著者
手嶋 英貴
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:18840051)
巻号頁・発行日
vol.62, no.3, pp.1072-1080, 2014-03-25

『マハーバーラタ』(Mahabharata)第14巻(MBh14巻)は「アシュヴァメーダの巻」(Asvamedhika-Parvan)と名付けられており,ユディシュティラ王による大掛かりなアシュヴァメーダ挙行の経緯を描いている.そこでは,大戦争を通じて多くの同族を殺した王が,その罪からの解放を願い,効験あらたかな滅罪儀礼であるアシュヴァメーダを行う.その上で,本祭に先だち十ヶ月間放浪する馬をアルジュナが守護し,各地で戦争の残敵を撃破する英雄譚が展開される.他方,MBh 14巻には,断片的ではあるが,アシュヴァメーダの祭式描写が数多く含まれており,そこからこの巻の編纂者がどのような祭式学的知見を有していたかを推知しうる.そのうち特に注目されるのは,MBh 14.91.7-19で描かれているダクシナー(祭官への報酬)の描写である.そこには,Satapatha-Brahmana=(SB)など,一部のヴェーダ祭式文献が示す規定と共通する要素が認められるからである.本稿では,これら祭式文献のにおけるダクシナー規定と,MBh 14巻におけるダクシナー描写とを比較し,同巻編纂者がどのような祭式学的知識をもち,またそれを物語の劇的展開にどう活用したかを考察した.その主な検討結果は以下のとおりである.(1)MBh 14巻におけるダクシナー描写には,祭式学の視点から次の三つの特徴が指摘できる:[A]アシュヴァメーダのダクシナーを「大地」とする(MBh 14.91.11a-b);[B]祭式終了後,祭主は森林生活に入る(MBh 14.91.12a);[C]大地(国土)は四等分されて四大祭官に分与される(MBh 14.91.12b-d).(2)祭式文献の規定を照合すると,上記[A]〜[C]の三特徴は,アシュヴァメーダのほかプルシャメーダ,サルヴァメーダを含む都合三祭式のダクシナー規定に散在している.つまり,MBh 14巻のダクシナー描写は,三つの異なった祭式規定の複合からなる.(3)祭式文献のうち,上記の三特徴を全て示すのはSBのほか,Sankhayana-およびApastamba-Srauta-Sutraだけである.このことから,MBh 14のダクシナー描写は,これら三文献に共通して伝えられている伝承に起源を持っていたと推測される.
著者
佐久間 秀範
出版者
Japanese Association of Indian and Buddhist Studies
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.55, no.3, pp.1112-1120, 2007-03-25 (Released:2010-03-09)
参考文献数
7

ねらい (目的): 五姓格別というと唯識教学の旗印のように日本では考えられてきたが, 吉村誠氏, 橘川智昭氏などの研究から法相宗の事実上の創始者窺基に由来することが判った. 窺基はそれ以前の中国唯識思想が如来蔵思想に歪められていたことへの猛反発から玄奘がもたらした正統インド唯識思想を宣揚しようとし, 一乗思想の対局の五姓格別を持ち出したと考えられる. それならば五姓格別思想も, その起源をインドに辿れるはずである. これまでインドの文献資料の中にその起源を位置づける研究が見あたらなかったので, これを明らかにすることを目的としたのが当論文である.方法 (資料): 全体を導く指標として遁倫の『瑜伽論記』の記述を用い, 法相宗が五姓格別のインド起源の根拠と位置づける『瑜伽論』『仏地経論』『楞伽経』『大乗荘厳経論』(偈文, 世親釈, 無性釈, 安慧釈) と補足的資料として『勝鬘経』『般若経』に登場する当思想に関連するテキスト部分を逐一分析し, その歴史的道筋を辿った.本論の成果等: 諸文献のテキスト部分を分析した結果, 五姓格別思想は三乗思想と無因子の無種姓とが合成されたものであることが判った. その過程を辿れるのが『大乗荘厳経論』第三章種性品であり, 無種姓という項目が声聞, 独覚, 菩薩, 不定種性と並列された第五番目に位置づけられるようになったのは, 最終的には安慧釈になってからであることが歴史的な発展過程とともに明らかになった. その場合玄奘のもたらした瑜伽行派文献の中国語訳に基づく五姓格別思想は, 玄奘が主として学んだナーランダーの戒賢等の思想と云うよりも, ヴァラヴィーの安慧系の思想を受け継ぐものと考えられる. これは智と識の対応関係などにもいえることであるが, 法相宗の思想の基盤が従来考えられたようなナーランダーにあると云うよりも, ヴァラヴィーなど他の地域に依拠しているケースが認められたと云うことであり, これまでの常識とされていた中国法相教学の思想の位置づけを含めて, 教理の内容を吟味してゆくことを要求する内容となった.
著者
栗本 眞好
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.67, no.2, pp.815-812, 2019

