著者
相馬 拓也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.13, no.2, pp.420-438, 2018 (Released:2018-10-04)
参考文献数
20
被引用文献数
1

モンゴル西部ホブド県のウリャンカイ系遊牧民は,長年のユキヒョウ棲息圏での暮らしの中で,ユキヒョウに関する多様な儀礼や精神文化を発達させてきた.本研究は,地域住民とユキヒョウとの関係から紡がれた民間伝承・伝説・語りなどの「伝承誌(オーラルヒストリー)」を文化遺産として定義し,ユキヒョウの保全生態に対する遊牧民の能動的な関与を促す社会環境の整備を目的としている.本調査は2016年7月19日~8月22日の期間,ホブド県ジャルガラント山地,ボンバット山地,ムンフハイルハン山地のユキヒョウ棲息圏に居住する117名の遊牧民から,「ユキヒョウ狩り」の実猟経験や,狩猟儀礼「ユキヒョウ送りの儀」などのオーラルヒストリーを構成的インタビューにより収集した.ユキヒョウの科学的調査だけではなく,その文化的・社会的コンテクストの解明は,ユキヒョウと遊牧民の関係改善とサステイナブルな共存圏の確立に貢献するものと考えられる.
著者
相馬 拓也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.10, no.1, pp.99-114, 2015 (Released:2015-10-08)
参考文献数
30

モンゴル西部バヤン・ウルギー県では,イヌワシを用いて騎馬で出猟する「騎馬鷹狩猟」の伝統が数世紀にわたり伝えられてきた.しかし現在,イヌワシの飼育者は同県全域で100名を下回り,急激な観光化とともに伝統の知恵と技法の喪失に直面する文化変容の過渡期にある.本研究は長期滞在型のフィールドワークにもとづく「鷲使いの民族誌」「牧畜社会の現状」「鷹狩文化の持続性」などの,著者のこれまで得た知見を統合し,カザフの騎馬鷹狩文化を保護・継承してゆくための脆弱性とレジリエンスについて考察した.その結果,騎馬鷹狩の成立条件には,(1) イヌワシの営巣環境の保全,(2) 牧畜生産性の向上,(3) 出猟習慣の継続,の実践が不可欠であることが浮かび上がった.騎馬鷹狩文化とは,「環境」「社会」「文化」が有機的に連結したハイブリッドな無形文化遺産であり,とくに牧畜社会の暮らしの文脈に成立の多くを依存する特質をあきらかにした.
著者
相馬 拓也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.12, no.2, pp.217-232, 2017 (Released:2017-12-01)
参考文献数
24
被引用文献数
2

モンゴル国内には現在600~900頭前後のユキヒョウが生息すると考えられている.特に西部地域のホブド県,バヤン・ウルギー県では,ユキヒョウと遊牧民の目撃・遭遇事故,家畜被害が多数報告されている.こうした「ユキヒョウ関連事故」は2014年を境に急増し,遊牧民も家畜襲撃被害に対して,ユキヒョウを私的に駆除する応酬的措置が複数確認されている.本調査では2016年7月19日~8月22日の期間,ホブド県ジャルガラント山地,ボンバット山地,ムンフハイルハン山地のユキヒョウ棲息圏に居住する117名の遊牧民から遭遇体験や「ユキヒョウ関連事故」についての遡及調査,履歴調査の構成的インタビューを実施した.両者間関係の改善には遊牧民側の放牧態度や保全生態への姿勢のあり方にもあり,ユキヒョウと遊牧民の関係改善とサステイナブルな共存圏の確立は,ユキヒョウの保全生態の観点からも最重要課題といえる.
