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浦出卓郎@『足に敷かれた花』発売中!
浦出卓郎@『足に敷かれた花』発売中! (
@T_urade1987
)
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投稿一覧(最新100件)
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神奈川近代文学館所蔵久生十蘭特別資料に関する文献学的研究
実際日本史だと徳富蘇峰とか良く知られてる種本の存在が指摘されています。 https://t.co/lnH5tvUf36
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鴻池屋・永岡儀兵衛の周縁 : 「五節句図」に付属する抱一書簡二通に注目して
新選組と縁のある鴻池屋永岡儀兵衛について論文がネットで読めるようになっていますね。結構当時の史料ではこの家よく見かけます。 https://t.co/Yp855SrAvq
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森島中良の見た海彼の文化 -『紅毛雑話』『万国新話』を中心に-
RT @zasetsushirazu: 文化7年12月4日(1810年12月29日)、森島中良(桂川甫粲)が死去。『紅毛雑話』・『万国新話』・『琉球談』などの著作がある。岡田袈裟男「森島中良の見た海彼の文化」(『国文学研究』151、2007年)曰く、「海禁の時代の日本人としては…
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柏崎市史資料集
新選組隊士というか衝鋒隊隊士の元井和一郎、wikipediaの情報どこが出典かわからなかったんですが、『柏崎市史資料集』の一巻に記述ありました。新選組には全くふれておらず。他に赤報隊もちょっと出てます。 https://t.co/Kwy16U94OU
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日野市史史料集
@tori_haruaki 「大野源次郎」を継いでいた家は日野の下川原に実在していたんですよ。明治期のものですが。同じ人かは分からないですね。 https://t.co/IGfDoRqpzS
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風俗 : 日本風俗史学会会誌
@SagamiNoriaki デジタル送信が見られればこちらで。あと随筆百花苑の牟田高惇日記にも出ているようですね。会津藩教育史にも。勝馬の子息らしき人物が勝太郎です。 https://t.co/x5r1xXuWu7
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芳野金陵家塾「逢原堂」門人録の翻印
芳野金陵の門人録。伊庭八郎、金陵と繋がりは有名かもしれませんがはっきり文久二年に門下生になっていたんですね。しかし三郎とは誰か。 https://t.co/7PobufAbyx
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富ノ沢麟太郎集
現状入手困難で古書価格高騰中の『富ノ澤麟太郎集』が読めるようになったというのはなかなか凄いです。 https://t.co/M0Yl2VvS2U
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佐川町誌
『佐川町史』に那須盛馬の書翰がほぼ全文含まれています。平尾道雄は一部使っていますが、あまり知られていないものなのでは。西郷の一存で田中光顕が薩摩藩に召し抱えられたことなどが書かれており、興味深い。 https://t.co/qovq1zFYCs
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入薩日記草稿(コピー)
田中新兵衛が鵜木孫兵衛、志々目献吉らと島田龍章を暗殺した出典って小河一敏の入薩日記だったんですね。余り知られていないのでは。 https://t.co/9SDZBgECGb
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地下家伝
@kannonjijou こちらでも系図が見れます。久世家家臣だという記録はなく飽くまで滝口武士となってますね。 https://t.co/qbki4jvcvL
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明治維新赤穂志士高野の殉難
RT @T_urade1987: 出典はこちら、同志細木元太郎の書簡です。原六郎のものも載ってます。 https://t.co/4Dz0CM1zr9
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本朝武家諸姓分脈系図
@NFt0LnabR2IDH7C ありがとうございます。たぶんその家かなと。麹町常仙寺が墓所と記録されていますね。遠山資尹は文人だったそうですが……。 https://t.co/TyqatV6cM1
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[資料紹介] 「梅本記」 : 嘉永二年新吉原梅本屋佐吉抱遊女付け火一件史料の紹介
『梅本記』の中の遊女関係史料翻刻。当時の喋り言葉を使って書かれたものです。教養の高い女性は所謂「女言葉」を使うように定められていただけで、大多数の女性は普通に喋っていたし書いていたことが明らかになりますね。 https://t.co/pIPMcsp3mc
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[大沼枕山・鶴林関係資料]
後年編集のもののようですが、大沼枕山の門人帳がネットで見れまして、小島守政はあるものの、近藤の名前は見えない。 https://t.co/KJDeVs38dz
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往事録
RT @T_urade1987: 西村茂樹が「往事録」にて回顧するところによると慶応三年十二月十三日(本人は十一月としていますが、途中まで一緒だった平野縫殿の記録では十二月)、西村は大坂に下る途中で伏見寺田屋に泊し、その地で土方歳三と土佐藩士の「小争闘」を見ています。 http…
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国民過去帳
国民過去帳(『明治過去帳』)より前野五郎(左上)没日も流布しているものより半年も違います。新選組云々の過去は記載されず。新選組隊士の中では分かっている人という印象でしたが、調べた方がいいでしょうね。 https://t.co/vIBqBmQ0So
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茨城縣報
@genmaysan 永井家は学者筋で志士気質も併せ持っていますからね。道明の兄で芳之介の後を継いだ本家を継いだ道直も小学校で訓導をやっていたと言う情報がありました。 https://t.co/mWwoJAn6lQ
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埼玉叢書
@n_Fushimi_243 分かったかも知れません。落合直亮が『飯能騒擾日記』を著し、埼玉叢書に収録されている由。落合の作だとすると木村家に所蔵があってもおかしくないのでは。 https://t.co/7PwSKmFJVf
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幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化 : 「御用状」にみえる土佐勤王党への対応を素材に
RT @oretatami: https://t.co/Oy2Yy6KWIi 幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化 : 「御用状」にみえる土佐勤王党への対応を素材に 「土佐藩京都藩邸史料」では土佐勤王党のこともこんなにいろいろ書かれてるんだあ…!面白かったです
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肥後藩国事史料
正確には松村十助のようです。松田重助の書き間違いとも思えますが。 https://t.co/CBV4OlhY7P
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中山忠能履歴資料
中山忠能宛の正親町公董書状に面白い記述が。古高俊太郎の口書が触書として張り出されたと。他の風説書にも古高口書が写されているんですが、これで伝存経緯が判明するのでは。 https://t.co/jEkbl2QhNN
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武田観柳斎書簡 河村宛
この書簡で武田観柳斎は桂川で魚釣りしたと書いており、つまりそれだけ非番の日が多かったということなんでしょうね。しかし武田と釣りで絡めたフィクションは意外に少なそうです。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
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武田観柳斎書簡 河村宛
RT @T_urade1987: 大河ドラマの影響もあってか、川村正平関係文書がデジタル公開されましたね。武田観柳斎の直筆書簡も誰でも見れるようになりました。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
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覚(人見姓・中川姓の人名書上げ)
人見、中川両苗の書き上げも含まれていることは気になりますね。武田もここに絡んでいますからね。 https://t.co/0CILuaPCA9
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鈴藤勇次郎書簡 川村正平宛
鈴藤勇次郎の書簡。どうも平岡円四郎暗殺事件で川村が水戸藩の刺客と応戦の際使った刀は鈴藤のものだったようです。顔に傷を負った川村に「尊兄当時は大いにモテ風聞有之御浦山敷奉存候」と言っていますね。 https://t.co/QM7gDjj9KX
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武田観柳斎書簡 河村宛
