著者
稲垣 行子
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.83-107, 2021-12-30

公立図書館が行う図書(書籍)の貸出しは,図書館法の無料原則により利用者から利用料を徴収していないのが現状である。著作者の中でも職業作家は,公立図書館が行う図書の無料貸出しにより,引き起こされる損失部分について,何等かの報酬を得ることを希望するようになった。 欧州諸国では,「著作者の著作物が,図書館の図書の貸出しにより引き起こされた収入源の損失に対して,報酬を著作者に与える権利を認める」という制度を構築してきた。この制度は公貸権制度と呼ばれ,この報酬請求権を公貸権としている。公貸権は,著作者が被る損失の補填をするという報酬請求権であり,経済的な権利である。 公貸権制度は条約や協定のない制度であるが,EU加盟国を中心に,現在34か国で導入されている。日本を含めてアジア諸国では,図書館の書籍の貸出しに対して,著作者に損失補填をするという考え方になじまないようで,公貸権制度を導入する国がなかった。 2019年12月31日に台湾が,教育部及び文化部(部は日本の省レベル)が国立公共資訊図書館及び国立台湾図書館において,2020年1月1日から2022年12月31日までの期間に,公貸権を試行導入することを発表した。さらにWIPOの2020年著作権等常任理事会(SCCR)39thの会合で,シエラレオネ共和国が世界の公貸権制度の調査について発言した。SCCR40thの会合で,マラウイとパナマが共同提案国として加わった上で正式に提案している。今まで公貸権の制度がなかった国や地域が,導入や関心を持つようになっている。 本稿は,図書館の書籍(図書)の貸出しに関係する権利として,著作権法の貸与権について述べ,その上で公貸権との関係及び概要並びに現状などについて述べる。さらに新しく導入を検討している国の動向や,今後の方向性について述べていく。
著者
鈴木 博人
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.41-49, 2016-09-30

2016年1月30日に多摩キャンパスにおいて開催された日本比較法研究所と韓国・漢陽大学校法学研究所共催のシンポジウム「日本及び韓国における現在の法状況」における報告
著者
デュトゲ グンナー 海老澤 侑 鈴木 彰雄 谷井 悟司 鄭 翔 根津 洸希
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.47-73, 2018-12-30

本稿はProfessor Dr. Gunnar Duttge, Die „geschäftsmäßige Suizidassistenz“ (§217 StGB): Paradebeispiel für illegitimen Paternalismus!, in: ZStW 2017; 129(2), S. 448-466を筆者の許諾を得て翻訳したものである。 ドイツでは,近年,刑法217条「業としての自殺援助」の規定について,学問の枠を超えた議論が活発に行われている。本規定は,ドイツにおける自殺援助団体の活動が顕在化した際に成立したものであり,その点で,自殺の手助けが一種の「通常の健全なサービスの提供」になってしまうことや,「一定の(場合によってはたとえ無料でも)業務モデル」として定着してしまうことを防ごうとしたものといえる。しかし,近時下されたOLG Hamburg決定は,現実が真逆であることを物語っている。 本規定に自殺防止の目に見える効果が認められずまた,自殺を希望する者は,ドイツ以外の自殺援助サービスを用いるようになる。そのため,本規定は,自殺の予防につながるものではなく,結局のところ,自殺傾向というものは,個々人を具体的に分析してはじめて,治療的介入による緩和が可能となるのである。 刑法217条は,価値合理性の観点からは自由侵害性が高く,目的合理性の観点からは適切でないどころか,大きな害にすらなるとまとめざるを得ない。本来,刑罰を正当化するためには,問題となる行為に現実的な侵害リスクが内在していなければならない。また,自殺の意思決定を何らかの方法で容易にすることがただちに当罰的不法とされてはならない。加えて,「業務性」の著しい曖昧さを排除することも,今後同条を適用するにあたって重要となるであろう。
著者
リップ フォルカー 野沢 紀雅
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.55-82, 2018-09-30

