著者
川島 重成
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.45, pp.1-25, 2014-03-31

ソポクレスの悲劇『オイディプス王』(前429 年頃)と『コロノスのオイディプス』(前406 年、ただし前401 年上演)において、オイディプスは<時>をどのように生きたか。 『オイディプス王』1213-1215 行を、筆者はKamerbeek の注解に示唆されて、岡道男訳を修正して、次のように訳する。 望まぬあなたを見出した、すべてを見ている<時>が、 生む者と生まれる者が等しい 結婚ならぬ結婚を(<時>は)かねてより裁いてきたのだ。これはオイディプスが自らの真実を知って走り去った直後、コロスがうたう歌の一節である。オイディプスがこのドラマ以前(の<時>)に犯し、知らずしてその中に生きてきた穢れを、<時>がここで暴露した。一方<時>はオイディプスを、「かねてより」、つまり彼が「結婚ならぬ結婚」という無秩序に陥って以来、「裁いてきた」と解せる。ただオイディプスはそのことに気付いていなかった。それをこのドラマの中で気付かされたのである。この「発見」を、いわば<時>の行為として言い換えたのが、「[……]あなたを見出した、すべてを見ている<時>が」である。詩人はオイディプスの自己発見がそのまま<時>による発見でもあると見ている。ここに人間ドラマが同時に神的ドラマであるギリシア悲劇の真骨頂がある。 『コロノスのオイディプス』の冒頭、娘アンティゴネに手を引かれて登場する盲目の老オイディプスは、次のように言う。「わたしには、ひとつには度重なる苦労が、また長い伴侶の歳月が、それにさらに加えて/持って生れた貴い天性が、辛抱ということを教えてくれる」(引地正俊訳)。かつて<時>がオイディプスの真実を「見出した」。そのとき以来の彼の歩みは、その<時>=運命を伴侶とする新しい生であった。上の引用で「辛抱」と訳されているギリシア語(ステルゲイン)は「運命の甘受」を含意する。この老オイディプスは、その流浪の果てに、ついに彼の生涯の終りを託することのできる高貴な人物、アテナイ王テセウスに出会い、<時>と歩みをともにしてきた者の権威によって、「万物を征服する<時>」の法則を語り聞かせる(607-620)。そして彼の最期を知らせる雷鳴が轟くなか、人間の、とりわけ政治的世界の常である「ヒュブリス」(高慢)に陥らないようにとの誡めを語る。 このソポクレスの遺作悲劇が創作されていたとき、アテナイはペロポネソス戦争の末期、スパルタの軍門に下る敗戦前夜にあった。ソポクレスがオイディプスとテセウスの美しい信頼関係によって象徴させたアテナイのあるべき姿とは、戦争の帰趨や政治的権力や富の離合集散とは別の世界で成立する、まさに「歳月によって害なわれることなく秘蔵されるべきもの」(1519)、すなわち人類の人文的理想としてのアテナイであった、と解せよう。 人文学の本来の道とは、いわばこのオイディプスの生涯が象徴するものを、私たちの経験として反復することによって獲ちとり、維持されていくべきものであろう。 オイディプスの生涯が象徴する古典ギリシア文化がその指導的役割を終えた紀元後一世紀、同じ地中海世界の片隅に、ヨーロッパ文化のもう一つの源泉となる精神が立ち現れた。本講演では新約聖書からただ一箇所ロマ書8 章18-25 節を取りあげる。そこで語られるパウロの神――万物を虚無に服せしめる神(20節)――は、人間、そして全被造物の視点から見る限り、オイディプスを理不尽にも外から操ったあの<時>=運命と代らないように見える。オイディプスはその<時>とともに歩むことによって、ある意味で彼の運命を克服した。しかしこれは限りなく厳しい道ではなかろうか。一方ロマ書8 章は、万物を虚無に服せしめた創造の神は、同時に万物の救いの希望であると語る(23-25 節)。思うに私たちが今日人文学の未来への希望を語りうるとすれば、パウロの「望みえないのに、なお望む」という、この希望の上に、あのギリシアの理想を生かす道しかないのではなかろうか。これはまた本研究所ICCの創設の理想とも密接に関わっている。
著者
森本 あんり
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.42, pp.165-186, 2011-03-31

