浦出卓郎@小説家になろう連載中 (@T_urade1987)

投稿一覧(最新100件)

2 2 2 0 OA 商工信用録

@n_Fushimi_243 @kirinosakujin 明治三十二年で開業五十年を迎えているので嘉永二年から神田黒門町にいるみたいですね。 https://t.co/O9gV9yQUx3

4 3 0 0 OA 往事録

西村茂樹が「往事録」にて回顧するところによると慶応三年十二月十三日(本人は十一月としていますが、途中まで一緒だった平野縫殿の記録では十二月)、西村は大坂に下る途中で伏見寺田屋に泊し、その地で土方歳三と土佐藩士の「小争闘」を見ています。 https://t.co/bjqM4uFMeW

10 1 0 0 OA 近世野史

まあ見比べれば一目瞭然なんですが。西村のオリジナルなものではなく、どこからか入手したものを転載したとみるべきでしょう。対して芹澤鴨が犯人というのは西村が直接壬生浪士に聞いた話である可能性が高い。 https://t.co/qujvgSmquT https://t.co/wMqSmBFHEK

6 0 0 0 OA 続再夢紀事

@_rinrin_rinko この二人、結構前から繋がりありますからね。宗城の日記でもよくでてくるんですが。高崎猪太郎って諸侯と繋がりを持ちスパイ見たいなことをやっていた人ですので。 https://t.co/PvtMyJMz98 …
RT @ao_iro3011: 「ロラン夫人獄中記の再読」という論文を読みました! 去年の12月くらいに発表されたばかりらしいです
安房里見家の子孫を称する花沢常吉は一応浪士名簿で確認出来ます。こちらも赤報隊史料集が新編される際は入れられるべき史料ですね。 https://t.co/Y1G1kyLTwY
@Mico_Yuzu こっちに載っていました。ただ紀伊郡吉祥院村との繋がりは不明。 https://t.co/cpcorcdsPC

1 0 0 0 OA 〔日記〕

@yaduki_bm 宍戸は日記が見れるようになったので、ある程度裏取りも出来るんじゃないかと思います。 https://t.co/963iD2NUAe https://t.co/TjpZ9dCNVq https://t.co/NEFRvcKobS

1 0 0 0 OA 〔日記〕

@yaduki_bm 宍戸は日記が見れるようになったので、ある程度裏取りも出来るんじゃないかと思います。 https://t.co/963iD2NUAe https://t.co/TjpZ9dCNVq https://t.co/NEFRvcKobS

1 0 0 0 OA 〔日記〕

@yaduki_bm 宍戸は日記が見れるようになったので、ある程度裏取りも出来るんじゃないかと思います。 https://t.co/963iD2NUAe https://t.co/TjpZ9dCNVq https://t.co/NEFRvcKobS

1 0 0 0 OA 加賀松雲公

@rinne_bsr @inshinzi 加賀藩士に鷲田弥太郎、鷲田作右衛門、鷲田弥左衛門を称した家が存在するんですが、無関係ではなさそうですね。加賀から福井へと流れたのでは。 https://t.co/XwSfhpDU2V https://t.co/7bJwpZZXLT
意外に史料はあるものですね。伊藤、大久保が共に三条の屋敷に向かい、木戸は伊藤と落ち合おうとしたが出来なかった。さらに木戸は帰宅直後に腹痛を起こした。木戸日記は五時とあります、とすれば予定通りに行われたのか。 https://t.co/72fNOujnGk https://t.co/jN548Yg6Iq

19 0 0 0 OA 木戸孝允日記

意外に史料はあるものですね。伊藤、大久保が共に三条の屋敷に向かい、木戸は伊藤と落ち合おうとしたが出来なかった。さらに木戸は帰宅直後に腹痛を起こした。木戸日記は五時とあります、とすれば予定通りに行われたのか。 https://t.co/72fNOujnGk https://t.co/jN548Yg6Iq
@n_Fushimi_243 仁礼日記だと肥後十郎(慶応義塾塾生)と健蔵が伊東四郎左衛門(祐亨)と木場十蔵が一緒にアメリカにやってきたことを知らせているんですよね。 https://t.co/rbS7hS9YKb
RT @T_urade1987: 中村早知惠『幕末期における豪農層の活動 長倉村大森彦重道義を中心に』(茨城県立歴史館報45所収)を入手しました。末尾に「御上京御供東海道上下記」全文翻刻されています。大高又次郎は桜任蔵の分骨に関わった由。古高俊太郎は古高喜衛門として名前が現れま…

2 0 0 0 OA 年録

@domioriha 年録を見たら勘右衛門実子惣領ってなっていました。間違いないでしょうね。系譜が残る寛政期から安政まで五十年近くあるんですが、その間世代交代なかったんでしょうか。静岡移住後が分かっているということは明治以後の名乗り=諱も判明してるんですか。 https://t.co/5tB3HUlcdg
RT @zasetsushirazu: 土佐博文「佐倉順天堂門人とその広がり」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116、2004年)は、数千人の門人がいたとされる佐倉順天堂(蘭医・佐藤泰然が開いた)について、慶応元年閏5月の門人帳から、門人たちの事績を紹介。明治期に軍医となった西…
@AkTngt 『維新史の片影塩沢元長』という本には豪雄の弟上野梅蔵が左京となっていますね。これは改名したんでしょうか。 https://t.co/KAVO4uVvZH

1 0 0 0 OA 職員録

@AkTngt こちらの豊岡で看守長をしていた人と同一人物でしょうか。 https://t.co/BhW9lofpoK

12 2 0 0 OA 谷干城遺稿

@ho7na @history_916 『修業日記残缺』ですよね。この日記もなかなか意外な名前が多く出てますね。 https://t.co/3Dt4fHj11Q

5 0 0 0 OA 浮沈日記

@ho7na 立石の日記によれば九日の五更(午前三時~午前五時)頃とのことですね。当時の感覚だと九日襲撃と言った方が良いかも知れません。 https://t.co/AcA7kKGBRh

5 0 0 0 OA 浮沈日記

RT @T_urade1987: 大久保利通関連文書、面白いですね。第二奇兵隊立石孫一郎が殺されたときに所持していたらしい「浮沈日記」が読めます。新館精一郎と会ったことは他の史料から分かりますが、楢林昌建とも面会していたり、色々と興味深い。 https://t.co/B1gS9…

5 0 0 0 OA 浮沈日記

大久保利通関連文書、面白いですね。第二奇兵隊立石孫一郎が殺されたときに所持していたらしい「浮沈日記」が読めます。新館精一郎と会ったことは他の史料から分かりますが、楢林昌建とも面会していたり、色々と興味深い。 https://t.co/B1gS9SOL5h

12 2 0 0 OA 谷干城遺稿

@history_916 干城本人が記していますが、ちょっと微妙な表現ですね。鍛冶橋土佐藩邸へ出向いて、お吸い物とお酒を貰ったのは干城ですが家老の「巳屋」へ出向いて暴行したのは「同様頂戴の徒数人」で干城本人は関わっていないのでは。自分も酒を好むので危ないところだったとあります。 https://t.co/A46xlWayUo