著者
相馬 拓也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.287-309, 2021 (Released:2021-09-15)
参考文献数
43
被引用文献数
3 2

モンゴル西部アルタイ山脈に暮らす遊牧民は,ユキヒョウとの長年にわたる接触体験から,さまざまな動物民話のオーラルヒストリーを蓄積・継承してきた.ユキヒョウと遊牧民との接触により語り継がれた民間伝承・伝説・語りなどの伝承《ナラティヴ》は,科学的成果《エビデンス》とも十分に照応できるローカルな生態学的伝統知T.E.K.でもある.本研究では, 2016年7月19日~8月25日および2017年8月2日~16日の期間,ホブド県ジャルガラント山系,ボンバット山系,ムンフハイルハン山系のユキヒョウ生息圏に居住する,117名の遊牧民からオーラルヒストリーの記録・収集を実施した.在来の動物民話の記録やその科学的検証は,地域住民をユキヒョウ保護のアクターとして統合する新しい保全生態のかたちを提案できると考えられる.本論では,野生動物を取り巻くエコロジーの多面性と重層性を,複合型生物誌として整備することを提案する.
著者
相馬 拓也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.102-119, 2014-07-04 (Released:2014-07-10)
参考文献数
28
被引用文献数
1 1

モンゴル西部アルタイ地域(バヤン・ウルギー県)では伝統的な季節移動型牧畜活動が,アルタイ系カザフ社会の生産体系の根幹をなす.しかし遠隔地かつ少数民族社会であることから,同地域ではいまだ生活形態などの基礎的知見が確立していない.本研究では,同県サグサイ村ブテウ冬営地(BWP)の牧畜開発・地域支援を視座に,滞在型のフィールドワークを行った.長期滞在による参与観察やウルギー県統計局の内部資料を参照し,①世帯毎の所有家畜総頭数・構成率,②家畜飼養・管理方法,③季節移動の現状,についての基礎的知見を明らかとした.その結果,BWPでは6割以上が貧困層世帯であり,最低限の生活水準にあることが確認された.また計画的増産や日々の放牧への人的介入は行われず,牧畜生産性の停滞など,アルタイ系カザフ牧畜社会が抱える現状と課題が明らかとなった.
著者
相馬 拓也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO
巻号頁・発行日
vol.16, no.2, pp.287-309, 2021
被引用文献数
2

<p>モンゴル西部アルタイ山脈に暮らす遊牧民は,ユキヒョウとの長年にわたる接触体験から,さまざまな動物民話のオーラルヒストリーを蓄積・継承してきた.ユキヒョウと遊牧民との接触により語り継がれた民間伝承・伝説・語りなどの伝承《ナラティヴ》は,科学的成果《エビデンス》とも十分に照応できるローカルな生態学的伝統知T.E.K.でもある.本研究では, 2016年7月19日~8月25日および2017年8月2日~16日の期間,ホブド県ジャルガラント山系,ボンバット山系,ムンフハイルハン山系のユキヒョウ生息圏に居住する,117名の遊牧民からオーラルヒストリーの記録・収集を実施した.在来の動物民話の記録やその科学的検証は,地域住民をユキヒョウ保護のアクターとして統合する新しい保全生態のかたちを提案できると考えられる.本論では,野生動物を取り巻くエコロジーの多面性と重層性を,複合型生物誌として整備することを提案する.</p>
著者
相馬 拓也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
E-journal GEO (ISSN:18808107)
巻号頁・発行日
vol.11, no.1, pp.119-134, 2016 (Released:2016-08-03)
参考文献数
30

モンゴル国西部アルタイ地域の遊牧民には,イヌワシ(Aquila chrysaetos daphanea)を鷹狩用に捕獲・馴致する伝統が受け継がれている.鷲使いたちは,巣からヒナワシ“コルバラ”を捕獲するか,成鳥“ジュズ”を罠や網で捕獲する方法でイヌワシ(雌個体のみ)を入手する.そして4~5年間狩猟を共にしたのち,性成熟を機として再び自然へと返す「産地返還」の習慣を「鷹匠の掟」としてきた.しかし近年,こうした環境共生観の伝統知は熱心に実践されているとは言い難い.一部のイヌワシの交換,取引,転売は,地域の遊牧民や鷹匠にとって「現金収入」「生活資金源」となることもある.現存のイヌワシ飼育者(n=42)へのインタビューから,1963年~2014年までの52年間で入手履歴222例/離別履歴167例が特定された.しかし新規参入者の停滞に反してイヌワシ入手件数は増加する傾向にある.またイヌワシとの離別では,「産地返還」された個体は47.7%とそれほど高くはなく,「死別」「逃避」が全飼養個体の38.0%を占める.こうした結果からは,カザフ騎馬鷹狩文化がイヌワシ馴化・飼養の伝統知とともに連綿とつちかわれた自然崇拝観の継承・実践も鷲使いたちに徹底させる必要が,いま浮かび上がっている.
