著者
山本 孝司
出版者
サレジオ工業高等専門学校
雑誌
サレジオ工業高等専門学校研究紀要 (ISSN:18812538)
巻号頁・発行日
no.35, pp.117-126, 2009

本論分では, 3次元幾何ソフトCabri 3Dv2を利用して,円錐曲線の定義を視覚化する.また平面幾何ソフトCabre Geometry II plusを使って,パッポスが証明した統一的な定義にしたがって円錐曲線を作図する.更に円錐曲線の極方程式を導き,方程式から離心率の意味を考察しフリーソフトGrapesで視覚化する.
著者
及川 良彦 山本 孝司
出版者
一般社団法人 日本考古学協会
雑誌
日本考古学 (ISSN:13408488)
巻号頁・発行日
vol.8, no.11, pp.1-26, 2001-05-18 (Released:2009-02-16)
参考文献数
102

縄文土器の製作についての研究は,考古学的手法,理化学的手法,民族学的手法,実験考古学的手法などの長い研究史がある。しかし,主に製作技法や器形,施文技法や胎土からのアプローチがはかられてきたが,土器の母材となる粘土の採掘場所や採掘方法,土器作りの場所やそのムラ,粘土採掘場とムラの関係についての研究は,民族調査の一部を除き,あまり進展されずに今日に至っている。多摩ニュータウンNo.248遺跡は,縄文時代中期から後期にかけて連綿と粘土採掘が行われ,推定面積で5,500m2に及ぶ全国最大規模の粘土採掘場であることが明らかとなった。隣接する同時期の集落であるNo.245遺跡では,粘土塊,焼成粘土塊,未焼成土器の出土から集落内で土器作りを行っていたことが明らかとなった。しかも,両遺跡間で浅鉢形土器と打製石斧という異なる素材の遺物がそれぞれ接合した。これは,土器作りのムラの人々が粘土採掘場を行き来していることを考古学的に証明したものである。土器作りの根拠となる遺構・遺物の提示と粘土採掘坑の認定方法の提示から,両遺跡は今後の土器作り研究の一つのモデルケースとなることを示した。さらに,粘土採掘坑から採掘された粘土の量を試算し,これを土器に換算し,住居軒数や採掘期間等様々なケースを想定した。その結果,No.248遺跡の粘土は最低でも,No.248遺跡を中心とした5~10km程の範囲における,中期から後期にかけての1,000年間に及ぶ境川上流域の集落の土器量を十分賄うものであり,最低限この範囲が粘土の消費範囲と考えた。さらにNo.245遺跡は土器作りのムラであるだけでなく,粘土採掘を管理したムラであることを予察し,今後の土器生産や消費モデルの復元へのステップとした。以上は多摩ニュータウン遺跡群研究の一つの成果である。
著者
及川 良彦 山本 孝司
出版者
THE JAPANESE ARCHAEOLOGICAL ASSOCIATION
雑誌
日本考古学 (ISSN:13408488)
巻号頁・発行日
vol.8, no.11, pp.1-26, 2001

縄文土器の製作についての研究は,考古学的手法,理化学的手法,民族学的手法,実験考古学的手法などの長い研究史がある。しかし,主に製作技法や器形,施文技法や胎土からのアプローチがはかられてきたが,土器の母材となる粘土の採掘場所や採掘方法,土器作りの場所やそのムラ,粘土採掘場とムラの関係についての研究は,民族調査の一部を除き,あまり進展されずに今日に至っている。<BR>多摩ニュータウンNo.248遺跡は,縄文時代中期から後期にかけて連綿と粘土採掘が行われ,推定面積で5,500m<SUP>2</SUP>に及ぶ全国最大規模の粘土採掘場であることが明らかとなった。隣接する同時期の集落であるNo.245遺跡では,粘土塊,焼成粘土塊,未焼成土器の出土から集落内で土器作りを行っていたことが明らかとなった。しかも,両遺跡間で浅鉢形土器と打製石斧という異なる素材の遺物がそれぞれ接合した。これは,土器作りのムラの人々が粘土採掘場を行き来していることを考古学的に証明したものである。<BR>土器作りの根拠となる遺構・遺物の提示と粘土採掘坑の認定方法の提示から,両遺跡は今後の土器作り研究の一つのモデルケースとなることを示した。さらに,粘土採掘坑から採掘された粘土の量を試算し,これを土器に換算し,住居軒数や採掘期間等様々なケースを想定した。その結果,No.248遺跡の粘土は最低でも,No.248遺跡を中心とした5~10km程の範囲における,中期から後期にかけての1,000年間に及ぶ境川上流域の集落の土器量を十分賄うものであり,最低限この範囲が粘土の消費範囲と考えた。さらにNo.245遺跡は土器作りのムラであるだけでなく,粘土採掘を管理したムラであることを予察し,今後の土器生産や消費モデルの復元へのステップとした。以上は多摩ニュータウン遺跡群研究の一つの成果である。
著者
山本 孝司
出版者
岡山県立大学 大学教育開発センター
雑誌
岡山県立大学教育研究紀要 = Bulletin of Higher Education and Liberal Arts and Sciences Research,Okayama Prefectural University (ISSN:24238236)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.1-10, 2021-02-15

