著者
平塚 徹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.301-325, 2018-03

日本では,しばしば,イエスは馬小屋で生まれたと言われる。しかし,西ヨーロッパにおいては,イエスが生まれたのは,家畜小屋である。日本における馬小屋伝承の起源については,これまで研究がなかった。 キリシタン書では,イエスの生まれた場所は,しばしば,「うまや」とされていた。この語は,語源的には馬小屋を意味するが,牛小屋を指すのにも転用されてきた。キリシタン書における「うまや」は,家畜小屋の意味で使われたと考えられる。本稿では,禁教時代を経てキリスト教解禁以後,「うまや」という語が馬小屋の意味で理解されて,馬小屋伝承が流布し定着したという仮説を提案した。その他に,以下の要因が働いた可能性も指摘した。(1)聖徳太子が厩の前で生まれたという伝説に影響された。(2)英語においてイエスの生まれた家畜小屋を指すにはstableが用いられる。しかし,この語は,通常,馬小屋を指すように意味変化している。(3)ルカ2章に出てくる飼い葉桶の適当な訳語がなく,『明治元訳聖書』や『大正改訳』などの日本語訳聖書で「槽(うまぶね)」や「馬槽(うまぶね)」が用いられた。
著者
平塚 徹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.51, pp.301-325, 2018-03

日本では,しばしば,イエスは馬小屋で生まれたと言われる。しかし,西ヨーロッパにおいては,イエスが生まれたのは,家畜小屋である。日本における馬小屋伝承の起源については,これまで研究がなかった。 キリシタン書では,イエスの生まれた場所は,しばしば,「うまや」とされていた。この語は,語源的には馬小屋を意味するが,牛小屋を指すのにも転用されてきた。キリシタン書における「うまや」は,家畜小屋の意味で使われたと考えられる。本稿では,禁教時代を経てキリスト教解禁以後,「うまや」という語が馬小屋の意味で理解されて,馬小屋伝承が流布し定着したという仮説を提案した。その他に,以下の要因が働いた可能性も指摘した。(1)聖徳太子が厩の前で生まれたという伝説に影響された。(2)英語においてイエスの生まれた家畜小屋を指すにはstable が用いられる。しかし,この語は,通常,馬小屋を指すように意味変化している。(3)ルカ2 章に出てくる飼い葉桶の適当な訳語がなく,『明治元訳聖書』や『大正改訳』などの日本語訳聖書で「槽(うまぶね)」や「馬槽(うまぶね)」が用いられた。
著者
平塚 徹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.47, pp.211-238, 2014-03

多くの言語において,電気器具のつけ消しを表すのに,火をつけたり消したりすることを表す動詞を用いる(フランス語 allumer/éteindre,日本語「つける/ 消す」など)。これは火による照明器具について用いられた動詞が電灯に転用され,それが電気器具一般に拡張されたものと考えられる。この過程で,電灯は電気器具のプロトタイプの機能を果たしたと考えることができる。 同じ行為を表すのに開閉を表す動詞を用いる言語も多く存在する(フランス語 ouvrir/fermer,中国語「开/ 关」など)。これは,以下の機序に大きくよっている。すなわち電気器具のつけ消しをメトニミーにより電気を流したり止めたりすることで表し,それをメタファーにより電気の通り道の開閉に見立てたのである。 それ以外にも,別の意味の動詞,句動詞,接頭辞付きの動詞を用いる方法がある。エスペラントは電気器具をつけることを表すために新しい単一の動詞を用意している点で特異である。電気器具をつけるという概念はある程度抽象的であり,これを表現するには自然言語は何らかの方略に訴えるのである。
著者
平塚 徹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.269-287, 2012-03

