著者
相原 健志
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.49, pp.1-15, 2017

序1. 「存在論的転回」の焦点 : 概念創造2. 概念創造の条件3. 概念「創造」という問題 : 主体の弱さから4. 結論と展望
著者
McLynn Neil
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.42, pp.41-70, 2010

Introduction to Iran : The Persian Empire The 'Persian Debate' : Choosing a Government System, 522 BCThe Empire Strikes Back : Xerxes and the Greeks, 485 BCFacing Asia: The Athenian Dilemma, 493 BCThe Birth of the 'German Question' : Augustus' Dilemma, 10 AD
著者
Gaboriaud Marie
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.53, pp.1-33, 2021

Amongst the new professions that emerged with the introduction of Western culture in late 19th century in Japan was that of commercial photographer. It was around this time that photography studios quickly spread across the country. While men predominated in this new profession, women also played an important role in the dissemination of photography. Most supported their husbands or fathers engaged in this work. Others, although few in number, made it their profession. In this study, we follow in the footsteps of three women who opened photography studios in two towns in the Tohoku region, Hirosaki (Aomori prefecture) and Sakata (Yamagata prefecture). The photographs that they left us constitute precious documentary records of the society and the culture of this period and allow us to reassess their extraordinary contribution to the dissemination of photography as pioneering women photographers at the local level.
著者
野村 伸一
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケ-ション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.26, pp.1-31, 2001

今日,東アジアにおいて民俗の世界は急速度の近代化とともに,衰退していくかにみえる。けれども,ほんとうに衰退していくばかりなのか,これは可能性を秘めた世界なのかどうか,そこから何か新しい視点が開けるのか。こうしたことを考えるとき,わたしには女性の祭祀と女神信仰ということがかなり可能性を秘めているのではないかという予測がある。そこで,福建省や台湾,日本の南島,韓国南部および済州島などの研究者とともに,それぞれの地域ごとに積み重ねられた資料,知見を持ち寄り,これをひとつにまとめあげようとして研究会を発足させた。 とはいえ,現在,東アジア全体を一目でみる準備は整っていないので,とりあえずは東シナ海周辺の民俗文化を取り上げることにした。そしてあらかじめいうと,この地域ではとりわけ女性の祭祀活動と女神信仰が顕著なのだが,にもかかわらず,それがこの地域の民俗世界の性格を考える際に主要な課題となるという視点や取り組みがほとんどない1)。まずは,このことの意味から考えなければなるまい。
著者
野村 伸一
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.31, pp.25-66, 2003

