浦出卓郎@クラウドファンディング構想中 (@T_urade1987)

投稿一覧(最新100件)

1 1 0 0 埼玉叢書

@n_Fushimi_243 分かったかも知れません。落合直亮が『飯能騒擾日記』を著し、埼玉叢書に収録されている由。落合の作だとすると木村家に所蔵があってもおかしくないのでは。 https://t.co/7PwSKmFJVf
RT @oretatami: https://t.co/Oy2Yy6KWIi 幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化 : 「御用状」にみえる土佐勤王党への対応を素材に 「土佐藩京都藩邸史料」では土佐勤王党のこともこんなにいろいろ書かれてるんだあ…!面白かったです
正確には松村十助のようです。松田重助の書き間違いとも思えますが。 https://t.co/CBV4OlhY7P
中山忠能宛の正親町公董書状に面白い記述が。古高俊太郎の口書が触書として張り出されたと。他の風説書にも古高口書が写されているんですが、これで伝存経緯が判明するのでは。 https://t.co/jEkbl2QhNN
この書簡で武田観柳斎は桂川で魚釣りしたと書いており、つまりそれだけ非番の日が多かったということなんでしょうね。しかし武田と釣りで絡めたフィクションは意外に少なそうです。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
RT @T_urade1987: 大河ドラマの影響もあってか、川村正平関係文書がデジタル公開されましたね。武田観柳斎の直筆書簡も誰でも見れるようになりました。 https://t.co/Bgt0hxnN9R
人見、中川両苗の書き上げも含まれていることは気になりますね。武田もここに絡んでいますからね。 https://t.co/0CILuaPCA9
鈴藤勇次郎の書簡。どうも平岡円四郎暗殺事件で川村が水戸藩の刺客と応戦の際使った刀は鈴藤のものだったようです。顔に傷を負った川村に「尊兄当時は大いにモテ風聞有之御浦山敷奉存候」と言っていますね。 https://t.co/QM7gDjj9KX
大河ドラマの影響もあってか、川村正平関係文書がデジタル公開されましたね。武田観柳斎の直筆書簡も誰でも見れるようになりました。 https://t.co/Bgt0hxnN9R

1 0 0 0 OA 巣内信善遺稿

RT @T_urade1987: 古高俊太郎らですが、六角獄で斬り殺された可能性はあるでしょう。少し後になりますが刑死とされる村井政礼は出獄させると言われ、外に出されたところを斬られたと同獄にいた巣内式部が書いています。奉行所が私的なかたちで斬ったものを処刑と述べていたことにな…

1 0 0 0 OA 巣内信善遺稿

古高俊太郎らですが、六角獄で斬り殺された可能性はあるでしょう。少し後になりますが刑死とされる村井政礼は出獄させると言われ、外に出されたところを斬られたと同獄にいた巣内式部が書いています。奉行所が私的なかたちで斬ったものを処刑と述べていたことになりますね。 https://t.co/d5b4l94xid
@busyo3 書中に出ている藤治は国友家の出生、辻井ふみ子の入り婿だったそうです。地籍では大橋町109番地。となればここが豊後屋で確定でしょうね。 https://t.co/nnaditaect https://t.co/Y5mDFivE6x

4 0 0 0 OA 維新の史蹟

@busyo3 こちらが詳しいです。豊後屋の本姓は辻井で写真まで掲載されていますね。友七は明治十六年没。宿帳も残っていたと書かれています。 https://t.co/77dRTGOxYV

8 0 0 0 OA 会津藩庁記録

@busyo3 不正確ですが「小倉役人ゟ申出候書付之写」『会津藩庁記録』には「今泉与太郎」の名前が記されています。新家・前木が六月から同行、今泉や関口泰次郎らは中山忠光に挨拶の後、七月下向で分かれていたのでは。 https://t.co/WAS9pwdw4U
RT @T_urade1987: 松本良順の弟子入沢恭平の日記では、良順、小曽根乾堂、司馬凌海が長崎の大浦で船中酒宴を催したなる記述があります。意外に龍馬と新選組は接点が多いんですよね。 https://t.co/GSrXUtKxb3
松本良順の弟子入沢恭平の日記では、良順、小曽根乾堂、司馬凌海が長崎の大浦で船中酒宴を催したなる記述があります。意外に龍馬と新選組は接点が多いんですよね。 https://t.co/GSrXUtKxb3
江戸時代の沽券図ですが、明治以後のものとは違いが見られます。地主がいるのは当然としても家守(差配人と同義)の存在が確認できます。 https://t.co/tYTBfzz6RO
RT @T_urade1987: 『原市之進暗殺事件の高橋泥舟・山岡鉄舟黒幕説を否定する』がciniiに投稿されていました。この事件に関しては画期的な論考になりました。 https://t.co/VpAa3pCoba

11 0 0 0 OA 近江国輿地志略

@kirinosakujin @n_Fushimi_243 『近江国輿地志略』引用の寺記には「曼珠(ママ)院御門跡末寺也云云」とあるので幕末期頃にはそう認識されていたのは間違いないでしょう。曼殊院諸大夫に山本重胤って人がいますが、太宰の父なのか。 https://t.co/rW6eIVUhcR

11 1 0 0 OA 彰義隊戦史

@a_ri_no_ri 暗殺説の出典は『彰義隊戦史』で、これが何度か使い回されています。あと『江戸幕臣人名事典』に明細短冊からの情報が、『駿遠に移住した徳川家臣団 第三編』にも記載ありますね。 https://t.co/bQpyfLFRtu

1 0 0 0 OA 川俣茂七郎

『川俣茂七郎』によれば天狗党高橋上総介(赤報隊の高橋新太郎)、色々やったと書かれていますね。神職だからと言って必ずしも大人しかったと言う訳ではないようです。 https://t.co/E9faIRrSLj
RT @T_urade1987: @domioriha 橋本綱常と綱維は別人です。『幕末維新福井名流戸籍調』に壬申戸籍の写しみたいなものが載っています。こちらの彦也が綱維、琢磨がその弟の綱常です。千代の名前と年齢も見られますね。 https://t.co/MU3YNDc5PY

1 0 0 0 OA 町方書上

町方書上だと家数が七十五軒もあって想像以上に中川町は広かったですね。地借一とあるのが道場でしょうか。時期的には伊東誠一郎が若かった頃ではあるんですけどね。 https://t.co/6fc2MskypE
@domioriha 橋本綱常と綱維は別人です。『幕末維新福井名流戸籍調』に壬申戸籍の写しみたいなものが載っています。こちらの彦也が綱維、琢磨がその弟の綱常です。千代の名前と年齢も見られますね。 https://t.co/MU3YNDc5PY

2 0 0 0 OA 法規分類大全

川村伝衛は伝左衛門の息子、婿養子が伝蔵です。深川中川町一番地とあるので、ここに土地を持っていたことは確定でしょうね。 https://t.co/6sedOpWJCq
『原市之進暗殺事件の高橋泥舟・山岡鉄舟黒幕説を否定する』がciniiに投稿されていました。この事件に関しては画期的な論考になりました。 https://t.co/VpAa3pCoba

1 0 0 0 OA 年録

@shidacita64 紀伊守の養子なので宗孝でした。消しておきます。どちらも内匠の弟なので勘違いでした。 https://t.co/NTPgkzjxOo

2 0 0 0 OA 東京市史稿

芳賀敬太郎、永倉と同年ぐらいと思われていましたが、想像以上に年を食っていたかも知れません。こちらで四谷内藤宿に屋敷替えされているのですが、弘化元年です。「諸向地面取調書」を見ると「芳賀禄之助」が四谷内藤宿にいます。これ口書の「六之助」のことですよね。 https://t.co/SnBlBvdFpc

9 0 0 0 OA 維新史蹟図説

『維新史蹟図説』より平野国臣遺影。全く見たことがありませんでした。本物なんでしょうか。 https://t.co/DcPTEgq9xn
RT @T_urade1987: 出典はこちら、同志細木元太郎の書簡です。原六郎のものも載ってます。 https://t.co/4Dz0CM1zr9
出典はこちら、同志細木元太郎の書簡です。原六郎のものも載ってます。 https://t.co/4Dz0CM1zr9
@sinsenlove0505 ありえそうな話ですね。他の本でも裏付けられそうなエピソードが。中央公論に生霊の話を引用したらしきものが載っていて、見たところ『全生庵記録抜萃(鉄舟居士乃真面目)』あたりではないかと。 https://t.co/vK2gg8iaLL

4 0 0 0 OA 往事録

RT @T_urade1987: 西村茂樹が「往事録」にて回顧するところによると慶応三年十二月十三日(本人は十一月としていますが、途中まで一緒だった平野縫殿の記録では十二月)、西村は大坂に下る途中で伏見寺田屋に泊し、その地で土方歳三と土佐藩士の「小争闘」を見ています。 http…
@hiragumo99 ネットで見れるものだと「人見・中川両苗と新撰組-幕末における二つの「郷士」集団-」、それと愛媛県先哲偉人叢書の矢野玄道の巻でしょうか。 https://t.co/F9g5l0jLop
@sasakitoru こちら、天誅組の中山忠光と吉村虎太郎と連動関係にあったようです。藤本鉄石・飯居簡平が上げたメンバーのなかに佐々木六角源氏太夫の名前がありますので、おそらく同一人物かと。 https://t.co/U8UyFPTvm1
@machi82175302 こちらです。たぶんこれ熊本県立図書館に所蔵があるものと同一かと。轟木は結構史料が残ってますね。 https://t.co/VD2R7dsTAn