著者
相馬 拓也
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集 2017年度日本地理学会春季学術大会
巻号頁・発行日
pp.100051, 2017 (Released:2017-05-03)

1.  はじめに モンゴルには現在でも、500~1,000頭のユキヒョウPanthera uncia(図1)が生息すると推測される。かつては「山の亡霊」と畏れられ、地域の遊牧民はその存在に畏怖を抱き、毛皮のために積極的に捕獲したり、棲息環境を攪乱することは控えられてきた。そして長年ユキヒョウの棲息圏内に暮らした遊牧民でも、その姿を目にしたことのない人物は多い。しかし、ユキヒョウと遊牧民は現在、経験のないほどの緊張関係にある。集中的な保護による個体数の安定とあいまって1990年代以降、ユキヒョウの生態行動にも変化が現れた。人間を恐れなくなり、頻繁に人前に姿を現し、家畜を襲うようにもなった。ユキヒョウと遊牧民の目撃・遭遇事故は、2013年頃を境に急増し、遊牧民の家畜襲撃被害も頻発するようになっている。とくに宿営地まで来て家畜を襲う例が多数発生している。その報復として、国内法でユキヒョウ狩りが完全に禁止された1995年以降にも、遊牧民による私的なユキヒョウ駆除が複数例確認された。 ユキヒョウが希少動物と害獣のはざまを揺れ動く存在となり、地域の牧夫たちもこの双極性に苦悶する。こうした現状を踏まえ、本調査では両者の保全生態を目的として、R1. ユキヒョウ目撃・遭遇事故、R2. ユキヒョウによる家畜被害の推移、により現状把握を行った。2.  対象と方法 本調査は2016年8月7日~23日までの期間、ホブド県ジャルガラント郡、ムンフハイルハン郡、ゼレグ郡、マンハン郡、チャンドマニ群の4ヵ村で実施した。同地のユキヒョウ棲息山地①ジャルガラント、②ボンバット、③ムンフハイルハンで暮らす遊牧民105世帯を訪問し、構成的インタビューにより集中な情報収集を実施した。上記3地点に生息するユキヒョウは、合計約70~90頭前後と推測される。   3.  結果と考察 R1. ユキヒョウの目撃・遭遇事故 遡及調査により、目撃事例180件、遭遇事故53件を特定したところ、2013年頃を境に急増している現状が明らかとなった(図2)。こうした「ユキヒョウ関連事故」の発生状況をみると、「日帰り放牧中」が38.5%ともっとも高く、次に馬群や牛などの「大家畜の見回り」が34.4%と高い。とくに夏季は家畜が採食活動で高所へ赴くため、その見回りの途中でユキヒョウとの目撃・遭遇頻度が高くなると考えられる。「高所への放牧」「見回り」「狩猟」など、遊牧民の生活と切り離せない日常の活動での割合が82.8%となっている。多くの地元遊牧民がユキヒョウを畏れているが、実際にはユキヒョウの対人攻撃性は低く、自身から人間に襲いかかってくることは稀である。現地居住者117名から、本人体験だけでなく伝聞を聴いても、実際に襲われたというオーラルヒストリーは1件も聞かれなかった。 R2. ユキヒョウによる家畜被害の推移 ユキヒョウは高山帯や岩山の放牧地で食草するヤギ、また馬を好んで襲っている(図3)。2000年以降で特定できた馬の襲撃被害104頭のうち89頭が死亡、15頭が生存している。ユキヒョウの襲撃からの生存率は14.4%と低い。その場で即死しなくとも、当日~20日間以内に傷が原因で死亡している。死亡した馬で年齢が特定できた25件の平均年齢は1.04歳(満年齢)で、若年の馬の犠牲が多いことが理解できる。25件のうち14件が1歳未満の仔馬であった。ヤクでもとくに満2歳齢以下が好まれる。被害事例では、宿営地(ホト)付近まで来て家畜を襲った例が23件確認された。