著者
浜田 泰彦 河戸 愛実
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.104, pp.107-127, 2020-03-01
著者
浜田 泰彦 河戸 愛実
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.103, pp.39-57, 2019-03-01

貞享元(一六八四)年八月に刊行された喜多村江南軒『人相小鑑大全』は、中国由来の和刻本を除けば、我が国史上初の漢字仮名交りの整版本観相書である。日本の観相学史上重要な書物であり、さらには近世文芸にも少なからず影響を与えたにもかかわらず、本書はこれまで翻刻がそなわっていない。そこで本稿では、『人相小鑑大全』全四巻の内巻一〜二を翻刻・紹介する。観相書ほくろ版本
著者
田中 みどり
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.104, pp.21-38, 2020-03-01

萬葉集の「つつじ花 にほへる (君)」(つつじの花が周囲の緑からとびだすような鮮烈な色であるように生き生きとした)「紫の にほへる (妹)」(むらさきの花のように鮮やかに目にとびこんでくる)「山吹の にほへる (妹)」(山吹の花のように目にまぶしい)などは、いずれも、「つつじ花」「紫草」「山吹」を「君」や「妹」の比喩に用いている。当時、「黄ナル」色は、生成り色も含んだ茶系統の色であり(当時の分類で言えばアヲ系統)、「現在の黄色」にあてはまる色は「ヤマブキ色」であった。また、「白」は透明感を含んだ色であった。日本の古代色、アカ(明)・クロ(暗)・シロ(顕)・アヲ(漠)は、アカ・クロが明度を、シロ・アヲが彩度をあらわすものに他ならない。「シロ」という色彩語が「顕」の義をもつことが、いまだこの時代には実感として保たれていたのである。萬葉集にほへる君にほへる妹色彩
著者
黄 當時
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 = Journal of the Faculty of Letters (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.102, pp.1-26, 2018-03

古代日本語の船舶の名称やそれに由来する語彙には、日本語一視点のみでは正確に理解できないものがある。これらの単語には、適切な海の民の視点、具体的には、彼らが用いたであろう言語や文化についての知識を持てば正確に理解できるものがある。茂在寅男氏は、『記』『紀』の中に古代ポリネシア語が多く混じっている、と述べ、井上夢間氏は、「枯野」等の言葉とカヌーとの関係について、ハワイ語を用いて簡潔に説明したが、その知見は、言語面からの研究に突破口を開くものであった。小論では、「天照(あまてる)」は「天(アマ)-照(テル)」の意味構造であること、「天(アマ)」「照(テル)」はそれぞれポリネシア語の「ama」 outrigger、「taurua」 double canoeを漢字で書き記したものであり、両者を合わせた「天(アマ)-照(テル)」(ama-taurua)は「アウトリガー・フロート付き双胴船」を意味すること、などを解明することができた。古代の日本語の問題を考えたり、古典を読み解くのに、中国語やポリネシア語等の外国語の知識や、船舶・航海の知識が役に立つという認識は、やがて常識となるのではないか。天照天鳥船/天鴿船/天磐船天岩戸天照大神坐舟天足
著者
黄 當時 沖村 由香
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 = Journal of the Faculty of Letters (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.103, pp.97-110, 2019-03

古代日本語の語彙には、日本語一視点のみでは正確に理解できないものがある。現代日本語は前置修飾構造である。しかし、かつて日本社会には、後置修飾構造を持つ言語が存在し、その痕跡は『記』『紀』の固有名詞に残っている。日本神話の中の日向神話や創世神話とポリネシアなどの南島(オーストロネシア)の神話に類縁関係があることは、古くから神話学者によって指摘されてきた。オーストロネシア諸語は後置修飾構造であるが、それらの神話と類縁関係のある日本神話の主人公の名前を分析すれば、その名前には後置修飾構造が見られる。これは、神話がその言語の話者によって日本に伝えられた証拠であろう。古代の日本語の問題を考え、古典を読み解くのに、ポリネシア諸語等の外国語の知識が役に立つという認識は、やがて常識となるのではないか。彦火火出見イワナガヒメ日向神話バナナ型神話釣り針喪失譚
著者
李 冬木
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.103, pp.1-25, 2019-03-01