大河ドラマの影響もあってか、川村正平関係文書がデジタル公開されましたね。武田観柳斎の直筆書簡も誰でも見れるようになりました。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
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巣内信善遺稿
RT @T_urade1987: 古高俊太郎らですが、六角獄で斬り殺された可能性はあるでしょう。少し後になりますが刑死とされる村井政礼は出獄させると言われ、外に出されたところを斬られたと同獄にいた巣内式部が書いています。奉行所が私的なかたちで斬ったものを処刑と述べていたことにな…
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巣内信善遺稿
古高俊太郎らですが、六角獄で斬り殺された可能性はあるでしょう。少し後になりますが刑死とされる村井政礼は出獄させると言われ、外に出されたところを斬られたと同獄にいた巣内式部が書いています。奉行所が私的なかたちで斬ったものを処刑と述べていたことになりますね。 https://t.co/d5b4l94xid
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京都市及接続町村地籍図
@busyo3 書中に出ている藤治は国友家の出生、辻井ふみ子の入り婿だったそうです。地籍では大橋町109番地。となればここが豊後屋で確定でしょうね。 https://t.co/nnaditaect https://t.co/Y5mDFivE6x
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維新の史蹟
@busyo3 こちらが詳しいです。豊後屋の本姓は辻井で写真まで掲載されていますね。友七は明治十六年没。宿帳も残っていたと書かれています。 https://t.co/77dRTGOxYV
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会津藩庁記録
@busyo3 不正確ですが「小倉役人ゟ申出候書付之写」『会津藩庁記録』には「今泉与太郎」の名前が記されています。新家・前木が六月から同行、今泉や関口泰次郎らは中山忠光に挨拶の後、七月下向で分かれていたのでは。 https://t.co/WAS9pwdw4U
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贈従五位入沢恭平先生日記
RT @T_urade1987: 松本良順の弟子入沢恭平の日記では、良順、小曽根乾堂、司馬凌海が長崎の大浦で船中酒宴を催したなる記述があります。意外に龍馬と新選組は接点が多いんですよね。 https://t.co/GSrXUtKxb3
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贈従五位入沢恭平先生日記
松本良順の弟子入沢恭平の日記では、良順、小曽根乾堂、司馬凌海が長崎の大浦で船中酒宴を催したなる記述があります。意外に龍馬と新選組は接点が多いんですよね。 https://t.co/GSrXUtKxb3
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神田銀町松下町茅場町沽券図
江戸時代の沽券図ですが、明治以後のものとは違いが見られます。地主がいるのは当然としても家守(差配人と同義)の存在が確認できます。 https://t.co/tYTBfzz6RO
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原市之進暗殺事件の高橋泥舟・山岡鉄舟黒幕説を否定する
RT @T_urade1987: 『原市之進暗殺事件の高橋泥舟・山岡鉄舟黒幕説を否定する』がciniiに投稿されていました。この事件に関しては画期的な論考になりました。 https://t.co/VpAa3pCoba
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近江国輿地志略
@kirinosakujin @n_Fushimi_243 『近江国輿地志略』引用の寺記には「曼珠(ママ)院御門跡末寺也云云」とあるので幕末期頃にはそう認識されていたのは間違いないでしょう。曼殊院諸大夫に山本重胤って人がいますが、太宰の父なのか。 https://t.co/rW6eIVUhcR
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彰義隊戦史
@a_ri_no_ri 暗殺説の出典は『彰義隊戦史』で、これが何度か使い回されています。あと『江戸幕臣人名事典』に明細短冊からの情報が、『駿遠に移住した徳川家臣団 第三編』にも記載ありますね。 https://t.co/bQpyfLFRtu
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川俣茂七郎
『川俣茂七郎』によれば天狗党高橋上総介(赤報隊の高橋新太郎)、色々やったと書かれていますね。神職だからと言って必ずしも大人しかったと言う訳ではないようです。 https://t.co/E9faIRrSLj
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幕末維新福井名流戸籍調
RT @T_urade1987: @domioriha 橋本綱常と綱維は別人です。『幕末維新福井名流戸籍調』に壬申戸籍の写しみたいなものが載っています。こちらの彦也が綱維、琢磨がその弟の綱常です。千代の名前と年齢も見られますね。 https://t.co/MU3YNDc5PY
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町方書上
町方書上だと家数が七十五軒もあって想像以上に中川町は広かったですね。地借一とあるのが道場でしょうか。時期的には伊東誠一郎が若かった頃ではあるんですけどね。 https://t.co/6fc2MskypE
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幕末維新福井名流戸籍調
@domioriha 橋本綱常と綱維は別人です。『幕末維新福井名流戸籍調』に壬申戸籍の写しみたいなものが載っています。こちらの彦也が綱維、琢磨がその弟の綱常です。千代の名前と年齢も見られますね。 https://t.co/MU3YNDc5PY
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法規分類大全
川村伝衛は伝左衛門の息子、婿養子が伝蔵です。深川中川町一番地とあるので、ここに土地を持っていたことは確定でしょうね。 https://t.co/6sedOpWJCq
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原市之進暗殺事件の高橋泥舟・山岡鉄舟黒幕説を否定する
『原市之進暗殺事件の高橋泥舟・山岡鉄舟黒幕説を否定する』がciniiに投稿されていました。この事件に関しては画期的な論考になりました。 https://t.co/VpAa3pCoba
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年録
@shidacita64 紀伊守の養子なので宗孝でした。消しておきます。どちらも内匠の弟なので勘違いでした。 https://t.co/NTPgkzjxOo
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東京市史稿
芳賀敬太郎、永倉と同年ぐらいと思われていましたが、想像以上に年を食っていたかも知れません。こちらで四谷内藤宿に屋敷替えされているのですが、弘化元年です。「諸向地面取調書」を見ると「芳賀禄之助」が四谷内藤宿にいます。これ口書の「六之助」のことですよね。 https://t.co/SnBlBvdFpc
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維新史蹟図説
『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn
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明治維新赤穂志士高野の殉難
出典はこちら、同志細木元太郎の書簡です。原六郎のものも載ってます。 https://t.co/4Dz0CM1zr9
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女士道 : 鉄舟夫人英子談話
@sinsenlove0505 ありえそうな話ですね。他の本でも裏付けられそうなエピソードが。中央公論に生霊の話を引用したらしきものが載っていて、見たところ『全生庵記録抜萃(鉄舟居士乃真面目)』あたりではないかと。 https://t.co/vK2gg8iaLL
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人見・中川両苗と新撰組-幕末における二つの「郷士」集団-
@hiragumo99 ネットで見れるものだと「人見・中川両苗と新撰組-幕末における二つの「郷士」集団-」、それと愛媛県先哲偉人叢書の矢野玄道の巻でしょうか。 https://t.co/F9g5l0jLop
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筑紫熱血 : 神州正気
@sasakitoru こちら、天誅組の中山忠光と吉村虎太郎と連動関係にあったようです。藤本鉄石・飯居簡平が上げたメンバーのなかに佐々木六角源氏太夫の名前がありますので、おそらく同一人物かと。 https://t.co/U8UyFPTvm1
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筑紫熱血 : 神州正気
@machi82175302 こちらです。たぶんこれ熊本県立図書館に所蔵があるものと同一かと。轟木は結構史料が残ってますね。 https://t.co/VD2R7dsTAn
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商工信用録
@n_Fushimi_243 @kirinosakujin 明治三十二年で開業五十年を迎えているので嘉永二年から神田黒門町にいるみたいですね。 https://t.co/O9gV9yQUx3
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往事録
西村茂樹が「往事録」にて回顧するところによると慶応三年十二月十三日(本人は十一月としていますが、途中まで一緒だった平野縫殿の記録では十二月)、西村は大坂に下る途中で伏見寺田屋に泊し、その地で土方歳三と土佐藩士の「小争闘」を見ています。 https://t.co/bjqM4uFMeW