時期の特定できた22件のうち、18件が2010年以降で、とくに2015年8件、2016年8件とほとんどが最近2年以内に発生している。3.  今後の展望 ユキヒョウ生息圏に在住する遊牧民のあいだには、「政府によるユキヒョウ被害対策への遅れ」や、「家畜被害に対する補償制度の不在」などの不満が募っている。とくに放牧地を保護地に指定されることへの警戒感や強制移動への不満が噴出している。しかし、ユキヒョウによる家畜被害の増加は、遊牧民自身の生活態度と環境配慮の欠如、例えば(PR1) タルバガンの乱獲、(PR2) 家畜の過大所有と過放牧、(PR3) 家畜防衛の怠り、などに起因する可能性もある。いわば遊牧民自身も、家畜をユキヒョウから守る努力を怠っている側面は否めない。 モンゴルの遊牧民にはかつて、自然のバランスが崩れれば必ず自分たちの生活に跳ね返ってくることを理解しながら、その環境共生観/保全生態観を伝承や戒めとともに受け継いできた。物質面、資金面、制度面等のあらゆる側面で依存体質の現代のモンゴル遊牧民には、能動的な家畜防衛という遊牧活動の原点と自己研鑽こそが、ユキヒョウと遊牧民にとっての望ましい未来を確立するように思われる。
著者
相馬 拓也 バトトルガ スヘー
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2015, 2015

<b>I&nbsp; </b><b>はじめに</b><b></b> <br>モンゴル西部バヤン・ウルギー県(Баян-Өлгий)アルタイ山脈一帯では、19世紀半ばから新疆一帯のカザフ人(Қазақ)の流入が断続的に続いた。そのため同地域には、いわゆる「ハルハ・モンゴル人(以下、モンゴル人)」社会とは異なる文化的・宗教的背景に根ざした、アルタイ系カザフ人(以下、カザフ人)による独自のコミュニティが形成されてきた。県内人口およそ9万人の内、カザフ人はその88.7%を占め、モンゴル国内最大のマイノリティ集団となっている。同地域のカザフ人は1990年代の民主化移行により、カザフスタンへの「本国帰還」や、自民族のアイデンティティ確立などをへて、モンゴル人社会とは異なる人的流動と自己定義の重層により形成された。しかし、ポスト社会主義時代を通じて加速した、カザフの伝統文化・習慣の振興、イスラーム教への回帰、都市部へのカザフ人口の流入・拡大等により、モンゴル国内では近年、カザフ人そのものを異質視する否定的感情も急速に広まりつつある。さらに近年モンゴル西部地域は、トルグート(Торгууд)、ウリャンハイ(Урианхай)などの氏族集団も、モンゴル人との差異を意識的に文化表象へと連結しはじめ、民族表象の揺籃となったローカルな社会構造は複雑化している。 上記の現状を踏まえ本発表では、①遊牧民の実生活・牧畜生産性の現状、②イヌワシを用いた伝統文化「鷹狩」の文化変容、③近年のイスラーム教の復興と宗教意識の変化、の領域を横断した3つの調査結果を統合し、カザフ人社会が国内で調和的に存続するための、持続可能な社会体制の在り方、伝統文化振興、宗教活動、地域開発の方向性などを考察した。 <br> <br><b>II&nbsp; </b><b>対象と方法</b><b></b> <br>各テーマの調査は2011年7月から2014年10月までの期間、各調査地(ソム)でテーマ別に行った。調査方法は上記①は構成的インタビューと統計学的手法(サグサイ、ボルガン)、②の民族誌的記録は半構成的インタビューと参与観察(サグサイほか)、③は集中的な定性調査と宗教指導者へのインタビュー調査(ウルギー市内)など、質的・量的双方の方法により実施した。