2 0 0 0 OA 籏本姓名高寄

RT @T_urade1987: まあ、それだけ選択肢が減った、ということでもありますけどね。寛政期頃のものと思われる『旧幕府旗本人名録』(弥惣左衛門信孝が現れます)で二十八家、この『籏本姓名高寄』で二十三家なので未記載が五家と言うことになりますので。URLはこちらです。 ht…

2 0 0 0 OA 籏本姓名高寄

まあ、それだけ選択肢が減った、ということでもありますけどね。寛政期頃のものと思われる『旧幕府旗本人名録』(弥惣左衛門信孝が現れます)で二十八家、この『籏本姓名高寄』で二十三家なので未記載が五家と言うことになりますので。URLはこちらです。 https://t.co/qj1ze3H4FI
RT @T_urade1987: 青木弥太郎の系譜について、私の中では謎の部分あったんですが、ようやく分かりました。青木八十次郎信之(秋助)→実子惣領青木金次郎→養子青木定太郎(弥太郎?)でした。屋敷は内藤新宿にあり、『御府内場末往還其外沿革図書』で変遷が分かります。 http…
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
青木弥太郎の系譜について、私の中では謎の部分あったんですが、ようやく分かりました。青木八十次郎信之(秋助)→実子惣領青木金次郎→養子青木定太郎(弥太郎?)でした。屋敷は内藤新宿にあり、『御府内場末往還其外沿革図書』で変遷が分かります。 https://t.co/DOByruzDhJ

31 0 0 0 OA 寛政重脩諸家譜

ちなみに寛政譜にあるので系図は繋げますね。どこまで情報を集めておられたかは記憶にありませんが……。 https://t.co/K6B4I3DaOJ

4 0 0 0 OA 蜀山人全集

意外ですが高柳粂蔵と南畝大田直次郎は同僚でした。そのため、「おしてるの記」に名前を現しています。 https://t.co/t7f8AYPNKL
RT @T_urade1987: 高柳小三郎家が下谷和泉橋に越してきた年も分かりました。天保十四年九月二十七日のことです。「右衛門督殿郡奉行」の肩書きです。右衛門督とは不明ですが田安家でしょうか? とすると御三卿の家来から、幕臣になったというところでしょうね。 https://…
高柳小三郎家が下谷和泉橋に越してきた年も分かりました。天保十四年九月二十七日のことです。「右衛門督殿郡奉行」の肩書きです。右衛門督とは不明ですが田安家でしょうか? とすると御三卿の家来から、幕臣になったというところでしょうね。 https://t.co/Iy3UIKrn33
左端に高柳小三郎邸がありますね。 https://t.co/7kCGfB1xyt

6 0 0 0 OA 史籍雑纂

これを見れば分かるように大政奉還で会津藩は驚愕、寝耳に水と言った反応を示しています。「六ケ年来の御誠忠も、水の泡と相成候」とまで書いている訳で、会津にとって大政奉還は望ましい事態ではなかった訳ですね。それを断行した後藤、小松が敵になるのも分かります。 https://t.co/m34MMbuazo
@n_Fushimi_243 岩波甚兵衛でした。彼が伊藤らを始めとした高島藩領の農民を徴用して東山道鎮撫総督府に従軍、近藤勇と戦っていたようですね。 https://t.co/vgCYBEG3BQ
RT @zasetsushirazu: 昭和6年1月2日、斯波淳六郎が死去。幕末の加賀藩家老の家に生まれた。明治17年にドイツ留学する際、同じ船には橋本長勝(橋本左内の甥)らがいたらしい。帰国後、法制局参事官などを歴任。七戸克彦「現行民法典を創った人びと(24)」(『法学セミナ…
RT @saigetudo: 国立国会図書館デジタルコレクション 『前将軍としての慶喜卿』 市村残月 著/春江堂書店/大正2年 https://t.co/W7LEQKdPRy 懐かしいものがネットで閲覧できるようになった感慨
RT @zasetsushirazu: 山本志乃「旅日記にみる近世末期の女性の旅」(『国立歴史民俗博物館研究報告』155)は、清河八郎の母親や松尾多勢子など、女性たちの旅行を分析。幕末期にはすでに一般化していた無手形による違法の関所抜けが、流動人口の増加や宿場への経済効果をもた…

4 0 0 0 OA 徳川慶喜公伝

@komusai06311 @uwabutatsunori 「痴雲随筆」なる本もあります。「晩香堂雑纂」所収なので残念ですが焼亡したのでしょう。他に森銑三が言及してるっぽいです。森所有の史料もほとんど焼亡したようですからね。 https://t.co/TL935UNtBA

3 0 0 0 OA 会津藩庁記録

RT @T_urade1987: こちらの「京都方浪士人別」に出ている万年大進が誰だか分かりました。恐らく誤記で万年大純が正確でしょう。漢学者で医師だったようですね。 萬年櫟山の名前で『皇國醫系』という本を文久元年に出しています。それなりに知られていたようですね。 https:…
@busyo3 発行日が違うものが存在する由。 https://t.co/6jhUYqm3cV

39 0 0 0 OA 国民過去帳

@tikougouitu 一応ネットで読めます。再刊されたものと内容に変化はあるんでしょうか。 https://t.co/Pdy5etZFqi
@busyo3 これに関して先行論文があるようですね。 https://t.co/K6efUUbc9e
@nagisanoyuki 今思い出したんですがこの本ご存じですか? 福井の人物を調べておられる方なら使えるんじゃないかと思います。 https://t.co/jr2HxGLarQ

3 0 0 0 OA 日本杏林要覧

@09Kumano 『日本杏林要覧』を確認すると安政元年生まれとあるので本人ではないでしょうね。ただ長州藩領だと尾崎姓の医者はこの人ぐらいです。徳山藩領にはいますが。 https://t.co/plnS7by7Kf
@09Kumano それは気になりますね。木戸の日記から明治初年までは存命だったことが分かり明治十五年の『内務省免許全国医師薬舗産婆一覧』を当たってみました。すると山口県に「尾崎文菴」という医者の存在が確認出来ます。改名したのか息子なのかと言ったところでしょう。 https://t.co/VrdvPo9XuS
@wahon_komonjo こちらも参考に。猪谷氏は元佐々木氏で左官でしたが、神職に取り立てられたようです。 https://t.co/8gUTloHTSg
@tsubaki07231971 文久の改革で、まず山陵の修補について幕閣に図った(と思われる)のが大原です。そのあたりは以下の論文に書かれています。他にもかなり大原が修陵に関係した痕跡は多いですね。ちなみに足利木像事件の犯人たちもやはり山陵関係で京都へ呼び寄せられています。 https://t.co/GaqpTSRpsQ
@history_916 著作の一部(本人の書いた年譜など)はこちらで見ることが出来ます。 https://t.co/D71hFDDb5G
@history_916 彼については以前ちょっと調べました。『安房先賢偉人伝』が非常に詳しいです。 https://t.co/JFszNDwujl