2 0 0 0 OA 商工信用録

@n_Fushimi_243 @kirinosakujin 明治三十二年で開業五十年を迎えているので嘉永二年から神田黒門町にいるみたいですね。 https://t.co/O9gV9yQUx3

4 0 0 0 OA 往事録

西村茂樹が「往事録」にて回顧するところによると慶応三年十二月十三日(本人は十一月としていますが、途中まで一緒だった平野縫殿の記録では十二月)、西村は大坂に下る途中で伏見寺田屋に泊し、その地で土方歳三と土佐藩士の「小争闘」を見ています。 https://t.co/bjqM4uFMeW

10 0 0 0 OA 近世野史

まあ見比べれば一目瞭然なんですが。西村のオリジナルなものではなく、どこからか入手したものを転載したとみるべきでしょう。対して芹澤鴨が犯人というのは西村が直接壬生浪士に聞いた話である可能性が高い。 https://t.co/qujvgSmquT https://t.co/wMqSmBFHEK

6 0 0 0 OA 続再夢紀事

@_rinrin_rinko この二人、結構前から繋がりありますからね。宗城の日記でもよくでてくるんですが。高崎猪太郎って諸侯と繋がりを持ちスパイ見たいなことをやっていた人ですので。 https://t.co/PvtMyJMz98 …
RT @ao_iro3011: 「ロラン夫人獄中記の再読」という論文を読みました! 去年の12月くらいに発表されたばかりらしいです
安房里見家の子孫を称する花沢常吉は一応浪士名簿で確認出来ます。こちらも赤報隊史料集が新編される際は入れられるべき史料ですね。 https://t.co/Y1G1kyLTwY
@Mico_Yuzu こっちに載っていました。ただ紀伊郡吉祥院村との繋がりは不明。 https://t.co/cpcorcdsPC

1 0 0 0 OA 〔日記〕

@yaduki_bm 宍戸は日記が見れるようになったので、ある程度裏取りも出来るんじゃないかと思います。 https://t.co/963iD2NUAe https://t.co/TjpZ9dCNVq https://t.co/NEFRvcKobS

1 0 0 0 OA 〔日記〕

@yaduki_bm 宍戸は日記が見れるようになったので、ある程度裏取りも出来るんじゃないかと思います。 https://t.co/963iD2NUAe https://t.co/TjpZ9dCNVq https://t.co/NEFRvcKobS

1 0 0 0 OA 〔日記〕

@yaduki_bm 宍戸は日記が見れるようになったので、ある程度裏取りも出来るんじゃないかと思います。 https://t.co/963iD2NUAe https://t.co/TjpZ9dCNVq https://t.co/NEFRvcKobS

1 0 0 0 OA 加賀松雲公

@rinne_bsr @inshinzi 加賀藩士に鷲田弥太郎、鷲田作右衛門、鷲田弥左衛門を称した家が存在するんですが、無関係ではなさそうですね。加賀から福井へと流れたのでは。 https://t.co/XwSfhpDU2V https://t.co/7bJwpZZXLT
意外に史料はあるものですね。伊藤、大久保が共に三条の屋敷に向かい、木戸は伊藤と落ち合おうとしたが出来なかった。さらに木戸は帰宅直後に腹痛を起こした。木戸日記は五時とあります、とすれば予定通りに行われたのか。 https://t.co/72fNOujnGk https://t.co/jN548Yg6Iq

20 0 0 0 OA 木戸孝允日記

意外に史料はあるものですね。伊藤、大久保が共に三条の屋敷に向かい、木戸は伊藤と落ち合おうとしたが出来なかった。さらに木戸は帰宅直後に腹痛を起こした。木戸日記は五時とあります、とすれば予定通りに行われたのか。 https://t.co/72fNOujnGk https://t.co/jN548Yg6Iq
RT @zasetsushirazu: 海原亮「江戸の蘭学者」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)は、文政2〜3年に刊行された『江戸今世医家人名録』を分析。「江戸における「医療」環境の実態を解明する基礎的な作業」として、土生玄碩・華岡青洲・大槻玄沢・伊東玄朴・坪井信道の門人…
@n_Fushimi_243 仁礼日記だと肥後十郎(慶応義塾塾生)と健蔵が伊東四郎左衛門(祐亨)と木場十蔵が一緒にアメリカにやってきたことを知らせているんですよね。 https://t.co/rbS7hS9YKb
RT @T_urade1987: 中村早知惠『幕末期における豪農層の活動 長倉村大森彦重道義を中心に』(茨城県立歴史館報45所収)を入手しました。末尾に「御上京御供東海道上下記」全文翻刻されています。大高又次郎は桜任蔵の分骨に関わった由。古高俊太郎は古高喜衛門として名前が現れま…

3 0 0 0 OA 年録

@domioriha 年録を見たら勘右衛門実子惣領ってなっていました。間違いないでしょうね。系譜が残る寛政期から安政まで五十年近くあるんですが、その間世代交代なかったんでしょうか。静岡移住後が分かっているということは明治以後の名乗り=諱も判明してるんですか。 https://t.co/5tB3HUlcdg
RT @zasetsushirazu: 土佐博文「佐倉順天堂門人とその広がり」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116、2004年)は、数千人の門人がいたとされる佐倉順天堂(蘭医・佐藤泰然が開いた)について、慶応元年閏5月の門人帳から、門人たちの事績を紹介。明治期に軍医となった西…
@AkTngt 『維新史の片影塩沢元長』という本には豪雄の弟上野梅蔵が左京となっていますね。これは改名したんでしょうか。 https://t.co/KAVO4uVvZH

1 0 0 0 OA 職員録

@AkTngt こちらの豊岡で看守長をしていた人と同一人物でしょうか。 https://t.co/BhW9lofpoK

14 0 0 0 OA 谷干城遺稿

@ho7na @history_916 『修業日記残缺』ですよね。この日記もなかなか意外な名前が多く出てますね。 https://t.co/3Dt4fHj11Q

5 0 0 0 OA 浮沈日記

@ho7na 立石の日記によれば九日の五更(午前三時~午前五時)頃とのことですね。当時の感覚だと九日襲撃と言った方が良いかも知れません。 https://t.co/AcA7kKGBRh

5 0 0 0 OA 浮沈日記

RT @T_urade1987: 大久保利通関連文書、面白いですね。第二奇兵隊立石孫一郎が殺されたときに所持していたらしい「浮沈日記」が読めます。新館精一郎と会ったことは他の史料から分かりますが、楢林昌建とも面会していたり、色々と興味深い。 https://t.co/B1gS9…

5 0 0 0 OA 浮沈日記

大久保利通関連文書、面白いですね。第二奇兵隊立石孫一郎が殺されたときに所持していたらしい「浮沈日記」が読めます。新館精一郎と会ったことは他の史料から分かりますが、楢林昌建とも面会していたり、色々と興味深い。 https://t.co/B1gS9SOL5h

14 0 0 0 OA 谷干城遺稿

@history_916 干城本人が記していますが、ちょっと微妙な表現ですね。鍛冶橋土佐藩邸へ出向いて、お吸い物とお酒を貰ったのは干城ですが家老の「巳屋」へ出向いて暴行したのは「同様頂戴の徒数人」で干城本人は関わっていないのでは。自分も酒を好むので危ないところだったとあります。 https://t.co/A46xlWayUo

3 0 0 0 OA 籏本姓名高寄

RT @T_urade1987: まあ、それだけ選択肢が減った、ということでもありますけどね。寛政期頃のものと思われる『旧幕府旗本人名録』(弥惣左衛門信孝が現れます)で二十八家、この『籏本姓名高寄』で二十三家なので未記載が五家と言うことになりますので。URLはこちらです。 ht…

3 0 0 0 OA 籏本姓名高寄

まあ、それだけ選択肢が減った、ということでもありますけどね。寛政期頃のものと思われる『旧幕府旗本人名録』(弥惣左衛門信孝が現れます)で二十八家、この『籏本姓名高寄』で二十三家なので未記載が五家と言うことになりますので。URLはこちらです。 https://t.co/qj1ze3H4FI
RT @T_urade1987: 青木弥太郎の系譜について、私の中では謎の部分あったんですが、ようやく分かりました。青木八十次郎信之(秋助)→実子惣領青木金次郎→養子青木定太郎(弥太郎?)でした。屋敷は内藤新宿にあり、『御府内場末往還其外沿革図書』で変遷が分かります。 http…
RT @zasetsushirazu: 昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲…
青木弥太郎の系譜について、私の中では謎の部分あったんですが、ようやく分かりました。青木八十次郎信之(秋助)→実子惣領青木金次郎→養子青木定太郎(弥太郎?)でした。屋敷は内藤新宿にあり、『御府内場末往還其外沿革図書』で変遷が分かります。 https://t.co/DOByruzDhJ