本講演は,ドイツにおける扶養法の根拠を検討するものである。ここにいう根拠とは,扶養義務の社会・経済的あるいは倫理的な理由づけではなく,実定法における扶養義務の法解釈学的な根拠であり正当化を意味している。 本講演では,まず,実定扶養法の機能と意味,その歴史的生成過程,比較法的考察がなされ,その上で,現行扶養法の規律とその根拠が,子の扶養,親の扶養,その他の血族扶養および離婚後扶養の個別領域ごとに考察されている。 ドイツ民法制定当初は,婚姻と血族関係が扶養法の根拠であったが,現在では同性者間の生活パートナー関係と,婚外子の父母の共同の親性(gemeinsame Elternschaft)も扶養義務の根拠とされている。結論として,法律上の扶養義務は社会的関係や単なる生物学上の関係に直接的に基づくのではなく,基本的に,法律上の身分関係によって媒介された家族法上の責任であることが述べられている。
著者
隅田 陽介
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.129-162, 2017-06-30

本稿は,前号に引き続いて,近時,アメリカ合衆国で議論されている,児童に対する性的いたずらに関する証拠のみで児童ポルノ所持に関する捜索令状の「相当な理由」を構成するのかどうかについて検討したものの後半部分である。 本号では,まず,三において,児童に対する性的いたずらと児童ポルノ所持との関係に関する調査研究等に触れた。例えば,Andres E. Hernandezが,ノースカロライナ州Butnerの連邦矯正施設に収容されている90人の男子受刑者を対象として行った調査等である。こうした調査研究については,それぞれについて調査対象者が限定されているといった問題点が指摘されていることに注意する必要があるが,両者の間には関係があるとするものもあれば,逆に,関係はないとするものもあるなど,結論は一致していない,そして,各調査研究に対する評価の仕方も区々となっていることを指摘した。 最後に,四において,若干の検討を行い,現在の合衆国の捜査実務がIllinois v. Gatesに基づいた「諸事情の総合判断(totality of the circumstances)」テストによっているのであれば,これを前提とする限り,第8巡回区連邦控訴裁判所によるUnited States v. Colbertのように,児童に対する性的いたずらに関する証拠が児童ポルノ捜索のための「相当な理由」に該当すると評価することも許されるのではないかということを結論とした。その上で,このように賛否の分かれる問題については様々な角度から検討しておくことが望ましいと考えられることから,例えば,児童ポルノのような児童に対する性的搾取事案に限定して「緩和された相当な理由(expanded probable cause)」, あるいは,「拡大された相当な理由(broadened probable cause)」といった基準を適用すべきであるというような考え方があることにも触れた。
著者
藤田 尚
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.51, no.4, pp.97-122, 2018-03-30

本稿は,従来から福祉の分野で用いられている「社会的養護」の定義に疑問を呈し,諸外国の定義と比較して,「社会的養護」には,児童だけでなく,高齢者,障害者,ホームレス等まで含まれるとの新たな解釈を示したものである。そして,その解釈に基づき,近年,様々な政策が打ち出されている司法と福祉の連携を再犯防止の観点のみではなく,「犯罪予防」の観点から,まずは,児童虐待と少年非行の関係及びこれから問題になるであろう介護犯罪に焦点を当て,アメリカの現状を参考に,司法と福祉の立役者であるソーシャルワーカーのアウトリーチを活用した早期介入やソーシャルワーカー同士の情報ネットワークの構築を提言している論文である。
著者
張 明楷
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.48, no.4, pp.31-56, 2015-03-30

