著者
柳井 道夫
出版者
成蹊大学
雑誌
一般研究(C)
巻号頁・発行日
1991

1970年代のタイの新聞をみると、日本に対するよりもアメリカに対する関心が強いことがわかる。英字紙も含めて、日本についての記事よりもアメリカについての記事が件数・スペースともにはるかに多い。大規模な日本製品不買運動のあった1972年や、田中首相の訪タイに反対する激しい反日デモのあった1974年においてもそうである。また1975年以降、日本がタイに対する最大の援助国となってからもそうである。その中で、きわめて厳しい対日感情が示されている。じつはこの厳しい対日感情の示される時期が、日本に対する関心の呼び覚まされる時期でもあった。日本の商品がタイに溢れんばかりに氾濫しはじめたからである。その氾濫にいたるプロセスが、日本製品不買運動を生むことになるのである。この時期のタイの新聞には、日本の商社および日本のビジネスマンに対する批判が、社説にもコラムにも頻繁に現われる。ある程度の誤解やタイの法律の不備によるところもあるのだが、日本の商社および日本のビジネスマンが不公正な手段でタイの産業を圧迫し、タイ製品を駆逐し、タイの市場を支配しつつあると論じているのである。しかし1980年代になると、日本の商社やビジネスマンの対応の仕方も変わり、ビジネス以外のさまざまな領域での日本とタイとの交流も活発化し、日本の対外援助のあり方も少しずつ変化し、対日感情も好転しながら、新聞における日本関連の記事も増えてゆく。1980年代後半の集中豪雨的な日本企業のタイ進出やODAの増加は、潜在的な批判をくすぶらせながらも、タイ社会に雇用の機会をもたらし、日本人との接触の機会を増やし、文化面での交流とあいまって、次第に好意的な対日感情を生み出してきているようである。こうした中で、日本の新聞でもタイ関連の記事が増えてきている。
著者
柳井 道夫
出版者
成蹊大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
1995

戦後の衆議院議員選挙(いわゆる中選挙区制の場合)を中心に、新聞の選挙予測報道の仕方と実際の選挙結果とを照合する作業を行なってきた。選挙予測報道には、大きく分けて3種類のものがある。第1は投票率であり、第2は政党別議席獲得数の予測であり、第3は個々の候補者の当落予測である。第1のものは予測報道をすることにあまり異論は出ていない。第2のものは政党から苦情が出、あるいは圧力がかかる。第3のものは候補者の陣営から苦情がでる。第2のものについて言うと、確率論からすればかなりよく当たっている。しかし大きな争点がある時、または特定の政党が非常に多くの議席を獲得しそうな時は、確かに予測報道とは異なる結果がでることがある。(こうした場合、概して新聞社の見出しは獲得議席について控えめな表現がなされる。そして記事の内容とは異なることがある。)この獲得議席数についての予測と実際とが異なってくる理由を分析してみると、中選挙区制のもと、最下位当選者と次点との差が僅かであって、この僅かな差が全国各地の選挙区で生じ、全体として特定政党の獲得議席数予測に、大きなくるいが出てくる。個々の候補者の当落予測も確率論からすれば非常によく当たっている。時に大きな予測違いが出て注目されることがあるが、はずれる場合は、ある候補者が断然トップで当選すると報道され、有権者が安心して投票にいかなかったり、もう一人の他の候補者を当選させようとして、票が他に流れた場合ということが多いようである。こうした選挙予測報道のためのデータは、各新聞社ともかなり科学的に収集しており、そのデータを経験則によって加工する方法を考えており、かなり精度の高い予測がなされている。しかし時に、故意にデータを加工していると思われるものもある。