著者
邊 英浩 BYEON Yeong-ho
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大学研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
no.76, pp.87-96, 2012-10-20

1860年に水雲・崔済愚(1824~1864年水雲は号)によって創始された東学は韓国固有の生命思想、神観念を基軸としつつ、儒教を中心とし、老子思想、仏教思想、キリスト教的な要素をも取り込みつつ集大成したものである。崔済愚は漢文とハングルとでその思想を書き残したが、韓国固有の人格神ハヌルニムを漢文史料では、天、上帝などと記した。しかしそれは中国思想における天、上帝などではなく、ハヌルニムを漢文で記すときに生じる現象であるため、あくまでも韓国固有の神観念であるハヌルニム信仰を内容としている。東学は人間の心はハヌルニムの心であるとし、人間と神との距離を圧縮的に接近させ、当時存在した身分差別を否定的に見る内容を持っていた。そのため東学は以後中下層の農民層を中心として急速に信徒を獲得すると共に、朝鮮王朝や当時の支配層である士族(両班)からの弾圧を受け始めた。 崔済愚は朝鮮王朝により1864年に処刑されたが、東学は第2 代教祖の海月・崔時亨(1827~1898年海月は号)に伝授され、経典と教団の整備に尽力し、東学は一層民衆生活の中に浸透し大勢力に成長していった。そのため東学は中下層の農民層を中心とした信徒を獲得すると共に、朝鮮王朝や当時の支配層である士族(両班)からの弾圧を受け始めた。その弾圧に反発したのが1894年に勃発した東学農民戦争である。当初東学農民軍は朝鮮王朝に抵抗し南部地域を中心とした独立王国的な勢力となっていったが、そこに日本軍が介入することにより壊滅的な打撃を被った。 東学農民革命以後、風前の燈火のようになった教団を継承したのは、第3 代教組の義菴・孫秉(1861~1922年義菴は号)であった。孫秉は日本からの弾圧を逃れるために、1905年東学の名称を天道教と改称し、教団を近代的な宗教組織体系に整備した。だが、孫秉は日本からの独立運動を放棄したわけではなく、1919年の3・1 独立運動を主導し、獄中死することになる。 東学は韓国固有の神観念の集大成的なものとして韓国ではしばしばその画期的な意味が触れられてきた。しかし、日本では東学は相当誤解され、天道教という名称さえ知られていない状態である。日本における東学・天道教への一般的な受け止め方は、恨みと民衆反乱、あやしげな民衆呪術といった反応に要約できる。思想内容に関心が薄い歴史学者、文化人類学者たちにより研究されてきたためであろう。 著者の金容暉氏(高麗大学校研究教授、ハヌル連帯事務総長)は、2011年10月に日本の一般市民向けに「東学・天道教の霊性と生命平和思想」という講演原稿を作成された(肩書きは講演当時のもの)。訳者は、日本ではあまり知られていない東学のエッセンスとでもいうべき生命思想、神観念を簡潔に整理したこの原稿を日本語で紹介する意義が小さくないと考え、ここに訳出した次第である。なお翻訳にあたり朴源出氏(天道教布徳師2011年当時)による翻訳原稿草案があり、邊英浩がそれを活用しつつ訳文を完成させた。そのため、翻訳の責任はすべて邊英浩にある。
著者
張 東宇 邊 英浩 鄭 宰相 JUNG Jae-sang
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大學研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
vol.78, pp.45-68, 2013

