著者
Yuko Iwase 岩瀬 裕子
出版者
国立民族学博物館
雑誌
国立民族学博物館研究報告 = Bulletin of the National Museum of Ethnology (ISSN:0385180X)
巻号頁・発行日
vol.44, no.1, pp.179-231, 2019-07-25

本稿は,スペイン・カタルーニャ州の祭りで220 年以上にわたって行われている人間の塔における計測を主題にして,どのようなデジタル・テクノロジーが用いられ,それに対して人びとがいかに対応しているのかを民族誌的調査を通して明らかにするものである。人間の塔は,人が人の肩の上に上り下りして造られ,その高さや構造の複雑さで競われるものである。筆者が調査する最古参のグループでは,塔造りに必要な参加者を把握するためにテクノロジーを利用する動きはあるが,人間を正確に測り塔の構造に反映させるためにテクノロジーは利用していない。人びとが用いるのは,経験的に獲得,定着させてきた主として身体感覚に依拠したテクノロジーである。こうしてデジタル・テクノロジーの受け入れに伴う領域に差異がみられる背景には,身体ひとつで塔を造る人びとの「人間とは正確には測れないもの」という直観的な感覚と,「測ること」で失われてしまうことを危惧する二者関係があることを考察する。
著者
岩瀬 裕子
出版者
一般社団法人 日本体育学会
雑誌
日本体育学会大会予稿集
巻号頁・発行日
vol.67, pp.23_1, 2016

<p> 2020年の東京オリンピックを控えて、ポスト・オリンピックの議論も喧しい。未来を議論するに当たり、しばしば参照されるのが1964年の東京オリンピックと1998年の長野オリンピックである。だが、我々は2つのオリンピックについてどれだけ知悉しているのか。アジアで初めて開催された先の東京オリンピックでは、1961年に日本体育協会と五輪組織委員会の共催によりカール・ディームが招かれた。オリンピックの思想と意義について、他ならぬディームから学ぼうとしたのである。そのディームから多大な影響を受けたのが、大島謙吉であった。2 人に今さら安直な美辞麗句を捧げる必要はないが、今日の冷静な視点から見ても、彼らの思慮深い言動は学術的な検討に値する。</p><p> 日本で3度目のオリンピックは長野であった。低成長時代に開催されたという点では、長野オリンピック開催前後の様々な社会経験は、現在に通じるものがある。長野には様々な意味でポスト・オリンピックを意識させる建物や政治文化や人々の行動が残っている。</p><p> 本シンポジウムでは、2人の「哲人」と1つの隣接する地域社会に焦点を当てつつ、スポーツを文化として根づかせるために求められる論点や課題を探りたい。</p>