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近世野史
まあ見比べれば一目瞭然なんですが。西村のオリジナルなものではなく、どこからか入手したものを転載したとみるべきでしょう。対して芹澤鴨が犯人というのは西村が直接壬生浪士に聞いた話である可能性が高い。 https://t.co/qujvgSmquT https://t.co/wMqSmBFHEK
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続再夢紀事
@_rinrin_rinko この二人、結構前から繋がりありますからね。宗城の日記でもよくでてくるんですが。高崎猪太郎って諸侯と繋がりを持ちスパイ見たいなことをやっていた人ですので。 https://t.co/PvtMyJMz98 …
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ロラン夫人獄中記の再読 : フランス革命の証言として
RT @ao_iro3011: 「ロラン夫人獄中記の再読」という論文を読みました! 去年の12月くらいに発表されたばかりらしいです
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相楽総三関係史料集
安房里見家の子孫を称する花沢常吉は一応浪士名簿で確認出来ます。こちらも赤報隊史料集が新編される際は入れられるべき史料ですね。 https://t.co/Y1G1kyLTwY
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不動尊秘密陀羅尼経
@Mico_Yuzu こっちに載っていました。ただ紀伊郡吉祥院村との繋がりは不明。 https://t.co/cpcorcdsPC
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〔日記〕
@yaduki_bm 宍戸は日記が見れるようになったので、ある程度裏取りも出来るんじゃないかと思います。 https://t.co/963iD2NUAe https://t.co/TjpZ9dCNVq https://t.co/NEFRvcKobS
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〔日記〕
@yaduki_bm 宍戸は日記が見れるようになったので、ある程度裏取りも出来るんじゃないかと思います。 https://t.co/963iD2NUAe https://t.co/TjpZ9dCNVq https://t.co/NEFRvcKobS
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〔日記〕
@yaduki_bm 宍戸は日記が見れるようになったので、ある程度裏取りも出来るんじゃないかと思います。 https://t.co/963iD2NUAe https://t.co/TjpZ9dCNVq https://t.co/NEFRvcKobS
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加賀松雲公
@rinne_bsr @inshinzi 加賀藩士に鷲田弥太郎、鷲田作右衛門、鷲田弥左衛門を称した家が存在するんですが、無関係ではなさそうですね。加賀から福井へと流れたのでは。 https://t.co/XwSfhpDU2V https://t.co/7bJwpZZXLT
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大久保利通日記
意外に史料はあるものですね。伊藤、大久保が共に三条の屋敷に向かい、木戸は伊藤と落ち合おうとしたが出来なかった。さらに木戸は帰宅直後に腹痛を起こした。木戸日記は五時とあります、とすれば予定通りに行われたのか。 https://t.co/72fNOujnGk https://t.co/jN548Yg6Iq
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木戸孝允日記
意外に史料はあるものですね。伊藤、大久保が共に三条の屋敷に向かい、木戸は伊藤と落ち合おうとしたが出来なかった。さらに木戸は帰宅直後に腹痛を起こした。木戸日記は五時とあります、とすれば予定通りに行われたのか。 https://t.co/72fNOujnGk https://t.co/jN548Yg6Iq
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江戸の蘭学者--文政期『医家人名録』の分析から (共同研究 地域蘭学の総合的研究) -- (第一部 医学と蘭学)
RT @zasetsushirazu: 海原亮「江戸の蘭学者」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)は、文政2〜3年に刊行された『江戸今世医家人名録』を分析。「江戸における「医療」環境の実態を解明する基礎的な作業」として、土生玄碩・華岡青洲・大槻玄沢・伊東玄朴・坪井信道の門人…
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仁礼景範航米日記(その二)
@n_Fushimi_243 仁礼日記だと肥後十郎(慶応義塾塾生)と健蔵が伊東四郎左衛門(祐亨)と木場十蔵が一緒にアメリカにやってきたことを知らせているんですよね。 https://t.co/rbS7hS9YKb
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幕末期における豪農層の活動 : 長倉村大森彦重道義を中心に
RT @T_urade1987: 中村早知惠『幕末期における豪農層の活動 長倉村大森彦重道義を中心に』(茨城県立歴史館報45所収)を入手しました。末尾に「御上京御供東海道上下記」全文翻刻されています。大高又次郎は桜任蔵の分骨に関わった由。古高俊太郎は古高喜衛門として名前が現れま…
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年録
@domioriha 年録を見たら勘右衛門実子惣領ってなっていました。間違いないでしょうね。系譜が残る寛政期から安政まで五十年近くあるんですが、その間世代交代なかったんでしょうか。静岡移住後が分かっているということは明治以後の名乗り=諱も判明してるんですか。 https://t.co/5tB3HUlcdg
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佐倉順天堂門人とその広がり--門人帳にみる門人とその史料をめぐって (共同研究 地域蘭学の総合的研究) -- (第二部 蘭学の地域的展開と交流)
RT @zasetsushirazu: 土佐博文「佐倉順天堂門人とその広がり」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116、2004年)は、数千人の門人がいたとされる佐倉順天堂(蘭医・佐藤泰然が開いた)について、慶応元年閏5月の門人帳から、門人たちの事績を紹介。明治期に軍医となった西…
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維新史の片影塩沢元長
@AkTngt 『維新史の片影塩沢元長』という本には豪雄の弟上野梅蔵が左京となっていますね。これは改名したんでしょうか。 https://t.co/KAVO4uVvZH
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職員録
@AkTngt こちらの豊岡で看守長をしていた人と同一人物でしょうか。 https://t.co/BhW9lofpoK
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谷干城遺稿
@ho7na @history_916 『修業日記残缺』ですよね。この日記もなかなか意外な名前が多く出てますね。 https://t.co/3Dt4fHj11Q
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浮沈日記
@ho7na 立石の日記によれば九日の五更(午前三時~午前五時)頃とのことですね。当時の感覚だと九日襲撃と言った方が良いかも知れません。 https://t.co/AcA7kKGBRh
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浮沈日記
RT @T_urade1987: 大久保利通関連文書、面白いですね。第二奇兵隊立石孫一郎が殺されたときに所持していたらしい「浮沈日記」が読めます。新館精一郎と会ったことは他の史料から分かりますが、楢林昌建とも面会していたり、色々と興味深い。 https://t.co/B1gS9…
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浮沈日記
大久保利通関連文書、面白いですね。第二奇兵隊立石孫一郎が殺されたときに所持していたらしい「浮沈日記」が読めます。新館精一郎と会ったことは他の史料から分かりますが、楢林昌建とも面会していたり、色々と興味深い。 https://t.co/B1gS9SOL5h
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谷干城遺稿
@history_916 干城本人が記していますが、ちょっと微妙な表現ですね。鍛冶橋土佐藩邸へ出向いて、お吸い物とお酒を貰ったのは干城ですが家老の「巳屋」へ出向いて暴行したのは「同様頂戴の徒数人」で干城本人は関わっていないのでは。自分も酒を好むので危ないところだったとあります。 https://t.co/A46xlWayUo
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籏本姓名高寄
RT @T_urade1987: まあ、それだけ選択肢が減った、ということでもありますけどね。寛政期頃のものと思われる『旧幕府旗本人名録』(弥惣左衛門信孝が現れます)で二十八家、この『籏本姓名高寄』で二十三家なので未記載が五家と言うことになりますので。URLはこちらです。 ht…
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籏本姓名高寄
まあ、それだけ選択肢が減った、ということでもありますけどね。寛政期頃のものと思われる『旧幕府旗本人名録』(弥惣左衛門信孝が現れます)で二十八家、この『籏本姓名高寄』で二十三家なので未記載が五家と言うことになりますので。URLはこちらです。 https://t.co/qj1ze3H4FI