これまでの朝鮮思想史の叙述において、17世紀は「礼学の時代」と性格づけられてきヒョン・サンユンた。この説を最初に言い出したのは、おそらく玄相允の『朝鮮儒学史』(1949)であろう。玄相允の『朝鮮儒学史』は、植民地時代以降のものとしては、最初の朝鮮儒学通史であるが、そこでは朝鮮儒学の流れを「至治主義儒学→性理学→礼学→経済学(実学)」と述べている。この捉え方は、後の研究に大きな影響を与え、朝鮮時代の儒学は「16世紀=理学、17世紀=礼学、18世紀=実学」のように展開したもの、という「理解・知識」として定着テゲユルゴクする。つまり、16世紀における退渓学派と栗谷学派の性理学に対する見解の差が、17世紀において礼学に対する見解の差を生み出し、栗谷学派に属する西人は『朱子家礼』を中心とする礼論を、退渓学派に属する南人は古礼中心の礼論を展開した、という見方が朝鮮思想史ないし礼学史の叙述においてほぼ通説となっているのである。例えば、韓国精神文化研究院で刊行された『韓国民族文化大百科事典』(全28冊)の「礼訟」の項目をみると、「栗谷学派である西人=家礼中心=守朱子学派」対「退渓学派である南人=古礼中心=脱朱子学派」という図式で説明がなされている。『韓国民族文化大百科事典』は研究者をはじめ一般人もよく利用する事典であるため、この図式的な理解は一般的な認識として根強く広まっている。17世紀の思想史・礼学史に対するこのような理解は、18世紀の朝鮮思想史の理解にもつながり、18世紀を「実学の時代」と規定し、「南人」系列の学者に焦点を当てながら、実学を「脱朱子学的」学問として位置づける言説と密接に結び付いている。このような状況の中で、17世紀の朝鮮思想史・礼学史に対する従来の研究に問題を提起し、新しい見方を提示する研究者たちが近年現れている。本稿の著者である張東宇氏(韓国、延世大学校国学研究院研究教授)もその一人である。氏は、朝鮮時代の代表的な思想タサンチョン・ヤギョン家の一人である茶山、丁若 の礼学の研究で博士論文(『茶山礼学の研究―『儀礼』「喪服」篇と『喪礼四箋』「喪期別」の比較を中心に』延世大学校、1997年)を著して以来、長年朝鮮礼学の研究に取り組んできた韓国の学者であるが、特に近年は朝鮮時代の『朱子家礼』関連著述の研究を精力的に行っている。本稿で氏は、朝鮮時代の『朱子家礼』関連著述に対する書誌学的な調査・分析を通じて、朝鮮における礼学の展開は、『朱子家礼』の研究が始まった16世紀後半から18世紀にいたるまで、「古礼による『朱子家礼』の補完」という共通の問題意識をもとに、学派の相違を超えて「蓄積的に進展された単一な流れ」であると結論づける。また「礼学の時代」といえるのは、17世紀であるというより、むしろ18世紀であるという見解を示す。これまでの朝鮮礼学の研究は、主に17世紀の服制論争(礼訟)史料を中心に行われてきたわけであるが、著者は朝鮮礼学史における家礼関連資料の持つ重要性を提示し、朝鮮礼学史の叙述は礼訟にとどまらず、もっと広い見地から捉えるべきであることを示唆しているのである。朝鮮礼学史への新しい視点を提供し、従来の朝鮮思想史の理解に反省をうながしている点で、著者の問題提起と結論は非常に大きな意味を持つものと思われる。また本稿で整理された膨大な量の『朱子家礼』関連著述リストは、朝鮮礼学史の研究のみならず、今後、中国・日本・ベトナムなど、東アジア各地における家礼文化の比較研究の基礎資料として活用できるものと期待される。翻訳は鄭宰相(京都大学講師)が草案を作成し、邊英浩(都留文科大学教授)が点検し責任を負うこととした。なお本稿は筆者が、科学研究費補助金(基盤研究(A))研究「東アジアにおける朝鮮儒教の位相に関する研究」(研究代表者:井上厚史島根県立大教授)の一環として弘前大学で行なわれた国際ワークショップ(2012年8月29~30日)において報告したものを加筆、修正したものである。It has been said that the two opposite stances exist in Choson scholars' studies on FamilyRituals of Master Zhu (Zhuzi Jiali 朱子家禮). Unlike the previous understanding of theirreconcilable difference between Yulgok 栗谷school and T'oegye 退溪school, this articleunveils their common consent that they endeavored to complete Zhuzi's Family Rituals inaccord with the ancient ritual principles. On the ground of such agreement, Ritual Studies ofthe two schools had interacted with each other, mainly in respect of three aspects : practiceof rituals (haengnye 行禮), interpretations or exegeses on those practices, and provisional/^ extraordinary rituals without clear manuals in the canonical scriptures (byollye 變禮).^ Through exploring extant 198 works of Choson Ritual Studies in the 15th to 19th centuries,this article shows the patterns of their evolution and interrelationship.
著者
西 教生 北垣 憲仁 西丸 尭宏 NISHI Norio KITAGAKI Kenji NISHIMARU Takahiro
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大學研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
vol.79, pp.17-26, 2014

