著者
荒木 由希 Araki Yuki
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.36, pp.45-61, 2018-09-28

きもの産業はピークの2兆円産業から6分の1にまで縮小している。 本稿はその縮小原因を.先行研究から分析し. (1)生活スタイルの変化,(2)高付加価値化戦略,(3)産業の組織構造の問題の 3点に整理した。 生活スタイルの変化による需要減少に伴い, 生き残りをかけてきもの産業がとった戦略は. 高付加価値戦略, フォ ーマル路線戦略であった。 しかし. いまや消費者のニ ーズ は高級路線から変化している。 それにもかかわらず. きもの業界は, きもの=高級品という図式 に固執し. ますます消費者ニー ズと乖離する「高付加価値化の罠」とも呼ぶぺき状況にある。 本 稿では. ぎもの産業が高付加価値化の罠に陥った理由に,「伝統」という要素が深く関わってい るのではないかという仮説を立てた。 そして先行研究整理を通じ. 生産流通過程において.高級 化路線をもたらす分業システムが硬直的に垂直統合されており, 簡単には変えられず従来の高級 路線に縛られているために, きもの産業が「高付加価値化の罠」から脱却できないとのロジック を析出した。 これはドメスティックな消費慣習に依存して, それを破壊してまで新しい市湯機会 にチャレンジすることを躊躇する日本のものづくり産業全般の業界状況と重なる話である。 こ れまでに各種の対策が提言されているが, 国や自治体の一律的な政策は, 主因である構造的な問 題が未解決のままであり. 現場で機能していないことが多い。 きものを生産する現場は, 日本全 国各地に存在し,その地域と風土を活かしたきもの作りを行っている。そこで,地域特異性を考慮した. きもの産業の構造の再編成の重要性と有効性を,今後の検討課題として整理する。
著者
齊藤 実祥 原田 魁成 寒河江 雅彦 栁原 清子 Saito Misaki Harada Kaisei sagae masahiko Yanagihara Kiyoko
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.36, pp.1-11, 2018-09-28

高齢化が進むにつれて医療・介護の需要と費用が増加することで,地域社会へ与える影響を経済的観点から分析を試みる。具体的には,石川県K市の家族介設者全貝を対象としたアンケート調査を行い.その結果に基づいて,家族介護者の介護離職・転職等の経済損失と貨金換算の推計を行う。また、K市産業連関表を用いた経済波及効果の推計を行う。なお、両推計ではモンテカルロ・シミュレーション分析を用いる。アンケート調査から,要介護・要支援者の平均年齢は83.5歳,家族介護者の平均年齢は64.9歳である。家族介護者の就労状況については,家族介護者の30.8%が介護離職・転職等しており、そのうち介護離職の割合は29.3%で.家族介護者全体の9.0%が介護離職していることが明らかに なった。推計の結果.有業者に対する介護離職・転職等の経済損失額は16.6億円で.介護離職のみでの 経済損失額は4.9低円であった。他方.無業者の介護労働の経済損失は.介護離職・転職等の対 象外となるため.介護労働時間を賃金換算することで推計を行った。無職・専業主婦の介護労働 時間の石川県最低賃金換算額は16.3億円で.石川県介護福祉士平均時給換算額は24.8億円であっ た。また,医療費と介護費の経済波及効果は2014年の433.7億円から2025年の522.5億円に増加する。 それに伴って,K市生産年齢人口における雇用誘発数も2014年の15%から2025年の22%に上昇する。そのため,医療・介護の連携による地域経済波及効果から発生する新たな雇用誘発による約 2,500人の雇用枠を活用し,家族介護者を柔軟に雇用する政策が地域包括ケアの新しい方策案として検討可能である。
著者
久恒 晃代 Hisatsune Akiyo
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.36, pp.97-107, 2018-09-28

ウパニシャッドは, 四つの部門で形成されるヴェ ー ダ文献の最後部であり, ヴェ ーダ思想の集大成に位置づけられる文献である。 加えて, ヒンドゥ ー教の思想の根幹でもあり, 梵我一如や輪廻転生の思想とも深く関わっている。その内容の性質から. 祭式神秘主義と神話の両者から独立した本格的な哲学書と評されることもあった。 そのような哲学害ウパニシャッドにおいて, 神々の性質や神話はどのように変遷をとげていたのか, プラーフマナと同系統の神話を比較すること で明らかにし七いく。まず, 『ジャイミニーヤ ・ プラ ーフマナ』と『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』ではヴァルナ神と息子プリグの物語が記されている。 そこにおいて, ヴァルナの性質のうち水神を除く , 司法神と至高神の要素はウパニシャッドに至ると消失してしまっている。 また.『カタ ・ウパニ シャッド』には『タイッティリ ーヤ ・ プラ ーフマナ』の「ナチケ ー タス物語」と同系統の神話が継承されている。 この両者の比較により, 祭式の重要性を説く内容から,哲学的教義へと変遷し ていることが分かる。このことは,「プリグの物語」でも同様である。従ってウパニシャッドでは, ヴェ ー ダの多くの神々がその性質を消失し, 地位を低下させ, 祭式至上主義から知識の習得に重 きを置く風潮へと推移していた。その一方で, 中性的な哲学的原理プラフマンが男性神プラフマー に神格化し, ウパニシャッド の知識を会得する者であるバラモンが人間の範喀を越える存在にまで昇華している。これらのこ とは, 哲学的思考が大きくはたらくウパニシャッドにおいて,神話的思考も多分に機能している ことを示している。以上のことから, ウパニシャッドは哲学的思考と神話的思考が未分化な状態 にあると言える。
著者
笠井 津加佐 笠井 純一 Kasai Tsukasa Kasai Junichi
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.36, pp.119-135, 2018-09-28