46 7 3 1 OA 寛政重脩諸家譜

ちなみに寛政譜にあるので系図は繋げますね。どこまで情報を集めておられたかは記憶にありませんが……。 https://t.co/K6B4I3DaOJ

4 0 0 0 OA 蜀山人全集

意外ですが高柳粂蔵と南畝大田直次郎は同僚でした。そのため、「おしてるの記」に名前を現しています。 https://t.co/t7f8AYPNKL
RT @T_urade1987: 高柳小三郎家が下谷和泉橋に越してきた年も分かりました。天保十四年九月二十七日のことです。「右衛門督殿郡奉行」の肩書きです。右衛門督とは不明ですが田安家でしょうか? とすると御三卿の家来から、幕臣になったというところでしょうね。 https://…
高柳小三郎家が下谷和泉橋に越してきた年も分かりました。天保十四年九月二十七日のことです。「右衛門督殿郡奉行」の肩書きです。右衛門督とは不明ですが田安家でしょうか? とすると御三卿の家来から、幕臣になったというところでしょうね。 https://t.co/Iy3UIKrn33
左端に高柳小三郎邸がありますね。 https://t.co/7kCGfB1xyt

7 0 0 0 OA 史籍雑纂

これを見れば分かるように大政奉還で会津藩は驚愕、寝耳に水と言った反応を示しています。「六ケ年来の御誠忠も、水の泡と相成候」とまで書いている訳で、会津にとって大政奉還は望ましい事態ではなかった訳ですね。それを断行した後藤、小松が敵になるのも分かります。 https://t.co/m34MMbuazo
@n_Fushimi_243 岩波甚兵衛でした。彼が伊藤らを始めとした高島藩領の農民を徴用して東山道鎮撫総督府に従軍、近藤勇と戦っていたようですね。 https://t.co/vgCYBEG3BQ
RT @zasetsushirazu: 昭和6年1月2日、斯波淳六郎が死去。幕末の加賀藩家老の家に生まれた。明治17年にドイツ留学する際、同じ船には橋本長勝(橋本左内の甥)らがいたらしい。帰国後、法制局参事官などを歴任。七戸克彦「現行民法典を創った人びと(24)」(『法学セミナ…
RT @saigetudo: 国立国会図書館デジタルコレクション 『前将軍としての慶喜卿』 市村残月 著/春江堂書店/大正2年 https://t.co/W7LEQKdPRy 懐かしいものがネットで閲覧できるようになった感慨
RT @zasetsushirazu: 山本志乃「旅日記にみる近世末期の女性の旅」(『国立歴史民俗博物館研究報告』155)は、清河八郎の母親や松尾多勢子など、女性たちの旅行を分析。幕末期にはすでに一般化していた無手形による違法の関所抜けが、流動人口の増加や宿場への経済効果をもた…

4 0 0 0 OA 徳川慶喜公伝

@komusai06311 @uwabutatsunori 「痴雲随筆」なる本もあります。「晩香堂雑纂」所収なので残念ですが焼亡したのでしょう。他に森銑三が言及してるっぽいです。森所有の史料もほとんど焼亡したようですからね。 https://t.co/TL935UNtBA

3 0 0 0 OA 会津藩庁記録

RT @T_urade1987: こちらの「京都方浪士人別」に出ている万年大進が誰だか分かりました。恐らく誤記で万年大純が正確でしょう。漢学者で医師だったようですね。 萬年櫟山の名前で『皇國醫系』という本を文久元年に出しています。それなりに知られていたようですね。 https:…
@busyo3 発行日が違うものが存在する由。 https://t.co/6jhUYqm3cV

50 3 0 0 OA 国民過去帳

@tikougouitu 一応ネットで読めます。再刊されたものと内容に変化はあるんでしょうか。 https://t.co/Pdy5etZFqi
@busyo3 これに関して先行論文があるようですね。 https://t.co/K6efUUbc9e
@nagisanoyuki 今思い出したんですがこの本ご存じですか? 福井の人物を調べておられる方なら使えるんじゃないかと思います。 https://t.co/jr2HxGLarQ

3 0 0 0 OA 日本杏林要覧

@09Kumano 『日本杏林要覧』を確認すると安政元年生まれとあるので本人ではないでしょうね。ただ長州藩領だと尾崎姓の医者はこの人ぐらいです。徳山藩領にはいますが。 https://t.co/plnS7by7Kf
@09Kumano それは気になりますね。木戸の日記から明治初年までは存命だったことが分かり明治十五年の『内務省免許全国医師薬舗産婆一覧』を当たってみました。すると山口県に「尾崎文菴」という医者の存在が確認出来ます。改名したのか息子なのかと言ったところでしょう。 https://t.co/VrdvPo9XuS
@wahon_komonjo こちらも参考に。猪谷氏は元佐々木氏で左官でしたが、神職に取り立てられたようです。 https://t.co/8gUTloHTSg
@tsubaki07231971 文久の改革で、まず山陵の修補について幕閣に図った(と思われる)のが大原です。そのあたりは以下の論文に書かれています。他にもかなり大原が修陵に関係した痕跡は多いですね。ちなみに足利木像事件の犯人たちもやはり山陵関係で京都へ呼び寄せられています。 https://t.co/GaqpTSRpsQ
@history_916 著作の一部(本人の書いた年譜など)はこちらで見ることが出来ます。 https://t.co/D71hFDDb5G
@history_916 彼については以前ちょっと調べました。『安房先賢偉人伝』が非常に詳しいです。 https://t.co/JFszNDwujl

8 2 0 0 OA 維新史料綱要

大体風説書だよりで、史料稿本を見てみても非当事者の伝聞・手記の類いだということが分かります。 https://t.co/BuBCOrtXVq
RT @zasetsushirazu: 明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。岡山藩重臣で、文久2年に京都で国事周旋を開始。中川和明「平田塾と地方国学の展開」(『書物・出版と社会変容』11)曰く、「岡山藩の幕末維新史を語るうえでたいへん重要な人物」。その家…

6 0 0 0 OA 回天実記

@_rinrin_rinko @yk_kuuga 色々言われている本ですが『回天実記』では十八日に鞆港着、土佐屋泊、十九日出帆を図るが雨で見合わせ、九ツ刻に保命酒屋へですね。しかし、中村某となっており太田家ではありません。 https://t.co/xTqDJKvhFM

5 0 0 0 OA 会津藩庁記録

RT @T_urade1987: 会津藩庁記録、有名な本ですが検討されたことがなさそうな情報が多く載っていまして、池田徳太郎のあまり語られない元治元年の動向が追えたりします。忠海村に帰っていたようですね。 https://t.co/F5e347qrgi

5 0 0 0 OA 会津藩庁記録

会津藩庁記録、有名な本ですが検討されたことがなさそうな情報が多く載っていまして、池田徳太郎のあまり語られない元治元年の動向が追えたりします。忠海村に帰っていたようですね。 https://t.co/F5e347qrgi
こちらの論文、興味深いことが書かれています。永井氏は改易された桑山氏の後を受けて大和新庄藩主となり、幕末期に櫛羅に移ったとされていますが、新庄に永井氏陣屋は存在せず、葛上郡松本村にあったのではないかとされています。櫛羅藩、実に謎の多い藩です。 https://t.co/yKuKVGdOrR
「船町渡船(自慶応二年七月 至明治二十六年六月)」というところですね。 https://t.co/Sp4nOStNvg
RT @zasetsushirazu: 文久2年5月25日(1862年6月22日)、佐賀藩士・中野方蔵が死去。老中・安藤信正が襲撃された坂下門外の変への関与を疑われ、獄死。重松優「青年大木喬任と佐賀勤王党」(『社学研論集』11)曰く、「佐賀藩では、中野は数少ない勤王運動の犠牲者…
@taka_udud 本人の書いた「薄井龍之小伝」に酷似していますね。その中で稲田氏の家臣南某を頼った云々とありますが、これは南薫風のことでしょう。同じく稲田家臣尾方長栄の伝記に関口隆吉に言われて薄井を匿ったことが記されています。 https://t.co/qzI038j1TJ
@kirinosakujin 『屋敷渡預絵図証文』からですが、どうも岡又蔵自身は屋敷を持っておらず、戸田与左衛門の代理として署名しているようなんですね。東京市史稿に収録されているところから探しました。 https://t.co/g5sPpA1246

60 4 0 0 OA 寛政重脩諸家譜

@mohei99 @morokoshoten 寛政譜によると田中の天澤寺に当主が葬られていますね。現存せず、廃寺になった後墓地だけ残ったのでしょう。津金家の菩提寺は四谷の全勝寺に移ったともあります。 https://t.co/x2QauMN8Bf

12 0 0 0 OA 平田神学の遺産

RT @zasetsushirazu: 明治20年5月19日、矢野玄道が死去。幕末維新期の著名な平田派国学者で、千人以上の門人がいたらしい。また、間接的な影響力という点で、三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)が、大隈重信・副島種臣らを指導した枝吉神陽が…

お気に入り一覧(最新100件)

明治20年6月8日、権田直助が死去。国学者・医師で、慶応3年に江戸の薩摩藩邸に入り、相楽総三らと気脈を通じた。明治初期に、丸山作楽らと反政府の陰謀に関与したことを疑われた。安藤良平「国事鞅掌者の映像 2」(『跡見学園女子大学紀要』15)が、権田の著作一覧を掲載。 https://t.co/aTdhajB1Qh
https://t.co/Oy2Yy6KWIi 幕末期土佐藩の国事運動と「政治犯」化 : 「御用状」にみえる土佐勤王党への対応を素材に 「土佐藩京都藩邸史料」では土佐勤王党のこともこんなにいろいろ書かれてるんだあ…!面白かったです