ルイザ・メイ・オルコット(Louisa May Alcott,1832-1888)は、19世紀アメリカの子ども向け少女小説作家として知られ、代表作『若草物語』(Little Women)は、当時の少女たちの心を掴み大ベストセラーとなり、その後も世界各国で翻訳され、家庭小説の古典として世代を越えて読み続けられている。彼女の小説の中には、19世紀当時のアメリカ社会に浸透していた人間観、子ども観、教育観とは相入れない進取の精神に満ちた社会と人間の捉え方が垣間見え、その意味でルイザは後の進歩主義教育につながるユニークな思想の持ち主であった。本稿は、オルコットの教育思想をアメリカ教育史の中に位置づけ、19世紀末から生起するアメリカ進歩主義教育との影響関係を明らかにすると同時に、進歩主義教育から今日の教育現場にも受け継がれる子ども主体の教育実践理論を彼女の思想の中に見出すことを試みた。
著者
山本 孝司
出版者
サレジオ工業高等専門学校
雑誌
サレジオ工業高等専門学校研究紀要 (ISSN:18812538)
巻号頁・発行日
vol.39, pp.49-58, 2012-10-31

This paper proposes a method to describe and visualize B-spline curves for clear understandingof non-uniform rational B-spline curves used for designing software such as CAD. Particularattention is given to handling of the recursion formula to determine the basis functions,handling of the domain and the basis functions when increasing control points, and the effectsof the knot vectors towards the B-spline curves. The paper also demonstrates howconsideration of the B-spline curves helps solving certain problems associated with the Beziercurves used for drawing software such as Illustrator&reg;. Finally, the paper shows how themathematics used in the process of describing the B-spline curves is related to the mathematicstaught at Salesian Polytechnic.
著者
山本 孝司
出版者
サレジオ工業高等専門学校
雑誌
サレジオ工業高等専門学校研究紀要 (ISSN:18812538)
巻号頁・発行日
vol.33, pp.97-104, 2007

本論文では2つのことについて報告する.前半ではTAMSプロジェクト4で作られたドリル「基礎数学」を,サレジオ高専の2年生を対象に使っての実践例と教育効果および考察を述べる.作成したドリル「基礎数学」は,TAMSプロジェクト4によって修正,改善された.後半ではどのようにして修正,改善が行われたのか,それにどのように関わったのかを述べる.ドリルの作成,修正,改善は,すべてメーリングリストを使っての意見交換を通して行われた.
著者
山本 孝司 久保田 治助
出版者
九州看護福祉大学
雑誌
九州看護福祉大学紀要 (ISSN:13447505)
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.79-90, 2012-03

「大人になる」というテーマは、今日の日本の若者問題を論じる際のキーワードともなっている感さえある。「大人になる」ということは、他方で「子どもではなくなる」という意味合いを含んでいる。つまり「大人になる」ということ自体が、ある種の子ども性の否定のうちに成り立っている。 近代以前、こうした「大人化」については、制度としてシステム化されていなくとも、子どもたちは共同体の一員として、無意識的に社会教育を受ける機会が多々用意されていたのである。近代以降、「大人化」のプログラムは学校教育が中心的な場となり、そうしたコミュニティのなかでの「大人化」の取り組みは姿を消してしまった。それどころか、今ではコミュニティそのものが解体され消滅してしまっている。 このような時代を背に、「大人化」の問題は、社会教育の分野を筆頭に「市民性」(citizenship)の問題として再浮上している。もっとも、言葉として「市民性」は頻繁に耳にするようになったものの、その内実についてはいまひとつ定かになっていない。 そこで本稿の目的とするところは、近代以降「市民性」がどのように論じられてきたかをレビューした上で、あらゆる位相でボーダレス化している今日にあって、「大人化」という視点からあらためて「市民性」を捉え直すことである。There are a variety of remark theories about "Grow up" in not only the field of education but also various fields. The theme "Grow up" becomes a key word when the young person problem of Japan of today is discussed. "Grow up" It is a meaning "It is not child and become it". The chance to receive Social Education unconsciously had been prepared for childrena lot as a member of the community before modern ages. The school training came in a center place as for the program of "Change to the adult" since it was modern. And the approach of "Change to the adult" in the community has disappeared. On the contrary, the community is dismantled now and it disappears.. The problem of "Change to the adult" has surfaced again as a problem of citizenship with the field of Social Education at the top against the backdrop of such an age. It is not clarified though "Citizenship" is frequently heard as a word of the contents. The purpose of this text is to try to catch "Citizenship" again from the aspect "Change to the adult" in today.