- 著者
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池 浩三
大滝 泰
- 出版者
- 日本建築学会
- 雑誌
- 日本建築学会計画系論文集 (ISSN:13404210)
- 巻号頁・発行日
- vol.63, no.504, pp.235-243, 1998
- 被引用文献数
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序:パルテノンの神室(cella)を囲む壁体には全く窓がないので、かつてその採光法に関する諸説が数多く提出されたが、今日ではいずれも根拠のない憶説としてしりぞけられ、採光は東の戸口からのみであったとするDopfeldの見解が定説となっている。ところが、採光法についてはもう一つの説があった。それはパルテノンの視覚補正について精密な調査を行ったPenroseによるもので、彼はパルテノンの屋根はParos島産の大理石で葺かれていたとし、その実測図を掲げるとともに、この大理石の透光性が神室の照明にも有効であったと指摘した。しかし、その後パルテノンの瓦は地元Penteli産の大理石であることがはっきりしてからは、この説も顧みられることがない。だが筆者はパルテノンの大理石瓦が野地板や葺き土の上ではなく、直接垂木の上に置かれていた事実にもっと注目すべきだと思う。Robertsonによれば、大理石瓦は紀元前6世紀に現れはじめ、5世紀以降には主要な神殿においてテラコッタ瓦に取って換えられたという。紀元2世紀のPausaniasは大理石瓦はNaxosのByzes(紀元前6世紀初めの人)が発明したと記しているが、このことは上記の考察と一致している。Naxos島の大理石はギリシア・アルカイソク期の彫像の素材としてよく知られている。Naxos・Paros・Penteliなどの白大理石は、石灰岩が変成作用を受けて、粗粒または微粒の方解石(カルサイト)の集合塊となった結晶質岩石であって、一定の透光性を有している。したがって、古代ギリシアの神殿の屋根瓦に使用されたとされるこれら3種の大理石の透光性をまず検証する必要があろう。そこで筆者は先行研究の調査結果をもとにパルテノンの大理石瓦の形状・寸法・構成を模型(縮尺:1/2)で復原するとともに、現地に赴いてNaxos・Paros・Penteliめ大理石試料を入手し、その受光面直下の照度から各試料の透過率を測定した。そしてこのデータをもとに神室内の照度を模型によって再現する実験を試みた。屋根瓦の形状・寸法:屋根の傾斜部分を構成する大部分の瓦はコリント型と呼ばれるもので、縁の部分に立ち上がりのある平瓦(flat tile)とその間を覆う角瓦(ridge tile)から成っている。垂木の上に直接置かれる平瓦は幅69cm、長さ77cm、平底部分の厚さ4cmで、表面は磨き仕上げ、裏面は瓦が垂木に固定するように瓦桟のかたちに合わせて整形されている。また上下の瓦が重なる部分には気圧差や毛細管現象による雨水の浸入を防ぐための微妙な水返しや水切りの加工も施されていた。角瓦の長さは平瓦とほぼ同寸であるが、Orlandosの復原によれば、幅は24cm(A型)と35.5cm(B型)とがあったようである(図1・2・3,写真1)。大理石試料の特性:M1(Naxos)・M2(Penteli)・M3(paros)はすべて98%以上カルサイトで構成されている。まずM1はVitruviusがいう結晶岩塩のような外観を呈し、5mm以上の粒子を含む粗粒塊であって、高い透光性が認められるが、劈開性が大きいために、角欠け・ポロっき・割れなどの加工上の欠点を伴う。M3は0.2mm〜0.3mmの微細粒の緻密な集合塊であって、精巧な彫刻的表現には適するが、吸水率はM3>Ml>M2と最も高いので、耐候性は劣る。M2は平均0.5mmの標準的な細粒から成り、その物理的・機械的性質は優れている。しかし、緑泥石や雲母系の鉱物をわずかに含むため、薄い銀緑色の縞模様が見られる(表1,写真2)。ギリシア彫刻におけるアルカイック期から古典期への表現形式の発展は、その素材としての大理石が、NaxosからParosへ、そしてPenteliへと移行するのと密接に関連しているが、それはまさに3種の大理石の各々の特性に基づく選択であったと考えられる。