著者
山本 裕之 小寺 香奈 YAMAMOTO Hiroyuki KOTERA Kana
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.8, pp.67-80, 2009

1920年代にC.アイヴズ、A.ハーバらによって実践された4分音などの微分音は、その後のヨーロッパ音楽において現代的奏法の中でも重要項目として扱われてきた。彼らが微分音に挑戦した当時のヨーロッパは平均律(12等分平均律)の概念が席巻して既に久しい。かつてのヨーロッパで長期にわたって繰り広げられてきた音律論争において、それぞれの音律の間に存在した非常に小さなどツチ(音高)の差は、19世紀という様々な調性を用いた時代の要請に応えて12等分平均律という画期的な妥協案に収れんした。西洋音楽文化の外にある各民族音楽の音律を除外して考えれば、微分音とはいったん世界標準として目盛りが敷かれた平均律からあらためて外れたピッチ、または音程のことを指す。 とはいえ、オルガンのように一度調律したらそうたやすくは調律が崩れないような楽器はわずかであり、それどころか多くの楽器では奏者がその場で随時楽器のピッチをコントロールしながら演奏する。19世紀に作られたキーをたくさん持つ木管楽器や、H.シュトルツェルなどが発明したヴアルヴをもつ金管楽器群は、それ以前の楽器に比べて格段に多くのピッチを安定させながら自在に鳴らせるように設計されている。が、その中で奏者はさらに楽器の精度と共に自らの耳と発音テクニックによって出来るだけ「正しい」ピッチを作り出そうと技術を磨いた。しかし実際の演奏では厳格に正しく、19世紀以降の「半音階の分かりやすい知的モデル」である平均律に即した音律で演奏されるわけではない。音楽のイントネーションに合わせて、あるいは奏者や楽器自体のコンディションに即して、平均律から大きく外れないピッチを作りながら演奏されるのが常である。したがって、例えばある音が僅かに数セントの単位で平均律からずれたからといってもそれは「ある音」の範囲を越えず、微分音の概念で語られるわけではない。 つまりこれらのような木・金管楽器は、音楽的内容に即して随時平均律から逸脱して演奏されることを前提としながらも、平均律を原則として作られている。したがって、そのような楽器であえて微分音を作り出すことは矛盾であるが、楽器の構造上は不可能ではない。すなわち、楽器はそのように作られてはいないが不可能ではないのである。 20世紀後半になって微分音が作品の中で頻繁に使われ始めると、各楽器の現代奏法を解説する書物には必ずといってよいほど微分音の運指表が掲載されるようになった。特に木管楽器の書物では多くのキーの組み合わせによって膨大な微分音の可能性が提示されている。金管楽器においては、楽器の機構上木管楽器のように膨大な微分音が作り出せるわけではないが、それでも実用的な量は作り出せる。しかしそのための資料が木管楽器ほど多いわけではない。そこで本稿では、金管楽器の中でも特に現代奏法に関する資料がほとんど書かれていないユーフォニアムにおいて、これまで存在しなかったこの楽器のための汎用的な微分音スケールを提示することを目的とした。
著者
阿久津 洋巳 浅野 壮志 AKUTSU Hiromi ASANO Takeshi
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.9, pp.65-71, 2010

現代社会に生活する多くの人は,1週間を一つの周期としている.この周期は「日曜日が好きだ」とか「月曜日は嫌いだ」という大まかな曜日の好き嫌いに現れたり,曜日ごとに様々に変動する感情をもたらす.ポジティブ感情(PA)とネガティブ感情(NA)は,曜日ごとに変動することが知られており,この変動は「曜日の効果」と呼ばれることもある.「曜日の効果」に関する先行研究は,活性化したPA と「快感情(Pleasant affect)」を区別する必要があることを明らかにしている(Egloff,Tausch,Kohlmann & Krohne, 1995).活性化したPA(以下単にPA とよぶ)は覚醒感をともなっているが,一方,快感情は高い活性状態をともなっておらず,「幸せ」や「うれしい」のような穏やかで持続的な気持ちを含んでいる.活性化したネガティブ感情,つまり緊張や不安といった気持ちを含むNA(以下単にNA とよぶ)と,悲しみや不幸といった気持ちを含む「unpleasant affect(不快感情)」についてもPA と同様のことが言える.