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御府内場末往還其外沿革圖書
RT @T_urade1987: 青木弥太郎の系譜について、私の中では謎の部分あったんですが、ようやく分かりました。青木八十次郎信之(秋助)→実子惣領青木金次郎→養子青木定太郎(弥太郎?)でした。屋敷は内藤新宿にあり、『御府内場末往還其外沿革図書』で変遷が分かります。 http…
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大月明著『近世日本の儒学と洋学』 : 思文閣出版 一九八八・九刊 A5 三六八頁
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
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御府内場末往還其外沿革圖書
青木弥太郎の系譜について、私の中では謎の部分あったんですが、ようやく分かりました。青木八十次郎信之(秋助)→実子惣領青木金次郎→養子青木定太郎(弥太郎?)でした。屋敷は内藤新宿にあり、『御府内場末往還其外沿革図書』で変遷が分かります。 https://t.co/DOByruzDhJ
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寛政重脩諸家譜
ちなみに寛政譜にあるので系図は繋げますね。どこまで情報を集めておられたかは記憶にありませんが……。 https://t.co/K6B4I3DaOJ
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蜀山人全集
意外ですが高柳粂蔵と南畝大田直次郎は同僚でした。そのため、「おしてるの記」に名前を現しています。 https://t.co/t7f8AYPNKL
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相対替御書附書抜
RT @T_urade1987: 高柳小三郎家が下谷和泉橋に越してきた年も分かりました。天保十四年九月二十七日のことです。「右衛門督殿郡奉行」の肩書きです。右衛門督とは不明ですが田安家でしょうか? とすると御三卿の家来から、幕臣になったというところでしょうね。 https://…
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相対替御書附書抜
高柳小三郎家が下谷和泉橋に越してきた年も分かりました。天保十四年九月二十七日のことです。「右衛門督殿郡奉行」の肩書きです。右衛門督とは不明ですが田安家でしょうか? とすると御三卿の家来から、幕臣になったというところでしょうね。 https://t.co/Iy3UIKrn33
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御府内往還其外沿革図書
左端に高柳小三郎邸がありますね。 https://t.co/7kCGfB1xyt
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史籍雑纂
これを見れば分かるように大政奉還で会津藩は驚愕、寝耳に水と言った反応を示しています。「六ケ年来の御誠忠も、水の泡と相成候」とまで書いている訳で、会津にとって大政奉還は望ましい事態ではなかった訳ですね。それを断行した後藤、小松が敵になるのも分かります。 https://t.co/m34MMbuazo
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相楽総三関係史料集
@n_Fushimi_243 岩波甚兵衛でした。彼が伊藤らを始めとした高島藩領の農民を徴用して東山道鎮撫総督府に従軍、近藤勇と戦っていたようですね。 https://t.co/vgCYBEG3BQ
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ロー・アングル 現行民法典を創った人びと(24)査定委員(32)木下周一(33)斯波淳六郎 外伝(20)内閣法制局
RT @zasetsushirazu: 昭和6年1月2日、斯波淳六郎が死去。幕末の加賀藩家老の家に生まれた。明治17年にドイツ留学する際、同じ船には橋本長勝(橋本左内の甥)らがいたらしい。帰国後、法制局参事官などを歴任。七戸克彦「現行民法典を創った人びと(24)」(『法学セミナ…
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前将軍としての慶喜卿
RT @saigetudo: 国立国会図書館デジタルコレクション 『前将軍としての慶喜卿』 市村残月 著/春江堂書店/大正2年 https://t.co/W7LEQKdPRy 懐かしいものがネットで閲覧できるようになった感慨
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旅日記にみる近世末期の女性の旅--「旅の大衆化」への位置づけをめぐる一考察 (旅--江戸の旅から鉄道旅行へ)
RT @zasetsushirazu: 山本志乃「旅日記にみる近世末期の女性の旅」(『国立歴史民俗博物館研究報告』155)は、清河八郎の母親や松尾多勢子など、女性たちの旅行を分析。幕末期にはすでに一般化していた無手形による違法の関所抜けが、流動人口の増加や宿場への経済効果をもた…
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徳川慶喜公伝
@komusai06311 @uwabutatsunori 「痴雲随筆」なる本もあります。「晩香堂雑纂」所収なので残念ですが焼亡したのでしょう。他に森銑三が言及してるっぽいです。森所有の史料もほとんど焼亡したようですからね。 https://t.co/TL935UNtBA
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会津藩庁記録
RT @T_urade1987: こちらの「京都方浪士人別」に出ている万年大進が誰だか分かりました。恐らく誤記で万年大純が正確でしょう。漢学者で医師だったようですね。 萬年櫟山の名前で『皇國醫系』という本を文久元年に出しています。それなりに知られていたようですね。 https:…
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雋傑坂本龍馬
@busyo3 発行日が違うものが存在する由。 https://t.co/6jhUYqm3cV
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国民過去帳
@tikougouitu 一応ネットで読めます。再刊されたものと内容に変化はあるんでしょうか。 https://t.co/Pdy5etZFqi
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朝彦親王の広島謫遷に関する新史料とその考察
@busyo3 これに関して先行論文があるようですね。 https://t.co/K6efUUbc9e
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幕末維新福井名流戸籍調
@nagisanoyuki 今思い出したんですがこの本ご存じですか? 福井の人物を調べておられる方なら使えるんじゃないかと思います。 https://t.co/jr2HxGLarQ
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日本杏林要覧
@09Kumano 『日本杏林要覧』を確認すると安政元年生まれとあるので本人ではないでしょうね。ただ長州藩領だと尾崎姓の医者はこの人ぐらいです。徳山藩領にはいますが。 https://t.co/plnS7by7Kf
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内務省免許全国医師薬舗産婆一覧
@09Kumano それは気になりますね。木戸の日記から明治初年までは存命だったことが分かり明治十五年の『内務省免許全国医師薬舗産婆一覧』を当たってみました。すると山口県に「尾崎文菴」という医者の存在が確認出来ます。改名したのか息子なのかと言ったところでしょう。 https://t.co/VrdvPo9XuS
お気に入り一覧(最新100件)
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カドミウムを吸収しないイネの開発と実用化に向けた挑戦
カドミウムを吸収しないイネの開発と実用化に向けた挑戦 https://t.co/Xc8sY4BGTw 「あきたこまちR」のご先祖「コシヒカリ環1号」が開発された経緯。生物学にちょっと詳しい人向け
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斎藤勇見彦『欧州御巡回中日記』に見られる徳川頼倫一行のイスタンブル訪問
PDFあり。 ⇒奥山 直司 「斎藤勇見彦『欧州御巡回中日記』に見られる徳川頼倫一行のイスタンブル訪問」 『アジア文化研究所研究年報』57号 (2023/2) https://t.co/Vql1QvPVGf
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死生の境
新選組の隊服が黒ずくめと言ったのは渡辺昇という人らしい 元ネタはこの辺かな? 黒装束云々の前に、話が理解できないよぉ https://t.co/mn7xuTwFMm
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京都名所案内図会
こちらの遠藤茂平とは画風が違うような気がする…けど 画像は遠藤茂平編『京都名所案内図会』 ※国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/OFLvsBNaY1 https://t.co/Bzsu8BMIMf
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描かれた古墳出土品 : 明治十四年の発掘調査
宮川 禎一『描かれた古墳出土品ー明治十四年の発掘調査ー』 https://t.co/67VMCVHPdU 図はこちら(解像度低い) https://t.co/keQRO5VoSy
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江戸期おんな考
毛内滝子については柴桂子(1994)「毛内滝子と『愛桜亭家集』」江戸期おんな考.(4)が詳しい。 https://t.co/bPzCNvt6Ny
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戊辰物語