ニューイングランド社会は、本国で既存の体制に対する異議申立者だった人々がみずから体制の建設者となったという点で、またその建設の課題が政治体制と宗教体制との両方であったという点で、特筆すべき歴史的実験であった。その建設の途上では、バプテストやクエーカーに対する不寛容な一面が見られた。彼らの不寛容を現代の倫理感覚で批判することはたやすいが、本稿ではその不寛容に内在する論理を尋ね、これを本来の文脈の中で理解することを試みた。 アメリカにわたったピューリタンは、教会の設立ばかりでなく市民社会の設立に際しても、参加者全員による契約を求めた。コトンやウィリアムズは、世俗的であれ宗教的であれ権力はすべて民衆に由来すると論じており、ウィンスロップや植民地政府の特許状は、この原則に基づいて建設される社会が「閉じた集団」であることを明記している。地縁血縁を脱して自発的意志による社会を構成するというヴォランタリー・アソシエーションの原理は、ひとまずは閉鎖的な私的共同体を結果する。 さらにここには、中世的な寛容理解が前提されている。中世後期の教会法によれば、寛容とは相手を否定的に評価した上で「是認はしないが容認する」という態度を取ることであった。寛容は善でも徳でもなく、その対象は「より小さな悪」に他ならない。中世社会でこの意味における寛容の典型的な対象となったのは、売春とユダヤ教であった。 ニューイングランドでもこの理解が踏襲されている。教会と社会を自己の理念に則って新たに建設するという課題を前にした彼らは、異なる思想をもつ人々を受け入れる必要がなかったので、比較考量の上で当然のごとく不寛容になった。必要に迫られていないのに寛容になることは、真理への無関心であり誤謬の奨励である、と考えられていたからである。かくして中世社会とニューイングランド社会は、同じ中世的な寛容理解の評価軸に沿って、一方は寛容に、他方は不寛容になった。 だが、やがて変化が訪れる。1681 年にインクリース・マザーは、寛容が「必要な義務」ではあるが、「大きな船をバラストするのに必要なものは小さな船を沈没させてしまう」と記している。この発言には、なお消極的な態度ながら、実利を越えた原理的な善としての寛容理解が芽生えている。かかる変化の背景には、王政復古後の本国からの圧力という外在的な原因と、彼ら自身の世代交代という内在的な原因があった。かくして、「ゼクテ」として出発したニューイングランド社会は、ひとたび断念した普遍性を再び志向するようになり、人々の公的な社会参加を求める「共和国」となっていった。やがてアメリカは、寛容でなく万人に平等な権利としての「信教の自由」を新国家建設の基盤に据えて出発することになる。
著者
森本 あんり
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.39, pp.1-27, 2008-03-31

「人間に固有なもの (proprium) とは何か」をめぐる連続公開講演の第一回として、人間のもつゆるしの能力について論じた。「過つは人の常」という格言は、ストア派や論語に見られる古典的な人間理解であるが、18世紀のアレグザンダー・ポープはこれに「ゆるすは神の常」という対句をつけた。この定式では、ゆるしは神の側に配置され、人間がゆるしの主体となることが不明瞭になっている。キリスト教神学の伝統でも、ゆるしはしばしば神の業として論じられ、人間が人間にゆるしを求めて与える水平次元の欠落が批判されてきた。しかし、イエスは新約聖書においてゆるしを人間の能力として語っており、中世の神秘主義思想、ニーチェのルサンチマン論、現代のデリダらは、ゆるしの原理的な不可能性を語っている。これらの議論をふまえた上で、本稿はトマス・アクィナスの「等価的代償」(aequivalens satisfactio) と「充足的代償」(sufficienssatisfactio) との区別を援用し、ゆるしが正義や償いを前提としつつも最終的にはそれらに依存しないことを論じた。ゆるしは、「分析判断」ではなく、算術的な正義を越えた「総合判断」である。本連続講演の主題に照らして言えば、ゆるしは、被害者のみが与えることのできる「上積みされた贈与」(for-give) であり、代価なしに (gratis) 与えられる恩恵であり、ゆるさないことが当然かつ正当である状況のなかで、その状況に抗して行使される人間の自由の表現である。つまり、ゆるしは、人間の人間的であることがもっとも明瞭に輝く瞬間である。このことの具体例として、本稿はふたつの事例を挙げた。ひとつは、米国議会の謝罪要求決議により再浮上した日本軍の従軍慰安婦問題における発言であり、いまひとつは、1981年に米国で起きたKKKの黒人惨殺事件の民事裁判判決における出来事である。いずれの事例でも、正義の完全な復元が不可能なところで、トマスの言う「充足的代償」が浮き彫りにされている。なお、ゆるしの実現には、加害者と被害者の間で「謝罪」と「ゆるし」の交換がなされなければならないが、これは内心において先に成立したゆるしの現実に、公の外的な表現を与えるための儀式である。それはちょうど、戦争の終結によってもたらされた事実上 de facto の平和状態に、平和条約の締結が法律上の de iure 正当性を付与してこれを追認するのに等しい。だからゆるしは過去形ないし完了形で語られるのである。ゆるしは、この意味で再解釈すると、「あらかじめ与えること」(fore-give) である。「過去を変える力」として、人間にこのようなゆるしの可能性がなお残されているという事実に、「神の像」たる人間に固有の本来的な自由と尊厳 (proprium) がある。
著者
三枝 まり
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.44, pp.57-84, 2013-03-31