6 0 0 0 OA 維新史料綱要

大体風説書だよりで、史料稿本を見てみても非当事者の伝聞・手記の類いだということが分かります。 https://t.co/BuBCOrtXVq
RT @zasetsushirazu: 明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。岡山藩重臣で、文久2年に京都で国事周旋を開始。中川和明「平田塾と地方国学の展開」(『書物・出版と社会変容』11)曰く、「岡山藩の幕末維新史を語るうえでたいへん重要な人物」。その家…

6 0 0 0 OA 回天実記

@_rinrin_rinko @yk_kuuga 色々言われている本ですが『回天実記』では十八日に鞆港着、土佐屋泊、十九日出帆を図るが雨で見合わせ、九ツ刻に保命酒屋へですね。しかし、中村某となっており太田家ではありません。 https://t.co/xTqDJKvhFM

5 0 0 0 OA 会津藩庁記録

RT @T_urade1987: 会津藩庁記録、有名な本ですが検討されたことがなさそうな情報が多く載っていまして、池田徳太郎のあまり語られない元治元年の動向が追えたりします。忠海村に帰っていたようですね。 https://t.co/F5e347qrgi

5 0 0 0 OA 会津藩庁記録

会津藩庁記録、有名な本ですが検討されたことがなさそうな情報が多く載っていまして、池田徳太郎のあまり語られない元治元年の動向が追えたりします。忠海村に帰っていたようですね。 https://t.co/F5e347qrgi
こちらの論文、興味深いことが書かれています。永井氏は改易された桑山氏の後を受けて大和新庄藩主となり、幕末期に櫛羅に移ったとされていますが、新庄に永井氏陣屋は存在せず、葛上郡松本村にあったのではないかとされています。櫛羅藩、実に謎の多い藩です。 https://t.co/yKuKVGdOrR
「船町渡船(自慶応二年七月 至明治二十六年六月)」というところですね。 https://t.co/Sp4nOStNvg
RT @zasetsushirazu: 文久2年5月25日(1862年6月22日)、佐賀藩士・中野方蔵が死去。老中・安藤信正が襲撃された坂下門外の変への関与を疑われ、獄死。重松優「青年大木喬任と佐賀勤王党」(『社学研論集』11)曰く、「佐賀藩では、中野は数少ない勤王運動の犠牲者…
@taka_udud 本人の書いた「薄井龍之小伝」に酷似していますね。その中で稲田氏の家臣南某を頼った云々とありますが、これは南薫風のことでしょう。同じく稲田家臣尾方長栄の伝記に関口隆吉に言われて薄井を匿ったことが記されています。 https://t.co/qzI038j1TJ
@kirinosakujin 『屋敷渡預絵図証文』からですが、どうも岡又蔵自身は屋敷を持っておらず、戸田与左衛門の代理として署名しているようなんですね。東京市史稿に収録されているところから探しました。 https://t.co/g5sPpA1246

50 3 0 0 OA 寛政重脩諸家譜

@mohei99 @morokoshoten 寛政譜によると田中の天澤寺に当主が葬られていますね。現存せず、廃寺になった後墓地だけ残ったのでしょう。津金家の菩提寺は四谷の全勝寺に移ったともあります。 https://t.co/x2QauMN8Bf

12 0 0 0 OA 平田神学の遺産

RT @zasetsushirazu: 明治20年5月19日、矢野玄道が死去。幕末維新期の著名な平田派国学者で、千人以上の門人がいたらしい。また、間接的な影響力という点で、三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)が、大隈重信・副島種臣らを指導した枝吉神陽が…
RT @zasetsushirazu: 大正4年5月11日、古荘嘉門が死去。幕末の肥後藩出身で、井上毅と同門。明治初期に河上彦斎と共に反政府の運動に関与。野口真広「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」(『社学研論集』4)曰く、明治20年代の対外硬運動を担った国権党初代総理で、日…
RT @zasetsushirazu: 岩田みゆき「戸張伝右衛門『慶応日記帳』にみる御料兵の実態について-慶応四年四月脱走前の動向-」(『青山史学』36、2018年)は、幕領で御料兵として徴発された戸張伝右衛門の日記を分析。戊辰戦争で会津まで赴いて新政府軍と戦った人物で、ここで…
@tororoduki 過去に本は出ていますよ。 https://t.co/AonMdudmMa

36 0 0 0 OA 寛政重脩諸家譜

@lalan1858 @zasetsushirazu 岩瀬内記家は忠震が養子に入った岩瀬市兵衛家の本家筋にあたります。 https://t.co/0zvGAMgymU

26 0 0 0 OA 寛政重脩諸家譜

@Wakiya_Teishu https://t.co/PG8HCAIzXe その名前の人が寛政八年に没しています。大番組です。幕臣は良く通称を継承するので、戸田新蔵の名前は受け継がれたのかも知れません。
@ho7na 小河一敏の『王政復古義挙録』によれば「淵上丹次」は真木らとともに薩摩藩邸入りしており、そこから角照三郎と長州に向かったようです。一緒に亡命したが袂を分かったと吉田玄蕃宛の真木が述べているのはそのためでしょう。 https://t.co/EHCpThI6zK
@ho7na 勉強しましょう。渕上家の動向は真木の南僊日録で分かります。訥庵の門下に入った時期も特定出来るほどです。やはり真木の一番弟子ですから真木の書いたものにあたるのが早い。山梔窩に父、妻、兄、弟が祀られています。 https://t.co/SRJyTfCwon
RT @T_urade1987: 勝海舟関係文書「伊藤甲子太郎建言書」。おや、と思う方もいるでしょう。しかし、末尾を見てください。慶応四年三月、既に新選組のその人は死んでいます。更に「臣重固」とあるのにご注目を。伊東の諱は武明ですよね。そう、伊東甲子太郎がもう一人、幕末期にはい…
勝海舟関係文書「伊藤甲子太郎建言書」。おや、と思う方もいるでしょう。しかし、末尾を見てください。慶応四年三月、既に新選組のその人は死んでいます。更に「臣重固」とあるのにご注目を。伊東の諱は武明ですよね。そう、伊東甲子太郎がもう一人、幕末期にはいたんです。 https://t.co/Wb9SPAbrJ1

6 0 0 0 OA 史籍雑纂

@hana76781232 その辺り色々謎があるんですよね。慶応三年十月、近藤勇は会津藩に村山謙吉と伊東甲子太郎から聞いた陸援隊側の情報を伝えています。しかも近藤は報告したことが相手側に伝わったら二人は殺されるかも知れない、だから内密にと主張していると解釈できる表現を使っています。 https://t.co/kvRTDmcQSw
RT @zasetsushirazu: 昭和60年3月7日、森銑三が死去。『森銑三著作集』が「正」と「続」の合計で30冊ある。高木浩明「資料紹介 森銑三刈谷日記・上(大正五年六月一七日~一二月三〇日)」(『書物・出版と社会変容』21、2018年)は、幕末の国学者・村上忠順の旧蔵…

