著者
高橋 靖幸
出版者
日本教育社会学会
雑誌
教育社会学研究 (ISSN:03873145)
巻号頁・発行日
vol.102, pp.175-194, 2018-05-31 (Released:2020-03-13)
参考文献数
22

本稿は,昭和戦前期における社会問題としての児童虐待の構築過程で,貰い子殺しと児童労働がどのように問題化され,児童虐待防止法の制定へ結実したかを明らかにする。そのうえで虐待を防止する法律の制定が,日本の近代的な子ども期の語りのあり方にどのような変容をもたらしたかを社会構築主義の視点から考察を行う。 本稿はまず児童保護事業に関する内務省の審議から,児童虐待防止の議論の経過を整理し分析を行った。結果,それらの議論が児童への虐待を重大な問題とする訴えを展開しつつ,一方で虐待問題の範囲を必ずしも確定しないまま進行し,複数の子どもの問題を包含するように発展したことが明らかとなった。 また,児童虐待防止の法制化の議論を考察するにあたり,貰い子殺し事件を契機とする一連の新聞報道を分析した。結果,昭和戦前期における社会問題としての児童虐待の構築が,貰い子殺し事件をはじまりに,内務省社会局の公式統計が示す「実態」を資源としながら,児童労働を社会問題としていったことが明らかとなった。 本稿の分析の結果,児童虐待防止法の成立が,保護と教育の対象としての「子ども期の享受」の議論をうみだし,労働の世界にとどまる,近代的な子ども期を享受しない子どもを問題とする語り方を生成したこと,そしてこの語りが児童労働を児童虐待防止法の成立以前とは違った新たな問題として社会のなかに定着させたことが明らかとなった。
著者
高橋 靖幸
出版者
新潟人間生活学会
雑誌
人間生活学研究 (ISSN:18848591)
巻号頁・発行日
no.8, pp.89-101, 2017

幼稚園や保育所での実習において、学生がその対応に戸惑いと困難をおぼえる場面のひとつは子どもたち同士のけんかやいざこざといった対人葛藤場面である。学生向けに書かれた実習のためのテキストをみると、子どものけんかの仲裁には「子どもの気持ちを大切にすること」が求められることが多い。しかしながら、「子どもたちのけんかやいざこざを解消するためには、かれらの心を共感的に理解することが必要だ」という語りは、現場での経験の浅い学生に困難をもたらす可能性がある。なぜなら問題の中心が、いかにトラブルを解決するかという具体的な仲裁の方法の議論から、いかに子どもの気持ちを共感的にとらえることができるかという新たな議論へ移行することになる可能性を持つからだ。本稿はこうした語りを「共感的理解」言説と呼ぶ。本稿の目的は「共感的理解」言説に内在している問題性を整理し、別の角度から問題を捉えるための枠組みをエスノメソドロジー研究の知見から学び、そしてエスノメソドロジー的な視点から保育の実践を実際に観察し分析してみることにある。それらを踏まえて、エスノメソドロジー的な理解の枠組みが、実習に臨む学生への指導にどのように利用可能かについての考察を行う。本稿の分析と考察の結果として、子どもたちの対人葛藤の仲裁においてはひとつの手続きがあることが明らかとなった。すなわち、「開始の準備」「事実の確認」「動機の確認」そして「規則の確認」という手順である「子どもの心を共感的に理解する」とは、本校の事例に即して言えば、保育士と子どもたちのあいだで、仲裁のための準備が整い、ふたりに何があったのかが双方の聞き取りにより確認され、なぜそうしたことになったのかが同定され、そしてそのような場合にはどうするべきなのかが了解されるひとつひとつの段階の到達のなかで形成されることであった。このような点に着目することで、けんかやいざこざの仲裁について、実習前の学生へ指導や助言を伝える機会に「共感的理解」言説とは違った語りを示すことができるものと考えられる。