これまでの「狂人学史」においては、「狂人」言説自体を作品の人物精神史の背景として検討する研究が欠如していた。本論は「狂人」の用法、社会のメディア状況、「ニーチェ」、「無政府主義」、文学創作及び時代精神の特性など複眼的視点から、「狂人日記」誕生の以前に「狂人」の言説史が存在したことを確認し、この状況を前提として「狂人」誕生の足跡を考察した。また周樹人は「狂人」の雛形を携えて日本から帰国したが、この「狂人」は彼自身を形成した過程でできあがったもので、いわば彼の記憶にある「真の人間」と血を分けた兄弟であったと考える。「狂人」の誕生は、「真の人間」の誕生の必然性を宣告したもので、「狂人日記」は本質的に「人」の誕生を宣言した作品であったと結論づけた。狂人言説狂人日記魯迅ニーチェ真の人間
著者
辻田 正雄
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.27-42, 2016-03-01 (Released:2016-03-31)

「通用規範漢字表」は2013年に公布されたが、その準備は実質的には1980年の字表策定提案から始まった。策定作業は語言文字応用研究所が中心になって進められた。簡化字の堅持という言語政策に沿って進められ、教育部党組の指導の下に完成した。コンピュータ処理を考慮し使用頻度によって分級しているが、人名用字については異体字扱いであった漢字を新たに規範字とするといった配慮も行っている。 言語政策 規範化 語言文字応用研究所 人名用字
著者
植村 善博
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.92, pp.29-43, 2008-03

"Gravel bar and Inner-bank pond called Oppori in Japanese are important flood landforms for research of alluvial plain and prevention of disasters of the Kizu and Uji Rivers, because they are indicators of the point of bank breaking and historical flooding. The author studies their location, present land use, origin and relationship between landforms and flooding. Inner-bank ponds had been about eighty during the past one hundred years, but are only three in April 2007, because of decrease by reclamation. Gravel bar were formed by debris flow or sandy mud flow, and are classified into A, B and C types in descending orders from their freshness and land use. Relationship between gravel bar, inner-bank pond and historical flooding in Seikacho, Kyotanabe City and Uji City were made clear since the eighteenth century. "gravel barinner-bank pondflood landformKizu and Uji Rivers
著者
黄 當時
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.97, pp.1-20, 2013-03-01

沖縄に、「さばに」という名の船があり、『日本国語大辞典』は、名称の由来を説明しないが、「さばに」は、「舟/船+α」の構造と意味をもつ名称のように思われる。 豊玉姫の説話の中に、屋根をまだ葺き終えないうちに産気付いた姫が産屋に入り出産する場面があるが、『記』『紀』は、火遠理命が姫の頼みに背いてその様子を覗いたところ姫は「和邇」や「龍」の姿に変わっていた、と記述している。 「和邇」と「龍」は、いずれも同じ情報を伝えているが、適切な海の民の視点を欠いたままでは、正確に理解できない。言葉は、文化である。異文化の言葉は、異文化の知識で解くべきである。 「和邇」と「龍」は、「大型のカヌー」である。「wa'a-nui(和邇)」は、ワァヌイもしくはヴァヌイに発音されるが、Hawai'iがハワイではなくハヴァイに発音されるように、沙+ wa'a-nuiは、サヴァヌイのように発音され、やがてサバヌイ、サバニとなったのではないか。 古代の日本語の問題を考えたり、古典を読み解くのに、ポリネシア語の知識や、船舶・航海の知識が役に立つという認識は、やがて常識となるのではないか。さばに八尋和邇龍
著者
黄 當時
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 = Journal of the Faculty of Letters (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.98, pp.1-19, 2014-03

『古事記』に因幡の白兎の説話があり、白兎が和邇を欺く場面がある。騙された和邇は兎の皮を剥いだ、と記されているが、事実ではない可能性がある。私たちは、どこまでが事実でどこからが事実でないかを見極めねばならない。さもなければ、解析結果は、当然ながら、信頼度の低いものでしかない。和邇は、適切な海の民の視点を欠いたままでは、正確に解けない。言葉は、文化である。異文化の言葉は、異文化の知識で解かねばならない。小論では、先達の知見を手掛かりに、さらに、海の民が用いたであろう言語や文化の知識を入手することで、私たちの視点を海の民の視点に少しでも近づけ、和邇は大型のカヌー(の関係者)であることを解明することができた。古代の日本語の問題を考えたり、古典を読み解くのに、ポリネシア語の知識や、船舶・航海の知識が役に立つという認識は、やがて常識となるのではないか。因幡の白兎和邇加良奴加良怒異文化接触
著者
有田 和臣
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.91, pp.1-12, 2007-03