1 0 0 0 川内市史

@busyo3 川内市史の古文書編が詳しいようです。「元治元年水引隊京都出陣日記」という面白そうな史料も含まれているとか。 https://t.co/wbJA99p9zk
@maaatatabiiiii1 安井息軒は門人帳がありますのですぐ分かりますね。戸倉修蔵で名前が出ていた気がします。 https://t.co/oiNWyYNUBP

14 0 0 0 OA 心身鍛練

RT @fmfm_nknk: 出典は『心身鍛練』https://t.co/51xpWb3CGq

6 0 0 0 OA 史籍雑纂

@kirinosakujin @tikougouitu 「会津藩文書」はネットでも全文読める割りにあまり注目されていませんね。 https://t.co/9jboGFGDrX
@kirinosakujin @zasetsushirazu 元々はそうですね。今は総合出版社歴研として独立してやっているみたいです。こちらの号に掲載しているものですね。 https://t.co/PfJ4ldEXWO
@yoshino_siki @mohei99 @mi_okusawa こちらで載っていました。やはり『久能山叢書』五巻が出典のようです。青山、花俣の他に金指隆造、伴門五郎らについても家督の情報が書かれているようです。 https://t.co/wpT6mvKAut

2 0 0 0 OA 防長回天史

一応『防長回天史』のページをリンクしておきます。 https://t.co/g5gxdAtONt
RT @T_urade1987: 三条家に仕えていた尾崎三良の経歴から見て、信用のおける証言だとは思うのですが、話者が真木だと断定されていないのは気になります。『中山忠能日記』を見ると、半月前の七月二十六日、久坂玄瑞が中山家を訪れ「金剛山」について話している事実は着目されるべき…
三条家に仕えていた尾崎三良の経歴から見て、信用のおける証言だとは思うのですが、話者が真木だと断定されていないのは気になります。『中山忠能日記』を見ると、半月前の七月二十六日、久坂玄瑞が中山家を訪れ「金剛山」について話している事実は着目されるべきでしょう。 https://t.co/avkVcJnsFy
@busyo3 佐々木さんが上げた典拠は推測出来ます。徳川慶喜公伝二巻からでしょう。しかしその原典は不明です。 https://t.co/vs8Vqwo8Ub 金剛山に関しては所謂「義挙三策」の中にそのような記述が見られますが、これは文久元年のものです。 https://t.co/SlysZKlOwQ

2 0 0 0 OA 徳川慶喜公伝

@busyo3 佐々木さんが上げた典拠は推測出来ます。徳川慶喜公伝二巻からでしょう。しかしその原典は不明です。 https://t.co/vs8Vqwo8Ub 金剛山に関しては所謂「義挙三策」の中にそのような記述が見られますが、これは文久元年のものです。 https://t.co/SlysZKlOwQ
RT @Miikkadd: レルヒのスキーに関する記述には永井道名という人名が出て来て、誰かと思って調べたらちゃんと調査論文があった。故中浦皓至氏の論文かと思ったら別の著者。 『スキー黎明期における永井道明によるスキー普及活動について』 https://t.co/76pmTN6…

39 0 0 0 OA 国民過去帳

@PrideOfSamurais 片野十郎すぐに分かりました。片野十郎→交野重郎→交野瑜(さとる)と名前を変えています。号を御狩、変名を山本保助と言ったらしいですね。多磨霊園にお墓があるとか。 https://t.co/yZ4ba7ZpE7 https://t.co/DKsOISfk0m

3 0 0 0 OA 国士列伝

@takubou0602 そういえば今井の刀に関するエピソードが載っている本がありました。 https://t.co/q1r4HEwPGF

2 0 0 0 OA 群書類従

@mizunosyuhei 果たしてどの代でどう分かれたのか、摂津晴門の直系なのかは本を確認してみないと分かりませんが、先祖の「摂津親秀譲状」では摂津家の領地として八幡浜が上がっているので、古くから土着していたのは明白でしょう。 https://t.co/6k7AWLv2eM
RT @zasetsushirazu: 大正5年11月29日、薄井龍之が死去。幕末期に頼三樹三郎に師事し、水戸藩士と交流。天狗党の乱に参加した。野中勝利「自叙伝『薄井龍之小傳』を中心とした薄井龍之の輪郭」(『飯田市歴史研究所年報』4、2006年)は、明治期の開拓使や山形県の官吏…

1 0 0 0 飯島茂

@boroborokura はい、これは「も」ではなく「者=は」だと思います。もんは誤読じゃないでしょうか。 https://t.co/NpiUeBpzZs 飯島の遺稿には家族や一族についてもいろいろ載っているようですね。 https://t.co/4nHLzeP35l
@_soft102 薄井龍之の可能性もありますね。香川が関わった『岩倉公実記』の編集委員に薄井が加わっていたので、その時膳所藩関係の史料について話し合ったのではないでしょうか。 https://t.co/OCkvbzUgkM

45 0 0 0 OA 人事興信録

@oubonnn オデオン座の六崎氏→六崎市之介のことですね。むつざきと読むようです。個人的に関心のある茨城県出身者と言う事もあり、気になる人物ですね。 https://t.co/UwT5L2tnre

6 0 0 0 OA 錦窠植物図説

RT @NIJL_collectors: 併せて読みたい、国会デジコレの伊藤圭介編『錦窠植物図説』全11冊https://t.co/xJY2Xu2QRJ 最後の方は、新聞や雑誌が挟み込んであったりする https://t.co/LmdxggpdJu
RT @bibliophilism: 小寺玉晁(1800-1878)の著作の全貌をまとめた研究はないのだろうか。幕末明治初期の芸能史・見世物史研究にとどまらず文化史全般や書誌学、社会史その他いろんな研究の役に立つと思うんだけど。 https://t.co/lGn6ie9zKo
@mohei99 吉沢に関してはこちらが詳しいですね。勝一氏の名前も出ています。 https://t.co/nBs5yKGPV2

1 0 0 0 OA 所司代日記

所司代日記に諸寺の家臣を書き上げた名簿が載っていますが、佛光寺門跡の家臣として北村将監の名前が見つかりました。北村重威は元は佛光寺の侍臣で、岩倉家に仕えたようですから、本人あるいは父親の可能性がありますね。 https://t.co/juQDZczOlS

3 0 0 0 OA 西海忠士小伝

@kyounilokazu その際に師範の一人であった斎藤(田中)九一郎が捕縛されてますね。彼は別名を斎藤主計と言い、慶応四年三月に香川敬三、巣内式部、阿部十郎らと共に軍曹を拝命しています。なので実は新選組とは縁が深いです。 https://t.co/5TLZENNjxi
『頼山陽の家庭』に関しても、この通り、木崎好尚から激しい批判を受けています。どうも話を大袈裟に語る傾向はあったと思われますね。本当に頼鴨崖の門人だったかどうかもよく分かりません。 https://t.co/gHy8eFe4wa
中村早知惠『幕末期における豪農層の活動 長倉村大森彦重道義を中心に』(茨城県立歴史館報45所収)を入手しました。末尾に「御上京御供東海道上下記」全文翻刻されています。大高又次郎は桜任蔵の分骨に関わった由。古高俊太郎は古高喜衛門として名前が現れます。 https://t.co/DUK4irufHf

