著者
加藤 慶一郎 鎮目 雅人
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.79, no.4, pp.545-561, 2014-02-25 (Released:2017-05-17)

本稿では,幕末維新期における貨幣の使用実態について検討する。具体的には,幕末において主に匁建ての藩札が使用されていた東讃岐地方の商家の帳簿に記載された個々の取引の分析をもとに,同地方において匁建ての藩札から円貨による取引に移行する過程を明らかにする。分析の結果,新貨条例が公布され,円という通貨単位が導入された明治4年時点では,東讃岐地方では主に匁建ての藩札が使用されていたと考えられること,明治4年から明治9年頃までの間,東讃岐地方では,円単位の紙幣のほか,匁単位の藩札,銭貨などの各種貨幣が混合流通していた可能性が高いこと,明治9年の秋口以降,支払いにおける円貨の比率が急速に高まり,地域内における貨幣の流通状況に変化が生じていたことが示される。本稿の方法論を,各地に残された帳簿の分析に応用することで,同時期における貨幣使用の実態を,より厳密なかたちで検証することができると考えられる。
著者
鎮目 雅人
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.25-47, 2011-05-25 (Released:2017-05-24)

両大戦間期日本のマクロ経済政策に関する研究は,従来から蓄積が厚く,さらに1990年代以降の日本におけるデフレーションと経済成長停滞を受けて,現代にも通じる政策的含意を持った歴史的経験として改めて脚光を浴びることとなり,近年における理論・計量経済学の分野における知見を採り入れる試みもなされるようになってきている。本稿では,最近の経済理論・計量分析の知見も取り入れつつ,商品先物市場の価格データならびに業界誌に掲載された当時の市場関係者の見方から,両大戦間期日本の市場参加者の物価変動に関する予想形成の定式化を試みる。分析の結果,市場参加者は,将来の価格に関する予想形成において,主として内外価格差の動きに着目していた一方,国内金融・財政政策の影響については,これが先行きの物価に大きな影響を与えるとは認識していなかったことが示される。このことは,市場参加者が,閉鎖経済ないし変動相場制下の開放経済ではなく,固定為替相場制下の開放小国経済を前提に,意思決定を行っていたことを示唆している。
著者
井奥 成彦 鎮目 雅人
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.80, no.3, pp.291-296, 2014-11-25 (Released:2017-06-03)

近代日本の金融史研究は,日本銀行,都市銀行,地方銀行については相当量の研究の蓄積があるが,庶民金融についての研究は乏しい。典型的な庶民金融である質屋についてのこれまでの研究は,主として地方や東京の下町の質屋を対象として行われ,質屋は庶民が生活に窮して資金を調達するところであり,庶民から利子を収奪する高利貸であるといったイメージで語られがちであった。本研究では,統計類により東京の質屋全体の動向を俯瞰するとともに,従来研究の乏しかった東京都心の質屋である芝区のT質店にスポットを当て,1915年,25年,35年の質物台帳や顧客名簿といった基本帳簿類の分析を丹念に行った。その結果,質物にその時代の顧客の生活様式とその変化のようす(例えば生活の洋風化や余暇の拡大など)が如実に表れていること,顧客から見た質屋の基本的な役割は,庶民が日常生活を営むために必要な手元流動性を提供する小口,短期,動産担保の消費者金融機関であったことが確認された。
著者
鎮目 雅人
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.77, no.1, pp.25-47, 2011

両大戦間期日本のマクロ経済政策に関する研究は,従来から蓄積が厚く,さらに1990年代以降の日本におけるデフレーションと経済成長停滞を受けて,現代にも通じる政策的含意を持った歴史的経験として改めて脚光を浴びることとなり,近年における理論・計量経済学の分野における知見を採り入れる試みもなされるようになってきている。本稿では,最近の経済理論・計量分析の知見も取り入れつつ,商品先物市場の価格データならびに業界誌に掲載された当時の市場関係者の見方から,両大戦間期日本の市場参加者の物価変動に関する予想形成の定式化を試みる。分析の結果,市場参加者は,将来の価格に関する予想形成において,主として内外価格差の動きに着目していた一方,国内金融・財政政策の影響については,これが先行きの物価に大きな影響を与えるとは認識していなかったことが示される。このことは,市場参加者が,閉鎖経済ないし変動相場制下の開放経済ではなく,固定為替相場制下の開放小国経済を前提に,意思決定を行っていたことを示唆している。