「罪刑法定主義」について,新中国(中華人民共和国)が建国されて以来,三つの時代に分けてその変遷を捉えることができる。すなわち,⑴刑法典が存在しなかった時代,⑵旧刑法の時代,⑶新刑法の時代である。(以上Ⅰ) 「法律主義」については,犯罪とその効果を規定する法律は,全国人民代表大会及びその常務委員会しか定めることができず,各省の人民代表大会は刑法の罰則を定めることができない。これについて,慣習法,判例,命令が問題になる。(以上 Ⅱ) 「遡及処罰の禁止」については,2011年4月以前は,中国の司法機関は遡及効に対して,当時採用していた犯行時の規定あるいは刑罰が軽い規定によるという原則(刑法第12条)を遵守していたが,2011年2月25日に《刑法修正案㈧》が可決された後は,司法解釈に遡及処罰の規定が現れてきた。(以上Ⅲ) 「類推解釈」については,現行刑法が罪刑法定主義を定めて以来,中国における司法人員ができる限り類推解釈の手法を避けていることが理解できるが,それにもかかわらず,類推解釈の判決が依然として存在している。一方で,罪刑法定主義に違反することを懸念して,刑法を解釈することを差し控える現象もある。(以上Ⅳ) 「明確性」については,刑事立法に関する要請であり,立法権に加える制限だと考えられている。他の法理論においては,刑法理論のように法律の明確性を求めるものはないといえる。その意味で,罪刑法定主義の要請は,明確性の原則に最大の貢献をもたらした。(以上Ⅴ) 「残虐な刑罰の禁止」については,総合的に言えば,中国刑法で定められている法定刑は比較的厳格であり,経済犯罪においては少なくない条文に死刑が定められている。(以上Ⅵ)
著者
箭野 章五郎 髙良 幸哉 樋笠 尭士
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.377-414, 2014-12-30

責任能力が問題とされた被告人につき,事実審裁判官が,制御能力の著しい減少を認めた鑑定に基本的に従って刑法21条(限定責任能力)の適用を認めた場合に,その判決の中での理由づけについて不十分であるとし,かつ,事案に即して検討の不十分な点を示した判断,についての検討。 / 本稿は,被告人が,StGB184b条4項1文にいう児童ポルノ文書の自己調達行為2件と,それらの結果である同項2文にいう児童ポルノ文書の自己所持を行った事案について,児童ポルノ文書の所持は,当該文書の自己調達の構成要件に劣後する「受け皿構成要件」であり,それゆえ,所持という補足的犯罪による,数個の独立した調達行為を結びつける,かすがい作用は認められないとした事案の検討である。それに加えて,本稿ではキャッシュデータの保存行為および,我が国における児童ポルノの所持罪規制についても検討を加えるものである。 / 被告人が恋敵を殺そうと思い斧を投げたが,その斧が自身の妻に当たってこれを死亡させ,妻に対する殺人の未必の故意が認められた事例である。阻止閾の理論に基づき,行為者が結果の発生を是認しつつ甘受していたか否かを判断する際には,行為後の事情(斧が当たった後の妻への殴打)を考慮することはできないはずであるところ,LGは,被告人の犯行後の行為態様を考慮し,未必の故意の意思要素を是認したのである。BGHは,LGの結論に異を唱えていないものの,阻止閾の判断方法,及び未必の故意の認定方法には疑問を投じている。本稿は,殺人の未必の故意の認定に際し,近年BGHによって用いられている「阻止閾の理論」を基礎に,方法の錯誤ならびに択一的故意の議論を併せて,本判決における未必の故意の内実を考察するものである。
著者
オットー ハロー 鈴木 彰雄
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.50, no.1, pp.117-141, 2016-06-30

