41 1 0 0 OA 寛政重脩諸家譜

出版者
國民圖書
巻号頁・発行日
vol.第6輯, 1923

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椿井文書と馬部先生が云う藤原胤政『筑摩社并七箇所之圖』。 藤原家支流の高城家 https://t.co/2anZuNjgB5 。 高城源六郎胤政の甥の高城胤則は 近江国蒲生郡日野生まれの 蒲生氏郷に預けられた。 高城源六郎胤政が小田原攻めで死亡したのは確実? 北条時行みたいに死亡説流れる中存命とかもありえる?
1795年頃『譚海』津村淙庵で光圀が刻んだ「王仁博士墓」の碑とは 交野郡津田村他の領主・水戸家家臣久貝太郎兵衛正武の実子・久貝正順 https://t.co/ILwIqSjBhX と 光圀の『大日本史』編纂の遺志を継いだ水戸藩の誰かという意味なのだろうか? 椿井文書メモ https://t.co/TloKvG1gMt
『河内国交野郡藤坂村旧記』1795年の 「享保十六(1731)年之頃 並川五市郎様御巡見之節 博士王仁塚と相定られ 則御上より石碑建てなされ候事」の 「御上」は新書・椿井文書で紹介された 1719年逝去の久貝弥右衛門正方ではなく 水戸家家臣久貝太郎兵衛正武の実子 久貝正順 https://t.co/ILwIqSjBhX https://t.co/892tZoKK7D
@pririn_ 椿井文書掲載説の久貝弥右衛門は 1719年逝去だから『河内国交野郡藤坂村旧記』の「則御上より石碑建てなされ候事」をそく御上が石碑を建てたと翻訳し、御上を領主と解釈したとしても、 水戸家家臣久貝太郎兵衛正武の実子の久貝正順 https://t.co/ipSdEJK5as 。 では、 https://t.co/HpZvKWwwDm
1795年『河内国交野郡藤坂村旧記』には 1731年『五畿内志』調査に並河誠所来村。 石碑の御上が領主なら椿井文書で紹介された 1719年逝去の久貝弥右衛門正方ではなく 水戸家家臣久貝太郎兵衛正武の実子 https://t.co/ILwIqSjBhX の 久貝正順。 https://t.co/0ZRBwm4Szj
「寛政重修諸家譜」 https://t.co/Y7h48mZu6P 神尾元重 今川氏輝に仕える 久吉 氏輝に仕える 忠重 一條信龍に仕える https://t.co/t35JUZIxDi 神尾彦四郎某 広忠に仕える 利勝 家康に仕える 吉勝-長春-春政(萩原友高が四男)-春央(下島為政が次男)
「寛政重修諸家譜」 https://t.co/Y7h48mZu6P 神尾元重 今川氏輝に仕える 久吉 氏輝に仕える 忠重 一條信龍に仕える https://t.co/t35JUZIxDi 神尾彦四郎某 広忠に仕える 利勝 家康に仕える 吉勝-長春-春政(萩原友高が四男)-春央(下島為政が次男)
伴政方の養子の政胤 https://t.co/GFlVtaFLou ではなく胤政? 古文書から作成した系図に掲載されている名前と書いてあるわね https://t.co/mxHmELfKuv 。 この系統の人物の末裔だった可能性もあって、 藤原家支流は人数が膨大過ぎてわからないわね。 椿井文書と関連づける事も可能ではあるけれど。 https://t.co/nN6MemsQyL
藤原胤政の署名がある筑摩神社所蔵『筑摩社并七箇所之圖』がいつから神社内にあるのかの記録が大事なのかも。 1564年国府台合戦の高城源六郎胤政 https://t.co/eQ5jtIlkzY は藤原家支流 https://t.co/2anZuNjgB5 。彼という想定の絵、または椿井文書なのかな? https://t.co/QcaB9irXo8
土屋忠直の異父弟妹、神尾元勝・相馬利胤の継室 https://t.co/gyzEiyRQYe 神尾元勝 実は松平周防守家臣岡田竹右衛門元次が男、母は岡部丹波守某が女 https://t.co/eUnKpRBzRC 相馬利胤 継室は土屋民部少輔が異父妹、実は松平周防守家臣岡田竹右衛門元次が女。