お気に入り一覧(最新100件)

@T_urade1987 京都奉行所与力同心の大縄地(京都武鑑の図面)の御池屋敷の場所は葛野郡朱雀野村大字西之京字京職町の範囲ではないかと推測します。 図面 https://t.co/hFDzBm1YSs 当時の所有者 https://t.co/WeLXgpLXte
@T_urade1987 京都奉行所与力同心の大縄地(京都武鑑の図面)の御池屋敷の場所は葛野郡朱雀野村大字西之京字京職町の範囲ではないかと推測します。 図面 https://t.co/hFDzBm1YSs 当時の所有者 https://t.co/WeLXgpLXte
@T_urade1987 『永井道明自叙伝』は、この論文に戦中と戦後の事を追記して、なんとか形にした物なんですよね。 『師範大学講座体育 第1』 「師範大學講座體育第五巻 余が十八年間の體育的生活並にその感想」永井道明 - 国立国会図書館デジタル https://t.co/xJCdeNcPis
七卿、吉川経幹公関連で氷上真光院について検索してたら見つけた論文。 ええの見つけた(*´ω`) CiNii 論文 -  周防国氷上山興隆寺の旧境内とその堂舎配置 https://t.co/xMLvqNF09v #CiNii
飯豊道男の素晴らしき論文 私が74年と77年に話を聞いていたブルゲンラント州のウンターヴァルト(Unterwart)のローザ・チュラ (Rosa Csulak) おばあさん (マジャル人) はうんこやおしっこの話が好きだっ たし https://t.co/aNeKnwbqVm
「ロラン夫人獄中記の再読」という論文を読みました! 去年の12月くらいに発表されたばかりらしいです

2 0 0 0 OA 年録

藤岡屋日記では「助左衛門実子惣領」となっている錦之助だが、この「助左衛門」が「甚右衛門」となっている資料と、https://t.co/GFZ4BfSMbi 年録によると「勘右衛門」となっていることが確認できる。藤岡屋日記が誤字の模様。 https://t.co/2m1okrjuvc
堀越角次郎(安平)に絡んだ攘夷浪士が山田一郎、岩城拓磨(太熊?)、木村久之丞だったというのはどこが発端なんだろう。明治前期産業発達史資料https://t.co/IfV80mLag6に載ってるが、それより早いヤツだと慶應義塾学報か?https://t.co/1H9u9rjzmx https://t.co/UVVRO9NBIL
→ そもそも『永井道明自叙伝』は、 永井道明が亡くなった後、集まった香典を使って遺されていた自叙伝を出版しましょう、という経緯で書籍化されたもの。 なので寄稿文は全て「追悼文」なんです。 #いだてん #いだてん史料噺 『遺稿 永井道明自叙伝』 https://t.co/k1z2vjSsQG
明治14年5月2日、藤沢次謙が死去。幕末の幕臣で、慶応4年に勝海舟が陸軍総裁に就任した際、副総裁に就任。菊地久「維新の変革と幕臣の系譜(6)」(『北大法学論集』32-3)は、「幕政改革推進もしくは賛同の有司層」から明治政府に出仕した旧幕臣として紹介。 https://t.co/3aq5CZjJmA
土佐博文「佐倉順天堂門人とその広がり」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116、2004年)は、数千人の門人がいたとされる佐倉順天堂(蘭医・佐藤泰然が開いた)について、慶応元年閏5月の門人帳から、門人たちの事績を紹介。明治期に軍医となった西友輔らの関連史料も紹介。 https://t.co/xCZeOthyRO
明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝との船中での対話を紹介。 https://t.co/HF64LWbedA
昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲載された沼田哲氏の書評。 https://t.co/eBL1WHsjgN
佐々木克『幕末政治と薩摩藩』を久々に拝読。薩長同盟に関しては、だいぶ私の見解と異なっている。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月)を参照下さい。https://t.co/qtxOT4vv0S
<ちょっと自分用のメモ> 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/xhCt66lkkC 維新前後の政争と小栗上野 続 蜷川新 著  日本書院出版部  昭和6 二八 水野筑後守と佐賀鍋島侯との應接/185
昭和6年1月2日、斯波淳六郎が死去。幕末の加賀藩家老の家に生まれた。明治17年にドイツ留学する際、同じ船には橋本長勝(橋本左内の甥)らがいたらしい。帰国後、法制局参事官などを歴任。七戸克彦「現行民法典を創った人びと(24)」(『法学セミナー』56-4)などを参照。 https://t.co/i8VnPMw6PX