マイクに向かって話すことを表すフランス語の表現parler dans le microにおいて,前置詞句はマイクの内部を指しているだけである。英語などの幾つかの言語では,これに対応する表現において,前置詞句がマイクの内部への経路を明示的に表している(英語:to speak into the microphone,ドイツ語:ins Mikrophon sprechen,チェコ語:hovořit do mikrofonu,ロシア語: govorit’ v mikrofon)。しかし,フランス語では,マイクの内部が経路の着点であることは,推 論による解釈の結果なのである。 parler dans le microという表現においては,移動するもの,すなわち「声」が,明示的に表現されず,動詞parler(話す)によって含意されている。この潜在的な参与項はLangackerのアクティブ・ゾーンに対応している。前置詞句は,アクティブ・ゾーンの移動経路の着点に対応する場所を表しているのである。同じ説明は,souffler dans le micro(マイクに息を吹きかける),se moucher dans un mouchoir(ハンカチで鼻をかむ),vider une bouteille dans l’évier(びんの中身を流しにあける),mordre dans une pomme(リンゴをかじる)にも適用される。これら の表現において,アクティブ・ゾーンは,それぞれ,息,鼻腔内の粘液,瓶の中身,歯である。
著者
平塚 徹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.46, pp.281-298, 2013-03

日本語の形容詞「近い」は,「X はY に近い」と「X はY から近い」の二つの構文を取る。 これに対して,反意語の「遠い」は,「X はY から遠い」という構文をとり,「X はY に遠い」 とは現代の通常の慣用では言わない。これらの構文を説明するために,以下の仮説を提案す る。【仮説1】「X はY に近い」という場合,X とY の間の距離が小さいという事態を,X が Y に接近するという認知的表示によって概念化している。【仮説2】「X はY から{近い/遠い}」 という場合には,認知的表示においてY からX まで仮想的な移動体が移動している。これら の仮説から例えば以下のようなデータが説明される。(a)海岸は僕の家{?に/から}近い。(b) 私たちはもうゴール{に/?から}近い。(c)ここ{? に/から}ゴールは近い。(d)正午{に / ? から}近い。(e)味はチーズ{に/ ? から}近い。
著者
平塚 徹
出版者
京都産業大学
雑誌
京都産業大学論集. 人文科学系列 (ISSN:02879727)
巻号頁・発行日
vol.48, pp.367-387, 2015-03

形容詞different はfrom と用いるのが規範的であり,また頻度も高い。しかし,実際には,than とも用いられ,またイギリス英語の場合にはto とも用いられることが知られている。つまり,差異の基準は,起点,比較の基準,着点として標示されうるのである。筆者が調査した範囲では,差異の基準の標示については,起点型(英語のdifferent from)と同伴型(日本語の「... と違う」)の言語が多い。比較型(英語のdifferent than)は通言語的に限定されている。着点型(英語のdifferent to)の言語はまれであり,しかも,形容詞において見られるのであり,動詞の場合には起点型になる傾向にある。 英語:different from/to .... に対して differ from ... スペイン語:diferente/distinto de/a ... に対して diferir de ... ウェールズ語:gwahanol i ... に対して gwahaniaethu oddi wrth ... この偏りを説明するために,以下の仮定をした。差異はメタファーにより距離として理解される。この距離を認識するために二つの操作のいずれかが行われる。(1)基準から遠い対象は,基準から離れていくものとして表示される。(2)対象と基準の間の距離が心的に走査される。走査の方向には,(a)基準から対象へという方向と,(b)その逆がある。(1)は,対象が動くものとして表示されているという意味で,より動態的であり,それゆえ動詞として語彙化されやすい。それに対して,(2)は,より静態的であり,形容詞として語彙化されやすい。起点型は,(1)によっても,(2a)によっても動機付けされるが,着点型は,(2b)によってしか動機付けされない。これにより,着点型が特に形容詞において見られ,動詞においては起点型になる傾向があることが説明される。
著者
平塚 徹
出版者
日本フランス語学会
雑誌
フランス語学研究 (ISSN:02868601)
巻号頁・発行日
vol.30, no.1, pp.27-33, 1996-06-01 (Released:2017-09-12)

