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直江兼続の “幼少期、武田信玄が上杉謙信につかわした使者・岡田堅桃斎の密命を見破った”という逸話において、上杉謙信が使者・岡田堅桃斎を案内したとされる「歌枕の名所・越の長浜」について以下の2点を知りたい。 ①この「越の長浜」とは現在のどの辺りを指すのか。 ②実際に「越の長浜」を歌枕とした和歌があるか。 なお、歌枕の長浜は一般的には三重県の伊勢をさすが、各地に長浜は存在する。
橦木町廓之碑(しゅもくちょうくるわのひ)に大石内蔵助が遊興したとある。その事を伝える本が知りたい。
絵心経の事をNHKの番組で知ったが、読んで(見て)みたい。所蔵を教えて欲しい。

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[本][歴史] http://ja.wikipedia.org/wiki/東西遊記 橘南谿
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一見 #ナゾすぎる 絵の羅列に見えますが、これは絵で読める般若心経です。 詳しくは、当館の #本の万華鏡「へのへのもじえ―文字で絵を描く―」のコラム「絵心経」をぜひご覧ください。 https://t.co/Y1Hd1efwci #キュレーターバトル https://t.co/tkn0Ak6WOd https://t.co/0HEMTCMcjQ
https://t.co/ktr0ztvWlz "貫之 躬恒の優劣を人の問しに、俊頼(としより)の、躬恒は及び易(やす)からずと答へしとぞ、俊頼眼力(がんりき)無きにあらず。躬恒の  山里は秋こそことに詫(わび)しけれ、鹿(しか)の鳴音(なくね)に目を覚しつ〻 など詠(よめ)るは、古拙(こせつ)にして力有り。
橘南谿『北窓瑣談』後編 巻1 https://t.co/t7rqSwaqMY "和歌の第一の病は理窟(りくつ)なり。理くつは議論なり、和歌にはあらず。いかで余情(よじょう)を感ずるに到らんや。第二の病は引かけたる詞(ことば)なり。こぬ人をまつとかけ、焼(やく)やもしほといひてこがる〻と結(むすび)たる、
泛塵くんを実際に見た人の話。『北窓瑣談』より。 この子現存してるんですかねぇ……。 https://t.co/knmBme92q9
2巻 https://t.co/FfgCEB6FPA 海北友松が描いた源平時代の絵には、槍を持った人はひとりも描かれていない。皆、薙刀ばかり。またカブトを落とされた人の頭には、烏帽子がある。昔物語の絵を描くには、このような時代考証が大事。
https://t.co/TvVFs3gh4R オランダ船が長崎の港に入るときは大砲をぶっぱなす。日本人も唐人も、これを見物する。あるとき私はに、通訳を介して、いまの大砲の音は、どう言うかと聞くと「ビィーン」と言うと答えた。日本人の耳には「ドヲーン」と聞こえる。じつに不思議。
『北窓瑣談』1巻 https://t.co/Th7n0WreWM 蛮国の人は、假玉(びいどろ)を用いて、日輪の火を取りタバコを吸う。日輪の火でタバコを吸うとか、おそれおおいと日本人が言うのを不審がっている。また日本人が月を愛でているのを、なぜそんなめずらしくないものを愛するのだと不審がっている。
@haneko_tweet https://t.co/vJeYvkqtFI 序文によれば、「20年あまり昔、師匠の橘南谿が伏見山のふもとに庵を構えて、さまざまなことを書き記し、『北窓瑣談』と名づけて、私に見せてくれたが、世の大部分の人には見せるものではないと言われていた。」「あれから師匠も亡くなった」
@haneko_tweet https://t.co/ahlrrlZ6zR 菅原長韶が書いた序文には、"文政乙酉" とあるので1825年に出版された本みたい。実際に著者の亡くなったのは、もう少し前みたいだけど。まあ200年前の本。200年前なら今より北極星と天の北極のずれは大きいはず。大きいといっても、そこまで違うわけではないと思うけれど。