10 0 0 0 OA 職員録

美川秀信さんの、実在証拠探し。 思いっきり行き詰まりましたので、少し寄り道します(笑涙) 「大日本帝国」時代の、全ての公務員職員録より。仁川水産試験場場長の証拠、その2です。 #いだてん 職員録.昭和14年7月1日現在 -国立国会図書館デジタル https://t.co/cn7l9QUfOs https://t.co/5OGplt0USP
水上たかね「幕府海軍における「業前」と身分」(『史学雑誌』122-11、2013年)曰く、幕末の幕府海軍では職務に必要な能力を「業前」と呼んで重視し、人材を登用した。だが、「家」の枠組は強固で、家督相続で別の役職に就いて海軍を離れる人材流出の問題などがあった。 https://t.co/yhNhvRbhtb
明治28年10月16日、石河確太郎(石河正竜)が死去。明治の紡績技術者で、幕末期には薩摩藩に招聘されて蒸気船建造や開成所での講義を担当するなど、重用された。堀江保蔵「近代日本の先駆的企業家」(『経済論叢』84-3、1959年)曰く、「紡績業の興隆に尽瘁した人」。 https://t.co/Ho91sW22wJ
安政6年9月14日(1859年10月9日)、梅田雲浜が死去。安政大獄で最初に逮捕され、獄死。中島嘉文「角田家本梅田雲浜安政大獄吟味関係資料について」(『福井県文書館研究紀要』13)は、雲浜の取り調べ調書を分析し、「尊攘運動の理論的支柱」として朝廷で期待されたとする。 https://t.co/I6EKCFy9FZ
明治39年9月28日、佐々友房が死去。幕末の熊本藩出身で、西南戦争で西郷軍に参加して投獄された。上村直己「佐々友房と独逸学」(『熊本学園大学論集 総合科学』20-2)曰く、「勤王・国権を一大主義とする紫溟会を有志と共に結成。天皇主権を主とする国権論を主張した」。 https://t.co/p5xGrpC9Pv
明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。岡山藩重臣で、文久2年に京都で国事周旋を開始。中川和明「平田塾と地方国学の展開」(『書物・出版と社会変容』11)曰く、「岡山藩の幕末維新史を語るうえでたいへん重要な人物」。その家臣が足利三代木像梟首事件に関与。 https://t.co/BZUKMIXuJQ
奈良勝司「社会文化史」(『日本研究』57、2018年)は、奈良勝司『明治維新と世界認識体系』(有志舎)、渡辺京二『逝きし世の面影』(平凡社ライブラリー)、笠谷和比古『近世武家社会の政治構造』(吉川弘文館)、渡辺尚志『近世百姓の底力』(敬文舎)などの文献を紹介。 https://t.co/CmQUN8utHV
慶応4年6月27日(1868年8月15日)、英学者・嵯峨根良吉が死去。幕末の宮津藩出身で、薩摩藩の開成所に雇用された。竹内力雄「山本覚馬覚え書(5)「管見」を中心に」(『同志社談叢』34)は、慶応3年に、赤松小三郎と同一内容の政体改革意見書を島津久光に提出したことを言及。 https://t.co/UHsSFHSX1v
明治2年6月6日(1869年7月14日)、鵜殿鳩翁(長鋭)が死去。幕臣で、日米和親条約交渉に携わり、文久3年に浪士組取扱。永井尚志は、「人材登庸を重んし、職掌を辱めす」と評した(河内八郎「伊達宗城とその周辺(続)」『茨城大学人文学部紀要 人文学科論集』23、1990年)。 https://t.co/FJ08lhk5hc
文久2年5月25日(1862年6月22日)、佐賀藩士・中野方蔵が死去。老中・安藤信正が襲撃された坂下門外の変への関与を疑われ、獄死。重松優「青年大木喬任と佐賀勤王党」(『社学研論集』11)曰く、「佐賀藩では、中野は数少ない勤王運動の犠牲者」。江藤新平・大木喬任と親密。 https://t.co/wHWQjvDug6
ファーナンダ・ペローン「目に見えないネットワーク」(『近代日本研究』34、2017年)曰く、幕末〜明治初期に米国留学した日本人の多くは、ラトガース大学に入った。例えば、横井左平太、横井大平、畠山義成、松村淳蔵、吉田清成。基本的に英文で、日本語要旨が付いている。 https://t.co/E5TTkS570k

12 0 0 0 OA 平田神学の遺産

明治20年5月19日、矢野玄道が死去。幕末維新期の著名な平田派国学者で、千人以上の門人がいたらしい。また、間接的な影響力という点で、三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)が、大隈重信・副島種臣らを指導した枝吉神陽が、矢野と親しかったことを指摘。 https://t.co/LxgdGWkguC
全文公開の博論をいくつか発見。高橋秀城『中世密教文学の研究』(https://t.co/qiGONkKvte)、廣瀬良文『中世禅宗の展開と相伝資料 : 特に曹洞宗の説話を中心として』(https://t.co/Yr5b94LpV0)、佐野真人『平安時代前期における儀礼整備史の基礎的研究』(https://t.co/EJtdzI6unq)。凄い…。
大正4年5月11日、古荘嘉門が死去。幕末の肥後藩出身で、井上毅と同門。明治初期に河上彦斎と共に反政府の運動に関与。野口真広「台湾総督府内務部長古荘嘉門について」(『社学研論集』4)曰く、明治20年代の対外硬運動を担った国権党初代総理で、日本の台湾統治の重要人物。 https://t.co/U3mq6IrDAI
岩田みゆき「戸張伝右衛門『慶応日記帳』にみる御料兵の実態について-慶応四年四月脱走前の動向-」(『青山史学』36、2018年)は、幕領で御料兵として徴発された戸張伝右衛門の日記を分析。戊辰戦争で会津まで赴いて新政府軍と戦った人物で、ここでは江戸開城頃までを扱う。 https://t.co/Jomyh3i1q8

37 0 0 0 OA 処世の大道

[処世の大道 渋沢栄一 著]幕臣だった頃の渋沢栄一が近藤勇を褒めてる本はこれです…!!!!あと土方歳三ともちょっとお仕事している(一緒にピクニッ……護衛をしてお弁当を食べました)340コマ目からどうぞ https://t.co/9BwOW8EQWm https://t.co/9ucUa10Zk1
明治39年4月8日、長岡護美(雲海)が死去。熊本藩主・細川韶邦の弟で、幕末政局で「肥後の牛若」と称されたらしい。明治期にオランダ公使などを歴任。東京地学協会の設立主唱者の1人。石田龍次郎「『東京地学協会報告』(明治一二-三〇年) 」(『社会学研究』10)参照。 https://t.co/KUIX07DXit
昭和60年3月7日、森銑三が死去。『森銑三著作集』が「正」と「続」の合計で30冊ある。高木浩明「資料紹介 森銑三刈谷日記・上(大正五年六月一七日~一二月三〇日)」(『書物・出版と社会変容』21、2018年)は、幕末の国学者・村上忠順の旧蔵書を整理したときの日記を紹介。 https://t.co/ilSY7MBGLd
柳澤京子「長州戦争と労働者」(『お茶の水女子大学比較日本学教育研究センター研究年報』13、2017年)は、幕末の長州戦争(長州征伐、幕長戦争)において、いわゆる諸隊に参加した賃銀労働者集団を分析。諸隊の内部や周辺には、「稼ぎ」を求める人々が集っていたと指摘。 https://t.co/2UWQXV40Fe
慶応3年12月25日(1868年1月19日)、三田の薩摩藩邸焼き討ち事件があった。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、諸史料から事件の実態解明を試み、益満休之助が会津藩に捕まったことなどを指摘した。 https://t.co/ON7tEWs3HA