朝鮮民族の伝えた仮面のあそびは夜陰を貫く鮮烈な一条の光芒のようなものであった。それは邑落の広場で多くは夜半,篝火のもとに俗語と歌謡を交えた台詞,強靱な身体を反映する跳舞とともにおこなわれた。 演じ手はクヮンデ(広大)とよばれた者たちである。かれらは文献では高麗時代に突然現れ,その出自は明らかでないが,鮎貝房之進がかつて推定したようにおそらくは北方からきた異邦人であろう。朝鮮朝においても仮面戯や雑戯,またパンソリなどの謡い物の担い手として活動した。かれらは朝鮮時代に賤民とされ,同じく賤民とされた巫覡と縁戚関係を結んだ者も多かった。 また朝鮮朝後期に成立したとおもわれる現存仮面戯の多くは在地の郷吏が陰に陽にかかわっていて,かれらの素養,趣向が反映されたために,台詞のなかに多数の漢文の詩句が挿入されることになった。それはちょうどパンソリという謡い芸の変容と対応する。 朝鮮の仮面戯の系統について,李杜鉉は,ムラの城隍祭におこなわれる仮面戯と「山台都監系統劇」とに大別している。前者としては河回,江陵および東海岸別神クッの仮面戯があげられている。また後者は黄海道や京畿道,慶尚南道の仮面戯のことで,それはいずれも朝鮮朝の儺礼を管掌する官庁「山台都監」の影響下にあるという前提のもとで名づけられている。しかし,李杜鉉自身がいうように,宮中の儺礼の際におこなわれた「山台雑劇」「山台儺戯」は必ずしも仮面のあそびではなく,今日民間に伝承されたものと同一ではない。しかも,京畿道と黄海道のものは類似した部分も多いが,慶尚道の仮面戯をそれらと同類のものとしていいのかどうかは,反論も提起されている。 ただ,わたしは,本論において系統論にはあまり深入りする考えはない。わたしがここで提起した問題は,朝鮮の仮面戯は儺と死霊供養の観点からみる時,「城隍祭」の仮面戯であれ,「山台都監」系統のものであれ,また慶尚南道のものであれ,すべて包括的に論じることができるということである。そもそも山台都監とは宮中の儺にかかわる官庁であり,そこに出入りしたクヮンデらの動向が儺礼の廃止以後,どのていど民間の仮面戯に影響を及ぼしたのかは推測するほかはないのだが,かれらの演戯の根柢は東アジアに広く存在する民間の儺であり,また孤魂供養の場にあった。このことはのちにいろいろな視点から述べることになる。 わたしは,以下では,まず朝鮮全国に広がる主要な仮面戯を概観し,現存する仮面戯の成立にとって主要な契機は何だったのか,また仮面戯の動因は何であったのかを検討し,次に,主として言語伝承の面について,また東アジアの枠内における比較対照の必要性について論じようとした。 論議はかなり広くなるが,仮面戯はそもそもなぜおこなわれたのかということが基本的な問いかけであり,その答えはまだ明確に出されていない。そこで,まずわたしの視点の大枠を提示しておきたい。 朝鮮のムラのまつりは毎年おこなわれるが,すべてのまつりに仮面のモノが訪れるわけではない。従って,ムラまつりが仮面戯を胚胎したというだけでは十分な説明にはならない。ムラの祭儀の場に来訪するモノは無数にあり,いちいち目にみえるかたちでは表現しないのがふつうである。しかし,天災,疫病,飢饉,暴政などムラの存亡にかかわるとき,そうしたモノは姿を現した。いや現れることが待望された。それは巫覡のクッのなかに織りこまれるばあいもあるし,また農楽隊のかたちで訪れ,迎えられることもあっただろう。また男寺党やその前身となる流浪の芸能者のかたちで訪れることもあっただろう。 かれらは,クッの場に集うモノなので,訪れてから,まずはムラのようすをながめる。ムラでは巫覡のクッもあっただろう。農楽隊による出迎えもあっただろう。そうしたところへやってきたモノたちは鬼神,神将などの姿をとる。そして通例,楽の音に誘われてやってきたことを告げる。またかれらは楽士によびとめられる。このとき,楽士らは村人を代表していて,このモノたちを受け入れる。 あそびの場に引き寄せられてきたモノたちは障害を持っていたり,かたちが歪んでいたりする。そうではあってもかれらなりの一生を語り,また演じてみせる。それは辱説(悪態),地口による笑い,あけすけな性の表現,家庭の不和などに満ちていて,身分ある人士の日常とは縁遠いが,東海岸のコリクッの登場人物がそうであったように,農村の日常,あるいは民俗世界の記憶としては真に迫るものがあった。猥談は農作業の合間に頻繁におこなわれ,哄笑にも似た笑いと些細なことが原因の派手な夫婦喧嘩こそは日常茶飯事だった。しかも,その世俗性はほかならぬクッのなかに構造的に埋め込まれていた。 これらの要素は,たとい郷吏のような地方官僚が「風紀上怪しからん」とあそびに介入したとしても消し去ることのできないものであった。なぜなら,かれら,モノたち(孤魂野鬼)の帰趨が邑落の存亡とかかわるという暗黙の前提があり,郷吏はこれを受容せざるをえなかったからである。郷吏は自分たちの主宰する年末の儺戯を仮面戯を中心に構成した。その際,付け加えられたものがあるとすれば,それは漢文もじりの台詞や強烈な両班諷刺のことばなどでしかないであろう。およそ祭儀にかかわる伝来の本質的な面は全面的に受容するほかはない。そのことではじめて地域共同体の儺の儀が全うされたのであるから。 こうして,根源的な問いかけが出されることになる。すなわち,一体,邑落の祭儀にとって原初の仮面戯はどのようなものとして受容されたのか。いいかえると,なぜ仮面戯が必要であったのか。この問いは少なくとも定説に対する根源的な問題提起になるだろう。すなわち,朝鮮には古来,ムラに自然発生した仮面戯と都市に住む専門的な芸人による仮面戯の二種類があったという解説は決して回答とはならないということである。 この根源的な問いかけにこたえるべく,以下には個々の仮面戯をみていくことにしたい。以下の構成は大きくふたつに分かれる。第一は,別神クッのなかの仮面戯である。慶尚北道の河回仮面戯と江原道江陵の官奴仮面戯がそれで,韓国では通例,村まつり系統の仮面戯とされている。第二は黄海道,京畿道および慶尚道の仮面戯で,近年の韓国の研究によると専門的な芸能者の参与したあとが濃厚なものである。 わたしの視点では,とくに両系統を分ける必要はないと考えるが,それについては,ここで論じるよりは全体をみた上で述べるのがよいと考える。従って,ふたつに大別したとはいえ,それはあくまでも便宜的なものである。
著者
野村 伸一
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.32, pp.73-184, 2004

