著者
重田 みち
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文學報 = The Zinbun Gakuhō : Journal of Humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
vol.109, pp.143-184, 2016-07-30

「夢幻能」という近代的概念は, 前後二場からなる幽霊能を主に指し, 世阿弥が確立したと説明されており, 20世紀後半以降, 能楽の専門的研究のみならず, 演劇論ほかさまざまな分野の論にひろく用いられている。しかし, 1920年代の佐成謙太郎の説にはじまるこの近代的概念が, 世阿弥周辺において作られた幽霊能の歴史的実態を的確に反映しているかどうかは疑問である。そこで, 20世紀後半以来の能の専門的研究の進展の成果に基づき, 「夢幻能」が能の様式に着目して導かれた概念であることを考慮して, 「夢幻能」と称されている当時の作品群について, あらためてその劇構造の類型的要素を比較分類し, 「夢幻能」の概念にとらわれずに整理すると, それらは制作史上の展開の観点から6種の段階に分類される。それは世阿弥を中心とした能役者が能の上演の中心の場を各地の寺社などから足利将軍家文化圏に移したことによって, 宗教性が濃厚なものから希薄なものへと, 能の質が変化していったことに伴う劇構造の型の時期的段階を示している。すなわち, 霊が夢中にではなく現実の場に姿を現す早い段階の〈現うつつ能〉, その後仏教説話の夢の話型を摂り入れて成立した〈夢能〉, 〈夢能〉の劇構造の要素が変容し, 夢の要素が曖昧化した〈半夢能〉, 夢の要素が脱落した世阿弥晩年期の〈脱夢能〉などの段階がある。また, 「夢幻能」の基本とされてきた幽霊能の二場物の形成も, 〈夢能〉以前に遡ると推測される。この中で, 足利義持時代には, 〈夢能〉の話形を活かして, 前代の義満時代とは異なる美意識に沿った, 奥深さや逆説的な発想を有する作品が新たに作られた。〈半夢能〉はそのような中で成立した型であると言える。したがって, これらの能は歴史的に見れば「夢幻能」として一括できないことが明らかである。能を歴史的に見る場合にも今日の能を論じる場合にも, これらの能を的確に位置づけるべく「夢幻能」の概念を新たにとらえ直し, 歴史的実態に見合った新しい概念や呼称を模索すべきである。本稿はその新たな方向へ踏み出そうとする試みである。
著者
重田 みち
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.51-79, 2018-11-30

日本中世の能楽論書『風姿花伝』五篇のうちの神儀篇は、能楽史研究をはじめ藝能史・説話史研究、民俗学等の資料として注目されてきた。しかし、その成立時期や著者を純粋に世阿弥と見てよいかどうか等、文献学的な問題が多く積み残されている。また、同篇は従来、既成の伝承を比較的素朴に綴った猿楽伝説と見られ、その著述に世阿弥の特別な意図がなかったかどうかなど、伝書としての性格や史料論的な観点に注目した検証は行われていない。
著者
重田 みち
出版者
京都大學人文科學研究所
雑誌
人文学報 = Journal of humanities (ISSN:04490274)
巻号頁・発行日
no.109, pp.143-184, 2016

「夢幻能」という近代的概念は, 前後二場からなる幽霊能を主に指し, 世阿弥が確立したと説明されており, 20世紀後半以降, 能楽の専門的研究のみならず, 演劇論ほかさまざまな分野の論にひろく用いられている。しかし, 1920年代の佐成謙太郎の説にはじまるこの近代的概念が, 世阿弥周辺において作られた幽霊能の歴史的実態を的確に反映しているかどうかは疑問である。そこで, 20世紀後半以来の能の専門的研究の進展の成果に基づき, 「夢幻能」が能の様式に着目して導かれた概念であることを考慮して, 「夢幻能」と称されている当時の作品群について, あらためてその劇構造の類型的要素を比較分類し, 「夢幻能」の概念にとらわれずに整理すると, それらは制作史上の展開の観点から6種の段階に分類される。それは世阿弥を中心とした能役者が能の上演の中心の場を各地の寺社などから足利将軍家文化圏に移したことによって, 宗教性が濃厚なものから希薄なものへと, 能の質が変化していったことに伴う劇構造の型の時期的段階を示している。すなわち, 霊が夢中にではなく現実の場に姿を現す早い段階の〈現うつつ能〉, その後仏教説話の夢の話型を摂り入れて成立した〈夢能〉, 〈夢能〉の劇構造の要素が変容し, 夢の要素が曖昧化した〈半夢能〉, 夢の要素が脱落した世阿弥晩年期の〈脱夢能〉などの段階がある。また, 「夢幻能」の基本とされてきた幽霊能の二場物の形成も, 〈夢能〉以前に遡ると推測される。この中で, 足利義持時代には, 〈夢能〉の話形を活かして, 前代の義満時代とは異なる美意識に沿った, 奥深さや逆説的な発想を有する作品が新たに作られた。〈半夢能〉はそのような中で成立した型であると言える。したがって, これらの能は歴史的に見れば「夢幻能」として一括できないことが明らかである。能を歴史的に見る場合にも今日の能を論じる場合にも, これらの能を的確に位置づけるべく「夢幻能」の概念を新たにとらえ直し, 歴史的実態に見合った新しい概念や呼称を模索すべきである。本稿はその新たな方向へ踏み出そうとする試みである。Modern scholars established the concept of mugenNoh 夢幻能 or Noh of dream and illusion, and explain that it refers to the Noh plays on ghosts which consist of two acts and such idea was established by Zeami 世阿弥(1364?-?). Since the the latter half of the 20th century the word Mugen Noh has been broadly used in arguments among various fields, however, it is questionable that this modern concept accurately reflects the actual condition of Noh in Zeami's time. In this article, I try to make a new arrangement of the collective plays which have been treated as so-called mugen Noh, and through this reconsideration, it is clarified that these plays can be divided into six steps according to the each change of the style of Noh plays, from the deeply religious ones which were played at temples and shrines to the less religious ones which adapted the new circumstance around the Ashikaga Shogunate. Thus the earlier plays had traces of the religious connection and did not contain the element of dreams, in contrast, the plays which are written around the Shogunate freshly adopted dream. And after the adoption of dreams, the writers started to make some elaborate but ambiguous plays on which one cannot tell whether those situations are dream or not. In spite of the existence of such historical development, especially the earlier plays did not contain dream, scholarship have ignored this historical background and recognized the mugen Noh is one type. Through this study, I propose the new terms such as utsutsu Noh 現能 or Noh of real world and yume Noh 夢能 or Noh of dream for these six steps and use the term yurei Noh 幽霊能 or ghost Noh to refer to the collective plays.
著者
重田 みち
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.2, pp.9-17, 2006

複雑な成立過程を持つ世阿弥の能楽論『花伝』のうち、応永十年前後に成立したと推測される、当初の「奥義」(後に書き加えられた約半分を除いた部分。本文は現存せず)について、その本文を推定し、執筆の契機と意図について考察した。すなわち、その執筆の契機として、先行する歌論の十体論を世阿弥が知り得たことが挙げられ、その執筆の意図は、当時の自座の役者が古来の大和猿楽の藝風だけに固執しがちなことを批判し、他座の藝風をも視野に入れたすべての藝風を身に付けるべきことを主張することにあったと推測した。