都留文科大学附属図書館に隣接しているビオトープは、周辺の山の自然とキャンパスをつなぐ「生きものの回廊」として機能するようなビオトープとして設計された。今後の管理計画や活用方法を考え、本学ビオトープの機能を評価するためには現状を把握する必要がある。そこで、2012年10月および11月、2013年8 月に本学ビオトープに生育している樹高50 cm 以上のすべての木本を対象とした調査をおこなった。確認された樹木の内、植栽以外の方法で本学ビオトープに持ち込まれて定着しているものは全体の33.6%を占めていた。本学ビオトープは風や鳥類の採食行動という作用によって周辺の山の生態系とつながっていると考えられ、これは「生きものの回廊」が十分機能していることを示すものである。また、本学ビオトープは身近な自然を対象としていることから、自然に親しむ入り口としても重要な意味を持つと考えられる。
著者
西 教生 北垣 憲仁 西丸 尭宏 NISHI Norio KITAGAKI Kenji NISHIMARU Takahiro
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大学研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
no.79, pp.17-26, 2014-03-20

都留文科大学附属図書館に隣接しているビオトープは、周辺の山の自然とキャンパスをつなぐ「生きものの回廊」として機能するようなビオトープとして設計された。今後の管理計画や活用方法を考え、本学ビオトープの機能を評価するためには現状を把握する必要がある。そこで、2012年10月および11月、2013年8 月に本学ビオトープに生育している樹高50 cm 以上のすべての木本を対象とした調査をおこなった。確認された樹木の内、植栽以外の方法で本学ビオトープに持ち込まれて定着しているものは全体の33.6%を占めていた。本学ビオトープは風や鳥類の採食行動という作用によって周辺の山の生態系とつながっていると考えられ、これは「生きものの回廊」が十分機能していることを示すものである。また、本学ビオトープは身近な自然を対象としていることから、自然に親しむ入り口としても重要な意味を持つと考えられる。
著者
依藤 道夫
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大学研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.61-74, 2003

This paper is a study on Gabriel Garcia Marquez's great masterpiece One Hundred Years of Solitude, which is a very famous "magical realism" novel. Garcia Marquez is a Nobel Prize winning author of Colombia and he wrote novels, both long ones and short, the background of which was an imaginary village (town) "Macondo". It was very smilar to Aracataca, Garcia Marquez's hometown in northern Colombia. The images of not a few characters and episodes of this novel were from his real hometown. Thus One Hundred Years of Solitude, a very eventful and amazingly fantastic story, is based on Garcia Marquez's own memories of his native place. Realism and fantasy are mixed up in the world of this novel, and even supernatural phenomena are seen in its many pages. Readers can meet even ghosts and monster. The Buendia family history of 100 years is told generation after generation in this story and not a few queer or eccentric characters appear one after another. Most of them are possessed with deep solitude. Through the 100 years of the Buendia family Garcia Marquez tries to clarify the true and deep meaning of human solitude. This paper tries to analyze such a dynamic but fantastic and strange world of this novel and to pursue what Garcia Marquez wished to say on human solitude through the Buendia family by considering "magical realism" and William Faulkner's influence upon him.
著者
植村 憲治
出版者
都留文科大学
雑誌
都留文科大学研究紀要 (ISSN:02863774)
巻号頁・発行日
vol.64, pp.43-65, 2006

The teaching method of mathematics and/or arithmetic essentially does not depend on language or culture. Succeeding to the previous paper which treated a Kindergarten text book, we introduce and investigate an American arithmetic text book and the teacher's book for Grade 1, named "Mathematics" published by McGraw-Hill Company. And we point out the difference of Japanese teaching methods from those of the U.S. including addition and subtraction strategies.