@haneko_tweet あとこれもあげる。 橘南谿『北窓瑣談』第3巻 https://t.co/rJvZYJX0t1 駿河国の府中の七間町の挽物屋長左衛門は天文学の知識がある人で、北極星を計測した。府中で北極星を計測するのと、富士山の八合目で計測するのでは、値が3度半違う。富士山では39度に及ぶ。如意道人から聞いた話。
橘南谿『北窻瑣談』第3巻 https://t.co/kYMeb2cH13 いまから百年も前のことだが備中玉島の海で、漁師が貝のついた棒を見つけた。古物好きの酒屋に持っていくと、酒屋の亭主は面白がって、酒二升と交換。庭に立てかけていたが、雨に濡れて、鉄の気が見える。貝を打ち砕くと中から刀身が出てきた。
江戸時代の佐々木長昌は、私は生まれるのが遅すぎた。然るべき時に生まれていれば、この歌も新古今などに収められたが、私とともに消えていくだろうとあって、まあそうだなと思った。 それかなきか思ひわかずよ郭公、いつならはしの月の落方(おちかた) 橘南
https://t.co/dRsVUWjg2g 肥後の薮茂二郎先生、大坂の中井善太先生をたずねた。冬なのに、薮先生は夏服。なぜ夏服を着てるのですか? と聞くと、国を出たときは夏だったから。薮孤山と、中井竹山の話。
https://t.co/Gz2O5blURM  肥後国に「ドウタウ」という毒草がある。食べると発狂して、三日は醒めない。「莨菪」のことではないか。 「莨菪」は、ハシリドコロのことらしい。
https://t.co/3G4Y05oM7Q 紙燭に上等の焼酎を塗って火をつけると、青い火が燃えて、紙燭自体は、燃えないという。子供たちの遊びとして、そんなことをするというが、本当だろうか。
https://t.co/7lLQbxPiEZ 九州では焼酎がよく飲まれている。肥後のある婦人、焼酎を飲んで、酔っ払って、こたつにおおいかぶさったら、口から煙を吹いて焼け死んでしまった。小児などには、よく起きることなので、焼酎に酔ったときには、こたつを遠ざけるのだそうだ。 それは焼酎を遠ざけるべきでは。
https://t.co/jljZOeunAQ 薩摩・大隅の辺境のほうでも、最近まで疱瘡はなかった。そのため年を取ってから、よその土地に出て、疱瘡にかかる人がいた。年を取ってから疱瘡になると、非常に重くて、多くの場合、死んでしまう。この土地に、まったく疱瘡がないから、こうなってしまうのだということで、
橘南谿の本に戻ると、 https://t.co/4CjvbaySEC 『西遊記』第2巻。 「孔明の陣太鼓」諸葛孔明が南蛮に孟獲を征伐したときの陣太鼓。なぜか長崎で見つかる。 "皮は唐金(からがね)の如き金(かね)を薄く打ち延して張(はり)たり。獣皮は用ひず。是は南蛮温湿の地ゆゑに、獣皮は用ひがたきゆゑにやといふ。"
貝原益軒と遊女の話は、橘南
絵心経 https://t.co/HFOCsMCfXP絵心経 国立国会図書館デジタルコレクションより https://t.co/jPFnZ2wji3 (学生の頃、東北で絵文字を採集してる人に会ったなあ)
>RT 「盲心経」的な…。 https://t.co/YFAeNMs1LJ https://t.co/S40XhaOgd3
『東西遊記・北窓瑣談』に取り上げられている絵心経の #絵文字 ですが、神社《⛩》をシンと読んだり、田んぼの絵文字をタと読んだりする当て字形式になっています。ハンニャは般若の絵文字をそのまま使っている表語文字形式になっています。https://t.co/0tTR7YTg9p
↓絵で描かれた般若心経 : 橘南谿子著『東西遊記・北窓瑣談』【YD5-H-514-28】[近デジ]) http://t.co/9MteMgL0xA http://t.co/oup1GqAF8c
北窓瑣談で検索したら、意味のわからないページでてきた・・・ http://t.co/1GSNKbLP

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