著者
野中 博雄
出版者
桐丘学園 桐生大学・桐生大学短期大学部
雑誌
桐生大学紀要 (ISSN:21864748)
巻号頁・発行日
vol.24, pp.33-41, 2014 (Released:2020-08-14)
参考文献数
9

本論文は、英語借用のカタカナ語について、英語の品詞概念が借入後の日本語での品詞概念に影響するとの仮定 に基づき、「する」を付加されて日本語に借用される英語の日本語での語彙範疇を考察したものである。 筆者は、「コンサイスカタカナ語辞典」(第2版、三省堂、2004)より、「する」を付加されて英語から借用した 402語を抽出し、英語の品詞を、『プログレッシブ英和中辞典』(第4版、小学館、2006)で確認し、「動詞」、「名 詞」、「動名詞」、「名詞と動詞」、「動詞と名詞」と分類した。サンプル語抽出の恣意性を排除するためにrand 関数 を使った。それらの日本語での統語的特徴を観察し、英語借入語が日本語のどの品詞として扱われるべきかの考察 を試みた。 結論として、『英語借用語のカタカナ語の「形容詞+ X 構造」、「X をする構造」、「X する構造」における「X」 の日本語語彙範疇については、英語品詞の動詞性、名詞性の影響を受け、動詞性、名詞性を持った日本語動名詞と しての統語的特徴を持つカタカナ語となる』とした。
著者
野中 博史 Hirofumi NONAKA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.14, no.1, pp.323-341, 2007-03-20

民主主義社会における国家の運営は、自律した国民1人ひとりの意見を基盤とする世論に基づいてなされるのが原則である。国民が意見を表明する際の判断要素となるのは、生まれて以来受けてきた教育や体験を通して獲得した価値観、世界観、利害得失、印象、メディアや他人から得られた情報など様々である。中でもメディアによる継続的で正しい情報は、国民が適切な判断をする際の材料として不可欠の要素であるが、情報に接しない構成員が多い社会では、情報による適切な世論形成は困難になる。また、情報に間違った内容や意図的な操作などのノイズが入った場合も同様である。継続的で正しい情報が不在のまま世論形成がなされ、多数派を形成した社会では構成員の多寡に関わらず、少数派は沈黙しがちとなり、意見の寡占化が進む(沈黙の螺旋)。過剰な情報が意識の画一化、寡占化を促すとの説(象徴的貧困)もあるが、今回の考察では情報が少ない場合に、人々の意見はより寡占化が進む傾向がみられた。多様な意見が失われた社会は、民主主義の理念である多様な意見による社会形成効果が作用せず、全体主義的な空気を醸成する可能性が高くなる。しかし、構成員が非自律的であったにせよ適切な情報や対抗意見(対抗言論)に接すれば、"沈黙の螺旋"から解放され、意見の多様化が担保されるようになる。新聞を使った授業(NIE)でも、児童、生徒に対する教員側からの適切な情報提供や対抗意見を尊重する雰囲気作りが欠かせない。
著者
野中 博史 Hirofumi NONAKA
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 = Bulletin of Miyazaki Municipal University Faculty of Humanities
巻号頁・発行日
vol.12, no.1, pp.221-238, 2005-03-22

薬の副作用などのリスク(危険性)をどのように市民に伝えるか。報道に携わるものにとってリスク情報の取り扱いはきわめて難しい。蓋然性は高くても必然性のないリスク情報は、伝え方によっては社会にパニックを引き起こす。伝えなければ、現実的被害を招く結果になるかもしれない。日本では過去、睡眠薬「サリドマイド」、血友病治療薬「非加熱製剤」、風邪薬「PPA」などの薬害が続き、いずれも統治者である政府の対応の不適切さが指摘されているが、同時にリスクを適切に伝えなかった新聞をはじめとする報道機関の責任も問われるべきではないだろうか。市民(国民)の知る権利に応えるべき報道機関のそうした"報道萎縮"は、市民一人ひとりの安全よりも共同社会の平穏を第一義的に考える報道倫理に原因があると考えられる。統治者と報道機関の"共同幻想"といってもよい。共同幻想社会での報道萎縮は、公共の概念すらも国家や統治者サイドに立ち、市民を信用しない報道となりかねない。それは市民の安全を脅かすものであると同時に民主主義社会そのものを空洞化させる危険性がある。
著者
野中 博史
出版者
宮崎公立大学
雑誌
宮崎公立大学人文学部紀要 (ISSN:13403613)
巻号頁・発行日
vol.15, no.1, pp.265-286, 2008-03-07

メディアのニュースに接して人々は、その内容をどのように受容していくか。ニュースの効果研究に関する先行研究では、20世紀に入ってから様々な例が報告されているが、近年はとくにその効果の大きさが指摘されている。メディアが多様化しているにも係らず、情報や主張、イメージ、映像が画一化し、人々に対するニュース効果は強力になっているとする見方が強い。一方で、過剰な情報や主張、イメージを消化しきれない人間が増え、貧しい判断力や想像力しか持てない"象徴的貧困"状態を招いているとの考察もある。こうした状態で、人々は一般人の常識と合理的推論で判断して「根拠のない不合理な情報」に対してどのように受容するのか。懐疑心を持たずにニュースを受容すれば、人は容易に情報に操作されることになる。逆に言えば、メディアを利用した情報操作が容易になる。本研究では実際の新聞記事を用いて1.人は根拠のない不合理な情報を容易に受容する2.人は根拠のない不合理な情報に魅かれ易い3.人には願望や恐怖心があり、そうした心性が強いほど、それを満足させる不合理な情報も受容しやすい4.人は根拠のある合理的情報に接すると、不合理な判断を修正することが多い-などの知見を得た。合理的推論思考や冷静な思慮を欠如させたニュースの受容性の特徴は、真実を追究しようとする視点の衰退につながり、適正な判断力の育成を阻害する。従って、教育の現場で新聞を活用するNIE(Newspaper in Education)においては、ニュースの受容性の特徴を認識した上で、教員が合理的な推論思考と知識を持ち、児童、生徒の適切な判断力の育成に努めることが大切である。