著者
山本 省二
出版者
関西病虫害研究会
雑誌
関西病虫害研究会報 (ISSN:03871002)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.73-79, 1973-02-01 (Released:2012-10-29)
参考文献数
21

農薬の混用にあたり, 薬液の表面張力の変化とカンキツ葉上の薬液付着量との関係について試験し, 次の結果を得た.(1) 各種殺菌剤の実用濃度希釈液の表面張力 (Du-Nüy法) とカンキツ葉上の散布直後の付着液量との間には高い相関があり, この関係は次の一次式で表わされる.y=0.2313x-7.5743 (Y: カンキツ葉500cm2(葉表)の付着液量gX: 薬液の表面張力 (dyne/cm2)(2) 殺菌剤と殺虫剤の混合, あるいは殺菌剤に湿展性展着剤を加用した場合, 殺菌剤の表面張力は加用した他剤の表面張力とほぼ等しくなる.(3) 殺虫剤あるいは展着剤の実用濃度希釈液の表面張力とカンキツ葉の付着液量の関係は前式と同じ次の一次式で表わされる.y=0.236x-7.541(4) 殺虫剤とジマンダイセンの混用においても, ジマンダイセンの表面張力が混用した他剤の表面張力まで低下し, その結果としてジマソダイセンのカンキツ葉の付着液量も減少した. この関係は次の一次式で表わされる.y=0.2207x-7.02(5) 殺菌剤と殺虫剤の混用, あるいは殺菌剤に展着剤加用散布は, 殺菌剤の単剤散布に比し, カンキツ葉上の付着液量が減少する. しかも殺菌剤の表面張力が高いか, 加用する他剤の表面張力が低いほど, その付着量の変化が大きい.
著者
夏見 兼生 山本 省二
出版者
関西病虫害研究会
雑誌
関西病虫害研究会報 (ISSN:03871002)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.80-84, 1973-02-01 (Released:2012-10-29)
参考文献数
17

殺菌剤にその表面張力より低い他剤を混用すると, 殺菌剤の表面張力が低下し, 付着液量も減少するが, それが黒点病防除効果に影響を及ぼすかについて試験した.1. ジマンダイセンにエルサン, ビニフェート, スプラサイド, アゾマイトおよびシトラゾンを混用した結果, 混用散布は付着液量が減少し, 黒点病防除効果がいちじるしく劣った.2. エムダイファーと他剤との混用において, カンキツ葉上の付着量は単剤散布で21.04γ/2cmに対し, 混用区は3~10γと低下した. サマーオイルとの混用は付着薬量および39日後の残留量が多かった. 黒点病に対する効果も葉上の分析値とほぼ同じ傾向となり, サマーオイルとの混用がもっともすぐれ, 他の混用区はいずれも単剤散布に劣った.3. ジマンダイセンの他剤混用による付着量の減少を補うため, 濃度を高くして黒点病防除効果を比較した. この結果, ジメトエートとの混用でジマンダイセンは360倍, スプラサイド240倍, エルサン180倍, シトラゾン180倍, ビニフェート120倍, アミホス, サントクテンで60倍とし, これらの混用区はいずれもジマンダイセン単剤散布に比し防除効果は高かった. 水和剤のミクロデナポン, エラジトンとの混用ではジマンダイセンの濃度をあげた効果はやや劣った.4. ジマンダイセンおよびダイセンに湿展性展着剤を加用した結果は黒点病に対する防除効果はいちじるしく劣った.
著者
山本 省吾 若菜 勇 中瀬 浩太 島谷 学
出版者
公益社団法人 土木学会
雑誌
海岸工学論文集 (ISSN:09167897)
巻号頁・発行日
no.50, pp.611-615, 2003

北海道阿寒湖の特別天然記念物マリモは, 強風によって6~9年に1度の頻度で, 数万個が湖浜に打ち上げられている.マリモ打ち上げ時の波浪条件の定量的評価や打ち寄せ・打ち上げ機構を明らかにすることは, マリモの保全上重要である.本研究では, 2002年10月の大量打ち上げ発生時の現地風データから風波を推算し, 波・流れ場の平面2次元数値計算を実施した.さらに, 慣性力を考慮したシールズ数を用いたマリモの移動限界評価式を提案し, 現地打ち上げ観測記録との比較により, 評価式の妥当性を確認した.また, 波による振動流速下で移動状態になった球状体マリモが湖浜流により湾奥へ運ばれると推測した打ち寄せ・打ち上げ機構が実現象を十分説明できることも確認した.
著者
山本 省
出版者
信州大学農学部
雑誌
信州大学農学部紀要 (ISSN:05830621)
巻号頁・発行日
vol.33, no.1, pp.51-60, 1996-12