本稿は、今年(2013 年)、生誕110 年を迎える諸井三郎の作曲活動の土台となったスルヤの時代に光を当て、初期創作の課題と、創作思想を取り上げて、ヨーロッパの古典的な形式受容を第一の課題としたとされる諸井の創作の根源を明らかにするものである。 諸井は戦前から創作を手掛け、当時から脚光を浴びていたものの、戦前の日本の作曲家の中で彼がどのような存在であったのかは十分に考察されていない。しかし、諸井の門下からは、尾崎宗吉、戸田邦雄、入野義郎、柴田南雄、団伊玖麿、神良聰夫ら日本に12 音技法を導入した作曲家たちが輩出され、今日の音楽文化の背景には、諸井の創作活動・教育活動に連なる系譜が続いている。諸井は近代日本音楽史を考える上で欠かすことのできない存在であると言える。そこで、本稿では、比較的作品の所在が数多く確認できるとくに歌曲に焦点を絞り、彼がこの時期に試みた作曲様式について考察し、彼の創作の原点を探った。 諸井三郎は、日本におけるドイツ音楽の領袖として知られるが、スルヤ時代は彼にとって試行錯誤の時代であり、近代フランス音楽やグリーグ、スクリャービンらの音楽も受容している。彼はスルヤ時代に頌歌「クリシュナムルティ」(1928)など宗教的な題材による作品を含めて、17 曲もの声楽曲を残している。これらの作品において諸井は、日本語の詩の音の数にあわせたリズムを導入したほか、形式に捉われない象徴主義的な作品や、半音階的書法や朗誦風のレチタティーヴォ、機能性を曖昧にした和音使用した作品などを残し、渡独前のスルヤ時代に様々な実験的な試みを行ったことが明らかになった。
著者
川島 重成
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.46, pp.169-205, 2015-03-31

「戦さは男の仕事、このイリオスに生を享けた男たちの皆に、とりわけてわたしにそれは任せておけばよい。(6. 492-3)」――これはヘクトルが妻アンドロマケに、「機を織れ」と勧告した直後に発したあまりにも有名なセリフである。機を織るのは女性の典型的な仕事であり、戦さは男性に課せられた固有の役目だというのである。しかし『イリアス』第6 歌の有名な「ヘクトルとアンドロマケの語らい」の場をつぶさに観察するに、二人のありようは男と女の硬直した関係に終始しているとは言い難い。ヘクトルの世界はアンドロマケによって、そして彼女に先立ち、ヘカベとヘレネ(とパリス)によっても、つまり女性的なるものによって次第に影響され、浸潤されてゆくように思われる。 二人の出会いの場は、男の世界と女の世界の境界線たるトロイア城のスカイア門である。アンドロマケは「万一あなたを失うことになったら、墓の下に入る方がずっとましだとわたしは思っています(6. 410-1)」と夫に迫る。他方ヘクトルは常に第一線で戦えと教えられてきたという。ヘクトルの言動を支配している名誉と恥の念の背後には、トロイア陥落の日が近いとの予感があった。この運命感、突きつめて言えば、人間は皆死すべき者である、という生の感覚は、女性にも等しくあった。しかしそれに対処する仕方が、男と女では違っていた。 スカイア門でアンドロマケに相対しているヘクトルは、彼女の存在そのものが発する女性固有の内的力に感応したのか、あるいはそれに先立つヘカベ、パリス、特にヘレネとの出会いと折衝に次第に影響されたということもあってか、彼の男性性を規定する恥と名誉を相対化する視点をすでに獲得し始めていた。彼はトロイア陥落後、妻に襲いかかる悲惨を想像し、次のように言う。「わたしはそなたが敵に曳かれながら泣き叫ぶ声を聞くより前に、死んで盛り土の下に埋められたい。(6. 464-5)」この二行は明らかに、上に言及したアンドロマケのあの死の希求(6. 410-1)を受け、それを引き継いだものである。ヘクトルはここで妻に限りなく近く寄りそい、ついに彼女の言葉(女性の言葉)を用いて、彼女の心の琴線に触れたのである。 しかしこの女性的なるものの価値を知り、その魅力に引きつけられるヘクトルは、それだけ一層、その価値の担い手たちの生存をトロイアの男として守るために、「戦は男の仕事」の理念に立ち戻らざるをえない。ヘクトルはこの矛盾を終始生きてゆかねばならなかった。
著者
三枝 まり
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.44, pp.57-84, 2013-03-31

