, 血中クレアチニン値の低下と血糖値の改善を認め退院となった. 以上, 自殺目的でメトホルミンの多量内服後に乳酸アシドーシスと急性腎不全を発症した2型糖尿病患者の1例を報告した. この症例より, メトホルミンによる乳酸アシドーシスに対する治療には, 循環動態を安定に保てるCHDFを選択すべきであると考えた. また, 自殺目的でメトホルミンを多量に内服することがないように, 服薬状況の確認が必要であると考えた.
著者
山内孝幸 やまうちたかゆき
雑誌
阪南論集. 社会科学編
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.29-52, 2011-10
著者
山内孝幸 やまうちたかゆき
雑誌
阪南論集. 社会科学編
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.29-52, 2011-10
著者
船越 顕博 山内 孝 井 林博
出版者
一般財団法人 日本消化器病学会
雑誌
日本消化器病学会雑誌
巻号頁・発行日
vol.77, no.11, pp.1766-1769, 1980

膵癌の酵素学的診断法を確立する目的で,DIPN 500mg/kgをgolden syrian hamsterの皮下に毎週注射することにより実験膵癌を作成した.実験膵癌の組織型は全て人膵癌類似のDuctal cell腺癌を示した.DIPN注射後,12,16,20,22,25週と経時的に採血し,血清中並びに膵組織中のRNase(Poly U, Poly C, Poly A, Poly G)を測定すると,全例膵癌の観察された25週にはPoly Uaseの上昇を認め,経時的なRNase測定により膵癌診断の指標となることが示唆された.
著者
小山内 孝夫
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.80, no.1, pp.59-72, 2014

本稿は,デンマーク王室がエーアスン海峡を航行する船に課した税の記録を刊行した『エーアスン海峡通行税台帳』(STT)を用いて,イングランドのバルト海貿易におけるハル,ヨークシャの重要性を,16世紀後半と17世紀前半について明らかにする試みである。まず,船舶数の分析により,ハルがイングランド中第3位の船舶数をバルト海に送り込んだ有力港であったことを示す。貿易の分析では,ハル船が毛織物輸出,亜麻・鉄輸入において,イングランド内のみならず,全ヨーロッパ的にみても重要な存在であったことを実証し,これとハルの後背地の経済活動(ヨークシャ毛織物工業など)との関連を提起する。本稿の分析は,地域史的・国民経済史観的枠組みのもとで把握されがちであったヨークシャ経済に対する海外市場の重要性を提起し,同地域を北ヨーロッパ商業圏の一環として見直すよう迫るものである。また,ヨークシャがロンドンを介することなく,ハルを通して北ヨーロッパと結びつき,「ロンドンを頂点とするイングランド国民経済」とは別個に,ある程度自立的な経済圏を形成していた可能性も論じる。
著者
小山内 孝夫
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.80, no.1, pp.59-72, 2014-05-25 (Released:2017-06-03)

本稿は,デンマーク王室がエーアスン海峡を航行する船に課した税の記録を刊行した『エーアスン海峡通行税台帳』(STT)を用いて,イングランドのバルト海貿易におけるハル,ヨークシャの重要性を,16世紀後半と17世紀前半について明らかにする試みである。まず,船舶数の分析により,ハルがイングランド中第3位の船舶数をバルト海に送り込んだ有力港であったことを示す。貿易の分析では,ハル船が毛織物輸出,亜麻・鉄輸入において,イングランド内のみならず,全ヨーロッパ的にみても重要な存在であったことを実証し,これとハルの後背地の経済活動(ヨークシャ毛織物工業など)との関連を提起する。本稿の分析は,地域史的・国民経済史観的枠組みのもとで把握されがちであったヨークシャ経済に対する海外市場の重要性を提起し,同地域を北ヨーロッパ商業圏の一環として見直すよう迫るものである。また,ヨークシャがロンドンを介することなく,ハルを通して北ヨーロッパと結びつき,「ロンドンを頂点とするイングランド国民経済」とは別個に,ある程度自立的な経済圏を形成していた可能性も論じる。