この毛内有之助の武器の話が出ている『戊辰物語』は、現在は岩波文庫で出版されているが国会図書館デジタルコレクションでも読める。 https://t.co/7YUtJJVJEf
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亡友帖
長谷川鉄之進の話題になったので調べたところ、 「亡友帖」(国デジ:石田英吉関係文書1-19) https://t.co/TqeZt0IELq 慶応4.5.23建白〔王師討賊の事〕(北の丸:建00001100) https://t.co/ffx1azHG17 などを発見。「亡友帖」は時期が慶応3年冬の上京途中なのが興味深い。
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前原一誠 : 不運なる革命児
前原一誠 : 不運なる革命児 130コマ。 https://t.co/tfKr6huwMe これの元になった記事がおそらく西南記伝下巻2の一柳訪伝。 65コマ。 https://t.co/UW6M26092x
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西南記伝
前原一誠 : 不運なる革命児 130コマ。 https://t.co/tfKr6huwMe これの元になった記事がおそらく西南記伝下巻2の一柳訪伝。 65コマ。 https://t.co/UW6M26092x
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国事鞅掌者の映像-2-〔含 権田直助,藤川三渓著書目録〕
明治20年6月8日、権田直助が死去。国学者・医師で、慶応3年に江戸の薩摩藩邸に入り、相楽総三らと気脈を通じた。明治初期に、丸山作楽らと反政府の陰謀に関与したことを疑われた。安藤良平「国事鞅掌者の映像 2」(『跡見学園女子大学紀要』15)が、権田の著作一覧を掲載。 https://t.co/aTdhajB1Qh
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幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化 : 「御用状」にみえる土佐勤王党への対応を素材に
https://t.co/Oy2Yy6KWIi 幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化 : 「御用状」にみえる土佐勤王党への対応を素材に 「土佐藩京都藩邸史料」では土佐勤王党のこともこんなにいろいろ書かれてるんだあ…!面白かったです
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東京市史稿
めちゃくちゃ気になるのが、平岡庄助の屋敷が上知された翌年の寛保3(1743)5月7日付の史料に登場する「御掃除之者 庄助」という名字の無い人物。平岡庄助その人ではなかろうか? https://t.co/L8aavLvkxh
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東京市史稿
上の「本所割下水近所安藤伊兵衛平岡庄助両人上ヶ地」の史料の日付は寛保2(1742)5月9日だが、5月12日付史料に「本所北割下水」「平岡庄八」の記述がある。 https://t.co/V3jN7y2bUB
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東京市史稿
寛保2(1742)に「本所割下水近所安藤伊兵衛平岡庄助両人上ヶ地」を林部五郎左衛門が拝領したという史料がある。 https://t.co/vZjnmLJexw
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南洲翁逸話
家近良樹『西郷隆盛』でも参考にされてたこれ、面白い。鹿児島の各町村に調査委員を置いて、まだ存命だった古老からの聞き取りを収めたもの。鹿児島に銅像が出来たときに発行されたらしい。こういう仕事は本当に重要で、いい仕事されたと思う。 https://t.co/XhKJ2Whtya
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森島中良の見た海彼の文化 -『紅毛雑話』『万国新話』を中心に-
文化7年12月4日(1810年12月29日)、森島中良(桂川甫粲)が死去。『紅毛雑話』・『万国新話』・『琉球談』などの著作がある。岡田袈裟男「森島中良の見た海彼の文化」(『国文学研究』151、2007年)曰く、「海禁の時代の日本人としては希に見る異文化の了解者であった」。 https://t.co/RBebIU7D0h
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大名と江戸町名主の社会的・経済的関係の解明による明治維新史の新側面に関する研究
@T_urade1987 https://t.co/knsEYiwDQQ
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維新日乗纂輯
ついでに、維新日乗纂輯 5 駒邸警衞日記69コマにも西山勇之介の名前があった。 駒邸警衛日記は宮本春祇(甚兵衛)の日記。安政6年の3月に水戸を出て江戸の藩邸警備に加わって以来の記録。西山勇之介の名前が出てくるのは安政6年9月7日の日記。 https://t.co/JZVzmEsIEa
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木戸松菊公逸事 : 史実考証
この時、西山は捕縛されているが、後に許されて徳川慶篤の上洛に付き添っている。これについては木戸松菊公逸事 : 史実考証の77コマに触れられている。 (木戸松菊は木戸孝允のこと https://t.co/LSmsxMMoOK
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水戸藩末史料
なお、西山勇之介は水戸藩の武士として何度か史料に名前が確認できる。 まず、水戸藩末史料 31コマ。勅許返納騒動で絶対反対派に与し、茨城の長岡宿に集まったメンバーの中に林忠左衛門がいるが、彼らの中に西山勇之介の名前がある。 https://t.co/L5DjI7nKws
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『諸向地面取調書』人名索引について
他の方のツイートを見て気がついたのだけど諸向地面取調書の名前のリストがあるのね https://t.co/Ecgtm8zYRO これで探して名前があれば公文書館の諸向地面取調書を見れば良いと言うことか https://t.co/6LRdOa6nuL
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年録
@T_urade1987 こそっと https://t.co/ZsAP1pPTlE 別家から養子にきていそうですね
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日本語の教材としてのアーネスト・サトウ『会話篇』
1929年8月26日、アーネスト・サトウが死去。幕末・明治の日本で通訳や公使として活躍した英国人で、神道や国学を研究するぐらい日本語が堪能。兪三善「日本語の教材としてのアーネスト・サトウ『会話篇』」(『實踐國文學』96)は、サトウの著作を日本語の教材として分析。 https://t.co/VyVcgPjg0f
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京都市及接続町村地籍図
@T_urade1987 京都奉行所与力同心の大縄地(京都武鑑の図面)の御池屋敷の場所は葛野郡朱雀野村大字西之京字京職町の範囲ではないかと推測します。 図面 https://t.co/hFDzBm1YSs 当時の所有者 https://t.co/WeLXgpLXte
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京都市及接続町村地籍図
@T_urade1987 京都奉行所与力同心の大縄地(京都武鑑の図面)の御池屋敷の場所は葛野郡朱雀野村大字西之京字京職町の範囲ではないかと推測します。 図面 https://t.co/hFDzBm1YSs 当時の所有者 https://t.co/WeLXgpLXte
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師範大学講座体育
@T_urade1987 『永井道明自叙伝』は、この論文に戦中と戦後の事を追記して、なんとか形にした物なんですよね。 『師範大学講座体育 第1』 「師範大學講座體育第五巻 余が十八年間の體育的生活並にその感想」永井道明 - 国立国会図書館デジタル https://t.co/xJCdeNcPis
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周防国氷上山興隆寺の旧境内とその堂舎配置
七卿、吉川経幹公関連で氷上真光院について検索してたら見つけた論文。 ええの見つけた(*´ω`) CiNii 論文 - 周防国氷上山興隆寺の旧境内とその堂舎配置 https://t.co/xMLvqNF09v #CiNii
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ロラン夫人獄中記の再読 : フランス革命の証言として
「ロラン夫人獄中記の再読」という論文を読みました! 去年の12月くらいに発表されたばかりらしいです
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年録
藤岡屋日記では「助左衛門実子惣領」となっている錦之助だが、この「助左衛門」が「甚右衛門」となっている資料と、https://t.co/GFZ4BfSMbi 年録によると「勘右衛門」となっていることが確認できる。藤岡屋日記が誤字の模様。 https://t.co/2m1okrjuvc
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明治前期産業発達史資料
堀越角次郎(安平)に絡んだ攘夷浪士が山田一郎、岩城拓磨(太熊?)、木村久之丞だったというのはどこが発端なんだろう。明治前期産業発達史資料https://t.co/IfV80mLag6に載ってるが、それより早いヤツだと慶應義塾学報か?https://t.co/1H9u9rjzmx https://t.co/UVVRO9NBIL
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遺稿永井道明自叙伝
→ そもそも『永井道明自叙伝』は、 永井道明が亡くなった後、集まった香典を使って遺されていた自叙伝を出版しましょう、という経緯で書籍化されたもの。 なので寄稿文は全て「追悼文」なんです。 #いだてん #いだてん史料噺 『遺稿 永井道明自叙伝』 https://t.co/k1z2vjSsQG