著者
木村 直弘 KIMURA Naohiro
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.14, pp.115-136, 2015

宮崎駿と並ぶ日本アニメ映画界の「レジェンド」で1998年には紫綬褒章を受章し,2015年には『かぐや姫の物語』で第87回アカデミー賞長編アニメーション部門にもノミネートされるなど今日国際的な評価を得ている高畑勲監督(1935年生)は,2014年10月,NHKテレビのインタビュー(1)で,宮澤賢治作品をアニメ化することについて問われた際,「僕にとっては,畏れ多い」と答えている。以前,5年の月日を費やしてアニメ映画『セロ弾きのゴーシュ』を自主制作したこともある高畑に賢治作品への畏敬の念が本当にあったかどうかについてはさて措き(2),賢治作品について高畑がこのようなイメージをもつに至ったのは,1939年,賢治没後初めて出版された子ども向け童話集『風の又三郎』(坪田譲治解説,小穴隆一画,羽田書店)を読んだという彼の最初の賢治体験に依るところが大きい。羽田書店は,この前年,賢治の盛岡高等農林学校時代の後輩でその思想に多いに影響を受け農村劇活動などを実践した松田甚次郎の『土に叫ぶ』を刊行し,ベストセラーになった。同店はその余勢を駆って,松田編の『宮澤賢治名作選』を1939年3月に刊行,これが賢治の童話作家としての名声が広まる大きなきっかけとなったことはよく知られている。このいわば大人向けの選集の好評を受け,さらに同年12月に子ども向けとして刊行されたのが童話6編を収めた前掲『風の又三郎』で,当時文部省推薦図書指定を受け,これも多くの子どもたちに読まれた。さらに,翌1940年10月には,日活によって映画化された『風の又三郎』(監督:島耕二)が公開され,「はじめての児童映画の誕生」ともてはやされ「文部省推薦映画」となり,映画文部大臣賞を受賞,宮澤賢治の名は人口に膾炙することになる。同年,小学校三年生の時に故郷岡崎で観たこの映画や小学校六年生の時に読んだ〈銀河鉄道の夜〉の「すごくメタリックに光る,キラキラした印象」(3)をもとに,名実ともに「一大交響楽」(4)を作曲したのが,高畑より3歳年上のもう一人の「勲」,すなわち,数多くの映画音楽やテレビ番組の音楽を手がけ,またシンセサイザー音楽で世界的に評価されている作曲家・冨田勲(賢治没年の前年である1932年生)である。
著者
大宮 卓 小野 智子 菅原 正和 OMIYA Takushi ONO Chieko SUGAWARA Masakazu
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
vol.11, pp.99-109, 2012-03-31

茶道の歴史は長く、古くは奈良時代にまでさかのぼる。茶ははじめ、薬用として用いられたが、時代が変わると、茶を飲用だけに使うのではなく、作法と茶の精神を合わせた「茶の湯」となった。これが現代で言う茶道である。茶道の精神は「和敬清寂」にあらわされ、和して敬い合い、清らかな心を持ち、不動の精神と心を持つことによって、何事にも動じない、どんなことにもゆとりを持つだけの心の広さが生じることを指向する。そして、日常の喧騒と雑事から一時離れ、ささやかな、いっぷくのお茶をとおして"well-being"たらんとする。本研究の目的は長年茶道をたしなんできた人々(SV)と、茶道部学生(GS)、一般学生(CS)のSWB 並びにその下位6因子の相違を探求することにより、茶道が有するSWB(Subjective Wellbeing)への影響を明らかにしようとすることであった。分析の結果、SWB に影響を与える要因は加齢と茶道歴の双方であり、加齢と茶道歴のどちらか片方のみでは、SWB に影響を与えることがないことが明らかとなった。
著者
藤井 義久 FUJII Yoshihisa
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.13, pp.253-263, 2014

内閣府(2013)の調査によれば,我が国における交通事故発生件数は,平成24年度,66万5,138件で,前年度よりも2万6,918名,率にして3.9%減で,8年連続で減少している。それに関連して,我が国における交通事故死者数も,平成24年度,4411名で,前年度よりも201名,率にして4.4%減で,12年連続で減少している。すでに明らかになっている全国の交通事故発生件数及び交通事故死者数だけから見れば,警視庁を初めとする関係諸機関が交通安全計画に基づく諸対策を総合的に推進してきた効果が着実に上がってきていると言える。しかし,その一方で,昨今,通学中の児童の列に車が突っ込んで多数の死傷者を出した交通事故なども連続して発生してきており,ドライバーの不注意によって尊い命が多数失われる極めて重大な交通事故が後を絶たない状況である。 そのような交通事故が発生する原因について,Shinar(1985)は,自動車や道路そのものに問題があり発生している交通事故は少数であり,多くは運転者に起因していると述べている。