本稿は、今年(2013 年)、生誕110 年を迎える諸井三郎の作曲活動の土台となったスルヤの時代に光を当て、初期創作の課題と、創作思想を取り上げて、ヨーロッパの古典的な形式受容を第一の課題としたとされる諸井の創作の根源を明らかにするものである。 諸井は戦前から創作を手掛け、当時から脚光を浴びていたものの、戦前の日本の作曲家の中で彼がどのような存在であったのかは十分に考察されていない。しかし、諸井の門下からは、尾崎宗吉、戸田邦雄、入野義郎、柴田南雄、団伊玖麿、神良聰夫ら日本に12 音技法を導入した作曲家たちが輩出され、今日の音楽文化の背景には、諸井の創作活動・教育活動に連なる系譜が続いている。諸井は近代日本音楽史を考える上で欠かすことのできない存在であると言える。そこで、本稿では、比較的作品の所在が数多く確認できるとくに歌曲に焦点を絞り、彼がこの時期に試みた作曲様式について考察し、彼の創作の原点を探った。 諸井三郎は、日本におけるドイツ音楽の領袖として知られるが、スルヤ時代は彼にとって試行錯誤の時代であり、近代フランス音楽やグリーグ、スクリャービンらの音楽も受容している。彼はスルヤ時代に頌歌「クリシュナムルティ」(1928)など宗教的な題材による作品を含めて、17 曲もの声楽曲を残している。これらの作品において諸井は、日本語の詩の音の数にあわせたリズムを導入したほか、形式に捉われない象徴主義的な作品や、半音階的書法や朗誦風のレチタティーヴォ、機能性を曖昧にした和音使用した作品などを残し、渡独前のスルヤ時代に様々な実験的な試みを行ったことが明らかになった。
著者
川島 重成
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.39, pp.47-72, 2008-03-31

報復の正義は現代においても未解決の問題である。古代ギリシア人はこの問題にどのように対処したか ―― これを問い直すことで、ギリシア文学における「人間とは何か」を考える。 ギリシア語の〈ディケー〉=正義は、端的に「報復」を意味する。しかも人間社会のみならず、自然界をも貫く原理であり、人間の振舞いを見張る力として女神〈ディケー〉ともなる。 『イリアス』は報ディケー復を内包する名ティーメー誉をめぐる叙事詩である。アキレウスはアガメムノンに対する怒りを募らせ、「ゼウスの名誉」を希求するに至る(第9歌)。この「ゼウスの名誉」は英雄社会の習いとしての名誉=応報観に基づくものでありつつ、同時にそれ以上の何かを指し示している。それが『イリアス』第24歌のトロイア王プリアモスとアキレウスの出会いに結実する。憂いなき神々との対比から生じた、悲惨の中にこそ輝く死すべき人間としての品格を二人の英雄が敵・味方の区別を越えて互いに感嘆しあう―― ここにほとんど奇跡的に「人間に固有のもの」が形をとったのである。 ギリシア悲劇『オレステイア』の第一部『アガメムノン』におけるクリュタイメストラの夫アガメムノン殺害は、『イリアス』では暗黙の前提として受容されていたトロイア戦争の正ディケー義を問う行為であった。復讐が復讐を呼ぶこの悲劇は、ゼウスの正義とアルテミスの正義、男女の在りよう、国家の法と家の血の絆の真向からの対決を描く。〈ディケー〉が孕む深刻な問題 ―― 一方の正義は他方から見れば不正義でありうる、という問題 ――は、人間世界では遂に解決を見ず、第三部『エウメニデス』で、アテナイの裁判制度の縁起にまつわるアテナ女神の英断 (オレステスの無罪判決) を待つしかなかった。これは復讐の女神 (エリニュエス) の恵みの女神 (エウメニデス) への変容 (本質的にはゼウスの変容) を伴なう宇宙大の出来事であった。 このアイスキュロスの壮大な実験は、しかしギリシア文学史ではついに一エピソードに終わった。エウリピデスの『ヒッポリュトス』は、愛の女神アプロディテが純潔の女神アルテミスのみを崇拝する青年ヒッポリュトスに神罰を下す悲劇である。アルテミスはヒッポリュトスを救うことも、彼の悲惨に涙することもない。むしろアプロディテの愛するアドニス殺害を暗示して去っていく。両女神はいわば夏と冬のように自然の秩序=報復の〈ディケー〉の反復を担っている。その神々の世界の円環が閉じた外側で、瀕死のヒッポリュトスと父テセウス ―― アプロディテの代理人とされて息子に呪いをかけた ―― は、過誤の告白と赦しの言葉をかけあう。エウリピデスはギリシアの伝統的な神々の世界の枠組が崩壊した後の時代、やがてキリスト教の福音が種播かれるに至る土壌を、はるかに指さしていた。
著者
村上 陽一郎
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.46, pp.149-167, 2015-03-31

