著者
木村 好美
出版者
奈良女子大学
雑誌
人間形成と文化 : 奈良女子大学文学部教育文化情報学講座年報 (ISSN:13429817)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.83-93, 1999

This paper is an attempt at elucidating how contemporary yobikoes have attained their nationwide development, and how they have improved their capabilities of information gathering and provision, through focusing upon their relations with a reform in the system of entrance examinations, and with some changes in our social organization. What our research has shown could be summarized in three respects : 1.The foundations of yobikoes' recent development were already laid in the Taisho era and at the beginning of Showa era. 2. Postwar Japan saw a structural change in its working population owing to industrialization, an amelioration of the income standard because of some waves of prosperity, and therefore a growing population reaching higher education. Keeping step with such a trend, yobikoes entered a "high-growth period". For example, in 1965,some yobikoes undertook the diversification of their business; hence, they began to intensify their character of an industry. 3. It was the introduction of the Nationwide Common Preliminary to Entrance (Joint First Stage Achievement Test) that became the chief incentive for yobikoes to their inaugurate countrywide development and improved their capabilities of information gathering and provision.
著者
西谷 敬
出版者
奈良女子大学
雑誌
人間形成と文化 : 奈良女子大学文学部教育文化情報学講座年報 (ISSN:13429817)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.1-30, 1997

日本の急速な近代化には,さまざまの限界がみられた。制度,機械,道具,衣装など外観は文明化されたけれども,西洋文明の精神を導入することには成功しなかった。単なる外観でなしに,西洋の精神を国民に伝えて,国民を近代的国民国家の担い手にしょうとする啓蒙主義の思想家が明治初期に登場した。一般に「洋学者」といわれた彼らは,「明六社」という団体を作って活動した。その中で代表的人物は,福沢諭吉と森有礼である。この明六社は長続きしなかったし,彼らはその後,経歴においても思想においても異なった道をたどることになる。明六社の時代後十年ほどして,若い世代の代表者として徳富蘇峰が「平民主義」といわれる啓蒙主義の運動を行ったが,それも長く続かなかった。これら啓蒙思想家は,皆ナショナリストであり,日本が近代的国民国家として発展していくために,西洋文明の精神を国民に伝え,それによって国民の従来のような無気力,卑屈,無責任を改めて,国民の気力,自主的活動,エネルギーをかき立てようとした。彼らは,士族ないし中産階級に訴えて,啓蒙活動を行おうとした。しかし国家の独立という当初のナショナリズムの課題より,天皇中心の国権の伸張,国家の膨張が重視されるナショナリズムが盛んになるにつれて,啓蒙主義も力を失った。このことは,啓蒙主義の思想家の変質とともに,啓蒙主義を部分的にしか受け入れなかった日本の国民,士族のエートスの限界として理解されうる。つまり啓蒙主義を通じて,ナショナリズムにつながる勤勉,堅忍不抜,義務などが教えられ,国民に受け容れられたけれども,近代人の特質をなす自主独立,寛容,個性などは定着しなかった。このことは,ナショナリズムに方向づけられた啓蒙主義の当初の目的を達成できなかったことを意味するので,啓蒙主義の挫折ということができる。これら啓蒙主義の問題を上記の三人の思想家について論じることとする。福沢諭吉は,終始啓蒙主義の思想家として活動した。彼は,ジャーナリストとして,また慶応義塾を通じて社会に大きな影響を与えた。彼の思想の理論的基礎をなし,主著と称せられる『文明論の概略』(1875)を中心に彼の思想を論じる。彼は,「権力の偏重」が西洋文明と異なる日本文明の特色であるとして,それを改善しようとして,西洋文明に学んで国民個人の独立を達成しようとした。文明を人々の「知徳の進歩」と規定した彼は,知識と道徳の両方が文明に備わっていることを主張したが,なかでも進歩の基礎として知識を重視した。彼は知識として,一方では物理学とその方法を取り入れようとしながら,他方では物事の軽重,時と場所の適切さを判断する智恵をあげている。両者の関係について彼は暖昧さを残しているが,両者があいまって個人の精神的独立が可能となる。彼が終始強調した独立の精神は,しかし国民に受け容られないままであった。彼が後にナショナリズムを強調し,政治的に保守化したことは別として,彼の主知主義,個人主義は国民のエートスとして作用することはなかったという点において,彼の啓蒙主義は挫折した。私人として活動した福沢に対して,森は官僚,外交官として活躍した。彼は初期に自由主義者,個人主義者として啓蒙主義の活動を行ったが,後に文部官僚として教育制度を整備したときには,国家主義者,専制主義者であるとみられる。彼の思想的立場をどのように見るかについて,研究者の意見は分かれているが,筆者は彼が終始国家中心主義者であり,合理的社会観,国家観を取った点では一貫していると考える。彼は,啓蒙主義者として,国家の機能の限界を認め,相互扶助による社会生活と道徳を説いたけれども,他方では兵式体操をもってする教育を通じて国民に強制的に規律と忠君愛国の精神を注入しようとした。これによって従順で威儀を正した国民は生まれるかもしれないが,彼が社会の基礎として重視した友愛,相互扶助は育たない。このように彼の主張の中に目的と手段の朗齬がみられ,また彼は強制的な規律を主張したことによって,彼は啓蒙主義から背馳しただけでなく,思想家として問題がある。徳富蘇峰はその出世作『新日本の青年』(1887)において当時の教育主義を,復古主義,偏知主義,折衷主義として批判した。儒教の復活を願う復古主義は論外として,福沢に代表される偏知主義を彼は実用主義,同調主義であると非難した。折衷主義は,「西洋芸術(技術)東洋道徳」を説くもので,知徳兼備を主張する点では尤もであるが,西洋の学問を取り入れたなら,道徳も西洋の道徳を取り入れなければならないと彼は論じた。彼は詳論しなかったが,自主独立,寛容,勤勉などの西洋市民社会の道徳を彼は導入しようとした。しかし彼が訴えかけようとした青年と平民,中産階級は,彼の主張に背を向け,国家依存と立身出世主義に走った。その中で彼自身,日清戦争を契機として思
著者
西谷 敬
出版者
奈良女子大学
雑誌
人間形成と文化 : 奈良女子大学文学部教育文化情報学講座年報 (ISSN:13429817)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.25-37, 1999