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江戸の蘭学者--文政期『医家人名録』の分析から (共同研究 地域蘭学の総合的研究) -- (第一部 医学と蘭学)
海原亮「江戸の蘭学者」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)は、文政2〜3年に刊行された『江戸今世医家人名録』を分析。「江戸における「医療」環境の実態を解明する基礎的な作業」として、土生玄碩・華岡青洲・大槻玄沢・伊東玄朴・坪井信道の門人帳を、人名録と照合。 https://t.co/Z1NBUncPmL
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維新の変革と幕臣の系譜:改革派勢力を中心に(6) -国家形成と忠誠の転移相克-
明治14年5月2日、藤沢次謙が死去。幕末の幕臣で、慶応4年に勝海舟が陸軍総裁に就任した際、副総裁に就任。菊地久「維新の変革と幕臣の系譜(6)」(『北大法学論集』32-3)は、「幕政改革推進もしくは賛同の有司層」から明治政府に出仕した旧幕臣として紹介。 https://t.co/3aq5CZjJmA
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佐倉順天堂門人とその広がり--門人帳にみる門人とその史料をめぐって (共同研究 地域蘭学の総合的研究) -- (第二部 蘭学の地域的展開と交流)
土佐博文「佐倉順天堂門人とその広がり」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116、2004年)は、数千人の門人がいたとされる佐倉順天堂(蘭医・佐藤泰然が開いた)について、慶応元年閏5月の門人帳から、門人たちの事績を紹介。明治期に軍医となった西友輔らの関連史料も紹介。 https://t.co/xCZeOthyRO
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洋上の対話--世界に向かう中日知識人の精神構造
明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝との船中での対話を紹介。 https://t.co/HF64LWbedA
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大月明著『近世日本の儒学と洋学』 : 思文閣出版 一九八八・九刊 A5 三六八頁
昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲載された沼田哲氏の書評。 https://t.co/eBL1WHsjgN
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慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―
佐々木克『幕末政治と薩摩藩』を久々に拝読。薩長同盟に関しては、だいぶ私の見解と異なっている。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月)を参照下さい。https://t.co/qtxOT4vv0S
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維新前後の政争と小栗上野
<ちょっと自分用のメモ> 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/xhCt66lkkC 維新前後の政争と小栗上野 続 蜷川新 著 日本書院出版部 昭和6 二八 水野筑後守と佐賀鍋島侯との應接/185
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戊辰之役館林藩一番隊奥羽戦記
@aoba_mandolin @T_urade1987 @machi82175302 関山村へ向かった館林藩兵の戦記です。9月3日、会津兵の待ち伏せに遭って大混乱に陥ったとあります。このとき、山田司が戦死しています。 https://t.co/jG1azExOaS
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薩藩出軍戦状
@T_urade1987 @aoba_mandolin @machi82175302 薩藩出軍戦状に私領三番隊 山田司「戦死」とありますね。 https://t.co/Zkdxl4DGe7
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ロー・アングル 現行民法典を創った人びと(24)査定委員(32)木下周一(33)斯波淳六郎 外伝(20)内閣法制局
昭和6年1月2日、斯波淳六郎が死去。幕末の加賀藩家老の家に生まれた。明治17年にドイツ留学する際、同じ船には橋本長勝(橋本左内の甥)らがいたらしい。帰国後、法制局参事官などを歴任。七戸克彦「現行民法典を創った人びと(24)」(『法学セミナー』56-4)などを参照。 https://t.co/i8VnPMw6PX
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前将軍としての慶喜卿
国立国会図書館デジタルコレクション 『前将軍としての慶喜卿』 市村残月 著/春江堂書店/大正2年 https://t.co/W7LEQKdPRy 懐かしいものがネットで閲覧できるようになった感慨
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第一次長州征伐における薩摩藩――西郷吉之助の動向を中心に――
拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩-西郷吉之助の動向を中心に-」(『神田外語大学日本研究所紀要8号』、2016年)は以下を参照下さい。https://t.co/bR9OnAxGwv
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職員録
美川秀信さんの、実在証拠探し。 思いっきり行き詰まりましたので、少し寄り道します(笑涙) 「大日本帝国」時代の、全ての公務員職員録より。仁川水産試験場場長の証拠、その2です。 #いだてん 職員録.昭和14年7月1日現在 -国立国会図書館デジタル https://t.co/cn7l9QUfOs https://t.co/5OGplt0USP
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幕府海軍における「業前」と身分
水上たかね「幕府海軍における「業前」と身分」(『史学雑誌』122-11、2013年)曰く、幕末の幕府海軍では職務に必要な能力を「業前」と呼んで重視し、人材を登用した。だが、「家」の枠組は強固で、家督相続で別の役職に就いて海軍を離れる人材流出の問題などがあった。 https://t.co/yhNhvRbhtb
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近代日本の先駆的企業家--石河正竜と大島高任
明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く、「紡績業の興隆に尽瘁した人」。 https://t.co/Ho91sW22wJ
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角田家本梅田雲浜安政大獄吟味関係資料について
安政6年9月14日(1859年10月9日)、梅田雲浜が死去。安政大獄で最初に逮捕され、獄死。中島嘉文「角田家本梅田雲浜安政大獄吟味関係資料について」(『福井県文書館研究紀要』13)は、雲浜の取り調べ調書を分析し、「尊攘運動の理論的支柱」として朝廷で期待されたとする。 https://t.co/I6EKCFy9FZ
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佐々友房と独逸学 : 熊本独学史より
明治39年9月28日、佐々友房が死去。幕末の熊本藩出身で、西南戦争で西郷軍に参加して投獄された。上村直己「佐々友房と独逸学」(『熊本学園大学論集 総合科学』20-2)曰く、「勤王・国権を一大主義とする紫溟会を有志と共に結成。天皇主権を主とする国権論を主張した」。 https://t.co/p5xGrpC9Pv
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平田塾と地方国学の展開 : 備前国学を例に
明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。岡山藩重臣で、文久2年に京都で国事周旋を開始。中川和明「平田塾と地方国学の展開」(『書物・出版と社会変容』11)曰く、「岡山藩の幕末維新史を語るうえでたいへん重要な人物」。その家臣が足利三代木像梟首事件に関与。 https://t.co/BZUKMIXuJQ
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社会文化史 (特集 日本研究の道しるべ : 必読の一〇〇冊)
奈良勝司「社会文化史」(『日本研究』57、2018年)は、奈良勝司『明治維新と世界認識体系』(有志舎)、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)、笠谷和比古『近世武家社会の政治構造』(吉川弘文館)、渡辺尚志『近世百姓の底力』(敬文舎)などの文献を紹介。 https://t.co/CmQUN8utHV
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山本覚馬覚え書(5)「管見」を中心に
慶応4年6月27日(1868年8月15日)、英学者・嵯峨根良吉が死去。幕末の宮津藩出身で、薩摩藩の開成所に雇用された。竹内力雄「山本覚馬覚え書(5)「管見」を中心に」(『同志社談叢』34)は、慶応3年に、赤松小三郎と同一内容の政体改革意見書を島津久光に提出したことを言及。 https://t.co/UHsSFHSX1v
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中岡慎太郎
ただ古高はそれを得られなかったため、中岡自ら中沼に弟子入りしたというのが尾崎卓爾『中岡慎太郎』(1926年、80頁、以下サイトのコマ番号55)以来の説なのだが、これは信用できる史料で裏づけられてはいない。https://t.co/GOxlhfJPAm
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伊達宗城とその周辺(続):岩瀬忠雲、永井尚志ほか
