著者
赤松 明彦
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.65, no.3, pp.1115-1121, 2017

<p>1965年春にパリのコレージュ・ド・フランスで行われたルートヴィヒ・アルスドルフの講義は,西欧のみならず日本のジャイナ教研究にとっても,転換点を画するものであった.それは,ジャイナ教研究を,仏教研究のための補助的学問の地位から,インド学において独自の広がりと価値をもった研究分野へと押し上げるものであった.この講義録は,「ジャイナ教研究――その現状と未来の課題」として直後に出版されたが,これに示唆を得てジャイナ教研究を進めることになった日本の研究者もいたのである.この講義録には,ジャイナ教研究に関わるおおよそ10項目の課題(主として,聖典類の文献学的研究,語義研究に関連する)が示されている.本稿では,ジャイナ教研究の分野で,1990年代以降に日本で公表された研究業績の中から,その10項目の課題のうちの6項目に対応するもので,特に日本語で書かれた優れた成果を紹介した.本稿が意図するところは,内容的には極めて価値のあるものでありながら,国際的に必ずしも十分には知られていない現代日本のジャイナ教研究の成果について,その一部にせよ広く世界の学界に知らせようとするものである.</p>
著者
赤松 明彦
出版者
京都大学
巻号頁・発行日
2005-03

平成14-16年度科学研究費補助金(基盤研究(C)(2))研究成果報告書 課題番号:14510025 研究代表者:赤松明彦 (京都大学大学院文学研究科 教授)
著者
冨谷 至 矢木 毅 岩井 茂樹 赤松 明彦 古勝 隆一 伊藤 孝夫 藤田 弘夫
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2002

「東アジアの法と社会」という研究題目の下、4年間に渡って続けてきた我々の共同研究の成果として、以下の成果を報告する。第一は、国内国外で二度にわたって国際シンポジウムをおこない、東アジアにおける空間的、時間的座標のうえに死刑・死罪を考え、各時代、各地域の相違が浮き彫りにされたことである。その適用理念は、応報にあるのではなく、一に予防と威嚇にあることである。それは今日の中国の死刑に実態をみれば、罪と罰が均衡をかくこと、死刑廃止の議論が希薄であることからもわかる。各担当者の課題を深めて論文にした当研究の成果報告『東アジアにおける死刑』(科学研究費成果報告:冨谷篇)において、かかる東アジアの死刑の歴史的背景、本質が明らかにされている。報告書には、スウェーデンのシンポジウムには、参加できなかった藤田弘夫、岩井茂樹、周東平の各論考の収録し、社会学の視座からの死刑問題の考察、現代中国の死刑制度をテーマとする。さらに報告書は、さきの平成15年のセミナーの報告も加えたもので、英語でなされたセミナーの報告は、英文で、その後の主として日本側の研究分担者、および周東平論文は日本語で掲載している。なお、本研究のさらなる成果として、京都大学学術出版会から、平成19年に『東アジアにおける死刑』(仮題)を出版する予定である。我々の研究成果が今日の日本の死刑問題を考える上で、寄与できるのではないかと自負している。
著者
赤松 明彦 船山 徹
出版者
九州大学
雑誌
特定領域研究(A)
巻号頁・発行日
1999

研究実績は以下のとおり.『ヴァーキヤ・パディーヤ』第二巻の注釈本文のテキスト・データベースを作成し、すでに入カ済みの第一巻、第二巻、第三巻詩節本文、および第一巻注釈(自注とプンヤラージャ注)とそれとを対照しつつ第二巻注釈のテキスト校訂を行った。『ヴァーキヤ・パディーヤ』第三巻に対するヘーラーラージャの注釈テキストを入力して電子テキスト化する作業を開始した。作成されたテキストデータベースをもとにして、主として当時の言語論と存在論とに関わる語彙を抽出し語彙研究を行った。たとえばdravya(「実体」)とかguna(「属性」)、kriya(「運動」)、jati(「普遍」)といった語-これらの語は、文法学における語彙であるとともに自然哲学派(ヴァイシェーシカ)などの存在論におけるカテゴリーでもある一を取り出し、そららのこのテキストにおける用法を明らかにした。同時に、関連する他のテキスト、『パダールタダルマサングラハ』、『ニヤーヤ・カンダリー』、『ニヤーヤ・ヴァールティカ』などにおける用法と比較検討した。本特定領域研究A04班「古典の世界像」班研究会における共同研究でなされた他領域の研究者との議論を通じて、インド古典期における「言語観」を、古代ギリシアや古代中国におけるそれとの比較を通じて考察することができた。言語哲学に関して現代哲学を代表する思想家であるJ・デリダやジュリア・クリステヴァの思想と、バルトリハリの言語哲学の比較を試みた。特に、言語の起源の問題と、エクリチュールとパロールの問題は、バルトリハリの言語論の枠組みを考える上でも重要な視点であることを確認した。