福沢諭吉は,日本の啓蒙主義を代表する思想家であり,西洋の文明を日本に紹介して,日本を西洋化し,近代化しようと努力した。彼の活動はしかしそれにとどまらず,西洋の思想に基づいて彼独自の思想を展開するに至った。彼の思想家,著作家,ジャーナリスト,教育者としての活動は,明治時代の大半に及ぶが,啓蒙思想家としての活動の頂点をなすのは,明治初年であり,彼の代表作である『文明論の概略』は1875年(明治8年)に出版された。彼は比較文明論を展開することによって,西洋文明をモデルとして,日本の文明を批判し,「半開」の段階にある日本の文明を批判し,日本を近代化しようとした。そのために西洋の文物を輸入することより,むしろ西洋文明の精神を取り入れることが肝要であることを彼は主張した。彼は,文明を人民の知徳の進歩として把握し,知と徳について説明している。彼は,道徳が人間の内面に関わる限りにおいて,私徳に帰着し,道徳を身につけることは個人の性情によるものであり,また道徳の内容は時と場所を選ばず,変化しないと考えた。これに対して知識は日々進歩し,変化しているが,広く通用し,伝達可能であるとされた。彼は,科学的知識なかんずく物理学を重視し,それを社会に適用しようとした。彼は,近因と遠因を区別し,法則的連関に従う遠因に注意を向けるべきであることを主張した。彼はまた自立的に軽重を判断する能力,智恵を重視したが,これは彼が強調した自主独立の精神の要素となるものである。彼は,西洋文明を特色づける要素として,物理学と精神の独立をあげて,これらを日本に導入することが彼の啓蒙主義の課題であった。その障害になるのは,マックス・ヴェーバーのいう伝統主義であり,福沢はそれを「惑溺」の精神として批判した。この精神を育成したのが,儒教であり,彼は,儒教の内容そのものよりも,イデオロギーとして,すなわち伝統主義的,階層的,支配者的教えとして儒教を徹底的に批判した。また西洋における自由,平等に対して,日本においては,対政府だけでなく,社会の至る所において権力の不均衡が見られることを彼は批判した。彼は,日本のこれらの伝統を破壊し,新しい精神を導入することによって思想の全面的革新をはかったということができる。他方福沢は,日本の伝統に依拠して日本の近代化を促進しようとしたということができる。まず第一に彼は,社会の基盤となる中産階級として,士族をあげている。彼は国の独立は国民の独立に依存すると考えて,国民の啓蒙をはかったが,1870年代になって平民に期待を寄せなくなったとともに,士族の活発さ,責任感,視野の広さによって産業が促進されることを期待した。士族は,福沢によって否定された封建的,階層的社会の担い手であったが,変化した状況の下で国家と産業の担い手になるとされたのであるσまた福沢は,この世界を過ぎ去りゆく浮世として見,また人間をつまらないウジ虫のように把握している。この思想は,仏教に近いが,彼は同時に社会に対して働きかけ,人間としての義務を果たすことの重要性を説いている。このような態度は,士道(武士道)の教えに親近的であることに注意しなければならない。なぜなら武士は,常に死を覚悟して,生に執着しないように教えられた。同時に彼は全力を尽くして忠誠,節約,勤勉などの義務を果たすように諭されたのである。このように生に対する態度が対立している中で,人間にとって生の意義が示される。彼の思想は,この点で日本の伝統に根ざしているが,それだけではない。というのは世界に対してこのように分裂,矛盾したあり方は,トーマス・ネーゲルが「不条理性」の論文の中で展開したように,人間にとって不可避的窮状であるということができる。福沢もこの事態に気づき,ネーゲルとは少々異なった仕方でこの問題に答えを与えようとしている。福沢はまた,実学を推奨し,経済活動の(国家的,道徳的)意義を人々,とくに士族に説くことによって,日本の資本主義の発展に大いなる貢献をなした。この点でも,彼は思想の革新を成し遂げた。というのは武士の伝統では,経済活動は卑しい,武士に無関係なものとみなされていたからである。彼は,国民の独立があって国の独立のあることを説いて個人の経済的独立が国家の繁栄に寄与することを論じて,実業を促進した。その際に彼は勤勉,忠誠といった武士の精神,つまり日本の伝統に訴えかけた。他方,精神の独立はいかに彼が力説しても,日本に定着することはなかった。これは日本の同調主義的,情緒的,審美的伝統に根ざしていないからだと考えられる。
著者
片山 紀子
出版者
奈良女子大学
雑誌
人間形成と文化 : 奈良女子大学文学部教育文化情報学講座年報 (ISSN:13429817)
巻号頁・発行日
vol.4, pp.115-126, 2000