さらに,小林・相部(1980)によれば,交通事故における人間要因の占める割合は,多くの分析において80%を超えていると報告している。そうしたドライバー自身のヒューマンエラーをどう防ぐかが,我が国における交通事故発生件数をさらに減らすためにも,今後ますます重要な課題になってくると考えられる。 そうしたヒューマンエラーの発生に個人の感情が大きく関与していることは,多くの研究から明らかになってきている。例えば、羽石・上野・西川(1983)は,情緒が安定し,社会適応性の高い人ほど安全運転をしていることを明らかにしている。Broadbent et al.(1982)や山田(1991)は,ネガテイブ感情とエラー発生頻度との間に正の関連を見いだしている。また,澤(1997)は,感情が極端化することによって,ドライバーは危険な運転態度に陥り,それがある種の思い込みを生じさせたり,人間が持っている自動車の操作能力の限界を超えさせてしまうために交通事故が起こると指摘している。また,三隅・丸山・正田(1988)は,交通事故者の特徴を"情緒安定性","自己中心性","衝動性"という3つの特性で概ね整理できるとしている。さらに,松永(1985)は,強い焦燥的性格を持つ運転者には事故経験者の多いことを明らかにしている。これらの研究から,交通事故の発生と運転中におけるドライバーの感情とは密接に関連しているものと考えられる。従って,警察庁交通局(1992)の運転者教育の提言において述べられているように,交通事故の発生を減らすために,運転者教育の中で,運転時における心の抑制に関する教育訓練を積極的に行っていかなければならないと考えられる。そのためにも,運転中におけるドライバーの感情に焦点を当てた研究を行っていく必要があるが,そうした研究は極めて少ないのが現状である。そのような現状の中で,丸山(1995)は,交通事故を起こしやすい人の特性の1つとして,一時的な興奮が抑えられない衝動的な傾向である"かっとなる特性"を挙げている。 そこで,本研究では,交通事故発生とも密接に関連していると考えられる運転中の怒り感情とその対処行動について分析することを通して,どうすれば運転中の怒り感情を減らし,交通事故を未然に防ぐことが出来るのか,検討することにした。
著者
木村 直弘 KIMURA Naohiro
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.15, pp.131-160, 2016-03

2015年春,再び「世界のTOMITA」がクローズ・アップされた。4月23日から5月30日の約一ヶ月間に世界25カ国から42の芸術団体や104のバンド他が北京を訪れ,室内,野外,合わせて計150ステージが上演される第15回北京国際芸術祭「相約北京」(「北京で会いましょう」の意。中国文化省,国家報道出版ラジオ映画総局,北京市人民政府による共同主催の,春季開催としてはアジア最大級の国際アート・フェスティヴァル)に,冨田勲作曲の《イーハトーヴ交響曲》が,日本から唯一招待されたプログラムとして,5月20日に北京世紀劇院で河合尚市指揮による中国中央音楽院のオーケストラ「EOS交響文献楽団」と岩手県人を中心とした合唱団「混声合唱団IHATOV FRIENDS」およびCGアーティストKAGAYAによって中国初演され,会場を埋めた1700人の聴衆から大好評を博したのである(1)。1974年には米国RCAから発売されたレコード(国内への逆輸入アルバム名『月の光――ドビッシーによるメルヘンの世界』)が日本人によるものとしては初めてグラミー賞にノミネートされ,翌年には次作アルバム『展覧会の絵』がビルボード・キャッシュボックスの全米クラシック・チャートの第一位を獲得して,作曲家冨田勲はシンセサイザー音楽の分野で一躍「世界のTOMITA」となった。さらに冨田は,1980年代には,世界平和の希求をコンセプトに,オーストリアのドナウ川で「宇宙讃歌」(1984年),米国のハドソン川で「地球讃歌」(1986年)と銘打たれた,超立体音響「TOMITA Sound Cloud」による壮大な野外イヴェントを成功させ,また,1998年には日本の伝統楽器,オーケストラ,シンセサイザーを融合させた《源氏物語幻想交響絵巻》をロサンゼルス,ロンドンで上演するなど,世界的に活躍してきた。そして,こうしたこれまでの国際的な活躍に対して,Japan Foundationによる平成27(2015)年度国際交流基金賞が,「~(前略)~近年は宮沢賢治の世界を描いた「イーハトーヴ交響曲」において,全世界の若者たちに絶大な人気を誇るボーカロイド(ヴァーチャル・アイドル・シンガー)の初音ミクをソリストに起用して話題を集め,今年5月には中国政府からの要請で「イーハトーヴ交響曲」北京公演を大成功させるなど,83歳を迎えてなお,日本文化紹介と国際相互理解の増進に大いに貢献し続けている」その「功績を称え,今後益々の活躍を期待」して,2015年8月27日に冨田に授与されている(2)。