著者
海原 亮
出版者
国立歴史民俗博物館
雑誌
国立歴史民俗博物館研究報告 (ISSN:02867400)
巻号頁・発行日
vol.116, pp.91-108, 2004-02

本稿は、文政二・三年(一八一九・二〇)に刊行された医師名鑑『江戸今世医家人名録』を素材として、巨大都市=江戸に達成された「医療」環境の実態を、蘭方医学普及の動向に即しつつ明らかにしたものである。❶では、『江戸今世医家人名録』の構成と特徴、刊行の目的について考察した。近世期における医師名鑑とは、第一に、都市民衆が医師を選択する最も簡便な手法であった。同書はまた、医師が販売する家伝薬の宣伝・広告機能をも有した。一七七〇年代頃より学問的な体系の面では蘭方医学の興隆がみられたが、臨床の場にそれが流布するまでにはなお時間が必要であった。蘭方医学を由緒とする売薬・治療方法も掲載されたが、その数はわずかなものに止まっている。続いて❷では、『江戸今世医家人名録』に所載された二〇〇〇名におよぶ医師データをもとに、各種の著名蘭学者の門人帳と対照し、その傾向を考察した。今回は、時期も区々な五つの門人帳(土生玄碩・華岡青洲・大槻玄沢・伊東玄朴・坪井信道)に限定し、その結果を網羅的に紹介した。照合作業に際しては名鑑類の史料的性格を考慮し、複数の材料を用いて慎重に判断した。本稿に紹介したデータは、江戸における「医療」環境の実態を解明する基礎的な作業と言えるものである。すなわち、文政期頃の江戸では、蘭方医学の素養を有する医師が活動の場を持ち得る社会的基盤が醸成されはじめていた。本稿の最大の論点は、当時の江戸が抱えていた特殊な社会事情=「医療」環境の独自性の指摘である。それはまず、藩医層の圧倒的存在であった。彼ら藩医の少なくない部分は、実際には藩邸の外に居所を得て、町内で診療活動を展開した。したがって、巨大都市に独特な社会構造や医師たちの存在形態を精確に踏まえてこそ、「医療」環境の特質・蘭方医学受容の背景は、より鮮明に性格規定される。
著者
青木 歳幸 大島 明秀 ミヒェル ヴォルフガング 相川 忠臣 今城 正広 海原 亮 小川 亜弥子 金子 信二 田村 省三 保利 亞夏里 山内 勇輝 吉田 洋一 鷲﨑 有紀
出版者
佐賀大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2015-04-01

3年間の種痘伝来科研において、1849年8月11日(嘉永2年6月23日)に到来した牛痘接種が九州各地へ伝播した様子が明らかになった。たとえば、佐賀藩では全額藩費による組織的な種痘を実施した。大村藩では、牛痘種子継料を全村から徴収し種痘を維持していた。中津藩では長崎から痘苗を得た民間医辛島正庵らが文久元年(1861)医学館を創設した。福岡藩領では、武谷祐之が、嘉永2年の末から種痘を始めた。小倉藩では、安政5年(1858)に再帰牛痘法を試みていた。九州諸藩における種痘普及により、洋式医学校の設立など地域医療の近代化をめぐる在村蘭方医の人的ネットワークが主要な役割を果たしていた実態が判明した。
著者
海原 亮
出版者
住友史料館
雑誌
住友史料館報 (ISSN:13436449)
巻号頁・発行日
no.45, pp.27-76, 2014-07
著者
海原 亮
出版者
住友史料館
雑誌
住友史料館報 (ISSN:13436449)
巻号頁・発行日
no.44, pp.103-139, 2013-07