- 著者
-
藤堂 眞治
- 出版者
- 一般社団法人日本物理学会
- 雑誌
- 日本物理學會誌 (ISSN:00290181)
- 巻号頁・発行日
- vol.70, no.4, pp.275-282, 2015-04-05
スーパーコンピュータやワークステーションが計算物理における「実験装置」であるとすると,シミュレーションソフトウェア(プログラム)はそれらを使いこなすための「実験技術」であると言える.将来の研究成果につながる「技術」は,個々の研究者あるいは研究グループが,門外不出のものとして日々磨きあげていくべきである.このような立場に立つと,シミュレーションに使うプログラムは,これまでの経験と知識に基づき「速く」て「信頼できる」ものを自分で一から作るのが当然であり,できあいをブラックボックスとして使うのは研究として認められないということになろう.コンピュータの計算速度は年とともに指数関数的に伸びている.シミュレーションの手法もそれ以上の速さで進化している.例えば,量子磁性,高温超伝導など,電子相関の強い量子多体系に対する代表的な手法の一つである量子モンテカルロ法は,状態更新のアルゴリズムにおいて,近年,多くの本質的な改善がなされ,バイアスのない最も精密な数値解析手法となっている.それに伴い,アルゴリズムはますます複雑化している.プログラム開発や並列化,チューニングのためのコストは増加し,研究者の「専門化・固定化」も大きな問題となっている.その一方で,実験家の間でも,日常的なツールとしてのシミュレーションの需要が高まっている.このような状況のもと,計算機実験の技術開発や整備は,もはや個人の素養に頼るだけではなく,コミュニティー全体で取り組み共有していくべき段階にきているのは明らかである.本稿では,計算物性物理,量子統計物理分野におけるそのような取り組みの一つである「ALPS」を紹介する.ALPS(Algorithms and Libraries for Physics Simulations)は,量子スピン系,電子系など強相関量子多体系の有効模型のシミュレーションのためのオープンソースソフトウェアの開発を行う国際共同プロジェクトである.ALPSでは,主に,量子統計物理分野のシミュレーションの共通基盤となるライブラリやデータ解析ツールを開発すると同時に,最新のアルゴリズムに基づく質の高いアプリケーションプログラムの提供を目指している.ALPSには,厳密対角化,古典・量子モンテカルロ法,密度行列くりこみ群,動的平均場近似など,量子多体系の有効模型に対する標準的あるいは先進的なアルゴリズムを用いたアプリケーションが用意されており,興味ある模型の特性や計算したい物理量に応じて,最適なアプリケーションを選ぶことができる.ALPSのようなコミュニティーコードを用いることで,計算物理の専門家でなくとも,様々な模型について手軽にシミュレーションを始めることができる.それだけでなく,新たなプログラムやアルゴリズムを開発する際のリファレンスコードとして,あるいは計算物理教育の題材,シミュレーション結果の共有やアーカイブ化のためのツールとしての活用など,ハイエンドのスーパーコンピュータによる大規模シミュレーションだけでなく,計算物理の裾野を広げていくためにも,このようなコミュニティーコードの整備・知識共有は,今後ますます重要となっていくに違いない.