In the West, historically in the context of education the corporal punishment has been used heavily. On this point, the situation in America was the same. However, the movement that many states of America prohibited corporal punishment appeared after 1980'. Yet, most of them are northern states, and the school corporal punishment remains in the south even now. The subject of this research is to clarify this reason. As a result of my study, the following reasons are conceivable. 1.The religious background; Above all, the existence of Fundamentalist is strong factor. They believe Christian Bible strictly and many of them live in the south. Therefore, southern area is called "Bible Belt" They are known to be conservative with discipline and like corporal punishment more to discipline a child than others. 2. The influence of the social structure ; The social structure of the southern states is different from the northern states. Including the slavery system, the social structure in the southern states has great influence on the education, the economic activities and the sense of values among people. By the unique social structure of the southern states, the corporal punishment is maintained to be used. 3. The ethos of the southern states ; It is unable to limit the basis of the corporal punishment that continues in the southern states only to these independent factors, such as the religion and social structure. Because they are mutually related factors, and form a/the particular southern ethos . I argue that the corporal punishment continued in the southern states is sustained by the ethos of the people in the south. As for our country, though the corporal punishment in school is legally prohibited, it continues even now. Thus, it may be possible to say that the ethos which allows the corporal punishment also exists in Japan even now.
著者
山田 朋子
出版者
奈良女子大学
雑誌
人間形成と文化 : 奈良女子大学文学部教育文化情報学講座年報 (ISSN:13429817)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.123-137, 1996

The purposes of this paper are grouping of a pattern of a shift of upper secondary schools of the postwar Japan, and the analysis. This paper is a part of investigations of a role or a function of upper secondary schools of the present. In first the beginning, I must examine about the situation of a shift of the whole country from old system to new one. The problem which next I should consider is grouping of the shift. Those is classified into 5 types. Akita, Ibaragi, Shimane, Shiga, and Kagoshima prefectures are these paradigms. Moreover those paradigms should be examined by details. From these results, a conclusion which upper secondary schools were made various forms is found out. And what brought those difference was left as problem of not having solved. I intend to solve this problem in future.
著者
浅岡 雅子
出版者
奈良女子大学
雑誌
人間形成と文化 : 奈良女子大学文学部教育文化情報学講座年報 (ISSN:13429817)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.221-234, 1999