しかし,冨田が齢80を越えてから再び世界的に注目を集めたこの《イーハトーヴ交響曲》が,ヴァーチャル・アイドル・シンガー「初音ミク」をフィーチャーしてはいるものの,基本的には,同じく世界平和と希求したベートーヴェンの交響曲,特に《第九交響曲》以降,クラシック音楽の王道的ジャンルとなった「交響曲」であることは看過されてはならない。筆者はすでにこの「交響曲」に取材した2本の論考(3)で,宮澤賢治におけるベートーヴェン《第九交響曲》のいわゆる〈歓喜の歌〉からの影響について指摘してきたが,本稿は,いわば《イーハトーヴ交響曲》に関する拙論三部作の締めくくりとして,これまでその意味について言及してこなかった,いわばこの曲の構成原理とも言える音楽引用の問題について考察する。音楽における引用の問題については数多くの先行研究があるが,この交響曲はそうした先行研究の射程では捉えきれない内容をもつ。そこで,本稿では,改めて「ノスタルジア」という視点を設定し,それらが音楽引用という構成原理によっていかにこの交響曲で効果的に機能しているかを捉え直すことによって,この交響曲だけでなく,本家本元の宮澤賢治作品についての新しい視角をも提示することを目的としている。
著者
安川 洋生 正宗 行人 YASUKAWA Hiro MASAMUNE Yukito
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
vol.14, pp.109-113, 2015-03-01

「イオン」に関しては中学校の理科で学習する.その際,「電気分解」や「電気泳動」を例にあげながら「化学」の一項目として学ぶ.「電気分解」も「電気泳動」も日常で接することはほとんどなく,生徒を含め一般の人たちが日常で化学に関連して「イオン」を想起するのは乾電池を手にした時くらいかもしれない.一方で「イオン」という単語自体は幾つかのスポーツ飲料等のラベルに表記されているので多くの人に馴染みがあるであろう.運動や,夏季の発汗による脱水症状を防ぐために水分補給が推奨されているが,その際に「イオン」と関連付けて説明されることがある.また,生活習慣病予防の観点から塩分の摂り過ぎに注意するよう喚起されているが,この場合も「イオン」との関連で説明されることがある.「イオン」は,実は生物にとって極めて重要な因子であるが,それについて学ぶのは高校の生物においてである.しかし残念なことに,細胞の内外でカリウムイオン(K+) とナトリウムイオン(Na+)の濃度が異なっていることと,それが神経細胞にとって重要な役割を果たしていること,に関して僅かに説明される程度である.そもそも細胞の内外でK+とNa+の濃度が異なっている必然性については何らの考察もない.学校における「生物」という科目を「暗記するだけの科目」と考えている生徒も多いようであるが,「生物」は「物理」と「化学」を基盤とした総合分野であり,生徒には「知識を総動員して考えぬく科目」として認識をしてもらいたい.本稿では,細胞膜をはさんだK+とNa+の濃度差の重要性を概説し,教科書には触れられていない濃度勾配の必然性について考察する.
著者
中村 好則
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 = The journal of Clinical Research Center for Child Development and Educational Practices (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
vol.15, pp.79-88, 2016-03-31

近年,知識基盤社会や少子高齢化,高度情報化,国際化の進展など,変化の激しい時代を迎え,日本も多くの課題を抱えている。そのような変化の激しい時代に主体的に生きる子供たちを育てる教育の実現が喫緊の課題とされている。そうしたなか,平成26年12月に中央教育審議会が「子供の発達や学習者の意欲・能力等に応じた柔軟かつ効果的な教育システムの構築について(答申)」を公表した。答申では「そうした教育の実現に資するよう,学校制度を子供の発達や学習者の意欲・能力等に応じた柔軟かつ効果的なものとすることで,制度の選択肢を広げること(p.1)」を提言している。具体的には,小中一貫教育の制度化である。さらにその答申では,小中一貫教育の取組は全国的に広がり,今後さらなる増加が見込まれること(p.7)が述べられている。しかし,小中一貫教育を推進するに当たり,算数数学の指導ではどうあればいいのかは具体的には述べられていない。算数数学は,学習内容の系統性が強い教科であるとともに,小学校算数から中学校数学への変化が大きく「中1ギャップ」を起こしやすい教科とも言われ(川上2010),小中一貫教育においては最も検討が必要な教科と考えられる。