小林秀雄が生命主義思潮の影響下にあった痕跡は、文壇デビュー前後の初期の小林の文章から比較的容易に探すことができる。生命主義のキーワードである「生命」を、文壇デビュー以前の小重量林秀雄もしばしば使用している。そしてその「生命」という用語は、初期小林の批評のキーワードである「宿命」と深く結びついた形であらわれる。一九世紀末から二〇世紀にかげての西欧に登場したのが「生の哲学」だった。「合理的な知的認識」への否定的姿勢、「非合理的な直観や心情的体験」の称揚、「人間の生」の「全的な」把握への希求は、初期小林秀雄および小林の生命主義的な批評思想形成に影響を与えた和辻哲郎『ニイチェ研究』にも顕著に見られる特質だった。しかし日本の「生命主義(Vitalism)あるいは「大正生命主義」(Taisho-Vitalism)は、和辻、小林らが関与したかぎりでは、「生の哲学」(philosophy of life)と同じ根から発しながらも、それとは微妙に異なる力点をもっている。神秘主義と融合した側面が強い点もあげられようが、とりわけ人格主義と結びつき、人格陶冶の方法論としての利用価値に力点がおかれた点に特徴があった。こうした状況が初期小林秀雄の文章に与えた影響を検討する。小林秀雄大正生命主義生の哲学人格主義和辻哲郎とニーチェ思想
著者
野間 正二
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.95, pp.73-84, 2011-03

ヘミングウェイは、パパ・ヘミングウェイと呼ばれてきたように、米国における理想的な男性像のひとつの象徴とこれまで見なされてきた。ヘミングウェイ自身も、生前、そのマッチョな男性像を造りあげるのに努力を惜しまなかった。しかし死後出版された作品、たとえば『エデンの園』などが読まれるようになると、そうした男性的なヘミングウェイ像がゆらぎはじめた。その動きの急先鋒となったのは、いわゆるフェミニストとよばれる批評家たちであった。フェミニストたちは、ヘミングウェイの作品のなかに、作家ヘミングウェイの心のなかに隠されていた両性具有の願望や女性への変身願望を読みとっている。そこでここでは、わたしは、『エデンの園』をフェミニズムの視点から再読することで、そうしたフェミニストたちの主張を再検討した。ヘミングウェイフェミニズム性差人種黒人女性
著者
森谷 峰雄
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 = Journal of the Faculty of Letters (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.99, pp.59-72, 2015-03

ヨルダン川の東岸で、洗礼者ヨハネによって洗礼を受けたイエススは、天から声によって、神の御子として宣言される。そして、直ちにユダヤ地方の荒地に追いやられ、そこ四〇日間サタンから誘惑を受けた。ヨハネから洗礼を受けた人々は、その間、イエススの不在によりて大いに、懸念を催す。洗礼者ヨハネ神の御子聖霊ヨルダン川聖母マリヤ荒野の誘惑
著者
森山 清徹
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.90, pp.31-50, 2006-03

因果論に関し無常な自性を有する対象(因)の吟味に続く本稿で扱う常住な自性を有する対象(困)の吟味に於ても感官知、特に有形象知の点からは経量部説とされる対象の二条件に照合して論破され、さらに推理の点からは常住な自性を有するものの吟味の際の常套手段ともいい得るダルマキールティの刹那滅論の活用により論破される。しかしながらこのプラマーナを用いたカマラシーラの吟味は夕ルマキールティとは以下の点で異なる。ダルマキールティはプラマーナ(直接知覚と推理)を言語行為(vyavahara) によるが、結果的には効力を有する実在(vastu ,勝義有)を明らかにする整合した知であるとする。他方カマラシーラは、プラマーナを有という言語行為及び常、無常なる実在の自性を排除する無なる言語行為を明らかにする知とする。さらに無なる言語行為を証明する反所証拒斥検証(sadhyaviparyaye badhakapramana)により自、他、自他の二、無因からの四不生や離ー多性などを能遍の無知覚(vyapakanupalabdhi)因とし勝義無自性の論証として確立している。このプラマーナの意義や適用の仕方はダルマキールティとは異なっている。本稿で扱う因果関係と常、無常なる実在の自性に関して勝義として能遍(因果関係)の否定により所遍(実在の自性)の否定(無自性)を論理的必然関係として論じ、他方、対論者の実在を論じる推論は能遍の確定により所遍を確定するという過ちを犯している、なぜなら実在の自性が成立しなくとも因果関係はあり得る故、反所証拒斥検証が成立せず不定因であると退けている。またカマラシーラはプラマーナに段階的に限定された整合性を設け二諦説を設定する基準としている。カマラシーラダルマキールティ
著者
森山 清徹
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.80, pp.15-34, 1996-03