生涯木を植え続けることによって荒れ果てた地方を再生させた老人の物語は,作者ジオノが子供時代に父親とドングリの実を植えたという体験に根ざしており,木を植えるという喜びは彼にとってきわめて親しいものであった。生きる喜びは傑作『喜びは残る』のなかで縦横無尽に展開されたテーマである。この架空の物語を書くことによってジオノは読者に森の大切さを納得させる。虚構の物語が事実より雄弁なことがある。それが小説家の仕事である。
著者
山本 省
出版者
信州大学
雑誌
信州大学農学部紀要 (ISSN:05830621)
巻号頁・発行日
vol.35, no.2, pp.111-120, 1999-03

『喜びは残る』の作者ジオノは人間が生まれ死ぬのはごく当たり前のことだから死を異常なものではなくむしろ自然な現象と考えていた。しかし,自殺についてはいささか事情が異なる。生きていく喜びの欠如,何らかの価値観の喪失,こうしたことが自殺の原因になりうる。『喜びは残る』では4人の登場人物が自殺する。エレーヌの夫とシルヴは何の喜びもないグレモーヌ高原の住人たちに特有の病気が嵩じて自殺し,オロールは喜びは見出したがそれを持続させることができず死を選ぶ。高原の住人たちに生きる喜びを教えてきたボビはジョゼフィーヌとの情交を重ねるうちに自分には穏やかな喜びは不可能になっていくのを痛感する。もはや高原にいる意味がなくなったと判断し高原をあとにしたポビは激しい嵐のなかで死ぬ。反対に動物や植物に喜びを見出し精彩あふれる生活を取り戻していった住人たちも存在する。この物語では,4人の死者がでたにもかかわらず,生きる喜びの種は確実にまかれたということが確認される。死者たちも世界の運行に異常なことは何もなかったかのように参加する。寂しげだったグレモーヌ高原に鹿が遊び,羊が啼き,小鳥や小動物が徘徊し,花々が咲き乱れるようになったのである。
著者
山本 省
出版者
信州大学教養部
雑誌
信州大学教養部紀要 (ISSN:13409972)
巻号頁・発行日
no.19, pp.p205-225, 1985-02

Baudelaire a traduit la plupart des contes de Poe très patiemment, car il sentait qu'il y avait une grande ressemblance entre eux. Nous essayons de montrer que Poe lui a donné une inspiration fructueuse, tout en analysant le rôle et la signification du démon de la perversite (the imp of the perverse) dans quelques contes de Poe et dans Le Spleen de Paris. Le démon de la perversité, qui n'est qu'une impulsion inexplicable chez Poe, prendra chez Baudelaire une grande valeur. Nous verrons que ce démon joue un rôle tout à fait important surtout dans Le Mauvais Vitrier et dans La Mort Mort héroique. Voici notre projet :I. Préface II. The Imp of the Perverse de Poe III. L'atmosphère refiétant le démon de la perversité dans Le Spleen de Paris IV. Le démon de la perversité dans Le Mauvais Vitrier V. Le rôle et la signification du démon de la perversité dans Le Spleen de Paris VI. Conclusion
著者
山本 省
出版者
信州大学
雑誌
信州大学農学部紀要 (ISSN:05830621)
巻号頁・発行日
vol.34, no.2, pp.79-90, 1998-03

『世界の歌』は晩秋から冬を経て初春にいたるあいだに失踪した息子を父親が探し出し家に連れ帰るという物語であるが,重要な場面の多くは夜の闇のなかで展開する。その闇のなかでは当然のことながら松明やランプなどの光が揺れ動く。また,登場人物においても人間の闇を象徴する身体的欠陥を持った人物が幾人かあらわれるが,彼らは単なる弱者ではなく普通の人間たちが感じとることのできないことを知覚する能力に恵まれていたりする。勿論のことながら若さや力にみち溢れた人間の内部にもさまざまな闇の部分(欠点)が潜んでいる。 この物語においては動植物や自然界のさまざまな現象も人間たちが繰り広げるドラマと密接な関わりを持ったものとして描写される。人間のドラマも自然界のなかのひとつの現象でしかない。上流の村と下流の村を結び付けている河もまた大きな意味を担っている。その河の周辺の自然界と人間界の闇と光の交錯から立ちのぼってくるのが「世界の歌」なのである。