土屋忠直・都筑介大夫 https://t.co/q0F7ZW3MXu 土屋昌恒 妻は岡部丹波守某が女 土屋忠直 母は丹波守某が女 女子 母は某氏。都筑介大夫某が女。 日根野弘吉の妻が都筑助大夫某の娘 https://t.co/PLWRbpLaQM 日根野弘吉 妻は松平周防守家臣都筑助大夫某が女
@senzosagasiyama ふと思い出したのですが、幕臣旗本に藁科氏がいてその人が天正18年に家康から知行していたのが駿河の浅畠村(たぶん安倍郡)と梅谷郷(たぶん庵原郡)だそうです 寛政譜 https://t.co/7bbvjrlXhp 家紋は上藤丸一文字と寶珠ですね
筑摩神社『筑摩社並七ヵ寺之繪圖 https://t.co/Nvh9uZoyPS 』の 「乙亥年十一月写睪 藤原胤政謹画」 が、1815年椿井政隆作椿井文書ではなく、 1515年藤原氏の支流の高城家の源六郎胤政の写しとかってあり得るのかな? https://t.co/2anZuNjgB5
藤原氏の支流の高城家なら、寛政重脩諸家譜. 第6輯の胤辰 https://t.co/2anZuNjgB5 の弟・源六郎胤政がいるんだな。 藤原胤政ともいえないこともない? そっか、こういう使い方なら、平群姓という系図の名前は変じゃないのか。平群姓○○氏、とかいうから。 でも、 https://t.co/ytyGl8BiHn
「寛政重修諸家譜」 https://t.co/zyab7DTmi1 同様に三枝昌吉は源八郎 平右衛門 土佐守である https://t.co/hzZgFM30Du 三枝昌親が監物である 「甲斐国志」 https://t.co/fmdapKrySM 31コマ目に三枝昌吉 虎吉の男初め源八郎(中略)平右衛門と改む(中略)任₂土佐守 ₁ 32コマ目に三枝監物吉親
@rekisidaisuki8 過去記事みていないんでダブルかもしれませんが、一応確認です。 寛政譜ってごらんになっていますか? 正長の家系がでています。 https://t.co/bk26TtC1Q4 この家系ですよね?
@jokaku_horoki 備前から伊勢を経て三河に入ったという伝説があるそうな(多分、江戸時代に作った・・・) https://t.co/2QrorKJ1J9
@lalan1858 @zasetsushirazu 岩瀬内記家は忠震が養子に入った岩瀬市兵衛家の本家筋にあたります。 https://t.co/0zvGAMgymU
信濃藤四郎と松平肥前守 候補1 前田利常 慶長10年に松平姓を賜り寛永6年に肥前守に任命されている 寛政重修諸家譜 第1131巻 https://t.co/1vwSh8Xbz3 本筋と関係ないけど平野藤四郎をはじめ吉光の脇差多すぎ https://t.co/cJbXTPJyUz
Webで公開されていました(大正時代の活字本)。 今まで図書館の活字本をコピーした苦労は一体……。 https://t.co/RclCK6k6sy https://t.co/47c9ItHoCx #寛政重修諸家譜 #筒井氏
Webで公開されていました(大正時代の活字本)。 今まで図書館の活字本をコピーした苦労は一体……。 https://t.co/RclCK6k6sy https://t.co/47c9ItHoCx #寛政重修諸家譜 #筒井氏
@opentiyodo 既にまとめのある藤公偉業記以外だと、寛政重脩諸家譜. 第6輯287コマ(永田正吉について)が抜けて……ますかね。ただちよどさんご自身の「鍋割正国の歴史(詳細版)」に詳しく情報載ってますので不要と言えば不要? https://t.co/EnnEepG8qz

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編集者: Bcxfubot
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編集者: 松茸
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編集者: デザインケーヴ
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