「人間の尊厳」(基本法1条1項)は人(Person)の本質的メルクマールであるから,自律的な死の決断を尊厳ある死の決断と同視することはできない。尊厳ある死を問題にする場合に考慮すべきことは,適切な死の看取りである[以上Ⅰ]。 自殺幇助の不可罰性が生命保護の保障人にも当てはまるか否かについて議論がある。その保障人的地位は自殺者の自己答責的な決意にその限界を見出す。保障人的地位といえども,保護されるべき者に対する「後見人としての地位」を基礎づけるものではないからである[以上Ⅱ]。 自殺関与と要求による殺人の区別について,判例と一部の文献は,部分的に修正された行為支配説を拠り所とする。たしかに,自分自身を殺すことと自分を殺させることは同じでないが,オランダやベルギーで積極的な臨死介助が拡大的に認められている現状には問題がある[以上Ⅲ]。 自殺を決意した者の自由答責性について,「免責による解決」と「同意による解決」が主張されているが,前者の見解には問題がある。法的な意味では答責的に行為するが,判断力ないし理解力が損なわれている者の自殺は,法共同体の連帯的な救助によって阻止されるべき事故である。自由答責的になされたとはいえない自殺を事故(刑法323a条)と解釈し,救助行為の必要性と期待可能性によってその可罰性を限定するべきである。そのために,自殺は刑法323c条の意味で事故であるということを法文で明確にすることが望ましい[以上Ⅳ]。 近年の議論は,組織化された自殺幇助の問題に集中しているが,営利的な自殺幇助を刑法によって禁止することは必ずしも得策ではない。自殺の介助は「生への介助」と「死にぎわの介助」を意味するべきもので,「死への介助」であってはならない。医師らは今日,合法的な臨死介助の可能性を手にしているので,緩和医療とホスピス医療を拡張するという方向を目指すべきである[以上Ⅴ]。
著者
奥田 安弘 ライアン トレバー
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.53, no.3, pp.45-77, 2019

本稿は,重国籍者の国会議員資格に関する日豪の事例を比較し,その法的分析を試みるものである。第1章では,台湾人の父と日本人の母から生まれた蓮舫議員の事例を中心として,日本法上の問題点を分析する。すなわち,中国では,中華民国政府が存在していたが,新たに中華人民共和国政府が成立し,日本は,1972年に中華人民共和国政府を中国の正統政府として承認した。そこで,蓮舫議員が中国国籍をも保有する重国籍者であるか否かを判断するにあたり,いずれの政府の国籍法を適用するのかという問題が生じる。また,仮に蓮舫議員が重国籍者であるとすれば,日本の国籍法上,国籍選択の義務を負うとされるが,国籍選択をしなかった場合に,どのような効果が生じるのか,という問題に目を向ける必要がある。さらに,現行の日本法において,重国籍者が国会議員となる資格が制限されていないことを確認したうえで,立法論として,将来制限されるべきであるのかも考察する。第2章では,オーストラリア法における連邦議員の重国籍問題を取り上げ,現行法上の制限を緩和するための改正が必要であることを明らかにする。まず,連邦議員の資格剥奪の手続および要件を考察する。つぎに,オーストラリアがイギリスの旧植民地であること,連邦制を採用すること,権利章典を有しない国であることから派生する法律問題を扱う。さらに,従来からの法改正の動向を紹介しながら,現行規定が恣意的であり,明確性を欠き,政治に左右されやすいため,全面的に廃止するか,またはより忠誠の衝突の防止という目的に適した制度に改めるべきであることを主張する。最後に,以上の日本法およびオーストラリア法の考察から,両者に共通する面があることを明らかにし,重国籍者の国会議員資格について,将来あるべき法律論への展望をもって,本稿のまとめとする。
著者
奥田 安弘 ライアン トレバー
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.53, no.4, pp.1-30, 2020

