著者
薬本 武則 Takenori Yakumoto
出版者
共栄大学
雑誌
共栄大学研究論集 = The journal of Kyoei University (ISSN:1880859X)
巻号頁・発行日
vol.13, pp.119-133, 2015-03-31

明治以降の日本での美術教育は, 西欧の教育に準じた方法を採用してきたが, 西欧の精神性を軽視した技術論重視の教育方法が, 日本人特有の精神性までも失わせてしまうのではないかと言う不安を生み出し, 再び日本の伝統文化に根ざした教育方法への強い関心を持つようになった。その時, 私は, 江戸時代後期に茶道から始まり, その後, 芸道・武道などに受け入れられ, 日本の伝統, 教育方法になった「守・破・離」があることに気づいて, それを美術教育にも転用して, まず「守」としての基本的美術意識構築のための方法として、中国の謝赫が著わし張彦遠が論述した「画の六法及び十法」に強い関心を抱いた。そこで, これらの言葉を、西洋画の言葉に慣れ親しんでいる美術関係者にも判りやすい日本語で説明することから, 新たな美術教育の道が開けるのではないかとの考えに至り「画の六法及び十法」について考察することにした。Art education in Japan after the Meiji Restoration adopted a method that followed the European educational model,but this education model only looked at technicques rather than the spirit. Consequently, the Japanese psyche was lost. As a result, Japanese people began to think more about traditional Japanese culture. I have also regained a strong interest in teaching methods rooted in traditional Japanese culture. I have noticed that the traditional Japanese education method, which is based on「 守(shu)・破(ha)・離(ri)」 can be transformed to embody Japanese art education. As a method for the basic art of building consciousness through oberservation (shu), I have a keen interest in the ‶ten methods and six codes of the image" that Shakaku, of China, discussed.Therefore, I decided to consider explaining art in easy-to-understand Japanese using the "ten methods and six codes of the image" in terms that are similiar to those used in Western painting.
著者
薬本 武則
出版者
共栄学園短期大学
雑誌
共栄学園短期大学研究紀要 (ISSN:1348060X)
巻号頁・発行日
vol.26, pp.85-108, 2010-03-31

純粋美術は、人間の本質的存在自体に限りなく迫った表現を求める美術活動のことですが、これに対応する言葉として応用美術があります。応用美術とは、一般的に日常生活において必要な商業美術や工芸品などを意味しますが、この日常的な意識による表現を排除して、人間の本質に基づいて表現する純粋美術に近い存在に児童画があります。児童画は、基本的に世俗的な欲望や駆け引きのない純粋な魂からの叫びを率直に表現しているので技術的には劣っているが、専門家と言われる人で優れた技術力は持ってはいるが、いつの間にか人間の本質的魂を忘れかけた純粋美術表現者に与えた影響は大きものがありました。その代表的な人には、クレー、ミロ、ピカソなどがいたことはよく知られています。 そこで、ここでは、純粋美術と児童画の接点を人間におきながら考えてみたいと思います。
著者
薬本 武則 Takenori Yakumoto
巻号頁・発行日
vol.26, pp.109-132, 2010-03-31

長谷川等伯は、安土桃山時代を中心に狩野永徳率いる画家集団と対抗しながら活躍した日本を代表する画家で、彼の代表作である「松林図」はあまりにも有名であるために多くの美術史家によって研究・解説されていますが、彼を支えた美的感性や意識、及び技術を総合的に解説した本は少ないのではないかと思われます。 そこで、ここでは、それらを総合的に説明することによって長谷川等伯の目指した究極的表現が何だったのかを芸術の基本的意識である人間の内発力・意識力・技術力に基づく研究をすることで明確にしようと思っています。 彼は、日蓮宗の家に生まれ、生涯を日蓮宗の信者として生活していますから、必然的に日蓮の根本的思想である法華経の影響を受け、そのために権力に媚びることのない人間尊厳に立脚した感性に基づく作品を中国の謝赫を中心とした美意識に支えられた表現技術によって描いたために、今日においても多くの鑑賞者の感動を呼び覚ます普遍的影響力を持っていると考えられます。 この文章を読むことで、美術教育に携わる教師の明日が開かれれば幸甚に思います。
著者
薬本 武則 Takenori Yakumoto
出版者
共栄学園短期大学
雑誌
共栄学園短期大学研究紀要 (ISSN:09115358)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.93-124, 2011-03-31

ここでは、美術教育の実践的立場で、主に美術の社会的意味及び位置について説明をしています。 第6章では、美術教育の方法について、まず、人間教育の中での美術教育の必要性について説明したハーバード・リードについて、次に、幼児期の美術教育の基本的方法であった臨画教育を自由画教育方法に置き換えたF・チゼック、また、美術教育の本質について述べたV・ローウェンフェルドについて、次に、発達心理学的立場から幼児絵画の表現変化について説明したローダ・ケロッグについて、また、美術社会学的立場で美術教育の必要性を主張したアイスナーについて述べ、最後に薬本による児童心理と児童画の関係について説明しています 第5章では、純粋美術と児童画の関係について、児童は純粋な生命に基づく表現活動をしますが、精神的、技術的には未熟ですから、その生命を支えにした専門的美術家の表現があり、その代表的な人に、ピカソ、ミロ、クレー、ポロック、サム・フランシスなどがいることを説明することにより、美術家が、一般的に「少年の心を持った大人である」と言われる所以を理解してほしいと思います。
著者
薬本 武則 Takenori Yakumoto
巻号頁・発行日
vol.13, pp.119-133, 2015-03-31

明治以降の日本での美術教育は, 西欧の教育に準じた方法を採用してきたが, 西欧の精神性を軽視した技術論重視の教育方法が, 日本人特有の精神性までも失わせてしまうのではないかと言う不安を生み出し, 再び日本の伝統文化に根ざした教育方法への強い関心を持つようになった。その時, 私は, 江戸時代後期に茶道から始まり, その後, 芸道・武道などに受け入れられ, 日本の伝統, 教育方法になった「守・破・離」があることに気づいて, それを美術教育にも転用して, まず「守」としての基本的美術意識構築のための方法として、中国の謝赫が著わし張彦遠が論述した「画の六法及び十法」に強い関心を抱いた。そこで, これらの言葉を、西洋画の言葉に慣れ親しんでいる美術関係者にも判りやすい日本語で説明することから, 新たな美術教育の道が開けるのではないかとの考えに至り「画の六法及び十法」について考察することにした。
著者
薬本 武則 Takenori Yakumoto
巻号頁・発行日
no.25, pp.111-135, 2009-03-31

福祉には、経済的な立場から行う福祉と文化的な立場から行う福祉と、それを円滑に行うための政治的な立場(主として法律の整備)からの福祉があると思われますが、現状は、どちらかと言うと法律を支えにした経済的な立場からの物質的支援が多いように思われます。それは、生きるためには食事をしなくてはならないことを本能的に知っているからだと思われますが、「何のために食事をするのか」を考える必要もあります。「生きるために食事をするのか」「人間の生きる証を残すために食事をするのか」と考えますと、理想としては「文化活動のために食事をするのだ」と言うことになるはずです。ですから、これからの重要な課題としては、文化活動を支えるための精神的育成が求められますが、この精神的育成に対して協力できるものの1つに、自由な表現の中でも創造性を求めながら自己啓発のできる美術活動があると思います。この立場から福祉活動について考えるのが美術福祉学です。