著者
木村 直弘 KIMURA Naohiro
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.9, pp.9-44, 2010

戦後日本を代表する作曲家・武満徹は,世阿弥能《井筒》についてのエッセイで次のように述べている。「井筒」は,穏やかな構成の中に凛とした品位を具えている。作能上の様様な手段(てだて),例えば綴織のように,地に豊かな陰翳をもたらしている縁語や音韻の懸かりことばの眩くまでの多用は,たんに情景や心理の表面的な修辞に留まってはいない。それらの書かれたことばが音(おん)として顕わすものは,限定された意味世界を超えている。~(中略)~音(おん)の多様さが意味の多義性と相俟って,観衆(聴衆)に異常な力で働きかけてくる。外へ拡散(逸脱)する力と,内へ向かう求心的な力,その相互に反する力が作用する場こそ劇的空間と謂うものであろう。~(中略)~「井筒」は無限の読まれ方(観かた,聴きかた,感じかた)を諾(ゆる)している。(1)「無限の読まれ方」を可能にしている一因は,まさに「縁語や音韻の懸かりことばの眩くまでの多用」であることは言を俟たない。まさに綴織のように,幾重にも張りめぐらされたその糸の複雑なテクスチュアから成るテクストは,いわばハイパーテキストであり,音から音へと進行するにつれて,そのハイパーリンクは膨れあがる。ウェブサイトであれば,そうしたリンクは一対一であるが,ここでは音を共有する語が単純であればあるほど,その多義性は増し,多様な読みを可能にする。能楽師(ワキ方)安田登は,こうした途切れず繋がる音の連鎖,すなわち「掛詞による無限連鎖文章作法」を,総合芸術作品としての「楽劇 Musikdrama」を創始した作曲家リヒャルト・ヴァーグナーの作曲技法「無限旋律」に喩えている2。たとえば,《井筒》の「互に影を水鏡」であれば,「水」の「み」が前の語「影」を目的語として受ける述語「見」と,後の語「鏡」と結合して名詞を形成する「水」の掛詞となる。西洋音楽の用語で喩えれば,掛詞は,転調の軸となる和音=ピヴォット・コードpivot chord として機能しているが,能ではカデンツ的「解決」は先延ばしにされ続ける。さらにヴァーグナーの作曲技法に喩えれば,掛詞の作用は「示導動機 Leitmotiv」的機能をも有しているとも謂えよう。ただしヴァーグナーのライトモティーフは,ハイパーリンクと同様「示導」する対象が一対一であるのに対して,掛詞はリンク多様な広がりの可能性を胚胎している。
著者
木村 直弘 KIMURA Naohiro
出版者
岩手大学教育学部
雑誌
岩手大学教育学部研究年報 (ISSN:03677370)
巻号頁・発行日
vol.68, pp.81-106, 2009-02-28

日韓文化の比較研究で知られる李御寧イオリョンは、日本語について次のように指摘している。 ごく日常的な言葉でも、日本語を習う時にいつも苦労するのは、日本語はあまりに厚化粧していて素顔の意味が隠されていることだ。要するに、言葉の表と裏のズレである。激しい場合には、言葉自体の意味とそれが示していることが、まるっきり反対のことがあるからである(1)。 韓国語ではなるべく事実を「包み」込まないで伝えようとするのに対し、日本語の場合、物事を示すというよりはそれを「包む」といった感覚が強いと主張する李は、この相違の由来を日本における「包み文化」と「奥の美学」に措定する。「隠すことによってその特性をあらわす」前者は必ずしも日本の専売特許ではなくアジア一般に見られる特徴でもあるが、特に日本の場合、それは「形式論理では割り切れないパラドックスを生かした文化(2)」として特徴づけられる。「包む」ことによって「奥」を創出する後者も同様であり、「包むことによって、奥に隠すことによって、そして逆に心が表にあらわれるパラドックス(3)」の上に成り立っている。そして、それは「日本人らしさ」の要因のようにみなされている「慎ましさ」(「包む」=「慎む」)や「奥床しさ」が根差す文化的基底と言いうる。 前稿(4)では、喪葬という霊魂にかかわる両義的時空間に介在する哭声とその騒音性に着目し、そこに付された儀礼的機能の変遷に焦点をあてて論じたが、「つつみ隠す」という国風文化的心性と古代以来の「言霊思想」や、竹筒に通ずる「つつむ」構造を持った鼓つづみについての考察を割愛せざるをえなかった。そこで、この小論では前稿を補足するものとして、慎つつむ=「包む」というすぐれて日本的な表現方法について、楽器の象徴論や、「ツツミ」に関連する「ウツ」「コト」といった言葉の意味論、そしてそこに看取できる境界的な可逆性、往還性といった視座から光をあてることを目的としている。
著者
木村 直弘
出版者
岩手大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2001