本稿は,重国籍者の国会議員資格に関する日豪の事例を比較し,その法的分析を試みるものである。第1章では,台湾人の父と日本人の母から生まれた蓮舫議員の事例を中心として,日本法上の問題点を分析する。すなわち,中国では,中華民国政府が存在していたが,新たに中華人民共和国政府が成立し,日本は,1972年に中華人民共和国政府を中国の正統政府として承認した。そこで,蓮舫議員が中国国籍をも保有する重国籍者であるか否かを判断するにあたり,いずれの政府の国籍法を適用するのかという問題が生じる。また,仮に蓮舫議員が重国籍者であるとすれば,日本の国籍法上,国籍選択の義務を負うとされるが,国籍選択をしなかった場合に,どのような効果が生じるのか,という問題に目を向ける必要がある。さらに,現行の日本法において,重国籍者が国会議員となる資格が制限されていないことを確認したうえで,立法論として,将来制限されるべきであるのかも考察する。第2章では,オーストラリア法における連邦議員の重国籍問題を取り上げ,現行法上の制限を緩和するための改正が必要であることを明らかにする。まず,連邦議員の資格剥奪の手続および要件を考察する。つぎに,オーストラリアがイギリスの旧植民地であること,連邦制を採用すること,権利章典を有しない国であることから派生する法律問題を扱う。さらに,従来からの法改正の動向を紹介しながら,現行規定が恣意的であり,明確性を欠き,政治に左右されやすいため,全面的に廃止するか,またはより忠誠の衝突の防止という目的に適した制度に改めるべきであることを主張する。最後に,以上の日本法およびオーストラリア法の考察から,両者に共通する面があることを明らかにし,重国籍者の国会議員資格について,将来あるべき法律論への展望をもって,本稿のまとめとする。
著者
髙良 幸哉
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.48, no.1, pp.119-130, 2014

本稿は,StGB176条4項1号の構成要件が, 行為者と被害者である児童が直接に空間的に接近しておらず,インターネットを介して露出行為を行った場合であっても,充足されるとした事案の検討である。 StGB176条4項1号は児童の「前で(vor) 」性的行為を行うことを規定しているが,ここにいう "vor" の概念については,行為者と被害者である児童の直接空間的な接近が重要なのではなく,当該行為を児童が知覚することが重要である,とすることが従来の判例の立場である。 本件は,インターネットのライブ映像配信システムによって,性的行為を中継する場合においてもこの立場が維持されることを示したものである。 本稿は,本件の検討を行い,かかる検討を通じ, 我が国におけるインターネットを介した児童に対する性的虐待と公然わいせつ型事案についても若干の検討を加えるものである。
著者
フィリップ グザヴィエ 植野 妙実子 兼頭 ゆみ子
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.50, no.3, pp.135-150, 2016

パリ同時多発テロが発生した数日後の2015年11月16日,フランス共和国大統領は両院合同会議での演説において,国民を脅かすテロの脅威に対し国民の結集を呼びかけた。大統領は,テロとテロから生じるさまざまな行為に対する対策に必要な手段と措置の強化が重要であることを確認し,このような状況においても公共秩序と安全が維持されるよう,法的枠組の見直しが必要であると強調した。彼は,フランスが「戦争状態」にあるとしても,法治国家を尊重した上で,自衛のために力強く対処しなければならないと述べた。この演説は,二つの提案を明確にしていた。一つは,非常事態という特殊な状況を憲法に示す形で憲法を改正し,緊急の状況や例外的な事態に関する法的枠組を強化することが必要であること,もう一つは,11月13日の事件を受けて,国民社会を攻撃する者からフランス国籍を剝奪するという制裁を課す必要が生じたことである。2015年12月に首相から提出された憲法改正案には,非常事態と国籍剝奪,この二つの憲法規範化が盛り込まれていた。非常事態を憲法規範化する目的は,立法府のコントロールに基づきながらも,いくつかの基本的自由を制限し,場合によっては奪うことにもなる行政警察権限を執行府に自由に行使することを許す憲法枠組を定めることにあった。一般的に,今回の改正案のこの点に関しては,原則的にほとんど反対はなかった。他方で,国籍剝奪については,非常事態よりも多くの問題が提起され,賛同者と反対者の間に鋭い対立が生まれた。とりわけフランス社会を二分することになった問題は,国籍が剝奪される対象範囲についてであった。なぜなら,提出された憲法改正案では,テロ行為の犯人と認められ,有罪判決を受けた二重国籍者だけが国籍剝奪の対象とされていたからである。この要件は,平等原則に反すると考えられた。このことが,今回の憲法改正案を頓挫させる直接の原因となった。こうした憲法改正案が出てきた背景と失敗の原因を考察しながら,憲法改正に必要な要素を検討している。
著者
張 開駿 賴 勇佢 賴 勇佢
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.363-390, 2016