佐藤家史料には, 北陽演舞場で上演された舞踊の舞台下絵が含まれ, その多くは田中良(1884-1974)の制作である。 また少数ではあるが. 田中が佐藤駒次郎へ送った書信も残っている。 北新地(北陽)の経営者にとって田中は, 市村座や花柳舞踊研究会と並ぶ, ネットワ ー クの一員であった。書簡や下絵からは. 田中が佐藤と出会し\北新地で彼の思い描く舞台美術を. 次第 に実現していく様子が伺われる。 芸妓たちの芸の上達を見守り, 藤蔭会や花柳舞踊研究会などで 発表した新舞踊作品を,北禍浪花踊他で上演するなかで, 北新地は彼が志向する舞台美術実現の 場となっていった。 むろん北新地が求めたものは, 観客が求める舞踊の文化水準向上だけではなく, 興行的成功があったことは想像に難くない。 方田中自身は. 己の芸術を高みへと導くため には, 上演のための経済的背景は不可欠ではあるが. 一度でも多く上演機会を得たいと求めたも のと考えられる。 経営者と芸術家の考えは, 出発点にずれがあったとしても, 双方が芸術への情熱を保ち統ければ, 良好な関係が深まっていく場合がある。 北新地と田中の関係は, まさにそう いった関係の軌跡を描いたように考えられる。 このような関係が保持されていたからこそ, 北新 地では人間の意識や心理を描く複雑な作品も上演可能となり, 田中が志向する舞台美術を実現することが出来た。本稿では, 限られた史料を基に考察した結果ではあるが, 田中と北新地はある 時期, 佐藤駒 次郎を媒介として, 志を同じくする美の探求者たり得たことを論じた。
著者
若林 陵一 Wakabayashi Ryoichi
出版者
金沢大学大学院人間社会環境研究科
雑誌
人間社会環境研究 = Human and socio-environmental studies (ISSN:18815545)
巻号頁・発行日
no.36, pp.109-118, 2018-09-28

本稿では, 中世(主に14 ~ 15世紀中頃)の加賀国得橋郷(現石川県能美市・小松市内)を事例に取り上げた。 この得橋郷はおよそ北部が能美市牛島町・佐野町付近, 東部が小松市上八里 町・下八里町, 南部が小松市佐々木町・荒木田町のあたりであり, その中には加賀国の国府・周辺区域も含まれた。 そして, 本稿ではその郷内のうちいくつかの「村」や区域の様相, 動きに注目した。まずーでは, 郷内でも最も多く史料に登楊する牛島村と佐野村について考察した。 得橋郷に関係する史料ば多くが南禅寺関係の文害であり ここではそのうち郷内の「佐羅別宮御供田」にか かわる相論や, 牛島村・佐野村等の南禅寺領としての成立やその経過などに言及した。 そして, これまではその両村の情報がそのまま得橋郷のイメ ー ジとなっていたことをおさえ, 次の二へと進んだ。二では·, 得橋郷におけるその他の村々について考察した。 関係史料からは両村の他. 佐羅村や今村, 「三名」などの郷内集落に着目した。 中でも得南・益延•長恒「三名」に対する国術の「濫妨」や, 今村と在地寺院涌泉寺の相論, 白山社の進出・「押領」などが注目された。 そして, 得 橋郷では一でみた牛島村•佐野村に加えてその他の「村」や集落も存在し, 同じく南禅寺以外の 領主もかかわって, それぞれの世界ができていたことを指摘した。最後に , 得橋郷では14世紀頃に複数の勢力がかかわり , 同じく複数の集落が登場したが, 現在 の研究ではそれらを含めた複数の世界, 得橋郷社会の全てが明らかになっていないことを指摘し た。 なお, 本稿ではこの頃の村落, 削禅寺領荘園をみる上で全国各地ー加賀国軽海郷・倉月荘, 備中国上原郷•新見荘(現岡山県総社市・新見市) , 摂津国勝尾寺(現大阪府箕面市) , 紀伊国相 賀荘(現和歌山県橋本市) , 近江国奥嶋荘・津田荘(現滋賀県近江八幡市)など一の事例や視点 も努めて参照した。