これまでの思想史的研究の成果をふまえ、Energetik的音楽理論が演奏実践へ及ぼした影響と当時の「線的志向」との相関関係にアプローチした。Energetikerの一人クルトの造語である「線的対位法」という術語は、最終的に、ロマン派的和声を克服するものとして「新音楽」あるいは「新即物主義」から重宝され、「線」という語は1920年代のスローガンにまでなったが、注意しなければならないのは、シェンカーら調性音楽に依拠したEnergetikerたちも、この「新即物主義者」の作曲家や演奏家たち同様「線への志向」=対位法的思考重視という結論に至ったことである。実はこうした対立関係は、調性音楽を擁護しシェンカーと逆にそれを否定したシェーンベルクの各々の『和声論』での論争にもみられるが、彼らは結局同根であった。それは、シェーンベルクに傾倒したグールドの演奏美学に、シェンカーの演奏技法論と通ずる点が多いことからもわかる。まさにシェーンベルクの12音技法の目的が結局調性音楽の完全否定ではなくその継承にあったのと同様に、グールドの演奏における対位法的志向は、ゲーテの有機体美学に根ざしたシェンカーに通底する、(シュナーベル経由の)非常に19世紀的な自律的音楽作品観へのオマージュになっている。同様に、「ロマン的解釈」の指揮者として語られることが多くシェンカーに熱心に師事していたフルトヴェングラーの演奏は生演奏で最大限の効果を発揮するので、演奏会を否定し録音した多数のテイクからの継ぎ接ぎをいとわなかったグールドのそれとは、まったく相容れないように思えるが、やはり楽曲の、「構造」に分析的に肉薄するという姿勢は通底しており、それは結局対位法的思考の重視へと必然的に帰結した。シェンカーやクルトの的音楽理論は戦後、音楽記号論へ大きな影響を及ぼしたが、音楽記号学者がグールドの演奏分析を好んで行うのも、実はここに一因があると言いうる。
著者
木村 直弘 KIMURA Naohiro
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.115-136, 2015-03-01 (Released:2016-05-17)

宮崎駿と並ぶ日本アニメ映画界の「レジェンド」で1998年には紫綬褒章を受章し,2015年には『かぐや姫の物語』で第87回アカデミー賞長編アニメーション部門にもノミネートされるなど今日国際的な評価を得ている高畑勲監督(1935年生)は,2014年10月,NHKテレビのインタビュー(1)で,宮澤賢治作品をアニメ化することについて問われた際,「僕にとっては,畏れ多い」と答えている。以前,5年の月日を費やしてアニメ映画『セロ弾きのゴーシュ』を自主制作したこともある高畑に賢治作品への畏敬の念が本当にあったかどうかについてはさて措き(2),賢治作品について高畑がこのようなイメージをもつに至ったのは,1939年,賢治没後初めて出版された子ども向け童話集『風の又三郎』(坪田譲治解説,小穴隆一画,羽田書店)を読んだという彼の最初の賢治体験に依るところが大きい。羽田書店は,この前年,賢治の盛岡高等農林学校時代の後輩でその思想に多いに影響を受け農村劇活動などを実践した松田甚次郎の『土に叫ぶ』を刊行し,ベストセラーになった。同店はその余勢を駆って,松田編の『宮澤賢治名作選』を1939年3月に刊行,これが賢治の童話作家としての名声が広まる大きなきっかけとなったことはよく知られている。このいわば大人向けの選集の好評を受け,さらに同年12月に子ども向けとして刊行されたのが童話6編を収めた前掲『風の又三郎』で,当時文部省推薦図書指定を受け,これも多くの子どもたちに読まれた。さらに,翌1940年10月には,日活によって映画化された『風の又三郎』(監督:島耕二)が公開され,「はじめての児童映画の誕生」ともてはやされ「文部省推薦映画」となり,映画文部大臣賞を受賞,宮澤賢治の名は人口に膾炙することになる。同年,小学校三年生の時に故郷岡崎で観たこの映画や小学校六年生の時に読んだ〈銀河鉄道の夜〉の「すごくメタリックに光る,キラキラした印象」(3)をもとに,名実ともに「一大交響楽」(4)を作曲したのが,高畑より3歳年上のもう一人の「勲」,すなわち,数多くの映画音楽やテレビ番組の音楽を手がけ,またシンセサイザー音楽で世界的に評価されている作曲家・冨田勲(賢治没年の前年である1932年生)である。

1 0 0 0 IR Energetik再考

著者
木村 直弘
出版者
関西学院大学
雑誌
人文論究 (ISSN:02866773)
巻号頁・発行日
vol.39, no.1, pp.45-56, 1989-06