小中一貫教育等についての実態調査(文部科学省2015)では,小中連携教育を「小・中学校が互いに情報交換や交流を行うことを通じて,小学校教育から中学校教育への円滑な接続を目指す様々な教育」,小中一貫教育を「小中連携教育のうち,小・中学校が子供像を共有し,9年間を通じた教育課程を編成し,系統的な教育を目指す教育」と定義している。つまり,小中一貫教育は,小中連携教育に含まれると考えられる。そこで,本論では,小中連携教育という大きな枠組みの中で,算数数学の指導はどうあればよいかを検討することとする。特に,小中連携における学習系統を捉えた算数数学指導とその留意点について考察することを目的とする。そのために,まず,全国学力・状況調査の結果から学習系統を捉えた指導について考える際に考慮すべき点を考察する第2章)。次に,先行研究をもとに学習系統を捉えた指導とはどのような指導であるかを明らかにする(第3章)。さらに,前節までの考察結果と教科書や学習指導要領の記述内容から,学習系統を捉えた指導において概念や意味などが拡張される場面等を具体的に検討する(第4章)。最後に,小中連携における学習系統を捉えた指導とその留意点をまとめ,今後の課題を述べる(第5章)。
著者
田代 高章 八重樫 一矢 TASHIRO Takaaki YAEGASHI Kazuya
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.8, pp.17-36, 2009
被引用文献数
1

今日、いじめ、不登校、暴力行為、薬物乱用、高校中退など、いわゆる学校不適応とされる問題行動は後を絶たない。文部科学省をはじめ各都道府県教育委員会、各学校などでは、これらの問題行動の実態の把握と、それへの様々な対応に追われている。 対応のあり方としては、近年の少年法改正による厳罰化の動きとも関連して、アメリカのゼロ・トレランス(zerotolerance)の発想をわが国にも応用しようという動きもみられる。 もちろん、一方で、個々の子どもに対するカウンセリングマインドに依拠した対応の必要性も主張される。また、わが国では、教師による子ども理解と信頼関係の構築を基本としつつ、子ども集団の関係を異質協同の自治的関係へと変容させようとする、学級集団づくり・子ども集団づくりといった「生活指導」理論と実践の蓄積もある。さらに、ゼロ・トレランスとしての厳罰主義の動きを批判する見解もある。 近年の毅然たる対応、罰則基準の明確化と周知徹底、罰則に基づく厳しい懲戒といった動向のなかで、暴力行為や中退者など多くの問題を抱える高校現場の実態はどうか、特に定時制高校での実態について、岩手県のケースを参考にしつつ、徒指導についての今日の考え方を概観し、問題行動の現状とそれへの指導の方向性について、考えてみたい。
著者
大鷹 円美 菅原 正和 熊谷 賢 Ohtaka Marumi Sugawara Masakazu Kumagai Satoshi
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.8, pp.119-129, 2009

近年,我が国においては少子化と核家族化が進み,急激に人間関係は希薄化している。物が溢れている反面,子どもたちの対人関係能力やソーシャルスキルを育むことが困難になっている。不登校,ひきこもり,いじめ等の増加に歯止めがかからず家庭の中でさえ個室化し,地域社会ではお互いを知らず孤独である。親の養育力の低下に伴い,養育態度は二極化して,放任又は過保護・過干渉といった養育態度が問題となっている。一般的に,子どもが生まれて初めてこの世で出会い強い杵を形成する相手は母親およびその家族であり,家族は子どもの社会化の最初の大切な担い手となる。子どもはそのプロセスの中でソーシャルスキルを獲得していくが,特に母親がどのような養育態度で育てるかは,スキル獲得に強い影響を及ぼす。 戸ケ崎ら(1997)は,母親の拒否的な養育態度は,子どものソーシャルスキルの獲得を低くすることを報告し,Hoffman(1963)は,罪や脅しを用いて社会的行動をとらせようとする養育態度は子どもに恐怖心や怒りを引き起こし,向社会的行動を育てないと報告している。生まれてまもない乳児の行動にも様々な特徴的個人差が見られ,またそれらは乳幼児期以降も一貫性を持つことが明らかにされている(三宅,1983;Rutter,1987こうした乳幼児期の個人的特性を,HtemperamentHという概念で捉え直し,子どもの環境-の適応や対人行動の発達,愛着形成,人格形成等との相互作用を追求する研究が盛んになってきている。Temperamentに関する研究において,Thomasとchessらは9年間にわたる縦断研究HNewYorkLongitudinalStudyHにより,多くの子どもたちが元来持っていた気質的特長は何年も変わらずに残っていると結論づけた。彼らは環境要因だけでは子どもの行動障害の発生を説明しきれないとして,個人差要因の可能性を示唆し9つの気質カテゴリーを見出した(Thomas&Chess,1986)。