1 1 0 0 OA 東京市史稿

めちゃくちゃ気になるのが、平岡庄助の屋敷が上知された翌年の寛保3(1743)5月7日付の史料に登場する「御掃除之者 庄助」という名字の無い人物。平岡庄助その人ではなかろうか? https://t.co/L8aavLvkxh

1 1 0 0 OA 東京市史稿

上の「本所割下水近所安藤伊兵衛平岡庄助両人上ヶ地」の史料の日付は寛保2(1742)5月9日だが、5月12日付史料に「本所北割下水」「平岡庄八」の記述がある。 https://t.co/V3jN7y2bUB

1 1 0 0 OA 東京市史稿

寛保2(1742)に「本所割下水近所安藤伊兵衛平岡庄助両人上ヶ地」を林部五郎左衛門が拝領したという史料がある。 https://t.co/vZjnmLJexw

14 0 0 0 OA 南洲翁逸話

家近良樹『西郷隆盛』でも参考にされてたこれ、面白い。鹿児島の各町村に調査委員を置いて、まだ存命だった古老からの聞き取りを収めたもの。鹿児島に銅像が出来たときに発行されたらしい。こういう仕事は本当に重要で、いい仕事されたと思う。 https://t.co/XhKJ2Whtya

29 2 0 0 OA 徳川慶喜公伝

青天の平岡圓四郎の描写 ・慶喜公に仕える経緯 「徳川慶喜公伝」 https://t.co/m29tMAzyp0 嘉永六年の事なりき、烈公に書を上りて「某が家中には、某が過失は勿論、行状につきても、訓戒を申しくるる者なければ、何とぞ右やうの者両三輩を附け給はりたし」と申請へる事あり。

5 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

ついでに、維新日乗纂輯 5 駒邸警衞日記69コマにも西山勇之介の名前があった。 駒邸警衛日記は宮本春祇(甚兵衛)の日記。安政6年の3月に水戸を出て江戸の藩邸警備に加わって以来の記録。西山勇之介の名前が出てくるのは安政6年9月7日の日記。 https://t.co/JZVzmEsIEa
この時、西山は捕縛されているが、後に許されて徳川慶篤の上洛に付き添っている。これについては木戸松菊公逸事 : 史実考証の77コマに触れられている。 (木戸松菊は木戸孝允のこと https://t.co/LSmsxMMoOK

1 0 0 0 OA 水戸藩末史料

なお、西山勇之介は水戸藩の武士として何度か史料に名前が確認できる。 まず、水戸藩末史料 31コマ。勅許返納騒動で絶対反対派に与し、茨城の長岡宿に集まったメンバーの中に林忠左衛門がいるが、彼らの中に西山勇之介の名前がある。 https://t.co/L5DjI7nKws
他の方のツイートを見て気がついたのだけど諸向地面取調書の名前のリストがあるのね https://t.co/Ecgtm8zYRO これで探して名前があれば公文書館の諸向地面取調書を見れば良いと言うことか https://t.co/6LRdOa6nuL

3 0 0 0 OA 年録

@T_urade1987 こそっと https://t.co/ZsAP1pPTlE 別家から養子にきていそうですね
1929年8月26日、アーネスト・サトウが死去。幕末・明治の日本で通訳や公使として活躍した英国人で、神道や国学を研究するぐらい日本語が堪能。兪三善「日本語の教材としてのアーネスト・サトウ『会話篇』」(『實踐國文學』96)は、サトウの著作を日本語の教材として分析。 https://t.co/VyVcgPjg0f
七卿、吉川経幹公関連で氷上真光院について検索してたら見つけた論文。 ええの見つけた(*´ω`) CiNii 論文 -  周防国氷上山興隆寺の旧境内とその堂舎配置 https://t.co/xMLvqNF09v #CiNii
「ロラン夫人獄中記の再読」という論文を読みました! 去年の12月くらいに発表されたばかりらしいです
海原亮「江戸の蘭学者」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116)は、文政2〜3年に刊行された『江戸今世医家人名録』を分析。「江戸における「医療」環境の実態を解明する基礎的な作業」として、土生玄碩・華岡青洲・大槻玄沢・伊東玄朴・坪井信道の門人帳を、人名録と照合。 https://t.co/Z1NBUncPmL
明治14年5月2日、藤沢次謙が死去。幕末の幕臣で、慶応4年に勝海舟が陸軍総裁に就任した際、副総裁に就任。菊地久「維新の変革と幕臣の系譜(6)」(『北大法学論集』32-3)は、「幕政改革推進もしくは賛同の有司層」から明治政府に出仕した旧幕臣として紹介。 https://t.co/3aq5CZjJmA
土佐博文「佐倉順天堂門人とその広がり」(『国立歴史民俗博物館研究報告』116、2004年)は、数千人の門人がいたとされる佐倉順天堂(蘭医・佐藤泰然が開いた)について、慶応元年閏5月の門人帳から、門人たちの事績を紹介。明治期に軍医となった西友輔らの関連史料も紹介。 https://t.co/xCZeOthyRO
明治41年2月16日、建野郷三が死去。幕末の小倉藩士で、第2次長州征伐で小倉城が落城した際、赤心隊を結成した。明治期に大阪府知事、米国公使などを歴任。銭国紅「洋上の対話」(『日本研究』15)は、明治3年に英国留学した建野と、清国人・張徳彝との船中での対話を紹介。 https://t.co/HF64LWbedA
昭和62年2月16日、歴史家の大月明が死去。死後、遺稿集『近世日本の儒学と洋学』(思文閣出版)が刊行され、論文「モリソン号事件をめぐつて」、「前期水戸学者の一考察」、「藤田幽谷研究ノート」などが収録された。下記は『史学雑誌』99巻7号に掲載された沼田哲氏の書評。 https://t.co/eBL1WHsjgN
佐々木克『幕末政治と薩摩藩』を久々に拝読。薩長同盟に関しては、だいぶ私の見解と異なっている。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として」(神田外語大学日本研究所紀要、2017年3月)を参照下さい。https://t.co/qtxOT4vv0S
<ちょっと自分用のメモ> 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/xhCt66lkkC 維新前後の政争と小栗上野 続 蜷川新 著  日本書院出版部  昭和6 二八 水野筑後守と佐賀鍋島侯との應接/185
@aoba_mandolin @T_urade1987 @machi82175302 関山村へ向かった館林藩兵の戦記です。9月3日、会津兵の待ち伏せに遭って大混乱に陥ったとあります。このとき、山田司が戦死しています。 https://t.co/jG1azExOaS

4 0 0 0 OA 薩藩出軍戦状

@T_urade1987 @aoba_mandolin @machi82175302 薩藩出軍戦状に私領三番隊 山田司「戦死」とありますね。 https://t.co/Zkdxl4DGe7
昭和6年1月2日、斯波淳六郎が死去。幕末の加賀藩家老の家に生まれた。明治17年にドイツ留学する際、同じ船には橋本長勝(橋本左内の甥)らがいたらしい。帰国後、法制局参事官などを歴任。七戸克彦「現行民法典を創った人びと(24)」(『法学セミナー』56-4)などを参照。 https://t.co/i8VnPMw6PX

12 0 0 0 OA 職員録

美川秀信さんの、実在証拠探し。 思いっきり行き詰まりましたので、少し寄り道します(笑涙) 「大日本帝国」時代の、全ての公務員職員録より。仁川水産試験場場長の証拠、その2です。 #いだてん 職員録.昭和14年7月1日現在 -国立国会図書館デジタル https://t.co/cn7l9QUfOs https://t.co/5OGplt0USP
水上たかね「幕府海軍における「業前」と身分」(『史学雑誌』122-11、2013年)曰く、幕末の幕府海軍では職務に必要な能力を「業前」と呼んで重視し、人材を登用した。だが、「家」の枠組は強固で、家督相続で別の役職に就いて海軍を離れる人材流出の問題などがあった。 https://t.co/yhNhvRbhtb
安政6年9月14日(1859年10月9日)、梅田雲浜が死去。安政大獄で最初に逮捕され、獄死。中島嘉文「角田家本梅田雲浜安政大獄吟味関係資料について」(『福井県文書館研究紀要』13)は、雲浜の取り調べ調書を分析し、「尊攘運動の理論的支柱」として朝廷で期待されたとする。 https://t.co/I6EKCFy9FZ
明治39年9月28日、佐々友房が死去。幕末の熊本藩出身で、西南戦争で西郷軍に参加して投獄された。上村直己「佐々友房と独逸学」(『熊本学園大学論集 総合科学』20-2)曰く、「勤王・国権を一大主義とする紫溟会を有志と共に結成。天皇主権を主とする国権論を主張した」。 https://t.co/p5xGrpC9Pv
明治2年8月13日(1869年9月18日)、土肥典膳が死去。岡山藩重臣で、文久2年に京都で国事周旋を開始。中川和明「平田塾と地方国学の展開」(『書物・出版と社会変容』11)曰く、「岡山藩の幕末維新史を語るうえでたいへん重要な人物」。その家臣が足利三代木像梟首事件に関与。 https://t.co/BZUKMIXuJQ
慶応4年6月27日(1868年8月15日)、英学者・嵯峨根良吉が死去。幕末の宮津藩出身で、薩摩藩の開成所に雇用された。竹内力雄「山本覚馬覚え書(5)「管見」を中心に」(『同志社談叢』34)は、慶応3年に、赤松小三郎と同一内容の政体改革意見書を島津久光に提出したことを言及。 https://t.co/UHsSFHSX1v

