- 著者
-
稲葉 浩一
- 出版者
- 日本教育社会学会
- 雑誌
- 教育社会学研究 (ISSN:03873145)
- 巻号頁・発行日
- vol.93, pp.91-115, 2013-11-30 (Released:2015-03-25)
- 参考文献数
- 13
本稿は『生徒指導提要』(文部科学省)の記述に見られるように,児童生徒の個性尊重と児童生徒理解の方法が,しばしば多くの「注文」をつけて語られることに着目し,その実践の起源ともいえる個性調査において実際の教師たちはどのように児童らを「理解」していたのかを明らかにするものである。主として大正期から昭和初期にかけて多く発刊された個性調査のテキストは,典型的には教師の個性調査実践を「客観的基礎」に欠けものとし,そこに「失敗」の可能性を想定するものであった。だが一方本稿が見た大正期の個性調査簿の記録は,そのような方法をもって児童の「ありのまま」に接近するようなものではなく,むしろ個性調査簿の様式に則りながらも,前年度までの児童の「個性」をその次の年度の教師が参照し,児童たちの「らしさ」ともいえる「パターン」を再構成するという言説-解釈実践を行うものであった。これはいうなれば教師による児童の「性格づけ」・「語り継ぎ」の実践であったといえるだろう。以上のことからわかるのは,公的な言説が要求する「理解」のあり方と異なったものであっても,教師は日常生活者として十分な理由をもって児童らの個性を理解=解釈していたということである。その意味で「よりよい精確な」理解が教育現場に要請される以上そこには原理的な「困難」が常に潜在し,「注文」が尽きることはないというのが本稿の結論となる。