1979年に発布された中華人民共和国における最初の「刑法典」は,1997年の全面的な改正を経て,いわゆる「新刑法」と称されるようになり,その後,1999年より修正案が相次いで発布されるようになった。現在,中国刑法(上記新刑法と本文で示した単行法をいう)においては,付属刑法規範(我が国でいう行政刑法をいう)は含まれず,刑罰法規の単行法も一つしか存在せず,刑法改正は基本的に修正案の形によって行われている。中華人民共和国においては,刑罰法規の一体性・完全性が維持されているといえよう。そして,2015年8月29日には,2011年の「刑法修正案㈧」を継受しつつ,部分的に発展させたものだと考えられる,いわゆる「刑法修正案㈨」が立法機関によって可決,同年11月1日に施行された。その間に,中国の最高人民法院,最高人民検察院によって,「刑法修正案㈨」についての司法解釈が公表された。この司法解釈によって「刑法修正案㈨」の効力について個々に規定され,改正された犯罪行為や新たに規定された犯罪行為の罪名が確定している。本稿は,中国における直近の刑法改正である同改正の内容を紹介するとともに,あわせて,中国刑法改正における最新の動向を踏まえつつ若干の検討を展開するものである。
著者
BAUM Harald
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.41-79, 2014

When it comes to regulating capital markets in the European Union, the most important legislative instrument is the Markets in Financial Instruments Directive, the so-called MiFID. The Directive primarily promotes market integration by granting market access and market integrity by regulating market supervision. As part of this it also emphasizes investor protection as a regulatory goal in its own right. To achieve this goal MiFID sets out "conduct of business rules" in its Articles 19 to 24 that postulate a number of transparency, information, and fiduciary obligations for investment firms when doing business with customers. From the traditional German point of view, this regulatory regime qualifies as a regulation that falls into the domain of public law - as opposed to that of private law. The EU, however, does not know such a clear distinction. The central question that arises here is whether the conduct of business rules do actually create civil law effects. The MiFID is - somewhat surprisingly - quiet on these matters. The European Court of Justice ruled in 2013 that the Member States are free to decide whether or not they want to implement civil law sanctions against a violation of conduct of business rules.Germany implemented the conduct of business rules into national law in the year 2007 by amending Articles 31 to 37 of the Securities Trading Act. Insofar as these provisions deal with the contractual relationship between an investment firm and its customers, they can be qualified as "functional civil law." This newly created investor protection sharply contrasts with the arcane case law developed by the German courts over the past decades on the basis of general private law. The later ensures a much more dogmatically refined, nuanced, and systematically coherent regime of investor protection than the one that the rather crude EU regulations can provide because these are shaped by diverse legal traditions and political compromise. A hotly debated question is how the interaction of supervisory law and civil law can be managed as both are only partly overlapping and partly leading to different, sometimes even contradictory obligations for investment firms. This unsolved fundamental issue permeates all capital market regulation at present.The German Federal Court of Justice postulates a strict primacy of the general civil law in relation to the conduct of business rules of the Securities Trading Act. According to this view, the conduct of business rules as part of public law can - at most - play only an indirect role in the context of interpreting already existing contractual and pre-contractual obligations. They can, however, not create any kind of obligation beyond those already established under private law. A second opinion, diametrically opposed to the first one, emphasizes an unrestricted primacy of the "functional" civil law of the Securities Trading Act over the general civil law. In this view, due to the principle of full or at least maximum harmonization in the field of investment services by MiFID, the German courts may no longer enforce those parts of their case law that are based on contractual or pre-contractual duties that are stricter than the conduct of business rules. A third view builds a compromise between the two contradictory views: it does not claim a primacy of public law in the form of "functional" civil law, but much more modestly assumes a "diffusion"-"Ausstrahlung"- of the pertinent public law rules into the general civil law and its application. This is probably the leading opinion in German academia today.
著者
ビスピンク ラインハルト シュルテン トアステン 榊原 嘉明
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.47, no.4, pp.153-175, 2014