明治2年6月6日(1869年7月14日)、鵜殿鳩翁(長鋭)が死去。幕臣で、日米和親条約交渉に携わり、文久3年に浪士組取扱。永井尚志は、「人材登庸を重んし、職掌を辱めす」と評した(河内八郎「伊達宗城とその周辺(続)」『茨城大学人文学部紀要 人文学科論集』23、1990年)。 https://t.co/FJ08lhk5hc
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青年大木喬任と佐賀勤王党
文久2年5月25日(1862年6月22日)、佐賀藩士・中野方蔵が死去。老中・安藤信正が襲撃された坂下門外の変への関与を疑われ、獄死。重松優「青年大木喬任と佐賀勤王党」(『社学研論集』11)曰く、「佐賀藩では、中野は数少ない勤王運動の犠牲者」。江藤新平・大木喬任と親密。 https://t.co/wHWQjvDug6
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目に見えないネットワーク : 明治初年ラトガースにおける日本人留学生
ファーナンダ・ペローン「目に見えないネットワーク」(『近代日本研究』34、2017年)曰く、幕末〜明治初期に米国留学した日本人の多くは、ラトガース大学に入った。例えば、横井左平太、横井大平、畠山義成、松村淳蔵、吉田清成。基本的に英文で、日本語要旨が付いている。 https://t.co/E5TTkS570k
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平田神学の遺産
明治20年5月19日、矢野玄道が死去。幕末維新期の著名な平田派国学者で、千人以上の門人がいたらしい。また、間接的な影響力という点で、三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)が、大隈重信・副島種臣らを指導した枝吉神陽が、矢野と親しかったことを指摘。 https://t.co/LxgdGWkguC
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平安時代前期における儀礼整備史の基礎的研究
全文公開の博論をいくつか発見。高橋秀城『中世密教文学の研究』(https://t.co/qiGONkKvte)、廣瀬良文『中世禅宗の展開と相伝資料 : 特に曹洞宗の説話を中心として』(https://t.co/Yr5b94LpV0)、佐野真人『平安時代前期における儀礼整備史の基礎的研究』(https://t.co/EJtdzI6unq)。凄い…。
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台湾総督府内務部長古荘嘉門について
大正4年5月11日、古荘嘉門が死去。幕末の肥後藩出身で、井上毅と同門。明治初期に河上彦斎と共に反政府の運動に関与。野口真広「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」(『社学研論集』4)曰く、明治20年代の対外硬運動を担った国権党初代総理で、日本の台湾統治の重要人物。 https://t.co/U3mq6IrDAI
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戸張伝右衛門『慶応日記帳』にみる御料兵の実態について : 慶応四年四月脱走前の動向 (清水信行教授退任記念号)
岩田みゆき「戸張伝右衛門『慶応日記帳』にみる御料兵の実態について-慶応四年四月脱走前の動向-」(『青山史学』36、2018年)は、幕領で御料兵として徴発された戸張伝右衛門の日記を分析。戊辰戦争で会津まで赴いて新政府軍と戦った人物で、ここでは江戸開城頃までを扱う。 https://t.co/Jomyh3i1q8
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処世の大道
[処世の大道 渋沢栄一 著]幕臣だった頃の渋沢栄一が近藤勇を褒めてる本はこれです…!!!!あと土方歳三ともちょっとお仕事している(一緒にピクニッ……護衛をしてお弁当を食べました)340コマ目からどうぞ https://t.co/9BwOW8EQWm https://t.co/9ucUa10Zk1
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『東京地学協会報告』(明治一二-三〇年) : 明治前半の日本地理学史資料として
明治39年4月8日、長岡護美(雲海)が死去。熊本藩主・細川韶邦の弟で、幕末政局で「肥後の牛若」と称されたらしい。明治期にオランダ公使などを歴任。東京地学協会の設立主唱者の1人。石田龍次郎「『東京地学協会報告』(明治一二-三〇年) 」(『社会学研究』10)参照。 https://t.co/KUIX07DXit
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【資料紹介】森銑三刈谷日記・上(大正五年六月一七日~一二月三〇日)
昭和60年3月7日、森銑三が死去。『森銑三著作集』が「正」と「続」の合計で30冊ある。高木浩明「資料紹介 森銑三刈谷日記・上(大正五年六月一七日~一二月三〇日)」(『書物・出版と社会変容』21、2018年)は、幕末の国学者・村上忠順の旧蔵書を整理したときの日記を紹介。 https://t.co/ilSY7MBGLd
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長州戦争と労働者 (第11回国際日本学コンソーシアム はたらく/あそぶ) -- (日本文化部会)
柳澤京子「長州戦争と労働者」(『お茶の水女子大学比較日本学教育研究センター研究年報』13、2017年)は、幕末の長州戦争(長州征伐、幕長戦争)において、いわゆる諸隊に参加した賃銀労働者集団を分析。諸隊の内部や周辺には、「稼ぎ」を求める人々が集っていたと指摘。 https://t.co/2UWQXV40Fe
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『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢 (三) - 「薩摩藩邸焼き討ち事件」の史料的解明 その二 -
慶応3年12月25日(1868年1月19日)、三田の薩摩藩邸焼き討ち事件があった。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、諸史料から事件の実態解明を試み、益満休之助が会津藩に捕まったことなどを指摘した。 https://t.co/ON7tEWs3HA
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心身鍛練
出典は『心身鍛練』https://t.co/51xpWb3CGq
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明治二十年代における「鎖国論」の多様性 : 徳富蘇峰「明治年間の鎖国論」を中心に
昭和32年11月2日、徳富蘇峰(猪一郎)が死去。『近世日本国民史』全100巻など多数の著作があり、言論界で影響力を持った。大島明秀「明治二十年代における「鎖国論」の多様性」(『日本文藝研究』59・3/4)は、蘇峰が『国民之友』に発表した「明治年間の鎖国論」を分析。 https://t.co/ZBlcqoAt2t
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日本石油会社の成立と展開 : 日本における「近代石油産業」の成立
山口万吉の名前は知らなかったけど、日本石油の設立発起人の一人なんだな。設立の中心となった山口権三郎と同姓なので、親戚かな。 https://t.co/DH0Bu0rlKa
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生浜 : 本校5年の歩み
【メモ】阪田雄一「足利直義と桃井直常」(千葉県立生浜高等学校五周年記念誌・研究紀要『生浜』、1983年)、同「足利直義・直冬偏諱考」(國學院大學地方史研究会機関誌『史翰』21、1994年)。wikiで知った。後者は所蔵先が多い。前者の所蔵は名古屋大学附属図書館のみ?https://t.co/H5tW3lDjLF
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明治7年台湾出兵の出兵名義について--柳原前光全権公使の交渉を中心にして
明治27年9月2日、柳原前光が死去。明治の外交官。公家出身の逸材として、西園寺公望と並び称される。明治期には、主に外交分野で活躍した。野口真広「明治7年台湾出兵の出兵名義について」(『ソシオサイエンス』11)は、台湾出兵をめぐる清国との交渉における柳原を分析。 https://t.co/6WUzVvtZrA
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第一次長州征伐における薩摩藩――西郷吉之助の動向を中心に――
拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に―」(『日本研究所紀要』8号、2016年)は、以下からダウンロード可能です。https://t.co/in1GB6YkW2
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スキー黍明期における永井道明によるスキー普及活動について
レルヒのスキーに関する記述には永井道名という人名が出て来て、誰かと思って調べたらちゃんと調査論文があった。故中浦皓至氏の論文かと思ったら別の著者。 『スキー黎明期における永井道明によるスキー普及活動について』 https://t.co/76pmTN6cbf
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近世上野国における馬庭念流および武術諸流派の伝播に関する基礎的研究
@morokoshoten 妻沼聖天に田部井源兵衛が揮毫した馬庭念流の奉納額があり、昨年の展示会で写真を撮っていました。おそらく外に飾られていないものだと思います。名は辛うじて読めました。 https://t.co/yXtKekRAqv https://t.co/Cwj139A4gF
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慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―
続き)近藤長次郎は坂本龍馬とこの時点では同格であり、薩長融和に果たした役割を看過すべきではない」として、近藤長次郎を高く評価している。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできます。https://t.co/A65OnLMHFg