3 0 0 0 OA 中岡慎太郎

ただ古高はそれを得られなかったため、中岡自ら中沼に弟子入りしたというのが尾崎卓爾『中岡慎太郎』(1926年、80頁、以下サイトのコマ番号55)以来の説なのだが、これは信用できる史料で裏づけられてはいない。https://t.co/GOxlhfJPAm
明治2年6月6日(1869年7月14日)、鵜殿鳩翁(長鋭)が死去。幕臣で、日米和親条約交渉に携わり、文久3年に浪士組取扱。永井尚志は、「人材登庸を重んし、職掌を辱めす」と評した(河内八郎「伊達宗城とその周辺(続)」『茨城大学人文学部紀要 人文学科論集』23、1990年)。 https://t.co/FJ08lhk5hc
文久2年5月25日(1862年6月22日)、佐賀藩士・中野方蔵が死去。老中・安藤信正が襲撃された坂下門外の変への関与を疑われ、獄死。重松優「青年大木喬任と佐賀勤王党」(『社学研論集』11)曰く、「佐賀藩では、中野は数少ない勤王運動の犠牲者」。江藤新平・大木喬任と親密。 https://t.co/wHWQjvDug6

12 0 0 0 OA 平田神学の遺産

明治20年5月19日、矢野玄道が死去。幕末維新期の著名な平田派国学者で、千人以上の門人がいたらしい。また、間接的な影響力という点で、三ツ松誠「平田神学の遺産」(『宗教研究』92-2、2018年)が、大隈重信・副島種臣らを指導した枝吉神陽が、矢野と親しかったことを指摘。 https://t.co/LxgdGWkguC
全文公開の博論をいくつか発見。高橋秀城『中世密教文学の研究』(https://t.co/qiGONkKvte)、廣瀬良文『中世禅宗の展開と相伝資料 : 特に曹洞宗の説話を中心として』(https://t.co/Yr5b94LpV0)、佐野真人『平安時代前期における儀礼整備史の基礎的研究』(https://t.co/EJtdzI6unq)。凄い…。
岩田みゆき「戸張伝右衛門『慶応日記帳』にみる御料兵の実態について-慶応四年四月脱走前の動向-」(『青山史学』36、2018年)は、幕領で御料兵として徴発された戸張伝右衛門の日記を分析。戊辰戦争で会津まで赴いて新政府軍と戦った人物で、ここでは江戸開城頃までを扱う。 https://t.co/Jomyh3i1q8

37 0 0 0 OA 処世の大道

[処世の大道 渋沢栄一 著]幕臣だった頃の渋沢栄一が近藤勇を褒めてる本はこれです…!!!!あと土方歳三ともちょっとお仕事している(一緒にピクニッ……護衛をしてお弁当を食べました)340コマ目からどうぞ https://t.co/9BwOW8EQWm https://t.co/9ucUa10Zk1
明治39年4月8日、長岡護美(雲海)が死去。熊本藩主・細川韶邦の弟で、幕末政局で「肥後の牛若」と称されたらしい。明治期にオランダ公使などを歴任。東京地学協会の設立主唱者の1人。石田龍次郎「『東京地学協会報告』(明治一二-三〇年) 」(『社会学研究』10)参照。 https://t.co/KUIX07DXit
浅尾の旅行届と帰着届。これにより島田保寿が豊橋警察一等巡査だったことが判明。どのような所用があったのだろう?明治初期でも自由に旅ができたわけではなく、このような届けが必要だったのですね。以下の論文には旅行届に言及はありますが、帰着届も必要だったようです。 https://t.co/97UmkmFzoP https://t.co/uxctj5kaq2
昭和60年3月7日、森銑三が死去。『森銑三著作集』が「正」と「続」の合計で30冊ある。高木浩明「資料紹介 森銑三刈谷日記・上(大正五年六月一七日~一二月三〇日)」(『書物・出版と社会変容』21、2018年)は、幕末の国学者・村上忠順の旧蔵書を整理したときの日記を紹介。 https://t.co/ilSY7MBGLd
柳澤京子「長州戦争と労働者」(『お茶の水女子大学比較日本学教育研究センター研究年報』13、2017年)は、幕末の長州戦争(長州征伐、幕長戦争)において、いわゆる諸隊に参加した賃銀労働者集団を分析。諸隊の内部や周辺には、「稼ぎ」を求める人々が集っていたと指摘。 https://t.co/2UWQXV40Fe
慶応3年12月25日(1868年1月19日)、三田の薩摩藩邸焼き討ち事件があった。奈倉哲三「『復古記』不採録の諸記録から探る江戸情勢(三)」(『跡見学園女子大学文学部紀要』50、2015年)は、諸史料から事件の実態解明を試み、益満休之助が会津藩に捕まったことなどを指摘した。 https://t.co/ON7tEWs3HA

15 0 0 0 OA 心身鍛練

出典は『心身鍛練』https://t.co/51xpWb3CGq
昭和32年11月2日、徳富蘇峰(猪一郎)が死去。『近世日本国民史』全100巻など多数の著作があり、言論界で影響力を持った。大島明秀「明治二十年代における「鎖国論」の多様性」(『日本文藝研究』59・3/4)は、蘇峰が『国民之友』に発表した「明治年間の鎖国論」を分析。 https://t.co/ZBlcqoAt2t
【メモ】阪田雄一「足利直義と桃井直常」(千葉県立生浜高等学校五周年記念誌・研究紀要『生浜』、1983年)、同「足利直義・直冬偏諱考」(國學院大學地方史研究会機関誌『史翰』21、1994年)。wikiで知った。後者は所蔵先が多い。前者の所蔵は名古屋大学附属図書館のみ?https://t.co/H5tW3lDjLF
拙稿「第一次長州征伐における薩摩藩―西郷吉之助の動向を中心に―」(『日本研究所紀要』8号、2016年)は、以下からダウンロード可能です。https://t.co/in1GB6YkW2
@morokoshoten 妻沼聖天に田部井源兵衛が揮毫した馬庭念流の奉納額があり、昨年の展示会で写真を撮っていました。おそらく外に飾られていないものだと思います。名は辛うじて読めました。 https://t.co/yXtKekRAqv https://t.co/Cwj139A4gF
続き)近藤長次郎は坂本龍馬とこの時点では同格であり、薩長融和に果たした役割を看過すべきではない」として、近藤長次郎を高く評価している。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできます。https://t.co/A65OnLMHFg
高久智広「出世双六にみる幕臣の出世」(『国立歴史民俗博物館研究報告』182、2014年)は、武士の出世を題材にした双六を題材に、江戸幕府の幕臣たちの出世観などを分析。上司や同僚との間の贈答儀礼が、昇進と不可分の関係にあったと指摘。 https://t.co/lNltbiCRYX

4 0 0 0 OA 防長回天史

該当箇所「防長回天史四」264~265頁 https://t.co/x9eg6nb9pm 小説なんかで言われてる「攘夷ムリって指摘したから(蒙昧な)攘夷派に斬られた」ってのとはニュアンス違った。
J-STAGE Articles - 萩藩文久改革期の政治組織 : 政事堂の創設と両職制の改編 https://t.co/8szpPwBbm8 76頁と79頁の概念図は印刷して取っておきたいなあ
明治26年12月5日、幕末の会津藩主だった松平容保が死去。新選組を配下に持つ京都守護職を務めた。慶応3年、いわゆる討幕の密勅と同時に、容保討伐の文書も作成されていた。『山口県文書館研究紀要』42号に、容保を批判して怪物のように描いた風説書が紹介されている。 https://t.co/o01Cw0RGun

3 0 0 0 OA 鶴寿録

浦出卓郎@小説家になろう連載中 @T_urade1987 さんより情報提供をいただきました。 明治41年10月発刊の鶴寿録という書籍で、宮城県内の80才以上の高齢者の氏名を収録した書籍のようです。 同書籍に寺嶋金三郎の名前を見つけていただきました。 https://t.co/9V4apgCcEA

7 0 0 0 蜂須賀斉裕

昭和初頭、第13代徳島藩主・蜂須賀斉裕公に関する書籍が刊行されています 「蜂須賀斉裕」昭和18年 大政翼賛会徳島県支部 https://t.co/d1PaSoZjjR 「正三位蜂須賀斉裕公事蹟:御贈位記念」昭和4年 https://t.co/aqahdZqRlq
昭和初頭、第13代徳島藩主・蜂須賀斉裕公に関する書籍が刊行されています 「蜂須賀斉裕」昭和18年 大政翼賛会徳島県支部 https://t.co/d1PaSoZjjR 「正三位蜂須賀斉裕公事蹟:御贈位記念」昭和4年 https://t.co/aqahdZqRlq