In this paper, I intended to emphasize the importance of general education in high school. The reform of education is being progressed for the coming 21st century. This reform is undertaking according to the conception of "Individualization". For the sake of this conception, general education in high school loses its part among the curriculum. I think that this tendency will fall the uniformity of high school and fail to form "culture" of students Because general education is thought to bring them culture". S.Katsuta described that "culture" is certain to attain "total development". "Total development" is connected to not only the intellectual development but also the development of the human feeling and morality. So he insisted that general education must be made much of rather than the vocatinal education in high school. For this reason I think that general education is indispensable for the high school education and youth education.
著者
濱崎 要子
出版者
奈良女子大学
雑誌
人間形成と文化 : 奈良女子大学文学部教育文化情報学講座年報 (ISSN:13429817)
巻号頁・発行日
vol.1, pp.85-108, 1996

The purpose of this paper is to summarize man s relation to technical culture in "Soji". "Soji" was written by Chuang-tzu from about 400 B.C. to about 300 B.C. and was edited his works by Ka Kusho in the period of about A.D. 400 in China. We think about how the view of Taoistic labour builds up our character as one way to seek after the truth. This paper is organized as follows : 1 Introduction 2 Methods of dividing work 3 The problem that the labour is estranged from the human nature 4 The problem that a story of a sweep-well bucket indicates 1) The view of Taoistic labour 2) The formation of occupational view 3) The meaning of Tao 4) "The Tao of Chaotic being" and the formation of human-beings 5 The comparative significance the Taoism with the Confucianism 6 We draw four educational problems from a story of a sweep-well bucket. 1) The view of labour as the religious austerities 2) The view of labour as the consciousness of the humanity 3) The view of labour as the life 4) The view of labour as the formation of human-beings Part I We explain the process of a story of a sweep-well bucket. There are five problems that the old farmer talks to one pupil of K'ung Ch'iu as the reason for his working without any machine. One is that when human beings works with a machine, he depends his labour on a maschine. Two is that when human beings depends his labour on a maschine, he depends his mind on a maschime. Three is that when human beings depends his mind on a maschine, he loses his human nature. Four is that when human beings loses his human nature, he loses his miraculous activities of life. Five is that when human beings loses his miraculous activities of life, he loses the Tao. K'ung Ch'iu heard this story from his pupil, he expounded that "The Tao of Chaotic being" was the great truth of the universe and the old farmer did not cultivate his moral sense. Part 2 Division of work is the aim of increasing the product power of labour according to Adam Smith. The technical division with making labour easy and omit is one method of the division of work. Another method is that divides suitably the work to labour. The division of work produces results of the estranged labour and the religious relief. The view of Taoistic labour is one of religious relieves. Part 3 We compare the view of estranged labour formulated in the theory of Karl Marx with the teachings stated by the old farmer. As a result, we draw four educational problems from comparative views. Part 4 The view of Taoistic labour is that we mind our own business throughout the every daily life. By working away at the daily labour, we recognize the unconscious humanity as the Tao. The meaning of Tao is the inactive nature. "The Tao of Chaotic being" is the great truth of the universe and it builds up our character on way to the Chaotic human-being. Part 5 In the beginning of Taoism, Taoist avoids the daily labour. But, as that Confucianism is popularized on the daily life, Taoist attaches importance to the daily labour. K'ung Ch'iu admires "The Tao of Chaotic being" as the great truth of the universe. The Taoism comes down to the present age as a result of including the Confucianism in it. Part 6 We draw four educational problems from a story of a sweep-well bucket. 1) The view of labour as the relagious austerities The labour means to practice the religious austerities. Because human beings is able to recognize the meaning of Tao when he puts his life in his work. By working with might and main, he combines himself with the formation of Tao and builds up his character. 2) The view of labour as the consciousness of the humanity Human beings is conscious of the true humanity during the labour. The labour is the best humanitic activity of all human actions. If human being recognized "The Tao of Chaotic being", he could work with the freedom from all earthly ties. The labour is one human nature. 3) The view of labour as the life. We live for the work, do not work for life. The labour