2.1 朝鮮の仮面戯概観2.1.1 鳳山タルチュム2.1.2 康タルチュム2.1.3 殷栗タルチュム2.1.4 楊州別山台戯2.1.5 松坡山台戯2.1.6 統営五広大2.1.7 駕山五広大2.1.8 固城五広大2.1.9 東野遊2.1.10 水営野遊2.1.11 北青獅子戯2.2 朝鮮の仮面戯起源説2.2.1 山台戯起源説2.2.2 伎楽からみた山台仮面戯2.3 朝鮮朝の郷吏と仮面戯 2.4 仮面戯のことば2.4.1 仮面告祀のことば2.4.2 クワンデのことばの特質2.4.2.1 もどきのことば2.4.2.2 神明解きのことば2.4.2.3 性的なことば2.4.2.4 あえなく死んだモノたちへの鎮魂2.5 まとめ−東アジアの死霊供養の視点から2.5.1 いわゆる系統論,起源の問題への一視点2.5.2 仮面の図像学的な意味およびその比較対照
著者
前田 伸人
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.39, pp.71-86, 2007

1. はじめに2. 18世紀スペイン科学の制度化3. バレンシア旅行のカバニーリェス4. まとめ
著者
申 明直
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶応義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケ-ション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.25, pp.62-83, 2000

I.始めに1.研究目的及び研究史の検討?2.研究方法II.『小人が…』の「幻想性」と現実克服1.幻想性と現実克服的性格2.『小人が……亅と「ユートピア」1)「メビウスの帯」と「クライン氏の瓶」2) 「抽象的ユートピア」と「具体的ユートピア」①小人と初期のジソブ及びユンホー「抽象的ユートピア」②ヨンスと後期のジソブ及びユンホー「具体的ユートピア」③数学教師-二つの可能性3)「想像的解決」と「象徴的解決」①想像的解決②象徴的解決3.『小人が……』の幻想性と転覆性1) リアリティーの強化①宇宙人・空飛ぶ円盤③地獄と天国④真鍮製の匙III.『小人が……』の「幻想性」と美的装置1.連作形式2.アレゴリーと象徴3.多声性-「私の網に来るとげうお」4.多文体性1)ジャンル挿入2)場面重畳IV.結び
著者
萩原 眞一
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.43, pp.17-35, 2011

The aim of this paper is to demonstrate the relationship between "the Cave of Mithra at Capri" Yeats visited in1925 and "that curious cave" in Botticelli's painting Mystic Nativity (1501) in the National Gallery of London, and to propose their possible connection with Porphyry's treatise On the Cave of the Nymphs.This paper first discusses Porphyry's discourse. It interprets 11 verses of Odyssey in which Homer describes the cave of the water-nymphs on the island of Ithaca as an allegory of the soul's cycle of descent and return. Yeats might have read Porphyry's exposition through the translation made by the English Platonist Tomas Taylor. Porphyry's Neoplatonic view of Homer's cave is epitomized in Kathleen Raine's illuminating remark: "Porphyry's cave is the womb by which man enters life; but, seen otherwise, it is the grave in which he dies to eternity."Secondly, this paper refers to Yeats's visit to the Mithraic cave of Capri. Yeats and his wife Georgie first travelled to Sicily, where they joined the Pounds, and then to Naples and Capri. Pound remembered Yeats trying out the acoustics at the amphitheatre near Syracuse, and staring in wonder at the "golden mosaic" of the superb Byzantine walls at Monreale near Palermo. Unfortunately, there is no photographic record of the poet's visit to Capri, only the recollections recorded in the prose of the Dedication to A Vision and in the note discussing his visit to the cave. Yeats recollects the details he observed: "When I saw the Cave of Mithra at Capri I wondered if that were Porphyry's Cave. The two entrances are there, one reached by a stair of 100 feet or so from the sea..., and one reached from above by some hundred and fifty steps...." Yeats clearly links the Mithraic cave having "two entrances" with "Porphyry's Cave" telling the cycle of generation.Thirdly, particular attention is paid to Botticelli's Mystic Nativity. According to Yeats, the inscription at the top of the picture says that "Botticelli's world is in the 'second woe' of the Apocalypse," and that "after certain other Apocalyptic events the Christ of the picture will appear." Botticelli's work reflects catastrophic expectations at the end of the 15th century which echo the rebellious Dominican priest Savonarola's apocalyptic visions. In conclusion, Botticelli's use of the "curious cave" located at the centre of Mystic Nativity seems an appropriate way of symbolising "Porphyry's Cave" as a metaphor of the world of matter into which the souls are incarnated.
著者
衛藤 安奈
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.52, pp.31-54, 2020