医療技術の高度化に伴い、〈死への道程〉(death ではなくdying)は人為的にかなりな程度引き延ばされるようになった。そこで起る諸問題に対して、倫理的にも、法制上も、正面から向き合う時間のないままに、突出した事例(意図的と偶発的とを問わず)がしばしば起るようになり、対応も後追いの状態が続いている。しかしここ十年ほどの間に、先進圏では、国民的な議論を踏まえて、ラディカルな法整備に舵を切る例が見られるようになってきた。本稿では、そうした諸例に学びながら、日本社会として、どのような選択を行うべきかを考える。
著者
森本 あんり
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.39, pp.1-27, 2008-03-31

「人間に固有なもの (proprium) とは何か」をめぐる連続公開講演の第一回として、人間のもつゆるしの能力について論じた。「過つは人の常」という格言は、ストア派や論語に見られる古典的な人間理解であるが、18世紀のアレグザンダー・ポープはこれに「ゆるすは神の常」という対句をつけた。この定式では、ゆるしは神の側に配置され、人間がゆるしの主体となることが不明瞭になっている。キリスト教神学の伝統でも、ゆるしはしばしば神の業として論じられ、人間が人間にゆるしを求めて与える水平次元の欠落が批判されてきた。しかし、イエスは新約聖書においてゆるしを人間の能力として語っており、中世の神秘主義思想、ニーチェのルサンチマン論、現代のデリダらは、ゆるしの原理的な不可能性を語っている。これらの議論をふまえた上で、本稿はトマス・アクィナスの「等価的代償」(aequivalens satisfactio) と「充足的代償」(sufficienssatisfactio) との区別を援用し、ゆるしが正義や償いを前提としつつも最終的にはそれらに依存しないことを論じた。ゆるしは、「分析判断」ではなく、算術的な正義を越えた「総合判断」である。本連続講演の主題に照らして言えば、ゆるしは、被害者のみが与えることのできる「上積みされた贈与」(for-give) であり、代価なしに (gratis) 与えられる恩恵であり、ゆるさないことが当然かつ正当である状況のなかで、その状況に抗して行使される人間の自由の表現である。つまり、ゆるしは、人間の人間的であることがもっとも明瞭に輝く瞬間である。このことの具体例として、本稿はふたつの事例を挙げた。ひとつは、米国議会の謝罪要求決議により再浮上した日本軍の従軍慰安婦問題における発言であり、いまひとつは、1981年に米国で起きたKKKの黒人惨殺事件の民事裁判判決における出来事である。いずれの事例でも、正義の完全な復元が不可能なところで、トマスの言う「充足的代償」が浮き彫りにされている。なお、ゆるしの実現には、加害者と被害者の間で「謝罪」と「ゆるし」の交換がなされなければならないが、これは内心において先に成立したゆるしの現実に、公の外的な表現を与えるための儀式である。それはちょうど、戦争の終結によってもたらされた事実上 de facto の平和状態に、平和条約の締結が法律上の de iure 正当性を付与してこれを追認するのに等しい。だからゆるしは過去形ないし完了形で語られるのである。ゆるしは、この意味で再解釈すると、「あらかじめ与えること」(fore-give) である。「過去を変える力」として、人間にこのようなゆるしの可能性がなお残されているという事実に、「神の像」たる人間に固有の本来的な自由と尊厳 (proprium) がある。
著者
村上 陽一郎
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.40, pp.31-40, 2009-03-31