Cloninnger(1993)らは,1988年,自ら開発した自己記入式質問紙TridimensionalPersonalityQuestionnaire(TPQ)(Cloninger,1987)を更に発展させ,TemperamentandCharacter\Inventory・(TCI)を開発した。cloninrerの気質と性格の7次元モデルにおける気質とは遺伝性であり,主として幼児期に顕われ,認知記憶や習慣形成の際に本人の意思とは無関係に行動に影響を与えるとされている。母子関係においても母からの一方的な働きかけだけではなく子どもからの積極的働きかけが関係しており,母子の相互交流が形成されることが明らかになった。村井(2002)は,子どもの問題行動が(母親の現実的育児態度ではなく)「子どもからみた親の態度」と関係していることを指摘している。子どもの気質が母親の行動特性の変化と養育態度に及ぼす影響について森下(2006)は,男児と女児では母親に及ぼす影響が異なり,男児より女児の方が影響力が強いことを報告している。次に親の養育態度研究において看過できない要因の中に,ⅠnternalWorkingModel(以下IWM)がある。Bowlby(1969,1973,1980)によると,ⅠWは,乳幼児期,児童期および思春期という重要な発達過程において徐々に形成され,少なくとも15歳までは可塑性は継続し,その後生涯を通して比較的変化は少なく持続する傾向があると考えられている。数井・遠藤(2000)は,日本人母子を研究対象として,親の愛着が子の愛着にどのように影響を及ぼすかという注目すべき愛着の世代伝達を調べた。その結果,自立・安定型の母親の子どもは,不安定型の母親の子どもよりも愛着安定性が高いことと,相互作用や情動制御においてポジティブな傾向が高くなるという世代間伝達傾向の存在を報告している。金政(2007)は,青年期をむかえた子どもと母親双方の愛着スタイルを検討した結果,母親の愛着スタイル-母親の養育態度の認知-子どもによる母親の養育態度の認知-千どもの愛着スタイルというプロセスを辿って愛着の世代間伝達が起こり得るとしている。養育の送り手と受け手が変わったとしても,愛着スタイルと養育態度との関連性が変化することなく,つまり養育の受け手である子どもが,親となった際に,自身が親から受けた養育態度の認知によって形成された愛着スタイルが自身の子どもに対する養育態度に同様の形での愛着の伝達が継承されていくと報告している。 IWM のタイプについてはAinsworthら(1978,1991)により,乳幼児期の愛着パターンを安定型(secure),アンビバレント型(ambivalent),回避壁(avoidant)の3タイプに分類され,その後の対人関係のスタイルやパーソナリティの形成に影響していくと考えられている。Hazan,C.とshaver,p.(1987)は,現在の自己にあてはまる愛着の分類と想起した過去の愛着の質との関わりは,現在の対人関係スタイルや社会的適応性との関連性があることを指摘している。IWM とソーシャルスキルの研究において,相谷ら(2000)はsecure得点が高いものはソーシャルスキルが高くなり,ambivalent且つavoidant得点の高いものはソーシャルスキルが低くなると報告している。三浦(2003)は子どものIWM の安定性が学校適応に影響を及ぼし,また養育者からの暖かい指示(情緒的指示)を高く認知する子どもは社会的ルールを受け入れやすくなることから,IWM は学校適応にも影響を及ぼすとしている。ソーシャルスキルに影響を及ぼしていると思われる要因に養育態度がある。戸ケ崎(1997)の研究では,母親の養育態度一家庭におけるソーシャルスキル-学校における社会的ソーシャルスキル-クラス内地位というモデルが探索的に支持された。 かくして,気質・養育態度・IWM ・ソーシャルスキル等に関する研究は個々になされているが,気質・養育態度・IWM ・ソーシャルスキルの因果関係を総体的に明らかにした研究は皆無に等しい。そこで本研究は,中学生・大学生を調査対象に社会化の最小単位と考えられる母子関係に注目して,生得的であるといわれる気質に焦点をあて,「損害回避」と「中学生・大学生から見た二極化した極端な養育態度」「IWM」の構造を明らかにし,如何なる要因が「ソーシャルスキル」の低下に影響を与えるかを共分散構造分析のモデリングによって解明しようとする。
著者
木村 直弘 KIMURA Naohiro
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.15, pp.131-160, 2016-03

