著者
瀬邊 啓子
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.29-49, 2012-03-01

文革期に知青文学がどのような過程で創作され、発表されるにいたったのか。この点を王小鷹の文革期の創作活動を通して、分析・考察を行った。王小鷹の処女作である「小牛」の創作・発表の背景から浮かび上がってくることは、知青文学については書き手が知青であり、一定の水準の作品が書けさえすれば、「誰でもよかった」ということである。そのため作品を書く知青の出身階級については、全く問題にされていなかったことが分かった。王小鷹は作家になりたいとも思っていなかったのだが、たまたま仲間たちと業余文藝小分隊を作り脚本などを書いていたために、編集者から原稿依頼を受けることになった。そうして文革期の文藝政策の変化に左右されながらも、編集者とともに何度も改稿を繰り返し、「小牛」については最終的には編集者が強引に審査を通す形ではあったが、作品発表にいたり、作家としての一歩を踏み出したのである。
著者
松本 真治
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.86, pp.103-116, 2002-03-01

T. S.エリオットは自らの編纂によるA Choice of Kipling's Verseにつけた長い序文、後の評論集On Poetry and Poets所収の"Rudyard Kipling"において、キプリングが「表面の下に隠されているもの、境界線の向こうにあるものを何がしか知っていた」と言う。実はこの「境界線」という言葉はエリオット自身において重要な意味を持つ言葉でもある。本論ではエリオットの言及するキプリングの作品とエリオットの作品を検証し、エリオットの発言の意味とキプリングを評価するエリオットの視点を明らかにする。
著者
山口 堯二
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.85, pp.29-42, 2001-03-01

打消推量の助動詞「まい」は、室町期に形成され、当初、同じ打消推量の助動詞「まじ>まじい」「じ」と共存したが、やがてそれらも「まい」によって統合された。その統合の役割を担った「まい」の通時的変化を、他の推量の助動詞との対応性、および、推量体系の通時的変化と絡めて、意義別にたどる試みである。室町期に見られた「打消推定」や、「不適当」「不当」などの観念的意義はかなり急速に失われ、近世を通じて維持されたのは「打消推量」「打消意志」「禁止」の三義と概言できる。明治大正期頃を境に、打消と推量とに別語を併用する「ないだらう」などの言い方との交替もめだちはじめ、次第に弱体化する様子にも言及する。
著者
笹田 教彰
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.1-14, 2004-03-01
著者
黒田 彰 坪井 直子 筒井 大祐
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.1-18, 2012-03-01

八幡縁起は古代、中世に流行した八幡信仰を背景とする縁起絵巻で、北野縁起などと共に我が国の社寺縁起を代表する絵巻の一である。小稿では従来、甲乙類に分類される八幡縁起絵巻の乙類に属すると見られる新出資料、愛知県刈谷市の榊原家の所蔵に掛る、八幡の本地二巻をカラー影印、翻刻により紹介する。本号に収録するのは、その下巻で、本誌前号(95号)収録の上巻に続くものである。榊原本の書誌的事項や翻刻の方針などについては、前号の略解題を参照されたい。なお『京都語文』18号(平成23年11月)には、同じ八幡縁起絵巻甲類の新出資料、鰐鳴八幡宮本八幡大菩薩御縁起(上下巻)を紹介したので、併せての参照を乞う。
著者
原田 敬一
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.91, pp.31-51, 2007-03

戦没者追悼のあり方を考える上で、戦没者の埋葬がどのように行われているのか、は日本ではあまり問題にしないが、欧米では大問題である。大問題となったのは、UKのプーア戦争、独・仏の普仏戦争あたりからだから、ヨーロツパでは100年以上の歴史がある。それは「戦争文化」とも言える。フランクフルト条約で、相互に戦争墓地を尊敬し、維持することを取り決め、以後その形式は継承されている。戦没者追悼戦争墓地戦争文化ドイツ戦争墓地維持国民同盟
著者
荒木 猛
出版者
佛教大学
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.84, pp.69-87, 2000-03-01

明代に時行された「金瓶梅」には、うちに「水滸伝」の影響を色濃く残す「金瓶梅詞話」と、それにいろいろと手を加え作品としてより完成度の向上に務めた「新刻繍像批評金瓶梅」の両種の版本がある。この両種の版本にはさまざまな相違があるが、中でも、回目と標題詩の違いが顕著である。本稿は、この回目と標題詩にどのような違いがあるかを解明し、少なくとも、この両種の版本の編者は同一人物ではなかったであろうことを論じた。