そしてこのことは建築についても同様であって、パルテノンでは、それまでの神殿の彫刻的部分にはParosが好んで用いられた伝統を改めて、敢えて彫刻を含むすべてのエレメントにPenteliが使用された。それは総監督Pheidiasが材料の耐久性を最優先したからであろう。特に屋根瓦についてはそうであって、その精巧なディテールには、素材の加工性・耐久性・透光性について幾多の改良と選択が重ねられたことが推測される。大理石試料の透光性:M1(Naxos)、M2(Penteli)、M3(Paros)の各種の大理石について、厚さ約1・2・3・4cmの試料(16cm角)を用意し、これを外光を遮断した暗箱の1面にセットし、外部の照度と内部の試料直下面の照度を同時に読み取り、その比(%)を各試料の透過率とした。このテストの結果は図4に示すとおりであるが、4cm厚の試料では、M1は0.40%、M2は0.23%、M3は0.02%で、これまでのParosは透光性が高いという、外見上からの判断を全く覆すものであった。しかし、これは結晶光学の現象として理解されることで、粒子が細かい集合塊ほど、光は多く拡散、吸収されるからである。また透過光の色はM1は白色に近く、M2は黄色、M3は暗褐色であるが、これも粒子が微細であるほど、波長の短い光線のエネルギーは減衰し、透過光は赤色ゾーンのスペクトルが相対的に強まるからであろう(写真3)。ともあれNaxosのきわめて高い透光性は、そもそも大理石瓦の使用が採光を目的とするものであったことを証明している。ところが、Naxosは加工性の劣る素材であったので、のちにオリンピアのゼウス神殿のように平瓦はほとんどPenteliに葺き替えられたのである。Parosは屋根のむしろ彫刻的な部分に多く使われたのではないかと思う。神室の採光の復原:パルテノンに使用されたPenteli大理石には縞模様の目立つものも含まれていたようなので、M2と同種の試料(51×16×4cm)について透光性を上記の方法で調べたところ、平均して透過率0.033%、裏面輝度10cd/m^2、色度はCIEのx・y表色系色度図においてx=0.57、y=0.4の値を示す橙色光であった(写真4)。またこの測定値をもとに、神室の屋根面の光源を水平な等輝度均等拡散面と仮定した場合、神室の身廊中央床面P点の照度E_p,を、E_p=π・C・L(C:立体角投射率、L:光源の輝度)の等式によって試算したところ、E_p≒2.9 lxを得た(図5,6)。そしてさらにCは光源の形状・大きさと受照点Pとの位置関係で決まる幾何学的数値(比率)であるという理論的根拠に基づいて、神室部分の精確な模型(縮尺1/40、写真.5)を作製し、これによって神室内の照度の分布および変動を観察した。模型の屋根面は採光に有効な平瓦の部分を塩化ビニール板(表白、裏榿色)とし、その透過光の色が上記CIEの色度に近似するようにした。実験はまず外光を調節して、屋根面直下の照度を約33 lx(輝度10cd/m^2に相当)に設定し、遮蔽された神室内の所定の位置P点に照度計の受光部を置いて測定した。その結果は、E_pと同位置で約8.25 lxとなり、計算値2.9 lxをかなり上回った。言うまでもなく、これは神室内全体の反射光の影響と、左右の側廊と後廊上部の屋根面からの採光が加わるためである。また屋根面直下の照度を33 lxから6 lxまで徐々に低下させた場合、同位置の照度の変動はほぼ直線的に下降することも確認された(図7)。結語:Pellteli産大理石表面の反射率は72%、模型(石膏)のそれは約90%であるから、神室中央床面の照度は、晴天時(100,000 lx)において約7 lxである。少なくともこれだけの照度が得られたとすれば、パルテノンの大理石瓦も採光のためであったことになる。つまりコロネードに囲まれた部分には天井はなかった蓋然性が高いのである。しかし最近遺構調査を行ったKorreg氏は神室の東の壁の左右に窓があったと報告している。筆者はその復原図に基づいて、プロナオスとそのポーチコ部分の模型を製作し、この窓からの採光の影響についても実験すべく作業を進めている。ともあれ、神室の天井の問題に関しては、これら一連の実験結果を考慮した議論がなされることを期待したい。