ドイツにおいて協約拘束がしだいに低下し,また一般的拘束力の意義が失われたことによってさらにその傾向が強まったことを背景に,ここ数年,どの程度,(法)政策的な改革を通じてドイツの労働協約システムが再び安定化されうるかについての議論が,盛んに行われるようになってきている。その議論は,いまやドイツの政治的課題にまで達しており,2013年9月の連邦議会選挙前における野党各党からは,それぞれ,一般的拘束力宣言の内容的拡大と手続的簡素化を指向する提案がなされた。もっとも,このような提案は,伝統的に協約自治の思想をその大きな特徴としてきたドイツの労働協約システムにとって,ある種,国家が担うべき役割をより大きなものへと転換することを意味している。 本稿は,今日的な一般的拘束力宣言改革論議の背景にあるドイツ労働協約システムの空洞化と一般的拘束力宣言の利用低下の諸相を明らかにするとともに,その改革論議を整理・検討した書き下ろし論稿の翻訳である。
著者
ボアソナード ボアソナード民法研究会 清水 元
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.47, no.1, pp.45-73, 2013

ボアソナードによる旧民法典が現行法に大きな影響を与え,また,現行法の構造的の理解は旧民法の理解なくしてはありえないことが,現在の学説の共通の認識であることはいまさら強調するまでもないことであろう。ボアソナードは旧民法の準備草案を起草するにあたり,詳細な注解書(Boissonade, Projet de Code Civi; pour lʼempire du Japon accompagné dʼun commentaire, tome 1~4)を残しており,同書は今なお参照する機会が多い重要な資料である。 ところが,同書の翻訳についてはボアソナード滞朝中に作られたと見られる「再閲修正民法草案注釈」(刊行年不詳)があるのみであり,しかも,法律用語または法概念が定着していない時代思潮を反映して,日本語としても分かりやすいものとは言いがたい。同書が現在かならずしも入手可能な図書とは言いがたい現状で,あえてボアソナードの同書を現代文に翻訳することも,それなりの意義があるのではないかと愚考し,ここに訳出することにした。
著者
隅田 陽介
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.103-144, 2017-03-30

近時,匿名性(anonymity)や利便性(availability)等を特徴とするインターネットが地球規模で発達・普及している。そして,児童ポルノ犯罪者は,インターネット上の様々な手段を駆使して,自らの行為が捜査機関に発覚しないようにしている。こうしたこともあり,児童ポルノに関連する犯罪の様相は一変し,捜査は困難を来している。この点,アメリカ合衆国では,児童ポルノ所持が児童に対する性的いたずら(child molestation)に関する捜査との関係で議論されていることが注目される。すなわち,児童ポルノに関する捜査を進め,これを捜索・押収するとした場合,児童ポルノに向けられた捜索令状が必要となるが,その際には,アメリカ合衆国憲法第4修正に基づいて「相当な理由(probable cause)」が求められる。そこで,児童に対する性的いたずらに関する証拠のみでこの場合の「相当な理由」を構成するのかどうかというのである。本稿は,この問題を取り上げ,若干の検討をしたものである。 本号では,まず,一において,第4修正の内容・骨子を概観し,併せて,これに関連する判例を取り上げた。そして,現在の合衆国の捜査実務はIllinois v. Gatesに基づいた「諸事情の総合判断(totality of the circumstances)」テストによっていることに触れた。 その上で,二において,児童に対する性的いたずらに関する証拠のみで児童ポルノ所持に関する捜索令状の「相当な理由」を構成するのかどうかについて争われたいくつかの事例を紹介し,各巡回区連邦控訴裁判所の考え方が分かれていることを明らかにした。すなわち,前者に関する証拠のみで後者の「相当な理由」を構成することを認めた事例として,第8巡回区裁判所によるUnited States v. Colbert等,また,これを認めなかった事例として,第6巡回区裁判所によるUnited States v. Hodson等,そして,ケース・バイ・ケースで判断するとした事例として,第9巡回区裁判所によるDougherty v. City of Covinaである。
著者
隅田 陽介
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.171-201, 2015-06-30