35 0 0 0 浪士姓名簿

【新選組】先ほどつぶやいた、所在がわかった浪士組の「浪士姓名簿」は、1月には見つかっていて、ネットなどでは話題になっていました、ちなみに書誌情報が、CiNiiに掲載されています https://t.co/PG0SDlBBME

35 0 0 0 浪士姓名簿

@morokoshoten 突然すみません。「浪士姓名簿」はこちらのものとは違うのでしょうか? https://t.co/xk0ODRtLw7
http://t.co/3dPp6IHfP7 ここの妻木先生の解説で「公の旧知である会津の武井完平が商估となつて訪問した。」ってあったから、木戸さんと会津の人が知り合いになりそうな機会っていうと、文久元年のあの辺の話かな、と思ったら当たりだった。 予想が当たると嬉しい。

7 0 0 0 OA 維新日乗纂輯

久坂の日記(文久二~三)が近デジで読めたので覚書 維新日乗纂輯. 第1 http://t.co/QyIAy82mxB 白石正一郎日記 P.1~(9コマ) 江月斎日乗 P.475~(255コマ) #近デジ未読リスト

フォロー(1301ユーザ)の投稿一覧(直近7日間)

RT @k_hisane: 【大名の乳幼児死亡率1651~1850年 : 大名系譜の分析】 https://t.co/QLZ7nWjtwl 江戸時代の大名家の乳幼児死亡率について調べたら、乳児死亡率が19.3%、幼児死亡率が22.9%、合わせて42%越えててドン引きする。5人中…

2 1 1 1 OA 修補殉難録稿

→ 永井道明の叔父さんの永井芳之介も 那珂湊の郷校で人々に教えるついでに人心を「攘夷思想」方向にへと煽っていて それに影響された人々:農民階級の人たちが 水戸天狗党の乱に巻き込まれたわけで。 #青天を衝け #いだてん 『修補殉難録稿 前篇』- 国会図書館デジタル https://t.co/43HnUlKL1H https://t.co/etMws97Ft7
RT @k_hisane: 【近世大名における養子相続と幕藩制社会--「他家」養子を中心として】 https://t.co/nYmurR5YDg この辺見ると、国持大名ですら後期になっていくと実子相続とそれ以外の相続がトントンくらいになってるので、そりゃ諸家譜に「實は○○が子」…
RT @k_hisane: 【大名の乳幼児死亡率1651~1850年 : 大名系譜の分析】 https://t.co/QLZ7nWjtwl 江戸時代の大名家の乳幼児死亡率について調べたら、乳児死亡率が19.3%、幼児死亡率が22.9%、合わせて42%越えててドン引きする。5人中…
RT @k_hisane: 【近世大名における養子相続と幕藩制社会--「他家」養子を中心として】 https://t.co/nYmurR5YDg この辺見ると、国持大名ですら後期になっていくと実子相続とそれ以外の相続がトントンくらいになってるので、そりゃ諸家譜に「實は○○が子」…

10 10 10 10 OA 中外医事新報

@NFt0LnabR2IDH7C https://t.co/no5Brm1r1P こちらの論文が昭和13年のものですが、「今の尚侯爵邸の東側」という記述があります。 現代の白百合学園の敷地内であることは確実かとは思いますが、当時の位置関係がわからず正確な部分は不明です。
RT @k_hisane: 【近世大名における養子相続と幕藩制社会--「他家」養子を中心として】 https://t.co/nYmurR5YDg この辺見ると、国持大名ですら後期になっていくと実子相続とそれ以外の相続がトントンくらいになってるので、そりゃ諸家譜に「實は○○が子」…
RT @k_hisane: 【大名の乳幼児死亡率1651~1850年 : 大名系譜の分析】 https://t.co/QLZ7nWjtwl 江戸時代の大名家の乳幼児死亡率について調べたら、乳児死亡率が19.3%、幼児死亡率が22.9%、合わせて42%越えててドン引きする。5人中…
RT @k_hisane: 【大名の乳幼児死亡率1651~1850年 : 大名系譜の分析】 https://t.co/QLZ7nWjtwl 江戸時代の大名家の乳幼児死亡率について調べたら、乳児死亡率が19.3%、幼児死亡率が22.9%、合わせて42%越えててドン引きする。5人中…

10 10 10 10 OA 中外医事新報

RT @yaduki_bm: 私が大変お世話になってる論文がネットで読めるようになってた 兵助の暗殺についてお医者さんがまとめてくれた論文です https://t.co/no5Brm1r1P

10 10 10 10 OA 中外医事新報

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10 10 10 10 OA 中外医事新報

私が大変お世話になってる論文がネットで読めるようになってた 兵助の暗殺についてお医者さんがまとめてくれた論文です https://t.co/no5Brm1r1P
凄いな。 この文献、めっちゃ内容濃そうだ。 :田中愿蔵終焉の地、福島県の政治家かつ地域史家で、田中愿蔵と水戸天狗党を追い掛けて追い掛けまくって書籍に著した執念の人・金沢春友の著作 #青天を衝け 『水戸天狗党遺聞』 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/ihkxvY5weN

42 3 3 1 OA 甲斐志料集成

「甲陽軍鑑」 https://t.co/Vgkh58qzMv 同年戌五月勝頼公御馬出され、遠州高天神の城へ取詰給ひ、家康旗下の小笠原与八郎をせめ給ひ候へ共、家康一人の後詰ならずして信長を引出し候、其使は小栗大六と申、家康ふだいの三河侍なりと、浜松よりの生捕如此語り申候、
川村正平関係文書の中に『中村六蔵口述』がありました! https://t.co/rkiEblTFhz
檜皮瑞樹「四つの大隈銅像と政治家大隈重信」『早稲田大学史記要』47巻 2016年 大隈重信銅像は実は4体存在したという事実にまず驚く。そして、芝公園に衣冠束帯(大正天皇即位礼において着用した)姿の銅像があったことに驚く。 https://t.co/IutJ4ZezWk #読了 #論文 #早稲田大学 #大隈重信
RT @IdatenInfoSta: #今日は何の日 1920年(大正9年)6月17日。 金栗四三や野口源三郎たちアントワープオリンピック日本選手団の一行が ニューヨークに到着しました。 #金栗四三 #中村勘九郎 #野口源三郎 #永山絢斗 #アントワープオリンピック #い…

9 9 9 0 OA 諸系譜

RT @iokhicjnoakn: 石田三成の石田氏には、桓武平氏三浦氏流とする系図が知られているが、異説で藤原北家師実流とする系図も存在することは紹介しておきたい 『諸系譜』第29冊 https://t.co/y7YGgbbpUJ https://t.co/LID9mmVV…
RT @huuchi: 加齢に伴う喉頭の位置変化の検討 https://t.co/qD4YPEGvcm C3-C5距離を基準とした計測によると、男性の喉頭位置は女性より有意に低位。男性は40代〜50代の間、女性は40代〜60代の間で、喉頭が下がっている。結論として、喉頭低下は加…

3 2 2 0 OA 史籍雑纂

「当代記」 https://t.co/BJI7Oq3eJe 同五月、高天神に四郎出張、信長為後詰御出馬、吉田に御着之所、高天神落居之由告之間、信長自吉田御帰馬、 (中略) 此高天神落居之模様、城主小笠原与八郎武田に一味、家老之者共同心中は属之歟云々、雖然家康公へ人質を進置之間、無疎略之由披露之、

36 2 2 0 OA 史籍集覧

「信長公記」 https://t.co/J5NtLOTpHS 六月五日 武田四郎勝頼 遠州高天神城 小笠原 御身方として居城候を相働取巻の由注進候則後詰として 六月十四日 信長公 御父子濃州岐阜を打立十七日三州の内吉田の城坂井(酒井)左衛門尉所に至て御着陣
RT @nekonoizumi: 第二次大戦期のイギリスの主に「中産階級のスクールガール」向けの雑誌『ガールズ・オウン・ペーパー』で1940年10月に連載が始まった、空軍の後方支援の女性部隊の隊員が主人公の冒険小説『女性空軍補助隊のウォーラルズ』についての分析・考察論文のようだ…
RT @zasetsushirazu: 明治39年6月17日、矢野二郎が死去。幕末期に英語の通訳を務めた幕臣で、幕府の横浜鎖港談判使節に随行。明治期に駐米公使や商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。菊地久「維新の変革と幕臣の系譜6」(『北大法学論集』32-3)は、旧幕臣…
明治39年6月17日、矢野二郎が死去。幕末期に英語の通訳を務めた幕臣で、幕府の横浜鎖港談判使節に随行。明治期に駐米公使や商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。菊地久「維新の変革と幕臣の系譜6」(『北大法学論集』32-3)は、旧幕臣の社会進出の例として言及。 https://t.co/5FJfyHB1ej

2 1 1 1 OA 修補殉難録稿

永井道明先生!! 叔父さんの永井芳之助道正の記録が 何故か国会図書館にあったよぉ!!! なるほどこれがコトバンクの参照元の資料かぁ。 #青天を衝け #いだてん #いだてん史料噺 修補殉難録稿. 前篇 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/43HnUlKL1H https://t.co/lcARYCXsXX