Cette étude a pour but d'examiner, parmi les phrases du type <syntagme adjectival+copule+sujet>, celles où l'adjectif exprime la quantité, comme en (1), ou bien est au comparatif, comme en (2). (1) Nombreux sont les enfants qui croient au Père Noël. (2) La morphine est donc très dangereuse. Mais, plus dangereuse est l'héroïne: ... Pour le premier type de phrases, les adjectifs les plus usités sont nombreux, rare, et grand. Ces adjectifs de quantité expriment l'existence ou l'inexistence du référent du sujet, plutôt qu'ils n'apportent des informations sur ses propriétés, ce qui permet de paraphraser (1) par "De nombreux enfants croient au Père Noël." Ils peuvent donc servir à introduire le référent du sujet dans l'univers du discours. Pour le deuxième type, la propriété exprimée par l'adjectif est explicitement ou implicitement évoquée par le contexte précédent. L'attribut sert donc plus à présenter le référent du sujet, qu'à donner une information nouvelle sur celui-ci. Ces deux constructions ne peuvent se mettre à la forme négative, parce qu'elles auraient alors la structure informatique topic-comment, qui contredirait leur fonction de présentation. (3) *Nombreux ne sont pas ceux qui suivent le cours de linguistique. (4) L'héroïne est donc très dangereuse. *Mais, moins dangereuse n'est pas la cocaïne: ...
著者
平塚 徹
出版者
日本フランス語学会
雑誌
フランス語学研究 (ISSN:02868601)
巻号頁・発行日
vol.31, no.1, pp.27-33, 1997-06-01 (Released:2017-09-12)

Le présent article a pour but de mettre en lumière la fonction de deux constructions inversives de la phrase copulative : l'une du type <adjectif {exprimant la quantité/ au comparatif}+copule+sujet> (désignée ci-dessous par le terme de construction tripartite) et la seconde du type <copule+attribut+sujet> (désignée par le terme de construction bipartite). Comme l'a soutenu HIRATSUKA (1996), la construction tripartite a cette particularité qu'elle introduit le référent du sujet dans l'univers du discours. Par contre, la construction bipartite a pour fonction d'identifier l'objet possédant la propriété exprimée par l'attribut avec le référent du sujet. Cela résulte des observations suivantes. a) La construction tripartite ne peut se mettre à la forme négative, car cela entre en contradiction avec la fonction de présentation du sujet. Au contraire, la négation est possible dans la construction bipartite. b) La construction bipartite n'accepte pas les adjectifs exprimant la quantité ou un degré comparatif : ces attributs expriment une propriété trop vague pour que l'on puisse identifier l'objet qui possède celle-ci. c) Dans la construction bipartite, le sujet s'accompagne souvent du quantifieur universel tout. Mais, ce quantifieur est exclu de la construction tripartite, parce qu'il est incompatible avec la fonction de présentation. d) La construction bipartite admet une restriction portant sur le sujet, marquée par ne ... que ou seul. L'occurrence de telles expressions est compréhensible, car l'identification de l'objet possédant une propriété avec une chose, implique l'exclusion des autres. En revanche, les expressions de restriction ne sont pas acceptables dans la construction tripartite.
著者
平塚 徹
出版者
日本フランス語学会
雑誌
フランス語学研究 (ISSN:02868601)
巻号頁・発行日
no.44, pp.83-92, 2010-06-01

Dans les phrases du type "Ils ont transporte le blesse sur un brancard.", le syntagme prepositionnel peut s'interpreter comme complement d'instrument, bien qu'il s'agisse d'une preposition normalement consideree comme locative. Cette observation pourrait amener a penser que ce syntagme a un statut intermediaire entre le "lieu" et l'"instrument". Le present article montre cependant que ce syntagme prepositionnel en luimeme designe un lieu et que s'il peut s'interpreter comme complement d'instrument, c'est grace a une inference executee a partir des connaissances du monde en general. La relation d'un instrument de transport au proces de transport est constituee par deux aspects : (a) l'agent localise l'objet par rapport a l'instrument (b) l'agent manipule l'instrument pour transporter l'objet En francais, les prepositions locatives verbalisent l'aspect (a) en laissant l'aspect (b) a l'inference. En japonais, la particule (ou la postposition) "de" verbalise (a) en laissant (b) a l'inference.