著者
石田 若菜
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.第46巻, no.第3号, pp.313-337, 2012-12-30

本稿が検討する婚姻防衛法は、合衆国の連邦法にいう婚姻の定義を「夫と妻としての一人の男性と一人の女性の間の法的結合のみ」に限定することで同姓婚を認める州や国で有効に婚姻した同姓婚夫婦に対し連邦法上の婚姻に伴う利益を否定する効果を持つ法律である。制定当初から合衆国憲法違反の疑いを持たれてきた同法は、2010年以降、複数の連邦裁判所によって第5修正のデュープロセス条項に含まれる平等保護条項に反すると判示されるようになった。婚姻防衛法の正当化根拠である、ⅰ)「責任ある生殖と出産の促進」、ⅱ)「伝統的な異性婚制度の防衛および促進」、ⅲ)「伝統的道徳観念の防衛」、ⅳ)「十分ではない政府資源の保持」のすべてが、婚姻防衛法の効果と合理的にあるいは実質的に関連しないと判断されたためである。本稿は、この婚姻防衛法を違憲とした近時の連邦裁判所の判決から同性婚と異性婚における法的保護の平等について考察し、最終的に、それら判決の中で、婚姻の目的が生殖を含む共同生活から共同生活そのものに変容していると評価されていることを主張するものである。
著者
髙良 幸哉
出版者
日本比較法研究所 ; [1951]-
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.119-130, 2014

本稿は,StGB176条4項1号の構成要件が, 行為者と被害者である児童が直接に空間的に接近しておらず,インターネットを介して露出行為を行った場合であっても,充足されるとした事案の検討である。 StGB176条4項1号は児童の「前で(vor) 」性的行為を行うことを規定しているが,ここにいう "vor" の概念については,行為者と被害者である児童の直接空間的な接近が重要なのではなく,当該行為を児童が知覚することが重要である,とすることが従来の判例の立場である。 本件は,インターネットのライブ映像配信システムによって,性的行為を中継する場合においてもこの立場が維持されることを示したものである。 本稿は,本件の検討を行い,かかる検討を通じ, 我が国におけるインターネットを介した児童に対する性的虐待と公然わいせつ型事案についても若干の検討を加えるものである。
著者
マティアス キリアン 森 勇
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.329-340, 2016-12-30

ここに掲載するのは,Soldan Institutが行った,若手弁護士の副業に関する実態調査に基づいた都市伝説の検証である。 ドイツでは「弁護士(ないしは有資格者)が,タクシーの運転手をしている。」この話を訳者が聞いたのは,実に30年以上も前,ドイツの弁護士数が5万人から6万人の時代である。弁護士数が16万人を超えている現在では,さぞや弁護士のタクシードライバーが増大していると想像する人々も多いであろう。しかし,すでにベルリンの弁護士会がその所管地域で行った調査でも,タクシードライバーの中に弁護士などいなかったことが報告されていた。ここで訳出した論考は,実態調査をふまえ,加えて論理則からしても,それがほぼデマであることを暴露してくれている。弁護士のタクシードライバーなど論理的にありえないとする実態調査の分析評価は,実に説得力に富む。 ちなみに,ドイツでタクシードライバーの話がまことしやかにささやかれるようになったのは,弁護士の数がそれまでの増加率を大きく超えはじめた頃である。「弁護士はあまっている。食べられなくなっている。」とささやかれている現在の日本とよく似ていることは,指摘するまでもあるまい。ドイツはデマとおぼしき話が何十年もが蔓延しているにもかかわらず弁護士数を増やし,強固な法治国家への道を歩んでいる。果たして日本はどうか。興味深いというのは皮肉に過ぎようか。
著者
ポッシャー ラルフ 松原 光宏 土屋 武
出版者
日本比較法研究所 ; [1951]-
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.46, no.4, pp.115-136, 2013

人間の尊厳の絶対性をめぐっては,とくに9.11テロ以後,議論が再燃している。人間の尊厳の保障の相対化可能性を明示的に認める者もあらわれている。 ポッシャーは,本論文において,人間の尊厳が法ドグマーティクにおいて絶対性をもつものとされることは,法ドグマーティクの内的視点のレベルの目的合理性判断では説明できるものではないとし,社会学(法社会学)を手がかりに,この点に検討を加える。そして,①人間の尊厳は単なる禁止を超えたタブーとしての性格を持ち,そもそもそれを主題化することも禁止され,これに触れる行為については目的合理性に基づく衡量には服しない,②人間の尊厳の相対化を認めると,その例外がインフレ化することから,人間の尊厳の侵害を法的なタブーとし,その違反に制裁を科すことで, 「悲劇的選択」の濫用を防ぐ,③それでもなお人間の尊厳を侵害しなければならない極めて例外的ケースも理論上は存在するがその場合は法的制裁を受ける覚悟のもとで,個人の倫理的責任によりタブー破りが行われる,そして,社会は「悲劇的選択」の処理からわかるように,法と倫理の構造的カップリングが対抗的な形で行われることになる,ことなどを指摘する。