24 3 3 0 OA 寛政重脩諸家譜

「寛政重修諸家譜」 https://t.co/XF4AMvEWnC 小笠原義信(義頼の長男) 天正二年質となりて甲斐国にいたり、のち父が家を継、二千石を知行し、千石を弟半五郎氏信にわかちたまひ、その餘三百石を父が隠栖の料にあてらる(義頼は慶長18年9月12日に亡くなる) https://t.co/Wb08dKDmqo

24 3 3 0 OA 寛政重脩諸家譜

「寛政重修諸家譜」 https://t.co/Mrk4cc8897 小笠原義頼 (氏興の弟・信興の叔父) 天正二年五月武田勝頼高天神の城をせむるのとき、使節を浜松にはせて御加勢をこひ申のところ、人質をたてまつるべきむね仰下さるるにより、弟惣兵衛清広を献ぜしかば加勢の士五十騎をさしむけらる。
RT @BUNKA_DAILY: 執筆者の熊谷隆次先生は『弘前大学國史研究』で「奥羽仕置と稗貫氏 ―『稗貫家譜』の分析から―」という論文を書いています。 https://t.co/aoslwzNFU7

24 3 3 0 OA 寛政重脩諸家譜

( ..)φメモメモ 後でゆっくり読む 小笠原義頼の項目、人物名が多く楽しそう。 「寛政重修諸家譜」 https://t.co/XF4AMvEWnC ちょっと気になる点 武田家とも和議ととのひ、見附原東坂にをいて男義信(小笠原義頼長男)をもつて勝頼の質武田信豊と人質を相かふ。
RT @gosenzo_am: 国立国会図書館デジタルコレクションで『高齢者写真名鑑』というのを見つけました。大正14年、大日本敬老会編。 https://t.co/WLAyN0EvIZ
RT @zasetsushirazu: 明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建…
RT @zasetsushirazu: 明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建…
RT @zasetsushirazu: 明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建…
RT @zasetsushirazu: 明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建…
RT @zasetsushirazu: 明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建…
国立国会図書館デジタルコレクションで『高齢者写真名鑑』というのを見つけました。大正14年、大日本敬老会編。 https://t.co/WLAyN0EvIZ
明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建立された珍彦の銅像に言及。 https://t.co/5LeweLiHtX

3 1 1 0 OA 北海道立志編

https://t.co/XU9txod3xV メモです
RT @washou3956: CiNii 論文 -  「食」からみる本能寺の変 https://t.co/PQfE3yRb0d #CiNii
福沢諭吉と犬養毅って、住所的には同じとこにいたのか。 『全国所得納税者姓名録』 https://t.co/yk9SK4GCX6 https://t.co/j3iAlY4fBp
尊敬している研究者に評価していただけるのは、素直に嬉しいものです。 https://t.co/Pc7moeXEMJ
RT @ko_0021: 柏餅(カシワ餅)と粽(チマキ、茅巻) 「かしわもちとちまきを包む植物に関する植生学的研究(人と自然 Humans and Nature, No. 17, 1-11, January 2007)」読了。 https://t.co/NFN6EJ8gnd 主…
CiNii 論文 -  「食」からみる本能寺の変 https://t.co/PQfE3yRb0d #CiNii
なお堅田の居初家は文芸を学ぶ家だったそうですが、武芸に関しても17世紀の富田流伝書や幕末の長竹刀と撃剣防具が残ってるそうなので、江戸初期に良移心当流を学んでいても不思議じゃないのかもしれません。 (参考、三苫保久「居初家の撃剣道具について」)https://t.co/xOCUuHZl1K
『もふもふもふ怖噺』(市場通笑作、北尾政美画、天明4 〔1784〕)書名で勘違いされそうな本。もふもふ成分がないわけではない。 https://t.co/tCsdg4btnX https://t.co/lmSc0I2BAj
RT @Dialektik1961: 金井徹(2013)「務台理作の信濃教育会における役割の検討 -信濃哲学会を中心とした京都学派との関係に着目して- 」 『東北大学大学院教育学研究科研究年報』第61巻2号,23-38頁 https://t.co/PZbBNkBg24
RT @washou3956: PDF公開。佐藤亜莉華「醍醐寺僧と根来寺僧の交流とその変容」(『日本女子大学大学院文学研究科紀要』27、2021年3月)紀州根来寺の僧侶と醍醐寺僧の交流、その特徴と変遷を考察することで、他寺院との交流における法流相承の意義を検討する。https:…
RT @nagisanoyuki: 川村正平関係文書の中に半井澄の名前を発見。明治8年だと澄さんは療病院にいる頃だと思うけど、二條斎敬を診たのは高階経支の関係かな。高階経支はおそらく典医高階経徳の父、経由の兄弟。 二條斎敬殿容體書 https://t.co/I5R0wvpPeh

1 1 1 0 上方

@kanbunyomi https://t.co/flaGluDIBD 露香の情歌系は、「郷土雑誌上方」の追悼記事と宮本又次の本にあったと記憶します、すべては読んでませんのであやふやではありますが……
一通り目通しましたが自分の先祖親戚はいらっしゃいませんでした
PDF公開。佐藤亜莉華「醍醐寺僧と根来寺僧の交流とその変容」(『日本女子大学大学院文学研究科紀要』27、2021年3月)紀州根来寺の僧侶と醍醐寺僧の交流、その特徴と変遷を考察することで、他寺院との交流における法流相承の意義を検討する。https://t.co/CTwOudz8lD #こんな論文がありました
川村正平関係文書の中に半井澄の名前を発見。明治8年だと澄さんは療病院にいる頃だと思うけど、二條斎敬を診たのは高階経支の関係かな。高階経支はおそらく典医高階経徳の父、経由の兄弟。 二條斎敬殿容體書 https://t.co/I5R0wvpPeh
RT @TatsuUwa: 天狗党の唯一の生き残りが維新後に伊藤博文を訪ねてきたらしい。伊藤と接点のあった水戸の人々の多くが天狗党に加わって敦賀で非業の死を遂げた。このことは伊藤が末松謙澄に語っております。 #青天を衝け https://t.co/ZvJ11BG6wD
RT @TatsuUwa: 天狗党の唯一の生き残りが維新後に伊藤博文を訪ねてきたらしい。伊藤と接点のあった水戸の人々の多くが天狗党に加わって敦賀で非業の死を遂げた。このことは伊藤が末松謙澄に語っております。 #青天を衝け https://t.co/ZvJ11BG6wD
RT @TatsuUwa: 天狗党の唯一の生き残りが維新後に伊藤博文を訪ねてきたらしい。伊藤と接点のあった水戸の人々の多くが天狗党に加わって敦賀で非業の死を遂げた。このことは伊藤が末松謙澄に語っております。 #青天を衝け https://t.co/ZvJ11BG6wD
RT @TatsuUwa: 天狗党の唯一の生き残りが維新後に伊藤博文を訪ねてきたらしい。伊藤と接点のあった水戸の人々の多くが天狗党に加わって敦賀で非業の死を遂げた。このことは伊藤が末松謙澄に語っております。 #青天を衝け https://t.co/ZvJ11BG6wD
天狗党の唯一の生き残りが維新後に伊藤博文を訪ねてきたらしい。伊藤と接点のあった水戸の人々の多くが天狗党に加わって敦賀で非業の死を遂げた。このことは伊藤が末松謙澄に語っております。 #青天を衝け https://t.co/ZvJ11BG6wD
RT @lowkaku2928: お話の下地は馬部先生のこれかしら https://t.co/HKaWgbZZ00

9 9 9 0 OA 諸系譜

RT @iokhicjnoakn: 石田三成の石田氏には、桓武平氏三浦氏流とする系図が知られているが、異説で藤原北家師実流とする系図も存在することは紹介しておきたい 『諸系譜』第29冊 https://t.co/y7YGgbbpUJ https://t.co/jb9oPdDw…
RT @zasetsushirazu: 明治21年7月19日、山岡鉄舟が死去。アンシン・アナトーリー「牛山栄治が編纂した山岡鉄舟の伝記について」(『千葉大学日本文化論叢』8)は、『山岡鉄舟先生正伝 おれの師匠』など、牛山栄治による山岡伝(全部で6冊ある)の問題点を論じる。 ht…
高間省三:広島護国神社筆頭祭神で神機隊砲隊長、広島藩学問所助教、享年21歳(数え年) (デジタルコレクション) https://t.co/MACbR8yDHC https://t.co/mhb5jFJj2R
J-STAGE Articles - 肢端紅痛症にワクシニアウイルス接種家兎炎症皮膚抽出液含有製剤(ノイロトロピン<sup>®</sup>)が奏効した1例 https://t.co/3q6Bb8fllU
お話の下地は馬部先生のこれかしら https://t.co/HKaWgbZZ00 https://t.co/eRtgFRpXzv

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RT @k_hisane: 【大名の乳幼児死亡率1651~1850年 : 大名系譜の分析】 https://t.co/QLZ7nWjtwl 江戸時代の大名家の乳幼児死亡率について調べたら、乳児死亡率が19.3%、幼児死亡率が22.9%、合わせて42%越えててドン引きする。5人中…
RT @k_hisane: 【近世大名における養子相続と幕藩制社会--「他家」養子を中心として】 https://t.co/nYmurR5YDg この辺見ると、国持大名ですら後期になっていくと実子相続とそれ以外の相続がトントンくらいになってるので、そりゃ諸家譜に「實は○○が子」…
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10 10 10 10 OA 中外医事新報