本稿は,Santideva(c.650-700) のBodhicaryavatara(BCA)及びそれに対するPrajnakaramati(11c)の注釈(panjika)(BCAP)より,唯識派の自己認識(svasamvedana)の理論に対する批判部分の検証と和訳である。Santidevaの自己認識批判は, Candrakirti(c.600-650)の自己認識批判の単なる反復ではなく,彼独自の新理論の展開をも示すものである。つまり, Candrakirtiは,ミーマーンサ一学派のKumarliaによるDignagaの自己認識の理論一量,所量,量果の同体論―に対する批判を受けDignagaを批判したのであるが,Santidevaは,Dharrnakirti(c.600-650) の自己認識の理論をも批判している。自己認識批判シャーンティデーヴァプラジュニャーカラマティディグナーガダルマキールティ
著者
坪内 逍遥 坂井 健
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.95, pp.21-30, 2011-03
著者
橘髙 眞一郎
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 = Journal of the Faculty of Letters (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.101, pp.65-86, 2017-03

日本の英語教育では、話法(speech)に関しては、直接話法(directspeech)と間接話法(indirectspeech)が主に教えられ、物語(narrative)の地の文との区別が困難である自由間接話法(freeindirectspeech)は、超難関大学の入試問題などでしかお目にかかれない難解な話法として積極的に扱われていない。しかし、英語文学作品の中に頻繁に出現する自由間接話法は文学鑑賞の要で、日本人英語学習者には自由間接話法の一大特徴である「遠隔化された近接性」(displacedimmediacy)の示す標識(indicators)に注意を払い、その中で共鳴する二重の声(dualvoice:narrator'svoiceandcharacter'svoice)を聞きわける努力が要求される。本稿では英語小説に現れる自由間接話法の異質性、心的処理(mentalprocessing)、およびそれがもたらす文脈効果(contextualeffect)について考察する。FISの標識二重の声遠隔化された近接性FISの心的処理文脈効果
著者
真田 康道
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.79, pp.p21-40, 1995-03
著者
荒木 猛
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
vol.102, pp.43-58, 2018-03-01 (Released:2018-04-11)

明代に現れた神怪小説の代表作に、『西遊記』と『封神演義』がある。この両作品はいろんな点で類似するが、中でも注目されるのは、作中に挿入された詩詞に共通するものが少なからず見られることである。このことは、いずれかが原作で、いずれかがそれを借用した為と考えられる。拙論では、ストーリィの展開の中で、挿入された当該詩詞の妥当性を検討した結果、『西遊記』中の詩詞が原作で、『封神演義』のそれはそれを借用したものであるとの結論に達した。 神怪小説 『西遊記』 『封神演義』 成立時代
著者
原田 敬一
出版者
佛教大学文学部
雑誌
文学部論集 (ISSN:09189416)
巻号頁・発行日
no.91, pp.31-51, 2007-03

戦没者追悼のあり方を考える上で、戦没者の埋葬がどのように行われているのか、は日本ではあまり問題にしないが、欧米では大問題である。大問題となったのは、UKのプーア戦争、独・仏の普仏戦争あたりからだから、ヨーロツパでは100年以上の歴史がある。それは「戦争文化」とも言える。フランクフルト条約で、相互に戦争墓地を尊敬し、維持することを取り決め、以後その形式は継承されている。戦没者追悼戦争墓地戦争文化ドイツ戦争墓地維持国民同盟