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川路高子『上総日記』解題
井上勲「川路高子『上総日記』解題」(『学習院大学文学部史料館紀要』13、2005年)は、幕末の幕臣・川路聖謨が一時期、小大名を超える威厳を持つほど幕府内で出世したことを紹介し、その妻・高子の立場を説明。夫の聖謨が自害した後を生き続ける高子の心境などを読み解く。 https://t.co/8DSHOwa28V
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〔第17号 新古雑録 他〕
史談会速記録あさってて見つけた副産物〔第17号 新古雑録 他〕. 史談会ニ提出シタル島津家ニ於テ維新史料編纂ノ方針 https://t.co/tl90VYGz4Q
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贈従五位志摩利右衛門
@T_urade1987 中島錫胤と小室信夫について少し触れられている書籍があるので紹介させていただきますね 大正5年なので後年の記録ではあるのですが 「贈従五位 志摩利右衛門」(木像梟首事件で逃げる中島と小室を匿った阿波の商人です) https://t.co/r2HJI3HzCo
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大正名家録
『大正名家録』より象牙商 登山長蔵。牙彫作品の出品人として名前はよく見るが人物について書いたものは見たことなかったような https://t.co/RwZmxZJ2rl 高村光太郎『回想録』にも「外山」となっているが名前がみられるhttps://t.co/EQWP5upZAW
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出世双六にみる幕臣の出世 (中近世における武士と武家の資料論的研究)
高久智広「出世双六にみる幕臣の出世」(『国立歴史民俗博物館研究報告』182、2014年)は、武士の出世を題材にした双六を題材に、江戸幕府の幕臣たちの出世観などを分析。上司や同僚との間の贈答儀礼が、昇進と不可分の関係にあったと指摘。 https://t.co/lNltbiCRYX
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防長回天史
該当箇所「防長回天史四」264~265頁 https://t.co/x9eg6nb9pm 小説なんかで言われてる「攘夷ムリって指摘したから(蒙昧な)攘夷派に斬られた」ってのとはニュアンス違った。
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萩藩文久改革期の政治組織 : 政事堂の創設と両職制の改編
J-STAGE Articles - 萩藩文久改革期の政治組織 : 政事堂の創設と両職制の改編 https://t.co/8szpPwBbm8 76頁と79頁の概念図は印刷して取っておきたいなあ
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ロー・アングル 現行民法典を創った人びと(17)査定委員(14)三浦安(15)河島醇(16)神鞭知常 外伝(13)五大法律学校(その3)専修大学
明治43年12月11日、三浦安(休太郎)が死去。幕末の紀州藩士時代、坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺に関与した(新選組を教唆した)と疑われたこともある。明治期は東京府知事などを歴任。文献に、七戸克彦「現行民法典を創った人びと(17)」(『法学セミナー』55-9)など。 https://t.co/Ty8c8mtXDn
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山口県文書館所蔵アーカイブズガイド : 学校教育編(5)
明治26年12月5日、幕末の会津藩主だった松平容保が死去。新選組を配下に持つ京都守護職を務めた。慶応3年、いわゆる討幕の密勅と同時に、容保討伐の文書も作成されていた。『山口県文書館研究紀要』42号に、容保を批判して怪物のように描いた風説書が紹介されている。 https://t.co/o01Cw0RGun
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鶴寿録
浦出卓郎@小説家になろう連載中 @T_urade1987 さんより情報提供をいただきました。 明治41年10月発刊の鶴寿録という書籍で、宮城県内の80才以上の高齢者の氏名を収録した書籍のようです。 同書籍に寺嶋金三郎の名前を見つけていただきました。 https://t.co/9V4apgCcEA
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戊辰庄内戦争録
ただ、同書の巻3の出張人名簿に陶山隊には菅原の名はなく、小笠原幸吉という人物が記載。同じく死傷調においても陶山隊の8/19の負傷者は小笠原幸吉となっております https://t.co/hKX22VfLcE のコマ番号163、26ページ中段、右から5人目 https://t.co/hKX22VfLcE のコマ番号204、108ページ下段、一番左
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戊辰庄内戦争録
菅原幸吉は庄内藩士の陶山臼兵衛部隊に所属しており、官軍との戦闘により負傷した旨が書かれております。 https://t.co/VIP2I3lJpG のコマ番号119です。206ページの後ろから6行目下部よりに記載あり
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蜂須賀斉裕
昭和初頭、第13代徳島藩主・蜂須賀斉裕公に関する書籍が刊行されています 「蜂須賀斉裕」昭和18年 大政翼賛会徳島県支部 https://t.co/d1PaSoZjjR 「正三位蜂須賀斉裕公事蹟:御贈位記念」昭和4年 https://t.co/aqahdZqRlq
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正三位蜂須賀斉裕公事蹟 : 御贈位記念
昭和初頭、第13代徳島藩主・蜂須賀斉裕公に関する書籍が刊行されています 「蜂須賀斉裕」昭和18年 大政翼賛会徳島県支部 https://t.co/d1PaSoZjjR 「正三位蜂須賀斉裕公事蹟:御贈位記念」昭和4年 https://t.co/aqahdZqRlq
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浪士姓名簿
【新選組】先ほどつぶやいた、所在がわかった浪士組の「浪士姓名簿」は、1月には見つかっていて、ネットなどでは話題になっていました、ちなみに書誌情報が、CiNiiに掲載されています https://t.co/PG0SDlBBME
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書簡にみる福沢諭吉の男女論と男女観
西澤直子「書簡にみる福沢諭吉の男女論と男女観」(『近代日本研究』20、2003年)は、従来の福沢諭吉研究において、史料の活用方法に課題点があったことを指摘。例えば福沢の女性論を考察する際、福沢の著作の分析に偏っていたと指摘する。 https://t.co/hhfJj1QVi3
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浪士姓名簿
@morokoshoten 突然すみません。「浪士姓名簿」はこちらのものとは違うのでしょうか? https://t.co/xk0ODRtLw7
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持続する志(4)秋月悌次郎と佐佐木高行
中西達治「持続する志(4) 秋月悌次郎と佐佐木高行」(『金城学院大学論集 人文科学編』10-2、2014年)は、明治5年に赦免されて明治政府に参加した秋月悌次郎や手代木直右衛門の動向を、佐々木高行の日記『保古飛呂比』などから紹介。 https://t.co/pgPISknn5v
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木戸孝允と神田孝平における「官」と「民」 : 新聞とのかかわりと政治観とを中心に
CiNii 論文 - 木戸孝允と神田孝平における「官」と「民」 : 新聞とのかかわりと政治観とを中心に https://t.co/6VzQYYkRpd #CiNii
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木戸松菊公逸話 : 史実参照
http://t.co/3dPp6IHfP7 ここの妻木先生の解説で「公の旧知である会津の武井完平が商估となつて訪問した。」ってあったから、木戸さんと会津の人が知り合いになりそうな機会っていうと、文久元年のあの辺の話かな、と思ったら当たりだった。 予想が当たると嬉しい。
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木戸孝允日記
http://t.co/dZAlEcBCCs 木戸日記の明治9年3月2日に多田荘蔵の名前が出てた。晩年アレみたいな記述をどっかで見たんだけど、生きてたんだ多田さん。
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防長回天史
http://t.co/DfxtgWNjCx 攘夷決行日当日 能登の如きは砲撃は意なきなりと因て南木工之助を光明寺に遣はし軽挙事を誤るべからざるを告ぐ光明寺党固より急激の徒多し之れを聞き嘆じて曰く我徒逡巡決せず敵艦の遁去を致さば遺憾之れより甚しきはなしと営中騒然命を奉ずるの色なし
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維新日乗纂輯
ヤジの日記(慶応二年五月~)も載ってました。 維新日乗纂輯. 第2 http://t.co/z2d4ulZ5NY 真木直人日記 P.1(9コマ) 宮部鼎造水野丹後手記 P.395(212コマ) 品川弥次郎日記 P.461(246コマ) #近デジ未読リスト
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維新日乗纂輯
久坂の日記(文久二~三)が近デジで読めたので覚書 維新日乗纂輯. 第1 http://t.co/QyIAy82mxB 白石正一郎日記 P.1~(9コマ) 江月斎日乗 P.475~(255コマ) #近デジ未読リスト
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