著者
玉井 崇夫
出版者
明治大学文芸研究会
雑誌
文芸研究 (ISSN:03895882)
巻号頁・発行日
no.96, pp.119-126, 2005
著者
内村 和至
出版者
明治大学文芸研究会
雑誌
文芸研究 : 明治大学文学部紀要 (ISSN:03895882)
巻号頁・発行日
no.119, pp.27-53, 2013

「万国旗本」とは、私が仮に名付けたもので、学術用語ではない。言う心は、「幕末、外国船来航に沸き立つ時期に編纂された、世界の国旗・都市旗・軍艦旗・商船旗などを記載した本」の意である。と言っても、私は、文化史的観点から「万国旗本」そのものを研究対象としているわけではない。本稿の目的は、幕末戯作研究のかたわら管見に入った数冊の「万国旗本」に触れつつ、その背景をなす時勢や人間関係を瞥見することである。わずか数冊の「万国旗本」を通しても、幕末の時代風景は垣間見えてくるからである。しかし、それでもなお、「万国旗本」なる定義は、研究の立場としては傍系的に過ぎるであろう。本来、これらは幕末維新史研究もしくは近世地理学史研究の文脈に置かれるべきものである。
著者
藤岡 阿由未
出版者
明治大学文芸研究会
雑誌
文芸研究 (ISSN:03895882)
巻号頁・発行日
no.107, pp.75-91, 2009

一九六七年に刊行されたローレンス・オリヴィエ(一九〇七~八九年)、ジョン・ギールグッド(一九〇四~二〇〇〇年)ら俳優へのインタヴュー集の序文には、次のようなくだりがある。一九六三年の国立劇場設立までに「スターが自分の才能を使いながら、すすんでアンサンブルの一部となる演技は完全に確立されていた」。これは英国演劇のアンサンブルが、スターという突出した存在を抱えながら、逆に演技全体の調和を目指すというアンビヴァレンツと不可分であり、それが一つのタイプとして定着したという見方である。インタヴューにおけるスター俳優たちの証言によって、序文の見解の妥当性がここでは示されている。しかし、そうであるなら、英国演劇におけるアンサンブル演技はいったい、どのように発展し定着に至ったといえるだろうか。
著者
塚田 麻里子
出版者
明治大学文芸研究会
雑誌
文芸研究 (ISSN:03895882)
巻号頁・発行日
no.102, pp.63-84, 2007

「文学界」二〇〇五年八月号には「追悼 倉橋由美子」と題した特集がある。そのなかで、古屋美登里氏は次のように述べていた。「桂子さんを主人公とする一連の物語(『夢の浮橋』『城の中の城』『シュンポシオン』『交歓』)はよい批評家に恵まれなかった。いや、黙殺されたと言ってもいい。私の知る限り、この一連の作品をまともに論じた批評家はひとりもいない。身を委ねて線路をまっすぐ進む精神の柔軟さのある人が批評家には少なかったような気がする」。 その後、昨年十一月に行われた第八回明治大学図書館講演会において、古屋氏はゲストとして招かれ、ライター豊崎由美氏と対談した(「対談 倉橋由美子-大人の小説の魅力 豊崎由美が「お子ちゃま文学」を斬る!)。
著者
根岸 純
出版者
明治大学文芸研究会
雑誌
文芸研究 (ISSN:03895882)
巻号頁・発行日
no.63, pp.p112-97, 1990-02

『ライン河』Le Rhinが「或る友への手紙」という副題を付して上梓されたのは、1842年1月12日のことであり、この初版は「序文」、25通の「手紙」、そして「結び」という構成になっている。今日我々が読むことのできる版は、この初版に未発表の「手紙」14通を加えて1845年に刊行された再版である。ユゴーは終生の愛人ジュリエット・ドルーエと、ヴァレンヌまでの小旅行(1838年)、ライン河流域を旅程に含む二度の旅行(1839年、1840年)を行っており、書簡体紀行文『ライン河』はこれら三回の旅行から生まれた。1838年の旅行では、ドイツに入るどころかヴァレンヌまでにしか行ってないのだが、このわずか10日間の旅行は、恐らくユゴーが『ライン河』の構想を初めて抱いたと考えられる点で重要である。
著者
亀山 照夫
出版者
明治大学文芸研究会
雑誌
文芸研究 (ISSN:03895882)
巻号頁・発行日
no.99, pp.73-76, 2006

アメリカ文学の作品の中で、ニューイングランドの伝統を受け継ぐ自然主義的な小説です。イーディス・ウォートン(1862-1937)の作品で、自然主義とニューイングランドの風土が不思議に溶け合った哀愁の色が濃い味わい深い作品です。ウォートンは、十九世紀後半のアメリカの風俗や慣習が時とともに消え去り行くさまをいとおしんだ作家です。と同時に、彼女の文学作品と私的情念とが似通った立場にあるために、屈曲したエロスは不燃焼のまま心の澱となって、わだかまります。彼女の文学上の師匠のヘンリー・ジェイムズの言うように、まさにウォートンは「荒廃させる天使」であり、荒涼たる心の原風景があらわになります。作品のなかで、彼女は男女の愛の姿を短いあいだながらも率直に表現し、しかも最後には、その愛はこの世では果たせないままで終わらせられるために、彼女の禁欲主義はただごとではありません。