@NFt0LnabR2IDH7C https://t.co/no5Brm1r1P こちらの論文が昭和13年のものですが、「今の尚侯爵邸の東側」という記述があります。 現代の白百合学園の敷地内であることは確実かとは思いますが、当時の位置関係がわからず正確な部分は不明です。
RT @k_hisane: 【近世大名における養子相続と幕藩制社会--「他家」養子を中心として】 https://t.co/nYmurR5YDg この辺見ると、国持大名ですら後期になっていくと実子相続とそれ以外の相続がトントンくらいになってるので、そりゃ諸家譜に「實は○○が子」…
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10 10 10 10 OA 中外医事新報

RT @yaduki_bm: 私が大変お世話になってる論文がネットで読めるようになってた 兵助の暗殺についてお医者さんがまとめてくれた論文です https://t.co/no5Brm1r1P

10 10 10 10 OA 中外医事新報

RT @yaduki_bm: 私が大変お世話になってる論文がネットで読めるようになってた 兵助の暗殺についてお医者さんがまとめてくれた論文です https://t.co/no5Brm1r1P

10 10 10 10 OA 中外医事新報

私が大変お世話になってる論文がネットで読めるようになってた 兵助の暗殺についてお医者さんがまとめてくれた論文です https://t.co/no5Brm1r1P
川村正平関係文書の中に『中村六蔵口述』がありました! https://t.co/rkiEblTFhz
檜皮瑞樹「四つの大隈銅像と政治家大隈重信」『早稲田大学史記要』47巻 2016年 大隈重信銅像は実は4体存在したという事実にまず驚く。そして、芝公園に衣冠束帯(大正天皇即位礼において着用した)姿の銅像があったことに驚く。 https://t.co/IutJ4ZezWk #読了 #論文 #早稲田大学 #大隈重信

9 9 9 0 OA 諸系譜

RT @iokhicjnoakn: 石田三成の石田氏には、桓武平氏三浦氏流とする系図が知られているが、異説で藤原北家師実流とする系図も存在することは紹介しておきたい 『諸系譜』第29冊 https://t.co/y7YGgbbpUJ https://t.co/LID9mmVV…
RT @huuchi: 加齢に伴う喉頭の位置変化の検討 https://t.co/qD4YPEGvcm C3-C5距離を基準とした計測によると、男性の喉頭位置は女性より有意に低位。男性は40代〜50代の間、女性は40代〜60代の間で、喉頭が下がっている。結論として、喉頭低下は加…
RT @nekonoizumi: 第二次大戦期のイギリスの主に「中産階級のスクールガール」向けの雑誌『ガールズ・オウン・ペーパー』で1940年10月に連載が始まった、空軍の後方支援の女性部隊の隊員が主人公の冒険小説『女性空軍補助隊のウォーラルズ』についての分析・考察論文のようだ…
RT @zasetsushirazu: 明治39年6月17日、矢野二郎が死去。幕末期に英語の通訳を務めた幕臣で、幕府の横浜鎖港談判使節に随行。明治期に駐米公使や商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。菊地久「維新の変革と幕臣の系譜6」(『北大法学論集』32-3)は、旧幕臣…
明治39年6月17日、矢野二郎が死去。幕末期に英語の通訳を務めた幕臣で、幕府の横浜鎖港談判使節に随行。明治期に駐米公使や商法講習所(一橋大学の起源)の初代所長に就任。菊地久「維新の変革と幕臣の系譜6」(『北大法学論集』32-3)は、旧幕臣の社会進出の例として言及。 https://t.co/5FJfyHB1ej
RT @BUNKA_DAILY: 執筆者の熊谷隆次先生は『弘前大学國史研究』で「奥羽仕置と稗貫氏 ―『稗貫家譜』の分析から―」という論文を書いています。 https://t.co/aoslwzNFU7
RT @zasetsushirazu: 明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建…
RT @zasetsushirazu: 明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建…
RT @zasetsushirazu: 明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建…
RT @zasetsushirazu: 明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建…
RT @zasetsushirazu: 明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建…
明治43年6月16日、島津珍彦(島津備後)が死去。島津久光の子で、薩摩藩主・島津茂久(忠義)の弟。慶応3年には西郷隆盛や大久保利通に近い人物だった。針貝綾「鹿児島県の屋外彫刻」(『鹿児島県立短期大学地域研究所研究年報』34)は、大正期に建立された珍彦の銅像に言及。 https://t.co/5LeweLiHtX

3 1 1 0 OA 北海道立志編

https://t.co/XU9txod3xV メモです
RT @washou3956: CiNii 論文 -  「食」からみる本能寺の変 https://t.co/PQfE3yRb0d #CiNii
RT @ko_0021: 柏餅(カシワ餅)と粽(チマキ、茅巻) 「かしわもちとちまきを包む植物に関する植生学的研究(人と自然 Humans and Nature, No. 17, 1-11, January 2007)」読了。 https://t.co/NFN6EJ8gnd 主…
CiNii 論文 -  「食」からみる本能寺の変 https://t.co/PQfE3yRb0d #CiNii
なお堅田の居初家は文芸を学ぶ家だったそうですが、武芸に関しても17世紀の富田流伝書や幕末の長竹刀と撃剣防具が残ってるそうなので、江戸初期に良移心当流を学んでいても不思議じゃないのかもしれません。 (参考、三苫保久「居初家の撃剣道具について」)https://t.co/xOCUuHZl1K
『もふもふもふ怖噺』(市場通笑作、北尾政美画、天明4 〔1784〕)書名で勘違いされそうな本。もふもふ成分がないわけではない。 https://t.co/tCsdg4btnX https://t.co/lmSc0I2BAj
RT @Dialektik1961: 金井徹(2013)「務台理作の信濃教育会における役割の検討 -信濃哲学会を中心とした京都学派との関係に着目して- 」 『東北大学大学院教育学研究科研究年報』第61巻2号,23-38頁 https://t.co/PZbBNkBg24

1 1 1 0 上方

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一通り目通しましたが自分の先祖親戚はいらっしゃいませんでした
PDF公開。佐藤亜莉華「醍醐寺僧と根来寺僧の交流とその変容」(『日本女子大学大学院文学研究科紀要』27、2021年3月)紀州根来寺の僧侶と醍醐寺僧の交流、その特徴と変遷を考察することで、他寺院との交流における法流相承の意義を検討する。https://t.co/CTwOudz8lD #こんな論文がありました
川村正平関係文書の中に半井澄の名前を発見。明治8年だと澄さんは療病院にいる頃だと思うけど、二條斎敬を診たのは高階経支の関係かな。高階経支はおそらく典医高階経徳の父、経由の兄弟。 二條斎敬殿容體書 https://t.co/I5R0wvpPeh
RT @TatsuUwa: 天狗党の唯一の生き残りが維新後に伊藤博文を訪ねてきたらしい。伊藤と接点のあった水戸の人々の多くが天狗党に加わって敦賀で非業の死を遂げた。このことは伊藤が末松謙澄に語っております。 #青天を衝け https://t.co/ZvJ11BG6wD
RT @TatsuUwa: 天狗党の唯一の生き残りが維新後に伊藤博文を訪ねてきたらしい。伊藤と接点のあった水戸の人々の多くが天狗党に加わって敦賀で非業の死を遂げた。このことは伊藤が末松謙澄に語っております。 #青天を衝け https://t.co/ZvJ11BG6wD
RT @TatsuUwa: 天狗党の唯一の生き残りが維新後に伊藤博文を訪ねてきたらしい。伊藤と接点のあった水戸の人々の多くが天狗党に加わって敦賀で非業の死を遂げた。このことは伊藤が末松謙澄に語っております。 #青天を衝け https://t.co/ZvJ11BG6wD
RT @TatsuUwa: 天狗党の唯一の生き残りが維新後に伊藤博文を訪ねてきたらしい。伊藤と接点のあった水戸の人々の多くが天狗党に加わって敦賀で非業の死を遂げた。このことは伊藤が末松謙澄に語っております。 #青天を衝け https://t.co/ZvJ11BG6wD
天狗党の唯一の生き残りが維新後に伊藤博文を訪ねてきたらしい。伊藤と接点のあった水戸の人々の多くが天狗党に加わって敦賀で非業の死を遂げた。このことは伊藤が末松謙澄に語っております。 #青天を衝け https://t.co/ZvJ11BG6wD
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9 9 9 0 OA 諸系譜

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RT @zasetsushirazu: 明治21年7月19日、山岡鉄舟が死去。アンシン・アナトーリー「牛山栄治が編纂した山岡鉄舟の伝記について」(『千葉大学日本文化論叢』8)は、『山岡鉄舟先生正伝 おれの師匠』など、牛山栄治による山岡伝(全部で6冊ある)の問題点を論じる。 ht…
高間省三:広島護国神社筆頭祭神で神機隊砲隊長、広島藩学問所助教、享年21歳(数え年) (デジタルコレクション) https://t.co/MACbR8yDHC https://t.co/mhb5jFJj2R
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