近時のアメリカ合衆国では,インターネットの普及に合わせて,インターネットを通して児童ポルノがダウンロードされ,所持されるに至った場合にも,その児童ポルノの被写体となった被害者に対して必要的被害弁償(18 U.S.C.§2259参照)は認められるのかどうかということが注目を集めている。これは,§2259(b)(3)(F)のみに規定されている「犯罪の近接した結果として(as a proximate result of the offense)」という文言が,その前にある(A)から(E)にも適用されるのかどうかという近接原因の要件の解釈に起因するものである。そして,他にも重要であると思われるのが,被害弁償額の算出に関わる問題であり,さらには,児童ポルノ所持の被害者に対する救済の在り方に関する問題である。前者については,第一の壁である近接原因の要件は満たされると判断されても,当該被告人が引き起こした特定の被害を確定して,弁償額を算出することが困難であるという理由で,裁判所は被害弁償命令の発出に消極的になっているなどと指摘されることがあり,後者についても,児童ポルノ所持の被害者に対しては,被害弁償よりも別の仕組みによる救済・補償の方が効果的であるともいわれていることを考えると,これらの問題の重要性は改めて指摘することもないであろう。 本稿は,児童ポルノの所持と被害弁償の問題について,①どのような形で被害弁償額を算出するか,そして,②どのような形で救済を行うことが児童ポルノ所持の被害者にとっては効果的なのかといった観点から考えてみたものである。 本号では,まず,一において,現在の必要的被害弁償に関連して指摘されている問題を,制度の仕組み・手続に関連するものと,被害弁償額及びその算出に関連するものという二つの視点から整理した。次に,二において,被害弁償額の具体的な算出方法に触れ,ここでは,請求額全額の認定・定額制・比例分割制という三つを中心に検討した。 なお,本文の中では,2014年4月に合衆国最高裁判所から出されたParoline v. United Statesや,この判決を受けて,議会に提出された「2014年児童ポルノの被害者Amy及びVickyに対する被害者弁償改善法(Amy and Vicky Child Pornography Victim Restitution Improvement Act of 2014)」案についても,関連する範囲で触れている。
著者
山内 惟介
出版者
日本比較法研究所
雑誌
比較法雑誌 (ISSN:00104116)
巻号頁・発行日
vol.52, no.2, pp.1-54, 2018

国連諸機関は,第二次世界大戦後,特にアジア,アフリカ諸国で顕著になった恒常的人口増加の問題性を繰り返し指摘してきた。約76億人の世界人口は毎年8千万人を超える規模で今後も増加することが高い確率で予測されている。概して,食糧の増産や資源の新規開発が行われるようになっても,このような人口増加は先進諸国における食糧,資源等の配分量に深刻な影響を及ぼすと考えられてきた。その前提には,利便性や効率性を追求する生活様式を維持しようとする先進諸国の欲望肯定型の政策がある。この現象は,政治や経済が機能していない国際社会の現実を示すだけでなく,現行の政治制度や経済体制を基礎付けてきた伝統的法律学の在り方(法学教育,実定法解釈学,司法実務等を含む)にも根本的な反省を迫っている。国際社会の現実をみると,一方で,戦禍や貧困に喘ぐ大多数の弱者は見捨てられ,他方で,強者に都合のよい自由主義,名ばかりの民主主義,少数の富裕層に有利な金融資本主義が優遇されている。その根底には,地球社会全体への目配りを拒否し,自分さえ良ければ他人の幸せはどうでもよいという偏った見方がある。小稿の意図は,伝統的法律学が抱える致命的弱点とこれに代わる地球社会法学の必要性を訴えることにある。