The most remarkable difference of a human being from other animalsor particularly mammals is the deficiency of natural repressor of desire orlust. Consequently it needs to accept nomos of its community as therepressor. The transference of nomos from community to its members ismainly realized through language both explicitly and implicitly. Anindividual of homo sapiens can only be a human being by sharing nomos ofits community. It, at the same time, is inherently invested chaos which is a blind energyto develop it to all the possible directions. In other words, nomos introducedin an indivisual plays the role of molding its chaos. It is the strugglesbetween nomos and chaos within an individual that produce a genuinehuman being.
著者
魯 恩碩
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.46, pp.251-279, 2015-03-31

The Mutual Relationships between the Covenant Code,the Deuteronomic Code and the Holiness Codein their Historical Context The dating and the historical background of the Covenant Code (CC)are much debated. CC has long been regarded as the oldest law code inIsraelite history. However, in our view, it would be more appropriate torefrain from using labels such as J, E and JE for the characterization of thepre-priestly Tetrateuch and, accordingly, reconsider the dating andhistorical background of CC. Regarding the final stage of the composition,our contention is that CC derives from Judean society in Persian eraPalestine. The main purpose of this article is to indicate several pieces ofevidence that support this hypothesis. The biblical law codes each reflectthe specific perspectives of the communal networks in Judean society ofPersian era Palestine. Since no subgroup in Palestine occupied anoverpowering position, the law codes were simply juxtaposed, under thepolitical pressure of the Persian empire, in order to shape a document ofconsensus.
著者
田中 敦
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.40, pp.1-29, 2009-03-31

人間に固有なものという課題は「人間の本質」とか「人間性」として理解できるが、それは任意の視点から人間独自の特性を分析し、解明するということ以上の何かを意味している。そうした問題をここでは事実性についての問いとして捉えたいと考える。 そのような場合、解明されるべき人間性は、現代においてどのようになっているかが問題となる。このように考えると、それは今日神に関する解明を目指すのと同じような困難さを孕んでいるように思われる。それが、「神は死んだ。ならば人間性は死んでいないのか?」という題が意味していることである。 ニーチェの言葉「神は死んだ」は、それが語られた当時とは比較にならないほど、今日その衝撃力を失っている。しかし、神はその概念からしても、更に神との関わりに立つ人間にとっても死に得ない存在である。そしてニーチェはまさにそのことを「神は死んだ」と述べた断片の中で明瞭に描き出している。更に、この断片が書かれたのとほぼ同時期に『このようにツァラトゥストラは語った』第一部が書かれたが、その冒頭で、ツァラトゥストラが市場の群集に超人の必要を説く場面は、そのまま死んだ神を探し回る狂った人の場面と同じである。このことはニーチェにとって「神が死んだ」ということは、同時に人間が人間としてはもはや生きていけないこと、人間であること(Menschlichkeit)、人間性も喪失されていることを雄弁に語っているのである。「すべての神々は死んだ。いまやわれわれは、超人が生きんことを欲する」のである。 ニーチェにとって神の死は、したがって人間性の死滅は、単なる一つの可能な解釈ではなく、西洋の歴史を貫く出来事、その意味で避け難い問題として事実性の問題であったといえる。更にニーチェにとってこの問題の解決、欠乏している人間性を到来させるという課題も、言葉による解明という問題ではなく、ここでいう「事実性の問題」として理解されるべきものであった。しかしニーチェ自身はこの事実性の問いの解決を目差す中で、その問いを通常の問いから区別することなく追及しているように思われる。それは答えを求める問いであって、問いを問いとして存在せしめることをしていないのである。神の死の巨大な喪失を、その死が齎したニヒリズムを克服することがどうしても求められねばならないのである。 ところで、ハイデッガーの『ヒューマニズムについての書簡』は、ボーフレの質問「どのようにして『ヒューマニズム』という語にその意味を与え返すか」に答える形で書かれているが、そこでハイデッガーは真正面からこの問いに答えていない。その意味は、何らかの語にその意味を回復させるということは、知的な解明ではない事実性の問いに対しては不十分、不用意であるということであろう。フッサールが語の意味の回復可能性を直観に求めるのに対して、ハイデッガーはそれを存在にあるいは事象との出会いに求めている。事実性の問題は予め「何かとして」意味が既に何かが与えられていることを出発点にとることになる。 しかし、問題は死あるいは喪失という事態である。どのようにすれば「不在の」「喪失された」事象と出会いえるのかという問いである。まさにこの問題こそ、存在忘却という事態の只中で、改めて存在の意味を問うことを敢行したハイデッガーの哲学的探究がなしたことである。つまり、ハイデッガーはまさにそうした事態を形而上学との関係において「克服」ではなく「耐え抜き」と捉えているが、そうした問題こそ、事実性の問いが要求する問いの問い方であるだろう。
著者
Kodama Christine de Larroche
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.46, pp.9-33, 2015-03-31

