著者
山崎 泰央
出版者
法政大学イノベーション・マネジメント研究センター
雑誌
法政大学イノベーション・マネジメント研究センター ワーキングペーパーシリーズ = Working paper series
巻号頁・発行日
vol.24, pp.1-26, 2006-11-10

パーソナルコンピュータの歴史は、1971(昭和 46)年インテルによって世界初のマクロプロセッサ(MPU)「4004」が発表されたときから始まる。電卓用に開発された4ビット処理の「4004」は数字しか扱えなかったが、翌年、アルファベットも扱える端末機用 8ビット MPU「8008」が発表された。1974年、インテルは処理速度を格段に早めた汎用の 8ビット MPU「8080」を発売、75 年にはこれを組み込んだ世界初のマイコンキット「アルテア 8800」が米 MITS 社から発売され、全米にマイコンホビーブームが生じた。このアルテアに対してプログラミング言語「BASIC」を移植し、ソフトウェア・ビジネスを立ち上げたのが、マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツとポール・アレンだった。1977年、アップル・コンピュータの「ApplⅡ」の他、コモドールやタンディ、日本のソードがほぼ同時期に、個人による机上利用が可能なデザインのマイコン=パーソナルコンピュータを発表した。パソコン時代の幕開けである。そして 1983 年、IBM は 16 ビットパソコン「IBM The PC」でパソコン市場に参入する。パソコンでは後発であった IBM は、開発期間を短縮するため、オープンアーキテクチャ構造を採用した。そのため、IBM のシェア拡大と同時に互換機市場も拡大していった。このとき、IBM-PC にインテルの MPU とマイクロソフトの OS(基本ソフト)が採用されていたことから、いわゆる「ウィンテル」がデファクトスタンダート(事実上の標準)の地位を獲得していったのである。 現在では「ウィンテル」の商業的成功ばかりが喧伝されているが、パソコン黎明期には実に多くの有名・無名の人々がパソコンの発展に貢献してきた。もちろん日本人の活躍も例外ではない。8ビットパソコンを第一世代、16 ビットパソコンを第二世代、そして現在の主流である 32 ビットパソコンを第三世代とすると、日本人はパソコン第0世代の MPU 開発から第二世代まで大きな足跡を残している。MPU「4004」のアイデアは日本の小さな電卓会社ビジコンが生みだし、その開発には日本人技術者の嶋正利が関わっている。アルテアを開発したエド・ロバーツよりも早く MPU を使って商用マイコンを作ったのは椎名堯慶が率いていたソードであった。また 16 ビットパソコン OS のデファクトスタンダートである MS-DOS はアスキーの西和彦がビル・ゲイツに決断を促したことによって開発が始まっている。その他、日米を含めて多くの人々やベンチャー・ビジネスの活躍が、パソコンを含む現在のIT(情報技術)産業の発展を支えてきたのである。 ここでは、パソコン黎明期に日本のパソコン産業をリードしながら、経営の失敗によって歴史に埋もれていったソードの椎名堯慶(しいな たかよし)と、同じく黎明期にパソコンの「天才」と呼ばれ、表舞台で活躍したアスキーの西和彦(にし かずひこ)を取り上げる。以下、彼らがパソコンの将来像をどのように描き、それを実現するためにどのような主体的活動を行ったのか検討していく。
著者
野田 奈津実 小川 宣子 久慈 るみ子 坂田 隆 山崎 泰央 大竹 美登利 佐々井 啓 中島 明子 宮野 道雄 浜島 京子 加藤 浩文 萬羽 郁子 吉井 美奈子 生田 英輔
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集 68回大会(2016)
巻号頁・発行日
pp.288, 2016 (Released:2016-08-04)

目的 東日本大震災では、多くの被災者が仮設住宅への転居を余儀なくされた。本研究は、仮設住宅への転居が住民の食生活に与えた影響を明らかにすることを目的とした。方法 震災後、石巻市市街地の仮設住宅に入居した60代女性(食生活改善推進員、震災前は同市雄勝地区)を対象に、震災前後の食生活(料理の種類、保存食、食事形態)について聞き取り調査を行う(2015年3、9、12月)とともに料理の画像記録を依頼した。結果 震災前に比べ、仮設住宅での料理の種類の減少や食事形態に変化が見られた。その原因として、1.地元で採(獲)れた大豆や米から味噌、柿やハモの乾物等の保存食を作り、これを利用して柿なますや雑煮等の郷土料理が作られていたが、食材の入手・保存場所の確保が困難になり、保存食を作ることが少なくなった。2.台所が狭くなり、保管・使用にスペースが必要な蒸し器やすり鉢を使う料理が減った。3.食卓が狭くなり、食器の種類や数も減ったため料理の盛り付けは銘々盛りから大皿盛りへと変化した。日常的に行われてきた食生活が震災を機に失われつつある。石巻の気候・風土を反映する多くの食材を活用した料理を記録として残し、継承していくことが求められている。本研究はJSHE生活研究プロジェクトの活動として実施し、科学研究費補助金(課題番号:24300243、25350040)、平成26年度(公財)浦上食品・食文化振興財団の助成を受けた。
著者
野田 奈津実 小川 宣子 久慈 るみ子 山崎 泰央 坂田 隆 大竹 美登利 佐々井 啓 中島 明子 宮野 道雄 浜島 京子 加藤 浩文 萬羽 郁子 吉井 美奈子 生田 英輔 奥山 みどり
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.67, 2015

<b>目的</b> JSHE生活研究では、石巻市にて「郷土料理の伝承」「特産物を生かした料理の提案」を目的とした料理教室と料理コンテストを行ってきた。これらの活動による参加者の意識・意欲の変化を明らかにする。<b></b><br><b>方法 </b>郷土料理教室は3回(2012年3月~2013年12月)、わかめ料理コンテストは1回(2014年10月)実施し、それぞれ参加者へアンケート、聞き取りを行った。<br><b>結果 </b>郷土料理教室の1、2回目は仮設住宅入居者を対象として行ったが、以前から郷土料理を作り、食べている参加者が多かったため、3回目は仮設住宅入居者を講師とし、大学生を対象に行った。終了後、大学生からは「石巻の食文化を知ることができた」「家族や友人に教えたい」、仮設住宅入居者からは「若い人たちと話せて楽しかった」「やりがいを感じた」という感想が多く、「郷土料理の伝承」の新たな形としての可能性が感じられた。わかめ料理コンテストは地域住民34組から応募があり、最終審査は10組で行われた。参加者からは「わかめだけでなく、他の石巻の食材も調べた」「参加者同士で意見交換できた」との声も聞かれ、両活動とも郷土料理や特産物に対する関心や愛着、誰かに伝えたいという意欲を生み、さらに地域関係者も含めたコミュニケーションの場となった。<br>本研究は科学研究費補助金(課題番号:24300243、25350040)、平成25年度(公財)浦上食品・食文化振興財団の助成を受けた。