2015年春,再び「世界のTOMITA」がクローズ・アップされた。4月23日から5月30日の約一ヶ月間に世界25カ国から42の芸術団体や104のバンド他が北京を訪れ,室内,野外,合わせて計150ステージが上演される第15回北京国際芸術祭「相約北京」(「北京で会いましょう」の意。中国文化省,国家報道出版ラジオ映画総局,北京市人民政府による共同主催の,春季開催としてはアジア最大級の国際アート・フェスティヴァル)に,冨田勲作曲の《イーハトーヴ交響曲》が,日本から唯一招待されたプログラムとして,5月20日に北京世紀劇院で河合尚市指揮による中国中央音楽院のオーケストラ「EOS交響文献楽団」と岩手県人を中心とした合唱団「混声合唱団IHATOV FRIENDS」およびCGアーティストKAGAYAによって中国初演され,会場を埋めた1700人の聴衆から大好評を博したのである(1)。1974年には米国RCAから発売されたレコード(国内への逆輸入アルバム名『月の光――ドビッシーによるメルヘンの世界』)が日本人によるものとしては初めてグラミー賞にノミネートされ,翌年には次作アルバム『展覧会の絵』がビルボード・キャッシュボックスの全米クラシック・チャートの第一位を獲得して,作曲家冨田勲はシンセサイザー音楽の分野で一躍「世界のTOMITA」となった。さらに冨田は,1980年代には,世界平和の希求をコンセプトに,オーストリアのドナウ川で「宇宙讃歌」(1984年),米国のハドソン川で「地球讃歌」(1986年)と銘打たれた,超立体音響「TOMITA Sound Cloud」による壮大な野外イヴェントを成功させ,また,1998年には日本の伝統楽器,オーケストラ,シンセサイザーを融合させた《源氏物語幻想交響絵巻》をロサンゼルス,ロンドンで上演するなど,世界的に活躍してきた。そして,こうしたこれまでの国際的な活躍に対して,Japan Foundationによる平成27(2015)年度国際交流基金賞が,「~(前略)~近年は宮沢賢治の世界を描いた「イーハトーヴ交響曲」において,全世界の若者たちに絶大な人気を誇るボーカロイド(ヴァーチャル・アイドル・シンガー)の初音ミクをソリストに起用して話題を集め,今年5月には中国政府からの要請で「イーハトーヴ交響曲」北京公演を大成功させるなど,83歳を迎えてなお,日本文化紹介と国際相互理解の増進に大いに貢献し続けている」その「功績を称え,今後益々の活躍を期待」して,2015年8月27日に冨田に授与されている(2)。しかし,冨田が齢80を越えてから再び世界的に注目を集めたこの《イーハトーヴ交響曲》が,ヴァーチャル・アイドル・シンガー「初音ミク」をフィーチャーしてはいるものの,基本的には,同じく世界平和と希求したベートーヴェンの交響曲,特に《第九交響曲》以降,クラシック音楽の王道的ジャンルとなった「交響曲」であることは看過されてはならない。筆者はすでにこの「交響曲」に取材した2本の論考(3)で,宮澤賢治におけるベートーヴェン《第九交響曲》のいわゆる〈歓喜の歌〉からの影響について指摘してきたが,本稿は,いわば《イーハトーヴ交響曲》に関する拙論三部作の締めくくりとして,これまでその意味について言及してこなかった,いわばこの曲の構成原理とも言える音楽引用の問題について考察する。音楽における引用の問題については数多くの先行研究があるが,この交響曲はそうした先行研究の射程では捉えきれない内容をもつ。そこで,本稿では,改めて「ノスタルジア」という視点を設定し,それらが音楽引用という構成原理によっていかにこの交響曲で効果的に機能しているかを捉え直すことによって,この交響曲だけでなく,本家本元の宮澤賢治作品についての新しい視角をも提示することを目的としている。
著者
木村 直弘
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
no.10, pp.55-84, 2011

ロシアの文豪レフ・トルストイ(1828~1910年)はその芸術論『芸術とは何か? What is Art?(Chtotakoye iskusstvo?)』(1897/98年)の冒頭・第1章に,彼が或る「もっともありふれた」新作オペラの下稽古に立ち会った時の光景の描写を置いている。そのストーリーは,あるインドの王のもとに結婚相手が連れてこられると,王は歌手に変装しており,花嫁はその歌手に恋してしまうが,最終的にその歌手が王だとわかってハッピーエンドに終わるという「まず空想としか思えないような,およそばかげきったしろもの」である。インド人が花嫁を連れて来る行列の場面の下稽古中,行列が進み出すとホルンと朗唱が合わなくなる。とたんに「指揮者は,まるで災難でも降って湧いたように身震いとともに指揮棒で譜面台を叩く。なにもかもがやめになり,楽長はオーケストラのほうに向きなおると,フレンチ・ホルンに食ってかかり,なぜ調子をまちがえたのかと,まるで馬車屋の捨てぜりふそっくりの,じつに口ぎたない言葉で罵倒する。そしてまた,何もかもが最初からやりなおしである」。こうした楽長の強権的言動の描写はさらに続く。「こんどは何もかもうまく行っているように見えた。ところが,またして指揮棒が鳴り,楽長は,弱りきった,にくにくしげな声で,男女の合コ ーラス唱隊を叱りつけにかかる」。そしてまた「なんだい,いったい,死んでいるのか,君たちは? 牝牛め! 