<p>Since the Zen sect arrived in Japan during the Kamakura period, Zen temples have played the role of a place for samurai to study Bushidō and neo-Confucian philosophy.</p><p>By the Meiji restoration, the role of the temple as an academic place was much reduced, but it did not change even after the restoration, and among the so-called "right wing" who kept longing for Bushidō, Zen meditation held an important place.</p><p>Although he decided to become an activist of the armed communist party and dropped out of Tokyo Imperial university, Tanaka Kiyoharau who turned from leftist ideas to conservation, Tokyo Imperial University, Uesugi Shinkichi's "emperor sovereign theory" was depressed, Uesugi after death, he studied under Inoue Nisyo, was questioned responsibility for conviction to the clan team case, and two of Yoshitaka Yotsumoto who served as prisoners, in the young age, Yamamoto Genpo who was a priest of Ryotakuji in Shizuoka prefecture I will refer to the footprints that became big fixers to move the successive regimes after the war based on what I realized through his experiences, from the standpoint of those who studied at the sect school of graduate schools of zen sect.</p>
著者
ISHIDA Kazuhiro
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.1282-1288, 2015-03

仏教学において,ある仏典に古層と新層が存在すると考えることは一般的なことである.この考え方は,古層に新層が付加されて現存の仏典が成立したというものであり,これまでの研究により,経・律・論のそれぞれにおいてより古い部分が明らかにされ,仏典の成立史が明らかにされてきた.それでは,ある仏典はいつまでも書き換え続けられるのであろうか,もしそうでなければそのような書き換えはいつ終わるのであろうか.本論文は『大毘婆沙論』における「有別意趣」という表現の考察を通して,この問題に一つの回答を与えようと試みるものである.本論文では,『大毘婆沙論』が,『品類足論』の後世への流伝に与えた影響と,『発智論』に潜む矛盾をどのように解釈したかを明らかにし,たとえ教理上の間違いがあったとしても,聖典としての仏典が容易に書き換えられない場合があることを明らかにした.
著者
三友 健容
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.57, no.2, pp.1053-1045, 2009-03-20
著者
赤羽 律
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.60, no.3, pp.1229-1236, 2012-03-25 (Released:2017-09-01)

中観派という呼称は仏教を少しでも齧ったことのある人ならば誰でも知っているといってよいほど広く知られた名称である.しかし,元々サンスクリット語でMadhyamikaと呼ばれ,直訳としては「中」という意味にしかならない名称が,何故「観」の字を加えられた「中観」という呼称として翻訳されたのかについては定かではない.本稿で明らかにしようと試みたのは,まさにこの点である.中観という呼称を学派名称として初めて用いたのは義浄であるとこれまで考えられてきた.しかしこの呼称そのものは決して義浄が独自に生み出したものではない.義浄以前に,中国における中観派系統の学派である三論宗の実質的な開祖である吉蔵が,Nagarjunaの『中論』を註釈した際に,そのタイトルを『中観論疏』とし,『中論』を『中観論』と呼んだことに由来すると考えられる.この『中観論』という呼称が7世紀半以降,中国を中心に広く知られていたことは明らかであり,インドに渡る以前の義浄が知っていたと十分に考えられる.それ故に,インドにおいてNagarjunaの思想に基づく学派としてMadhyamikaという呼称を耳にした義浄の脳裏に,Nagarjunaの最も重要な論書である『中論』即ち『中観論』という名称が浮かび,それを学派名称に転用したとしても何ら不思議はないであろう.また「観」の字を加えた理由は定かではないが,吉蔵の『中観論』という名称に関する注釈に従うならば,『中論』の各章に「観」の字が付けられていることに基づいたためではないかと推察される.何れにせよ,義浄以前の7世紀に活躍し,インドの仏教事情に詳しい玄奘や,630年代初頭に『般若灯論』の翻訳を行ったインド人Prabhakaramitraといった著名な仏教僧たちが何れも,中観派という呼称を用いていないことから,恐らくこの用語を学派名称として初めて用いた人物が義浄であると想定するのが現段階では妥当であろう.
著者
金 知姸
出版者
日本印度学仏教学会
雑誌
印度學佛教學研究 (ISSN:00194344)
巻号頁・発行日
vol.68, no.2, pp.865-860, 2020-03-20 (Released:2020-09-10)
参考文献数
2

The Shi moheyanlun 釋摩訶衍論 (abbreviated as Shilun), a commentary on the Awakening of Mahāyāna Faith 大乘起信論, has the special characteristic of making new words to express its interpretations. This creativity is apparent in the mental deliberation 心量 and consciousness 識 of the second volume, which mentions four consciousness: the 9th “consciousness of many in a single mind 多一識心,” the 10th “consciousness of each and every mind 一一識心,” the 9th “amalavijñāna 唵摩羅識,” and the 10th “all things are nothing but consciousness 一切一心識.”However, the Shilun does not give a detailed account of the four kinds of consciousness. Therefore, I examined the connection between mental deliberation and the two approaches 二門, the relationship between “consciousness of many in a single mind” and “all things are nothing but consciousness,” and the position of amalavijñāna by analyzing the interpretations presented in the Shilun commentaries. This analysis showed that the 10 forms of consciousness are limited from the 1st to the 9th mental deliberation, so the 9th amalavijñāna is included in the 9th ālayavijñāna, and the 10th “all things are nothing but consciousness” corresponds to the 9th “consciousness of many in a single mind.”