著者
護山 真也 小野 基 稲見 正浩 師 茂樹 桂 紹隆 船山 徹 早坂 俊廣 室屋 安孝 渡辺 俊和
出版者
信州大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2015-04-01

本研究は,インド・チベット仏教における仏教認識論・論理学研究の成果と東アジアで展開した因明学の成果とを架橋することで,言語や文化の壁を越えて継承・変容した仏教認識論・論理学の特質を明らかにすることを目的とした。その主たる成果は,第18回国際仏教学会(IABS)のパネル“Transmission and Transformation of Buddhist Logic and Epistemology in East Asia” での発表と討議に結実しており,近くWiener Studien zur Tibetologie und Buddhismuskund シリーズから出版予定である。
著者
渡辺 俊和
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.56, no.3, pp.1145-1151, 2008-03-25

本論文では,ダルマキールティがディグナーガによるasapaksaの定義に変更を加えた過程,およびその原因を考察した.ディグナーガはasapaksaを「sapaksaの(1)abhavaであり,(2)anyaでも(3)viruddhaでもない」と定義する.彼は(2)と(3)とが認められない理由について「(2)の場合にはたとえ同類のものであっても他の属性を持つがゆえに異類となってしまうし,(3)の場合には同類と異類とは別の,第三の領域が生じてしまう」という問題を挙げている.これに対してダルマキールティは(1)から(3)全てを認めている.彼はPramanaviniscaya第3章で,彼のアポーハ論の特徴的な点である「話者の意図」という視点を導入することにより,(2)も(3)もasapaksaの否定辞の意味として理解され得る,とする.彼が(2)と(3)を認めたのは,ウッディヨータカラによる「非存在は拠り所とはならない」という反論に答えるためでもあったと考えられる.また彼は(2)の場合に起こる問題について,その否定辞がanyaを意味している'abrahmana'という語を例に説明する.彼は「バラモンはバラモン性以外の属性とも結びついているが,世間一般では'abrahmana'と言われることはない」というように,言語慣習の点から解決を導いている.更に(3)の場合については,<共存不可能性>と<相互否定>という二つのvirodhaの定義を用いることによって解決され得る.つまり,問題となっている(3)viruddhaを,後者の意味で理解すれば第三の領域は起こり得ないのである.このようにして(2)と(3)の問題点は解決されるのであるが,ダルマキールティは自身の見解とディグナーガのそれとをはっきりとは会通させていない.この点はアルチャタ・ダルモーッタラなどの注釈者の課題として残された.