<br><b><br>III&nbsp; </b><b>結果と考察</b><b></b> <br>(1)夏営地での集中的な基礎調査により、カザフ人と他氏族集団との経済格差(家畜所有数、消費数、幼獣再生産率など)が確認された。当該調査地では牧畜生活世帯の約60%が、家畜所有数100頭以下の貧窮した現状にある。経済活動の根幹をなす牧畜生産性の停滞および、生活水準の低迷など、カザフ人社会を経済的・心理的に圧迫する社会背景が明らかとなった。 (2)民族伝統の鷹狩文化を中心にすえた民族表象が、マイノリティであるカザフ人の文化的地位を劇的に飛躍させている現状が見られた。全県には現在も100名程度の鷲使いがいる。しかし、2000年度にはじまった「イヌワシ祭(Бүргэдийн наадам/ Бүркіт той)」の開催による急速な観光化がもたらす文化変容により、鷹匠は「文化継承者」として偶像化されると同時に、実猟としての鷹狩は消えつつある。さらに、伝統知の喪失、技術継承の停滞など、文化の持続性に多くの課題が確認された。 (3)現在のイスラーム復興は、1992年の「モンゴル・イスラーム協会」の設立により再始動された。カザフ人社会は、生活・経済的困窮から宗教への依存心が生じやすく、復興の原動力を後押しすることとなった。とくに宗教的リーダーであるイマーム個人の布教活動とリーダーシップが、重要な影響力をもつことが明らかとなった。そのため人々の宗教意識は多様化し、(i)トルコ、サウジアラビアを模範としたイスラームの厳格化、(ii)生活・文化の一環としての柔軟な復興、の2つの傾向が見いだされた。 <br><br><b>IV&nbsp; </b><b>おわりに</b><b></b> <br>以上、3領域の調査結果から、カザフ人社会の持続的開発には、(I)世帯ごとの牧畜技術と習熟度を向上させ、地域の牧畜生産性を高めること。(II)鷹狩や伝統工芸などの自文化の継承と持続性を確立すること。(III)イスラームと国内の他宗教との調和的拡散と深化、が学術的知見として示唆された。また、カザフ社会で停滞するモンゴル語識字率を向上させ、モンゴル人社会での就業機会と相互のコミュニケーションを安定させる必要も指摘される。本研究は国内最大のマイノリティ集団「アルタイ系カザフ人社会」の現状と文化・宗教復興の現状を把握し、過去の歴史・変容体験と未来への持続可能な社会を予見するための基礎研究と位置づけられる。 &nbsp;
著者
相馬 拓也
出版者
The Association of Japanese Geographers
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
pp.100122, 2014 (Released:2014-03-31)

モンゴル西部バヤン・ウルギー県の少数民族アルタイ系カザフ人の牧畜社会では、イヌワシを用いた鷹狩技法がいまも存続し、同県内には150名程度の鷹匠(鷲使い)が現存すると考えられる。発表者は2006年9月より同地域で調査研究を断続的に行っており、2011~2011年度の2カ年は、財団法人髙梨学術奨励基金「調査研究助成」(平成23年度および24年度)の資金的サポートにより長期滞在型の民族誌記録、生態人類学、民族鳥類学フィールドワークを行った。本発表は2011年7月より実施している、アルタイ地域に根づく特殊な鷹狩技法と鷹匠の民族誌記録と文化保存活動についての成果報告である。 【現状】 現地カザフ人の鷹匠たちは、鷹狩全般で用いられるハヤブサやタカなどは用いず、メスのイヌワシのみを馴化・訓練して狩猟に用いる。鷹狩は冬季のみに行われ、キツネがおもな捕獲対象とされている。また出猟は必ず騎馬によって行われる騎馬猟である。