This is the presentation and analysis of two books written by twopsychoanalysts about Saint-Exupéry’s Le Petit Prince (The Little Prince). Marie-Louise von Franz gave a series of twelve lectures during thewinter semester 1959-60 at the Jung Institute in Zurich on the subject of theeternal youth type. The first eight lectures consisted in an analysis of Saint-Exupéry’s book, the French pilot and writer being presented as a prototypeof The Problem of the Puer Aeternus published in 1970. Eugen Drewermann, a German theologian and psychoanalyst, alsogave his own interpretation of The Little Prince in a book published in 1984without any reference to Franz. After a detailed presentation of each book,the two psychoanalytical interpretations are compared. A quick overviewof La Sagesse du Petit Prince (The Wisdom of the Little Prince) by thepsychologist Pierre Lassus, published in 2014 shows, by contrast, thedepth and perspicacity of the two psychoanalytic readings complementingeach other and offering a new perspective on Saint-Exupéry himself andhis most famous work.
著者
Yajima Naoki
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:24346861)
巻号頁・発行日
no.51, pp.77-92, 2019-12-15

This paper discusses Hume’s Conceivability Principle, according towhich whatever we conceive is possible, at least in a metaphysical sense.Although this principle is not thoroughly argued by commentators,Hume relies on this principle in almost all significant arguments of hismetaphysics. The principle is involved in the crucial relationship betweenmind and reality of modern philosophy. Therefore, it is possible to find arelevant counterargument of this principle in metaphysics from Descartesto Berkeley. This paper focuses narrowly on the comparison betweenHume vis Descartes, and Hume vis Spinoza, and elucidates that Hume’sinnovation of this principle intends the transformation of the concept ofnecessity, and development of the concept of probability. This paper alsooffers a possible solution to a famous interpretative problem regarding therelationship between what is inconceivable and impossibility, and with it, thefundamental character of Hume’s empiricism and scepticism will be clarified.This paper thus aims to be a preliminary consideration for clarifying theintricate connection between the Conceivability Principle and Hume’s entiremetaphysics.
著者
金澤 正剛
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.40, pp.41-54, 2009-03-31

Why Does Music Exist? Why does music exist? Different from other animals, the human beingshave natural nature to think and to express themselves by various means.One of such means is the language, but if they cannot use the language, theytry to express themselves by movements of their bodies, or by using colors,shapes or sounds. They also have natural nature to pursue and honor thebeauty and therefore try to express themselves in a way that they believe themost beautiful expression. As a result they have produced the literature bymeans of language, the dance and the drama by movements of bodies, thefine arts by means of shapes and colors, and the music by means of sounds.These are essential elements to their lives. One can perhaps define the music as “aesthetic expression by means ofsounds,” but the problem is whether there is the general consensus of whatis beautiful. What is considered beautiful by some people may be felt uglyby others. As a result there are a variety of musical expressions in the worldand each nation has its own music. In Europe the musical tradition goesback to Christian chants, of which the oldest is singing of the psalms, thecustom that Christianity inherited from Judaism. The most important ofearly Christian chants is the Roman chant, better known as Gregorian chant,which has become the starting point of later European music, both sacredand secular. As specific examples the speaker wishes here to demonstrateeight different reciting tones of Psalm 110 (or Psalm 109 in Latin), theLutheran chorale “Christ lag in Todesbanden” and Bach’s cantata based onthe chorale, and a performance of a popular pianist based on a Gregorianmelody.
著者
矢嶋 直規
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.46, pp.281-301, 2015-03-31

