- 著者
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相馬 保夫
- 出版者
- 鹿児島大学
- 雑誌
- 一般研究(C)
- 巻号頁・発行日
- 1991
本研究は,第一に,ヴァイマル期における産業合理化と労働者・労働組合との関係,第二に,労働者生活圏の変容と労働者文化・大衆文化との関係をテーマとした。1.相対的安定期に始まる産業合理化は,ルール炭鉱では,坑内労働の機械化と労働組織の再編成によって,電機・機械工業では,フォード・システムに倣う大量生産方式の端緒的導入によって,労働者の伝統的な労働の世界を変えた。それは,労働運動の基礎となっていた旧来の熟練を掘り崩し,労働者の連帯の構造を破壊した。産業合理化に対して,ドイツ労働総同盟(ADGB)は,生産性の上昇による生活水準の改善という方向で積極的に対応し,これまでの社会主義的な大衆窮乏化論に代えて大衆購買力論を打ち出した。しかし,ADGBの経済民主主義論では経営民主主義は軽視されており,合理化による生産点での労働者文化の変質についての認識は乏しかった。2.1920年代における労働者生活圏については,労働者街の変容と労働者文化,青年労働者層と大衆文化という点について検討した。大都市ベルリンでは,都市計画により中心部の再開発が緒につくとともに,郊外には集合住宅団地が建設され,これによって従来の労働者街は変容していった。一方,ルールの炭鉱住宅にも社会的変容の波は押し寄せていたが,労働者文化と生活圏の一体性はなお比較的よく保たれており,生活の場での労働者の連帯感はかえって強まった。このような社会的変容のなかで青年労働者層は,世界恐慌期に不安定な生活を送っており,両親の世代とは異なる生活観と政治意識を有していた。彼らこそ,労働者文化と大衆文化との間で方向を見定められないこの時期の労働運動文化のディレンマを体現していたといえる。