アルタイ地域の鷹狩文化は、毛皮材の獲得と、それらを用いた民族衣装の製作を目的とした「生業実猟」「民族表象」として牧畜社会に定着してきた背景がある。この「騎馬鷹狩猟」の伝統知と技法は現在、同地域のみで伝承・継続されている。その独自性や希少性は2010年11月、UNESCOの「世界無形文化遺産」に正式に登記され、近年国内外の注目を集めるようにもなっている。しかし、数世紀にわたる伝統技法や特殊な文化形態を育んだにもかかわらず、同地域とテーマの先行研究は寡少であり、鷹匠と鷹狩についての基本的な知見もほとんど把握されていない現状がある。 【目的】 そのため本研究では、無形文化遺産でもある同地の鷹狩技法に科学的知見を確立するとともに、その文化持続性・継承性に向けて生態人類学の立場から以下の貢献を試みるものである。①考古学的・歴史的情報を用いた広域アジアの鷹狩技法の文化的深度の特定、②民族誌記録活動、鷹匠たちの現状、生活実態、イヌワシ飼養方法の網羅的・民族学的把握、③文化遺産として持続可能な文化保護計画の学術的定義、施策の方向性、マスタープラン策定の提言、の現地社会でも特に要請度の高い3つの調査対象に設定した。 【方法】 本調査は2011年7月29日から2013年1月10日の期間でおよそ310日間、モンゴル国内およびバヤン・ウルギー県サグサイ村の鷹匠家庭への住み込み滞在により実施した。情報収集はアンケートによらず、近隣に生活する鷹匠との生活参与観察、日常の会話、半構成インタビューにより行った。縦断調査として、滞在先の鷹匠の生活誌全般を把握した。また横断調査として県内各村へ巡検し、鷹匠の現存数・生活実態の把握、イヌワシの飼養技術と鷹狩技法の地域性を網羅的に把握し、民族資料の収集も合わせて実施した。 【結果・考察】 集中的な民族誌調査により、(1)アルタイ、サグサイ、トルボ、ウランフス各村域内の鷹匠の実数、サグサイ村周辺の鷹匠たちの具体的な生活形態(定住型/移牧型)、イヌワシの飼養方法が明らかとなった。また冬季の狩猟技術(キツネ狩り)の手法および実猟活動の実践者の減少が明らかとなった。(2)生態面として、鷹狩(冬季)と牧畜活動(夏季)が相互の活動を補助しあう相業依存の成立基盤が明らかとなった。また、一度馴化したイヌワシを4~5歳で再び野生へと帰す文化的慣例により、人的介入がもたらすイヌワシ個体数維持への貢献が推察された。(3)文化保護面の課題としては、イヌワシを飼養・馴化する伝統が維持されている反面、その伝統知と出猟活動は失われつつあり、イヌワシ死亡率の増加、観光客相手のデモンストレーションへの特化など、脱文脈化の著しい傾向が判明した。 【結論】 以上の知見から、カザフ鷹狩文化は(1)天然資源の保全、(2)牧畜経済の生産活動、(3)伝統知の継承、に依存的に成立しており、これらの持続的発展が文化遺産としての本質的な存続につながると定義される。(1)天然資源の保全:捕獲対象獣であるキツネおよびイヌワシの生息数など、天然資源の保全はその前提条件である。(2)季節移動型牧畜の持続的開発:鷹狩文化の生態学的基盤を概観すると、単純な金銭・資源供与型の文化保護ではその文脈の維持・継承は難しく、貧困世帯の経済状況の底上げに通ずる、牧畜社会への間接的開発支援が求められる。(3)鷹狩の伝統知と技法の保護:狩猟活動の継続にともなう「伝統的知と技法」の継承が、鷹狩文化の継承を安定化する直接的保護と考えられる。こうした文化保護や生態基盤の解明は、「鷹狩文化」全般の持続可能性にとって普遍的価値が見いだされる。アルタイ系カザフ人の騎馬鷹狩猟とは、鷹匠とイヌワシが数世紀にわたり共生に根ざして行われてきた、「ヒトと動物の調和遺産」と定義することも可能である。