14 0 0 0 OA 心身鍛練

出典は『心身鍛練』https://t.co/51xpWb3CGq
昭和32年11月2日、徳富蘇峰(猪一郎)が死去。『近世日本国民史』全100巻など多数の著作があり、言論界で影響力を持った。大島明秀「明治二十年代における「鎖国論」の多様性」(『日本文藝研究』59・3/4)は、蘇峰が『国民之友』に発表した「明治年間の鎖国論」を分析。 https://t.co/ZBlcqoAt2t
【メモ】阪田雄一「足利直義と桃井直常」(千葉県立生浜高等学校五周年記念誌・研究紀要『生浜』、1983年)、同「足利直義・直冬偏諱考」(國學院大學地方史研究会機関誌『史翰』21、1994年)。wikiで知った。後者は所蔵先が多い。前者の所蔵は名古屋大学附属図書館のみ?https://t.co/H5tW3lDjLF
明治27年9月2日、柳原前光が死去。明治の外交官。公家出身の逸材として、西園寺公望と並び称される。明治期には、主に外交分野で活躍した。野口真広「明治7年台湾出兵の出兵名義について」(『ソシオサイエンス』11)は、台湾出兵をめぐる清国との交渉における柳原を分析。 https://t.co/6WUzVvtZrA
拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に―」(『日本研究所紀要』8号、2016年)は、以下からダウンロード可能です。https://t.co/in1GB6YkW2
@morokoshoten 妻沼聖天に田部井源兵衛が揮毫した馬庭念流の奉納額があり、昨年の展示会で写真を撮っていました。おそらく外に飾られていないものだと思います。名は辛うじて読めました。 https://t.co/yXtKekRAqv https://t.co/Cwj139A4gF
続き)近藤長次郎は坂本龍馬とこの時点では同格であり、薩長融和に果たした役割を看過すべきではない」として、近藤長次郎を高く評価している。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできます。https://t.co/A65OnLMHFg
井上勲「川路高子『上総日記』解題」(『学習院大学文学部史料館紀要』13、2005年)は、幕末の幕臣・川路聖謨が一時期、小大名を超える威厳を持つほど幕府内で出世したことを紹介し、その妻・高子の立場を説明。夫の聖謨が自害した後を生き続ける高子の心境などを読み解く。 https://t.co/8DSHOwa28V
@T_urade1987 中島錫胤と小室信夫について少し触れられている書籍があるので紹介させていただきますね 大正5年なので後年の記録ではあるのですが 「贈従五位 志摩利右衛門」(木像梟首事件で逃げる中島と小室を匿った阿波の商人です) https://t.co/r2HJI3HzCo
高久智広「出世双六にみる幕臣の出世」(『国立歴史民俗博物館研究報告』182、2014年)は、武士の出世を題材にした双六を題材に、江戸幕府の幕臣たちの出世観などを分析。上司や同僚との間の贈答儀礼が、昇進と不可分の関係にあったと指摘。 https://t.co/lNltbiCRYX
明治43年12月11日、三浦安(休太郎)が死去。幕末の紀州藩士時代、坂本龍馬と中岡慎太郎の暗殺に関与した(新選組を教唆した)と疑われたこともある。明治期は東京府知事などを歴任。文献に、七戸克彦「現行民法典を創った人びと(17)」(『法学セミナー』55-9)など。 https://t.co/Ty8c8mtXDn
明治26年12月5日、幕末の会津藩主だった松平容保が死去。新選組を配下に持つ京都守護職を務めた。慶応3年、いわゆる討幕の密勅と同時に、容保討伐の文書も作成されていた。『山口県文書館研究紀要』42号に、容保を批判して怪物のように描いた風説書が紹介されている。 https://t.co/o01Cw0RGun

3 0 0 0 OA 鶴寿録

浦出卓郎@小説家になろう連載中 @T_urade1987 さんより情報提供をいただきました。 明治41年10月発刊の鶴寿録という書籍で、宮城県内の80才以上の高齢者の氏名を収録した書籍のようです。 同書籍に寺嶋金三郎の名前を見つけていただきました。 https://t.co/9V4apgCcEA
ただ、同書の巻3の出張人名簿に陶山隊には菅原の名はなく、小笠原幸吉という人物が記載。同じく死傷調においても陶山隊の8/19の負傷者は小笠原幸吉となっております https://t.co/hKX22VfLcE のコマ番号163、26ページ中段、右から5人目 https://t.co/hKX22VfLcE のコマ番号204、108ページ下段、一番左

6 0 0 0 蜂須賀斉裕

昭和初頭、第13代徳島藩主・蜂須賀斉裕公に関する書籍が刊行されています 「蜂須賀斉裕」昭和18年 大政翼賛会徳島県支部 https://t.co/d1PaSoZjjR 「正三位蜂須賀斉裕公事蹟:御贈位記念」昭和4年 https://t.co/aqahdZqRlq
昭和初頭、第13代徳島藩主・蜂須賀斉裕公に関する書籍が刊行されています 「蜂須賀斉裕」昭和18年 大政翼賛会徳島県支部 https://t.co/d1PaSoZjjR 「正三位蜂須賀斉裕公事蹟:御贈位記念」昭和4年 https://t.co/aqahdZqRlq

35 0 0 0 浪士姓名簿

【新選組】先ほどつぶやいた、所在がわかった浪士組の「浪士姓名簿」は、1月には見つかっていて、ネットなどでは話題になっていました、ちなみに書誌情報が、CiNiiに掲載されています https://t.co/PG0SDlBBME

35 0 0 0 浪士姓名簿

@morokoshoten 突然すみません。「浪士姓名簿」はこちらのものとは違うのでしょうか? https://t.co/xk0ODRtLw7

6 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

久坂の日記(文久二~三)が近デジで読めたので覚書 維新日乗纂輯. 第1 http://t.co/QyIAy82mxB 白石正一郎日記 P.1~(9コマ) 江月斎日乗 P.475~(255コマ) #近デジ未読リスト

フォロー(1004ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

RT @archaeologybud1: CiNii 論文 -  古代の石切場跡(その3)石山寺境内 https://t.co/WF1li1ezDy #CiNii
三淵藤英、金子拓先生の研究によって伊勢貞孝の反乱に加担してることが明らかにされているので、扱いようによっては面白いことになりそうな感じがしますね (なお扱いが難しすぎる模様) 参考:https://t.co/jAT9Vtn5XP https://t.co/8vkdXuMXnS
RT @usomashioo: #こんな論文が出ていたようです https://t.co/uUSr40coqZ 山村安郎さんは、丹波の郷土研究を進めておいでで、山国荘の水運について論じたご論考もおありです。
RT @zasetsushirazu: 安政4年11月6日(1857年12月21日)、岩瀬忠震が横浜開港を主張する意見書を書いた。長崎から江戸に戻る途中、江戸でのハリスの演説内容を知って執筆。岩瀬は横浜開港の恩人と見なされている(阿部安成「直弼/象山/忠震(2)-競争する記念碑…
RT @zasetsushirazu: 天保12年7月14日(1841年8月30日)、林述斎が死去。松平定信に嘱望されて林家を嗣いだことは、林家の最大の画期とされる(小野将「近世後期の林家と朝幕関係」『史学雑誌』102-6)。朝鮮通信使との窓口役も務めた。幕末外交で活躍した林復…
国立国会図書館 立法調査資料『調査と情報-ISSUE BRIEF-』No.1102「新型コロナウイルス感染症と経済対策―令和2年度第2次補正予算まで―」(PDF:548KB)を掲載 https://t.co/z41e7wAcQw

13897 13897 13897 58 OA 印度童話集

RT @ozaki_wolkig: こどもの頃に読んでいちばん恐ろしかったインドの童話『誰が鬼に食はれたのか』、たったいま国会図書館のデジタル・コレクションで見つけたので感激を分かちあってください。 https://t.co/oLT4LXIklw https://t.co/xb…

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髙橋 明彦 -  浮世草子における視点の問題 : 江島其蹟『けいせい伝受紙子』、演劇的・俳諧的・説話的 https://t.co/PbuCmMPlqy
RT @Calcijp: 海外へのマンガ輸出で今ちょっと調べたんだけど、翻訳した日本のマンガは以前は左右反転して左開きだったのが今では右開きが一般的になってるようだ。コンテンツが強ければ外国の風習でも覆すことができる。MANGAの世界では日本が世界標準。 https://t.…