木偶の坊みたいにぼんやりつっ立ってるのは,息の根がとまっているのか?」,あるいは,お喋りしていたコーラスガールたちに向かって「おい,君たちはここへお喋りに来たのか? ぺちゃぺちゃやりたきゃ自宅でやれ。その赤ズボンはもっとこっちへ寄って俺を見るんだ。やりなおしっ」等々。ここで,トルストイが敢えてオペラという最もコストのかかる蕩尽的音楽ジャンルを選んだ理由は,それが歌手,オーケストラ,合唱といった音楽家だけでなく,衣裳,舞台美術,大道具・小道具等々を含めて多くの「労働者」から成り立っているからである。搾取する側の象徴である楽長は「自分の芸術という大きな事業に没頭してほかの芸人どもの感情なんかをかえりみてなどはいられない大芸術家の音楽上の伝統だということを知っているので,平気でそういう横暴をやってのける」のだが,実はこうした横暴な楽長も「労働者」同様疲弊している。当時必要額のわずか1%しか国民教育に支出されていなかったロシアで,大都市の「芸術」関連の学校,施設に巨額の補助金が出され,何十万という労働者が「芸術の要求を満たすために,過酷な労働のうちにその生涯を過ごしてしまう」状況,あるいは,たとえば学校や劇場で音楽家が「鍵盤や絃を,非常にはやく掻き鳴らすことを覚え」るよう学習させられることによって,鈍感で一面的な「ただ足や,舌や,指をねじりまわすことしかできない専門家」で満足するようになってしまう状況等,こうした芸術至上主義的趨勢にあってもはや不分明になってしまった問い,すなわち「芸術とはそのためにこれほどの犠牲をしてもいいほど重要なことなのか?」という問題視こそが,トルストイの芸術論の出発点にある。
著者
山本 裕之 小寺 香奈 YAMAMOTO Hiroyuki KOTERA Kana
出版者
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター
雑誌
岩手大学教育学部附属教育実践総合センター研究紀要 (ISSN:13472216)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.67-80, 2009-03-01 (Released:2016-05-17)

1920年代にC.アイヴズ、A.ハーバらによって実践された4分音などの微分音は、その後のヨーロッパ音楽において現代的奏法の中でも重要項目として扱われてきた。彼らが微分音に挑戦した当時のヨーロッパは平均律(12等分平均律)の概念が席巻して既に久しい。かつてのヨーロッパで長期にわたって繰り広げられてきた音律論争において、それぞれの音律の間に存在した非常に小さなどツチ(音高)の差は、19世紀という様々な調性を用いた時代の要請に応えて12等分平均律という画期的な妥協案に収れんした。西洋音楽文化の外にある各民族音楽の音律を除外して考えれば、微分音とはいったん世界標準として目盛りが敷かれた平均律からあらためて外れたピッチ、または音程のことを指す。 とはいえ、オルガンのように一度調律したらそうたやすくは調律が崩れないような楽器はわずかであり、それどころか多くの楽器では奏者がその場で随時楽器のピッチをコントロールしながら演奏する。19世紀に作られたキーをたくさん持つ木管楽器や、H.シュトルツェルなどが発明したヴアルヴをもつ金管楽器群は、それ以前の楽器に比べて格段に多くのピッチを安定させながら自在に鳴らせるように設計されている。が、その中で奏者はさらに楽器の精度と共に自らの耳と発音テクニックによって出来るだけ「正しい」ピッチを作り出そうと技術を磨いた。しかし実際の演奏では厳格に正しく、19世紀以降の「半音階の分かりやすい知的モデル」である平均律に即した音律で演奏されるわけではない。音楽のイントネーションに合わせて、あるいは奏者や楽器自体のコンディションに即して、平均律から大きく外れないピッチを作りながら演奏されるのが常である。したがって、例えばある音が僅かに数セントの単位で平均律からずれたからといってもそれは「ある音」の範囲を越えず、微分音の概念で語られるわけではない。 つまりこれらのような木・金管楽器は、音楽的内容に即して随時平均律から逸脱して演奏されることを前提としながらも、平均律を原則として作られている。したがって、そのような楽器であえて微分音を作り出すことは矛盾であるが、楽器の構造上は不可能ではない。すなわち、楽器はそのように作られてはいないが不可能ではないのである。 20世紀後半になって微分音が作品の中で頻繁に使われ始めると、各楽器の現代奏法を解説する書物には必ずといってよいほど微分音の運指表が掲載されるようになった。特に木管楽器の書物では多くのキーの組み合わせによって膨大な微分音の可能性が提示されている。金管楽器においては、楽器の機構上木管楽器のように膨大な微分音が作り出せるわけではないが、それでも実用的な量は作り出せる。しかしそのための資料が木管楽器ほど多いわけではない。そこで本稿では、金管楽器の中でも特に現代奏法に関する資料がほとんど書かれていないユーフォニアムにおいて、これまで存在しなかったこの楽器のための汎用的な微分音スケールを提示することを目的とした。