1. 問題の所在2. ローレンツの動物学的知見 : 攻撃,連帯3. ウィルソンとイングルハートの文化的進化論 : 利他性4. カッシーラーの文化論的神話論・宗教論5. 「少年マンガ」の四つの類型 : 正統派,人情型,異邦人型,文明崩壊型6. 考察
著者
麻 国慶
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.32, pp.41-60, 2004

1.問題の提起:社会人類学の親族研究の再検討——構造と過程の結合——2.中日「家」の構成と特徴(一)家,分家,親戚,同族に関する言語の異同 (二)「家」の構成と拡大 (1)中国の「家」 (2)日本の「家」 (3)中国の分家と日本の分家 (4)宗族と同族3.宗族・同族の復興と祖先祭祀 (一)中国宗族の復興と表現 (二)宗族の復興と村落基層政権1)田分けの実施2)宗族の者を指導し,水利を修理した。3)学校の修築(1986年開始)4)祠堂の修理,族譜5)各種の協調関係(三)祖先祭祀を中心とする同姓結合 事例1:福建省陳姓。 事例2:客家張姓の同姓結合 4.日本本土の同族事例:小諸A区(一)構造(二)儀礼化としての同族(三)クルワとカロート(墓)の建立および祭祀5.討論と結語
著者
羅 奇祥
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.30, pp.119-138, 2003

改革開放(1978年12月)の始まりによって大陸の中国語に大量の新語が生まれた。その中の一部,例えば「人气」(人気)・「空港」(空港)などは日本語からのものである。本稿は筆者が集めた1979年から2002年まで大陸の中国語に入った日本語からの新語について,形・意味などによって分類した上で,選定の基準,入った経路・理由及び社会的背景,その特徴,また定着の度合などを論じるものである。
著者
林 栄美子
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.46, pp.43-67, 2014

序論第1章 ローラン・プティ振付『カルメン』(1949年)の場合第2章 アルベルト・アロンソ振付『カルメン組曲』(1967年)の場合第3章 マッツ・エック振付『カルメン』(1994年)の場合
著者
崔 在佑
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.33, pp.51-73, 2004

1.問題提起2.異本的性格の探索1)話素段落2)『一説春香傳』の異本的性格3.形象化技法上の特性1)近代的技法の冒頭2)月梅の役割強化と名前の命名4.結論
著者
松田 健児
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.41, pp.45-65, 2009

I 問題提起II ピカソとスペインの乖離III 20世紀のスペイン美術の状況IV ピカソ否定論の萌芽V 美術批評に影を落とすユダヤ人差別VI 「ピカソはスペイン美術ではない」VII 「非人間化された芸術」VIII 否定論者から擁護論者への転向IX エウヘニオ・ドールスのピカソ論X 拒絶されたファシストからの誘惑XI 内戦とその影響XII 結論
著者
浜田 和範
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.49, pp.85-101, 2017

1. サエール作品におけるインファンティアの主題の前史2. 『継子』におけるインファンティア3. サエール作品における火のイメージの前史4. 『継子』における火のイメージ5. 結論
著者
熊倉 敬聡
出版者
慶應義塾大学日吉紀要刊行委員会
雑誌
慶應義塾大学日吉紀要. 言語・文化・コミュニケーション (ISSN:09117229)
巻号頁・発行日
no.44, pp.1-17, 2012

1."もう一つの"文明へ, あるいは三つのエコロジー2.汎瞑想 : なぜ今瞑想なのか?3.精神のエコロジーにおける「西洋」思想の限界4.「西洋」を超えて?5.エコゾフィの総体へ