著者
新谷 恭明
出版者
西南女学院大学
雑誌
西南女学院大学紀要 = Bulletin of Seinan Jo Gakuin University (ISSN:13426354)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.39-50, 2017-03-01

被差別部落は近世の「かわた」村を継承する身分差別であるというより、所謂解放令以降の歴史的経緯の中で近代に特有の被差別地域が構造的に生み出されたものが近代以降の部落差別である。それが近世と異なった形で具体的に現れるのは「スラム化」である。その「スラム化」された地域を呼称する「特殊部落」という用語が定着するのが明治40 年頃と説明される。そして「スラム化」を食い止めようとしたのが部落改善運動であった。福岡県教育会に於いて被差別部落の子どもたちに対する教育の必要性は提起されてはいたが、おりしも日露戦争後の地方改良運動に歩調を合わせるかのように宗像郡福間町の小学校による部落改善の活動が『福岡県教育会々報』誌上に掲載された。そしてこれがこの時期における唯一の報告であり、部落改善運動の実際を知る希少な史料であると言えよう。本稿ではこの報告書を翻刻し、解説を試みたい。
著者
藤岡 健太郎 新谷 恭明 折田 悦郎 永島 広紀 陳 昊 井上 美香子
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

帝国大学農科大学・農学部がどのように形成され、それぞれがどのように教育・研究活動を展開していたのかを解明することが本研究の目的であった。具体的な成果は以下の3点である。①学科・講座・附属施設の設置状況を中心とした帝国大学農学部の形成と展開の過程の解明。②4帝国大学農学部教官履歴データベースの作成と、それを用いた農学部教官人事の特徴の解明。③農学府附属演習林財政と帝国大学財政全体の関係性の解明。
著者
折田 悦郎 新谷 恭明 藤岡 健太郎 梶嶋 政司 永島 広紀 陳 昊 井上 美香子 横山 尊 市原 猛志 田中 千晴
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2009

戦前期の帝国大学(以下、帝大)のうち、法文学部が設置されたのは九州帝大と東北帝大だけであった。東京、京都の両帝大には、法学部、文学部、経済学の3学部が置かれ、一方、九州・東北帝大以降の北海道、大阪、名古屋の各帝大には、法文系学部は設置されなかった。このことは法文学部の存在そのものが、帝大史研究の中では一つの意味を持つことを示唆している。本研究は、このような法文学部について、九州帝大の事例を中心に考察したものである。
著者
神邊 靖光 生馬 寛信 新谷 恭明 竹下 喜久男 吉岡 栄 名倉 英三郎 橋本 昭彦 井原 政純 高木 靖文 阿部 崇慶 入江 宏
出版者
兵庫教育大学
雑誌
総合研究(A)
巻号頁・発行日
1988

幕末から明治維新を経て「学制」領布に至る間、幕藩体制下に設立された藩校と、明治初年の藩校・明治新政府の管轄下に設けられた諸学校と、の教育の目的・内容・方法の変化・相違点は学校の組織化にあるということを課題とし、この課題を実証的に解明すること、その過程に見出される教育の本質・属性の連続・非連続の問題も併せて考究することを意図してこの研究は進められた。藩校は江戸後期に急増するが、士道の振気と、藩財政の窮乏を打開するために儒教倫理にもとづく教育による人材の育成を目的として設立されたという点では、共通の課題を持っていた。しかし藩校の制度の定型はなく、また各藩の教育外条件は一様ではなかったので、250に及ぶ藩校は、250の様態をもっていた。更に洋学の受容、外圧という条件が加わると、学ぶべき洋学の選択、外圧の影響の強弱によって藩校は多様化を一層進めてゆくことになった。加えて幕末の国内情勢の二分化により、学校観も多様化した。幕末までの学校は、制度・組織を先例に倣って類似的に完結されていたが、外国の規制度に関する知識を直接に或は間接的に学ぶことによって、更に明治新政府の対藩政策によって学校改革の必要に迫られる。そのため伝統的な閉鎖的・個別的な性格から脱皮しなければならなくなり、自律的に或は他律的に共通性をもった相似的なものへと変化していった。このような経緯・動向が「学制」に示された、組織化を推進しようとする学校制度の実施を容易ならしめたのである。本研究は藩校教育を核として、幕末維新期の教育の各領域における組織化の過程を今後も継続してい くことになっている。平成2年3月、3年3月に、幕末維新期の学校調査、昌平坂学問所、5藩校、郷学校、数学教育、医学教育、お雇い教師に関する11編の報告を発表した。平成4年には、藩校、儒学教育、数学教育、芸道教育に関する報告をおこなう。