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RT @ozaki_wolkig: こどもの頃に読んでいちばん恐ろしかったインドの童話『誰が鬼に食はれたのか』、たったいま国会図書館のデジタル・コレクションで見つけたので感激を分かちあってください。 https://t.co/oLT4LXIklw https://t.co/xb…

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RT @archaeologybud1: CiNii 論文 -  九州地方の瓦窯 (古代寺院の生産遺跡<特集>) -- (瓦窯) https://t.co/ht0MDSMF34 #CiNii
RT @archaeologybud1: CiNii 論文 -  瓦の製作技術からみた国分寺造営 : 西海道南半を中心に https://t.co/jxO5nbd4BQ #CiNii
RT @archaeologybud1: CiNii 論文 -  筑前国分寺における瓦の生産体制 https://t.co/OfIYcZ3BYc #CiNii
RT @shoemaker_levy: 過去に何度も紹介していますが、タイムリーな話題でしかもオンラインで公開されてるこの論文を。またTLに薩摩義士の陰がよぎったので。 羽賀祥二「宝暦治水工事と〈聖地〉の誕生」『名古屋大学附属図書館研究年報』3号、2005年。 https://…
この「補充学級」っやつだ。「今日はお父さん補充学級やから遅いで」みたいな日がたまにあって、親父抜きで晩ごはんを食べてたな……。 https://t.co/jSwaJ6mBT3
RT @zasetsushirazu: 明治31年7月5日、神田孝平が死去。幕末期に幕府の蕃書調所および開成所で教授職などを務めた。奈倉哲三「もう一つの戊辰戦争」(『国立歴史民俗博物館研究報告』157、2010年)は、慶応4年4月の『中外新聞』第12号に掲載の神田による論説「日…

14 8 1 0 OA 聖徳太子伝記

RT @re_mikan85: ちなみに七月七日のソースは鎌倉時代の覚什さんの書いた『聖徳太子傳記』にはありました。国立国会図書館のデジタルコレクションで一応読めるけど読めない https://t.co/HUzGp8CuEg 訳本もあるでよ https://t.co/Mbek7…
RT @hshinz: 川辺川ダムは治水の最大受益者である人吉市住民の反対が大きかったという珍しい特徴がある。その理由は市房ダムによってかえって被害が大きくなったという体験だが、それは丁寧な説明がなされなかったことによる誤解という考察 https://t.co/NXAtoQzH…

フォロワー(923ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

RT @archaeologybud1: CiNii 論文 -  古代の石切場跡(その3)石山寺境内 https://t.co/WF1li1ezDy #CiNii
三淵藤英、金子拓先生の研究によって伊勢貞孝の反乱に加担してることが明らかにされているので、扱いようによっては面白いことになりそうな感じがしますね (なお扱いが難しすぎる模様) 参考:https://t.co/jAT9Vtn5XP https://t.co/8vkdXuMXnS
RT @usomashioo: #こんな論文が出ていたようです https://t.co/uUSr40coqZ 山村安郎さんは、丹波の郷土研究を進めておいでで、山国荘の水運について論じたご論考もおありです。
RT @zasetsushirazu: 安政4年11月6日(1857年12月21日)、岩瀬忠震が横浜開港を主張する意見書を書いた。長崎から江戸に戻る途中、江戸でのハリスの演説内容を知って執筆。岩瀬は横浜開港の恩人と見なされている(阿部安成「直弼/象山/忠震(2)-競争する記念碑…
RT @zasetsushirazu: 天保12年7月14日(1841年8月30日)、林述斎が死去。松平定信に嘱望されて林家を嗣いだことは、林家の最大の画期とされる(小野将「近世後期の林家と朝幕関係」『史学雑誌』102-6)。朝鮮通信使との窓口役も務めた。幕末外交で活躍した林復…
国立国会図書館 立法調査資料『調査と情報-ISSUE BRIEF-』No.1102「新型コロナウイルス感染症と経済対策―令和2年度第2次補正予算まで―」(PDF:548KB)を掲載 https://t.co/z41e7wAcQw

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RT @ozaki_wolkig: こどもの頃に読んでいちばん恐ろしかったインドの童話『誰が鬼に食はれたのか』、たったいま国会図書館のデジタル・コレクションで見つけたので感激を分かちあってください。 https://t.co/oLT4LXIklw https://t.co/xb…

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髙橋 明彦 -  浮世草子における視点の問題 : 江島其蹟『けいせい伝受紙子』、演劇的・俳諧的・説話的 https://t.co/PbuCmMPlqy
RT @Calcijp: 海外へのマンガ輸出で今ちょっと調べたんだけど、翻訳した日本のマンガは以前は左右反転して左開きだったのが今では右開きが一般的になってるようだ。コンテンツが強ければ外国の風習でも覆すことができる。MANGAの世界では日本が世界標準。 https://t.…

13897 13897 13897 58 OA 印度童話集

RT @ozaki_wolkig: こどもの頃に読んでいちばん恐ろしかったインドの童話『誰が鬼に食はれたのか』、たったいま国会図書館のデジタル・コレクションで見つけたので感激を分かちあってください。 https://t.co/oLT4LXIklw https://t.co/xb…
RT @archaeologybud1: CiNii 論文 -  九州地方の瓦窯 (古代寺院の生産遺跡<特集>) -- (瓦窯) https://t.co/ht0MDSMF34 #CiNii
RT @archaeologybud1: CiNii 論文 -  瓦の製作技術からみた国分寺造営 : 西海道南半を中心に https://t.co/jxO5nbd4BQ #CiNii
RT @archaeologybud1: CiNii 論文 -  筑前国分寺における瓦の生産体制 https://t.co/OfIYcZ3BYc #CiNii
RT @shoemaker_levy: 過去に何度も紹介していますが、タイムリーな話題でしかもオンラインで公開されてるこの論文を。またTLに薩摩義士の陰がよぎったので。 羽賀祥二「宝暦治水工事と〈聖地〉の誕生」『名古屋大学附属図書館研究年報』3号、2005年。 https://…
RT @zasetsushirazu: 明治31年7月5日、神田孝平が死去。幕末期に幕府の蕃書調所および開成所で教授職などを務めた。奈倉哲三「もう一つの戊辰戦争」(『国立歴史民俗博物館研究報告』157、2010年)は、慶応4年4月の『中外新聞』第12号に掲載の神田による論説「日…

14 8 1 0 OA 聖徳太子伝記

RT @re_mikan85: ちなみに七月七日のソースは鎌倉時代の覚什さんの書いた『聖徳太子傳記』にはありました。国立国会図書館のデジタルコレクションで一応読めるけど読めない https://t.co/HUzGp8CuEg 訳本もあるでよ https://t.co/Mbek7…
RT @hshinz: 川辺川ダムは治水の最大受益者である人吉市住民の反対が大きかったという珍しい特徴がある。その理由は市房ダムによってかえって被害が大きくなったという体験だが、それは丁寧な説明がなされなかったことによる誤解という考察 https://t.co/NXAtoQzH…