スピノザは彼以降の西洋近代哲学の展開に大きな影響を与えた哲学者である。ヒュームの哲学もまたスピノザの影響を受けて成立した体系の一つである。スピノザとヒュームに共通する最大の主題は「自然」である。両者は、倫理を自然によって基礎づけることを哲学の根本的な目的としていた。ヒュームにとってhuman nature とはいわゆる人間本性ではなく、人間に固有の知覚の連合とそれに基づいて成立する現象の総体としての自然を意味する。ヒュームもスピノザも因果の本質が必然性にあると見なしている。ただしスピノザの必然性が理性により認識されるのに対し、ヒュームの必然性は感覚によって感じられるという違いがある。ヒュームとスピノザの体系の共通点と相違点を理解する上でスピノザの「一般的概念(notiones universales)」とヒュームの「一般観念(general ideas)」の関係を考察することが重要である。スピノザは「一般的概念」を第一種認識に属する想像力の働きに基づく人間の誤謬の源泉として批判している。それに対してヒュームはロックの「抽象観念(abstract ideas)」を批判しながら、一般観念に独自の理解を付与している。とりわけヒュームはロックによる抽象観念を、人間精神の有限性を根拠として批判しており、この点でヒュームとスピノザは共通の認識に基づいている。スピノザは一般的概念を理性による「共通概念(notiones communes)」によって克服し、十全な認識としての第二種認識へと移行する。それに対してヒュームは一般観念に止まりつつ、一般性の拡大によってより妥当な認識が成立していくという観念の自然な発展の理論を提示する。ヒュームの一般観念は習慣から社会的な慣習へと発展することで単に個人的な主観的認識に止まるものではなくなる。スピノザもヒュームもそれぞれの哲学によって他者と協働して幸福を達成する筋道を示そうとする。ただし、スピノザが哲学的認識による理性的主体自身の救いを目的とするのに対してヒュームは一般的認識の成立に基づく共同体全体の安定を目的としている。安定した共同体は富と学芸を生み出し、人間性そのものを発展させる。スピノザとは対照的にヒュームにおいて個人の救いは、個人の理性による哲学的認識にではなく共同体全体の力に委ねられるのである。
著者
川島 重成
出版者
国際基督教大学キリスト教と文化研究所
雑誌
人文科学研究 (キリスト教と文化) = Humanities: Christianity and Culture (ISSN:00733938)
巻号頁・発行日
no.46, pp.169-205, 2015-03-31

「戦さは男の仕事、このイリオスに生を享けた男たちの皆に、とりわけてわたしにそれは任せておけばよい。(6. 492-3)」――これはヘクトルが妻アンドロマケに、「機を織れ」と勧告した直後に発したあまりにも有名なセリフである。機を織るのは女性の典型的な仕事であり、戦さは男性に課せられた固有の役目だというのである。しかし『イリアス』第6 歌の有名な「ヘクトルとアンドロマケの語らい」の場をつぶさに観察するに、二人のありようは男と女の硬直した関係に終始しているとは言い難い。ヘクトルの世界はアンドロマケによって、そして彼女に先立ち、ヘカベとヘレネ(とパリス)によっても、つまり女性的なるものによって次第に影響され、浸潤されてゆくように思われる。 二人の出会いの場は、男の世界と女の世界の境界線たるトロイア城のスカイア門である。アンドロマケは「万一あなたを失うことになったら、墓の下に入る方がずっとましだとわたしは思っています(6. 410-1)」と夫に迫る。他方ヘクトルは常に第一線で戦えと教えられてきたという。ヘクトルの言動を支配している名誉と恥の念の背後には、トロイア陥落の日が近いとの予感があった。この運命感、突きつめて言えば、人間は皆死すべき者である、という生の感覚は、女性にも等しくあった。しかしそれに対処する仕方が、男と女では違っていた。 スカイア門でアンドロマケに相対しているヘクトルは、彼女の存在そのものが発する女性固有の内的力に感応したのか、あるいはそれに先立つヘカベ、パリス、特にヘレネとの出会いと折衝に次第に影響されたということもあってか、彼の男性性を規定する恥と名誉を相対化する視点をすでに獲得し始めていた。彼はトロイア陥落後、妻に襲いかかる悲惨を想像し、次のように言う。「わたしはそなたが敵に曳かれながら泣き叫ぶ声を聞くより前に、死んで盛り土の下に埋められたい。(6. 464-5)」この二行は明らかに、上に言及したアンドロマケのあの死の希求(6. 410-1)を受け、それを引き継いだものである。ヘクトルはここで妻に限りなく近く寄りそい、ついに彼女の言葉(女性の言葉)を用いて、彼女の心の琴線に触れたのである。 しかしこの女性的なるものの価値を知り、その魅力に引きつけられるヘクトルは、それだけ一層、その価値の担い手たちの生存をトロイアの男として守るために、「戦は男の仕事」の理念に立ち戻らざるをえない。ヘクトルはこの矛盾を終始生きてゆかねばならなかった。