著者
原 卓志 梶井 一暁 町田 哲 刀田 絵美子
出版者
鳴門教育大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2017-04-01

地方語史研究とともに、地方史・地方教育史研究に資する文献資料の発掘を通して、当該文献の資料的価値を分析・考察し、当該文献を用いた地方語史・地方史・地方教育史について、以下のような調査研究を行った。まず、徳島県における真言宗寺院である無尽山荘厳院地蔵寺の所蔵文献を用い、教団(高野山)に掌握されつつも、中央寺院を本寺としない無本寺寺院であった無尽山地蔵寺の本末関係の形成過程について、藩や、高野山正智院(法流)との関係とからめながら解明した(町田哲「近世前期阿波国真言宗寺院における本末関係の形成―五番札所・無尽山荘厳院地蔵寺を中心に―」鳴門教育大学研究紀要第37巻)。また、同寺所蔵の縁起関係文書を用いて、資料の少ない中世から近世初頭の同寺住職の修学等の事績について明らかにした(原卓志「無尽山地蔵寺住職に関する覚え書き―中世から近世初頭の住職を中心に―」鳴門教育大学研究紀要第37巻)。また、西本願寺学林(京都)の学籍簿にあたる史料『大衆階次』にもとづいて、徳島県における淨土真宗寺院の修学僧について把握し、修学僧の出身寺院,修学期間,身分などを考察した。また,修学僧を近世私塾の学習者との関係において位置づける視点を提示した(梶井一暁「近世阿波国の修学僧に関する基礎的考察―西本願寺学林の事例から―」岡山大学大学院教育学研究科研究集録179巻)。悉皆調査に関しては、徳島県における新安流の拠点寺院であったと目される正興寺(鳴門市)、童学寺(名西郡石井町)の二ヶ寺で着手した。
著者
梶井 一暁
出版者
岡山大学大学院教育学研究科
雑誌
研究集録 (ISSN:18832423)
巻号頁・発行日
no.163, pp.9-19, 2016

本小稿は,19 世紀末から20 世紀初頭の日本における前近代的な手習塾(寺子屋)から近代的な国民教育への移行過程を考察するとともに,その教育の近代化がもたらす教育観の変化について論じるものである。近代において国民教育を行う機関であった学校は,教師が生徒に一斉教授を行う場であった。前近代の手習塾は,教師が生徒に個別教授を行う場であったことを考えると,大きな転換である。近代学校で教壇に立つ教師は,一斉教授を行う方法を心得る存在ゆえ,時代における新しい教師であった。 近代学校で一般化した一斉教授法は,教師による集団としての生徒の同時,同一の行為を強く求める方法であった。換言すれば,生徒の身体の制御と統制を必然とする方法であった。そして,この近代学校を通じて形成される制御と統制に馴染んだ生徒の身体は,人的資本の観点からすれば,労働市場の近代化と技能の標準化にとって有利な条件であった。
著者
梶井 一暁
出版者
岡山大学大学院教育学研究科
雑誌
研究集録 (ISSN:18832423)
巻号頁・発行日
no.162, pp.15-26, 2016

2016 年はジョン・デューイの『民主主義と教育』が刊行されて100 周年である。同書をはじめ,デューイの著作は,現在も私たちに影響を与えつづけている。彼の教育に関する思想と実践を,これまで私たちはどう研究し,どう摂取してきたか。本稿はその研究史の一断面として,紹介的受容から批判的摂取に至る過程を,近代日本における教育学の発達の過程に重ねながら捉えようとするものである。また,二元論的枠組みへの挑戦者としてのデューイ,教師教育改革におけるデューイ研究の位置という観点も交え,デューイ研究の展開と課題について検討を加える。
著者
梶井 一暁
出版者
鳴門教育大学
雑誌
鳴門教育大学研究紀要. 教育科学編 (ISSN:13434403)
巻号頁・発行日
vol.18, pp.13-29, 2003-03-07

The present this writer started case studies on the development of elementary school education of rural Japan in the modern period making use of the record of GAKKOUENKAKUSHI. This paper taking up a case of Shimogurose-village is its first report. GAKKOUENKAKUSHI owned by Shimogurose elementary school in Kurose-town Kamo-district Hiroshima-prefecture is a file of about three hundred and fifty sheets of paper and written about laws and regulations regarding education and events in its school from 19^<th> century onwards in chronological form. Its GAKKOUENKAKUSHI consists of the following four parts. The first is history of organization, the second is history of staff, the third is history of government office director and administrator, the fourth is history of schoolhouse. This paper focuses on four problems concerned with the process of establishment of elementary school education in Shimogurose-village as a farm village: (l) the course of elementary school education in the early Meiji period, (2) the local finance and school management, (3) the elementary school attendance and epidemics, (4) the relationship between elementary school and villagers. Attempting to analize these problems, particularly such a case as Shimogurose-village that historical documents on educational administration was scattered and lost, we should regard GAKKOUENKAKUSHI of the same kind as important.